2. ゲームの名前じゃなくて
午後三時半。コーヒーの香りが漂う店で全員を俺の卓へ呼んだ結果、四人掛けのボックス席は取り合いになった。
集合の意味、そっちじゃねえ。
「夢叶、あっちゃんのとなりー!」
「ずりぃ! じゃあ反対側はあたしな!」
俺の片側に夢叶、もう片側にトラ吉が詰まって、片方のベンチが三人掛けになった。笑う夢叶の頬にはえくぼができ、トラ吉の日に焼けた腕が、俺の腕にぴたりとくっつく。
近い。女の子の体温って、こんなにはっきり分かるもんなのか。もう少しこのまま――いや、俺の肩の置き場がねえ。
「待て、狭い! 俺の座る分も残してくれ!」
「残してるってー! あっちゃん、ちょっと細くなって!」
「無茶言うな。俺が縮む規則はねえよ!」
「夢叶、肩ぶつかってんだよ!」
「まほまほのほうが場所とってるもーん!」
残る一人は、こっちの膝がテーブルを揺らす間も、向こう側で静かに背筋を伸ばした。
「では私は、正面に。正面がいちばん、顔がよく見えますので」
腰を下ろしても、ガンテツは背が高い。眼鏡の奥から、俺の顔だけをまっすぐ見ていた。正面って、実はいちばん強い席じゃないか。
ガンテツが鞄からノートを出し、その端にきっちりペン先をそろえた。
「ボイスチャット禁止は、長谷部くんが決めた規則です」
「……そうだ、俺だ」
「はい。二年前の四月三日、午前一時十二分に」
「俺、きれいさっぱり忘れてた。そんな細かく記録してんの!?」
夜中に叫ぶと、隣の部屋の妹に壁を叩かれる。俺が立てたご立派な規則の理由は、それだけだった。
「女だって分かると、すぐナメてくるやつがいるんだよ。だから、ずっと黙ってた。……悪かったな」
「夢叶はねー、ゲンジイのほうが頼ってもらえるんだもーん!」
「私の家では、ゲームが禁止です。……声は、出せませんでした」
三人とも、黙っていたのには理由がある。二年間、画面の向こうに勝手な顔を思い描いて、それで分かった気になっていた。
「……ごめん。俺、お前らって呼んで、ずっと男子のノリで話してた」
「それは、嬉しかったんです」
「夢叶もー! お前らって呼ばれるの、仲間って感じで好きだったよぉ」
夢叶のミルクティー色のツインテールが、俺の肩でぴょこぴょこ跳ねる。カップを握っていた指が、少しゆるんだ。
「あたしら、一時間前に初対面だかんな」
「三人とも、同じ人に告りに来てたんだよぉ。ウケるよねー!」
「ウケねえよ……」
二時半、それぞれ鞄に目印のもちゃ丸を下げてこの店に来て、互いに気づいたのだという。じゃあ、どうして三人そろって早く来たのか。その答えを、ガンテツがスマホごと俺に向けた。
「『明日、三時に、クラスの女子に呼び出されてる。告白かもしれん。俺にもついに春が』。……と、お書きでしたね」
「やめて! 人の春を、その丁寧な声で音読するな!」
「その『春が』のとこ、夢叶、三回も読み返しちゃったよぉ!」
「相手を確かめに来たんだよ。……ほら、来てよかっただろ」
トラ吉のぼそっとした声に、返す言葉が見つからない。俺は両手で顔を覆った。後ろ頭の寝ぐせを、夢叶の指がつんとつまんだ。顔を隠しても逃げ場がねえ。自慢した相手に、全部見られてたのかよ。
「つーか、お前さ。本名でネトゲすんなよ」
「アツシはかっこいいだろ!」
「ダサい」
「かわいいじゃーん!」
「……私は、好きです」
三人は二年前から、俺の本名だけは知っていた。不公平すぎる。しかも最後のひと言で、反論まで飛んだ。名前の話だぞ、俺。
こっちからも聞き返すと、三人が順に名乗った。ガンテツは森宮静流、トラ吉は虎尾茉帆。夢叶だけが高校三年で、学校は四人ともばらばらだ。
「えー、夢叶がいちばん年上だよぉ! あっちゃん、もっと敬ってー!」
「背の順で決めなくてよかったな」
夢叶が頬を膨らませ、静流が銀縁の眼鏡を押し上げる。指先だけが、眼鏡のつるから離れない。
「ゲームの名前じゃなくて、名前で呼んでください」
「……静流」
「……もう一回」
「聞こえただろ」
「聞こえたから、です」
喉の奥が、変なふうに詰まった。チャットなら毎晩打っていた相手なのに、たった名前ひとつでこれだ。静流の白い頬が、耳までみるみる赤くなっていく。もう一回だなんて、簡単に頼むなよ。
「……了解した」
低い声。静流が慌てて口を押さえる。その言い方なら、知ってる。二年分の「了解」が、女の子の顔で返ってきた。
「あたしも呼べよ!」
「夢叶もー!」
「はい、いったん全員集合! 順番に呼ぶから!」
両隣が、ぴしっと姿勢を正す。テーブルに置かれた指まで、ぴたりと止まった。名前を呼ぶだけなのに、なんでこっちまで緊張するんだ。
「茉帆」
茉帆が鼻の頭の絆創膏をごしごしこすった。耳の出る赤茶のベリーショートの下で、その耳まで真っ赤になっている。さっきまでぐいぐい押してきた肩が、今は触れそうで触れない。
「う、うっせえ! 呼べって言っただけだし!」
「夢叶」
「……え、ずる。ふつうに照れるんですけど」
語尾が伸びなかった。夢叶の小さな指が、俺の袖をきゅっと握る。引っぱるでもなく、ただ、そこから離れない。
ここで今すぐ一人を選べと言われたら、俺は固まる。三人ともかわいいし、三人とも、寝落ち常習の俺と遊んでくれた大事な仲間だ。
夢叶が袖から手を離し、人差し指をぴんと立てた。
「じゃあさ、一人ずつデートして、あっちゃんが決めればよくない?」
「待て、俺に選ばせるのか? 俺だぞ!」
「あっちゃんだからだよぉ!」
「乗れる勝負なら、あたしは逃げねえぞ!」
「順番で得をしないよう、時間はそろえましょう」
三人の目が、いっせいに俺に集まっている。冗談にして逃げるなら今だ。……でも、こいつらは俺の返事を待っている。
「……乗った」
「決まりー!」
テーブルの真ん中で、夢叶の指に、茉帆と静流の指が順に重なった。勝負を決めたばかりの手が、仲よくくっついている。俺は気づかれないように、ぬるくなったコーヒーを飲み干す。
◇
嘘告の動画は、最後の三秒のせいで、誰の笑い話にもならなかった。
日曜の夜にクラスのグループへ回されたそれは、最後に映った美少女三人のせいで、月曜の教室を「あれ誰?」一色にしてしまう。俺は、誰にも答えなかった。あの席でもらった名前を、ここの話のネタにはしたくない。
放課後の校門には、人だかりができている。その先に、名門女子校の紺の制服。背筋を伸ばした静流が、夕方の光の中で俺を待っていた。門を抜ける風が、制服の裾を小さく揺らす。
「え、あれ、動画の最後の子じゃね?」
ざわめきの中で、ここで見せつけたら気持ちいいだろうな、と俗物の俺がささやく。胸まで張りかけて、やめる。いや、その前に、待たせてる人がいるだろ。
「お前に告白する女なんか、いねえって。どうせサクラだろ」
人だかりの中でいちばん目立つ脱色した金髪の前を、俺は迷わず素通りした。竜崎の取り巻きのあいだを抜けて、校門の外へ出る。
「待たせたな、静流」
静流は竜崎のほうを見もせず、俺に向けてふっと口元をゆるめた。目元までほどける笑顔は、初めて見る。こっちの口元までゆるみかけたところで、静流は丁寧に頭を下げる。
「お疲れさまです。直接、お約束をしに参りました」
妙に静まった人だかりで、竜崎の取り巻きが横を向き、ぼそりとこぼす。
「いや……サクラであれは、無理だろ」
竜崎が舌打ちして、校門を離れていった。静流は振り返りもしない。
「わざわざ来てくれたのか?」
「チャットでは、予約が取れませんので」
静流が手帳を開いて、ペンを走らせた。風にめくれかけるページを、指でそっと押さえる。さらさらと紙をこする音が止まり、俺に手帳が向けられる。
「土曜の十時、駅の北口で。……二人きりを、予約しました」




