1. 嘘の告白が一つ、本気の告白は三つ
六月の第一土曜、午後三時。駅前の喫茶店は、コーヒーの焦げた匂いと、窓から差しこむ午後の光で、ぬるく満ちていた。氷の溶ける音まで、やけにのんびり聞こえる。
向かいの席で、蝶野が長いつけまつ毛を伏せた。
「長谷部くん。ずっと前から、好きでした」
「喜んで!」
返事まで零コンマ五秒。その間に、俺は子どもの名前まで考えている。早い。自分でも引く。
四時からは、二年間一緒に遊んだ、四人だけのギルド〈夜更かし団〉の初オフ会だ。俺、長谷部篤史はそのリーダーで、鞄には目印のもちゃ丸のキーホルダーが下がっている。
話があると俺を呼び出した蝶野との待ち合わせも、移動を省いてこの店にした。交通費も浮く。段取り、完璧じゃん。
蝶野が口を押さえて、ぷっと吹き出す。俺もつられて笑いかけた。まだ、喜んでくれたんだと思っている。
「やば、即答じゃん! うち、まだ笑わずに言えてたのに!」
「え、照れてるってことでいいんだよな? 俺だって照れてるし、おあいこだろ!」
「ちがうちがう、無理、ウケる! カードで負けた。だから言わされただけ!」
隣のボックス席から、聞き覚えのある声が割りこむ。腹の底が、すうっと冷えた。
「はい、ドッキリ大成功ー!」
立ち上がったのは、脱色した金髪の竜崎と、取り巻きの二人。取り巻きのスマホが、俺の顔を真正面から撮っている。蝶野は竜崎の隣へ移って、肩を揺らした。
「見たかよ今の、即答! やべえ、マジで信じてたじゃん!」
はしゃぐ取り巻きの横で、竜崎が口の端を上げる。俺が何を言い返すかなんて、待つ気もない顔だった。
「お前に告白する女なんか、いねえよ」
笑い声が、店じゅうに広がる。カップを置く音も、椅子を引く音も、その向こうへ遠のいた。
「見ろよ、こいつ固まってんぞ!」
背中に刺さるのはただの声なのに、冷房の風よりずっと冷たい。俺は後ろ頭の寝ぐせをかいた。口だけが、まだ笑われずに済む場所を探して動く。
「……だ、だよなー! 知ってたって、知ってた!」
全然知らねえ。さっき決めた子どもの名前、どうすんだよ。膝の上で握った手は、テーブルの下に隠したままだ。
笑い声の中、俺に向けられていたスマホが、ふいに下がった。
「おい。今の告白、嘘だったのかよ?」
振り返ると、知らない美少女が三人。
後ろのボックス席から、赤茶の髪の子が竜崎へ詰め寄っている。鼻の頭の絆創膏が、きゅっとひくついた。その隣では、長い黒髪の子が銀縁の眼鏡を押し上げる。まっすぐ、俺を見ている。
「……また一人で突っ込んだのか?」
――その言い回しには、覚えがある。
二年前の春、俺たちは『ルーンレイド』の同じ県のサーバーの募集で集まった。俺が一人で敵に突っ込むたび、盾役の重騎士がチャットに打ってきた一文だ。画面の文字が、目の前の声にぴたりと重なる。
「……ガンテツ?」
眼鏡の子が、はっと口を押さえる。指が下がると、さっきとは別人みたいな丁寧な声が出てきた。
「はい。……ガンテツです」
「いやいやいや、ガンテツって、もっとこう、樽みたいな……」
「樽ではありません」
「トラ吉」
赤茶の髪の子が、親指で自分を指す。迷いのない仕草に、俺の頭のほうが追いつかない。
「トラ吉は無口な侍だろ!? 今、めちゃくちゃしゃべってるじゃん!」
「チャットで黙ってただけだっつーの! お前の寝落ちの書きこみも、全部読んでた。全部な」
「じゃあ、ゲンジイは!? 七十歳くらいの坊さんで、語尾が『じゃ』の!」
「うむ! 若いの、無茶をするでない……なーんちゃってぇ! ゲンジイでーす!」
いちばん小さい子が手を挙げる。ミルクティー色のツインテールが、弾む声に合わせて揺れた。
「待て待て待て! ガンテツは髭のドワーフだろ!」
「えー、夢叶たち、一回でも男って言ったぁ?」
「……言ってない!」
「では、反省会は後ほど」
連絡は文字だけで、ボイスチャットは禁止。それがうちのギルドの決まりだ。身長百二十センチの髭のドワーフに、俺は二年間ずっと説教されてきた。そのドワーフが今、俺より背が高い。
「髭、どうしたんだよ!? ずっとドワーフの先輩だと思ってた。俺の二年を返せ!」
「今も、盾役として頼ってくださって構いません」
「あっちゃんが勝手に、男友達って思ってただけじゃーん!」
「正論を可愛い声で言うのやめろ! 言い返すより先に、うんって言いたくなるんだよ!」
「あたしなんか、最初から男だなんて一言も書いてねえぞ」
ガンテツの口もとが、少しだけゆるむ。俺の知ってる仲間が、知らない顔で笑っていた。つい見とれる。いや待て、説教の予告をされたところだぞ。
「は? なに、こいつのゲーム友達?」
金髪が鼻で笑う。ちびの坊さんが、ぴょんと一歩前へ出た。
「じゃあ次、夢叶の番ね! 夢叶は本気だから!」
ゲンジイは羊山夢叶と名乗ると、俺のパーカーの袖口を両手でつまむ。布ごしの小さな引っ張りに、妙に背筋が伸びた。
「あっちゃん、だーい好き!」
「抜け駆けすんな! あたしだって!」
トラ吉が椅子を押しのけ、こっちへ向き直る。その耳は、もう真っ赤だった。
「……す、好きだっつーの」
「二人とも。私が最初に、この席を予約しました」
ガンテツが、眼鏡の奥の切れ長の目を細める。そういえばオフ会の幹事、こいつだったな。一拍おいて、その声が少しだけ震えた。
「私も、本気です」
嘘の告白が一つ。本気の告白は三つ。
ちょっと待て。お前ら、昨日まで俺の寝落ちをからかってたよな?
正直に言う。三人とも、めちゃくちゃかわいい。
「待ってくれ。これ、いつもの俺をからかうやつじゃないのか? 罰ゲームの二回戦とか、ドッキリの二段重ねとか」
「寝落ちなら笑うけど、好きは笑わせるために言わねえよ!」
「顔を見て言おうって、夢叶ずーっと決めてたんだよぉ!」
夢叶が、つまんだ袖口をきゅっと引いた。ほんの少し近づいた顔を見て、握ったままだった俺の手がゆるむ。
「おい夢叶、袖つまむのずりぃだろ!」
「早い者勝ちだもーん!」
「順番でしたら、予約した順です」
「だから、なんの予約だよ!」
竜崎が口を半開きにして、俺と三人を見比べている。
さっきまで冷えきっていた胸の奥が、急に熱くなった。ついでに、俗物の頭にろくでもない考えが浮かぶ。この三人を連れて月曜の教室に入ったら、竜崎の顔はさぞ見ものだろう。
「おい。なにこれ、ドッキリ返し? 撮っとこ」
竜崎が取り巻きのスマホを奪い、三人へレンズを向けた。
見せてやりたい。その顔、もっと引きつらせてやりたい。
ただし、あいつらを見返す道具に、三人を使う気はない。
俺は立ち上がって、カメラと三人のあいだに体を入れる。
「撮るな。俺の友達に失礼だ」
背中で、三人の声がそろった。
「友達?」
「長谷部のくせに、急にかっこつけんなよ」
「スマホを下げろって言ってんだよ」
「は? お前に指図される覚えは――」
カウンターの奥で、白髪まじりの口ひげの店主が、カップを拭く手を止める。布のこすれる音が消え、竜崎の声だけが浮いた。
「お客さん。店の中での撮影は、ご遠慮願えますか?」
店の客の目が、いっせいに竜崎へ向く。さっき一緒に笑っていた取り巻きまで、気まずそうに視線をそらした。
「……ちっ。行くぞ」
竜崎たちと蝶野が出ていき、ドアベルが乾いた音を立てる。やっと息を吐いて振り向くと、三人がそろって頬を膨らませていた。
「友達って言ったー! 今、友達って言ったよね!?」
「あたしら、今、告ったんだけど!?」
「……議事録に、残しておきます」
「いや、友達だろ。二年間、ずっと一緒に遊んできた。……違うのか?」
「それはそうだけどー! そうじゃないのー!」
男友達にその顔をされるの、ずるくないか。いや、男じゃなかった。わかってる。わかってるのに、可愛いが先に来て頭が働かない。いつもの号令なら出せる気がして、俺は息を吸った。
「……はい、いったん全員集合」




