【第2話:悲鳴と保存食のシンフォニー、そしてアルミホイルの重装騎士】
ドォンッ! バンバンッ! ギリギリギリッ……!
「おい、そこ! 少し静かにしろっての!」
俺は泡立て器を片手に、厚さ五センチの鋼鉄扉に向かって怒鳴りつけた。
「俺がソースを乳化させてる最中に床を揺らすな! もし分離したら、扉を開けてもう一回殺してやるからな!」
メイン厨房を完全封鎖してからというもの、壁の向こう側では文字通り地獄絵図が繰り広げられていた。
昼も夜もなく響き渡る悲鳴、上のデッキを走り回る足音、ガラスの割れる音、そして鋼鉄の扉に体当たりを繰り返すアンデッドたちの唸り声。
普通の人間なら、ステンレスの調理台の下で頭を抱えて震えていたかもしれない。
だが、俺は違った。
34年の人生の半分をプロの厨房で、もう半分をゾンビゲームの中で過ごしてきた俺の頭は、極めて現実的な計算を弾き出していた。
救助がいつ来るかなど、誰にも分からない。
三日後かもしれないし、二週間後かもしれないし、一ヶ月後かもしれない。
そして何より恐ろしいのは、扉の向こうのゾンビではなく――『いずれ船の発電機が止まり、水道と冷蔵庫が死ぬ』という事実だった。
電気が止まれば、巨大な冷蔵庫に眠る最高級の肉も、新鮮な野菜も、すべて腐ってゴミになる。
ゾンビに喰われて死ぬ? まあ、百歩譲って許そう。
だが、何百キロもの極上の食材を腐らせて捨てることだけは、料理人としての俺のプライドが絶対に許さなかった。
それに、いつまで続くか分からない籠城戦だ。「念には念を」入れて備蓄を作っておくに越したことはない。
俺は片耳だけにイヤホンを挿してゲームの落ち着いたメニュー音楽を流すと、エプロンの紐を固く締め直し、人類史上最大の『終末の仕込み(プレップ)』を開始した。
まず手をつけたのは『水の確保』だ。
水道のポンプが生きているうちに、厨房と洗い場にある十二個の蛇口をすべて全開にした。
100リットルの寸胴鍋を四つ、50リットル鍋を八つ、巨大なシンクの槽、さらには深型のホテルパン三十個に至るまで、一滴の隙間もなく飲料水で満たしていく。
ホコリ一つ入らないよう、すべての容器を業務用ラップで三重に密閉した。これだけで千五百リットル以上の水が手に入った計算になる。
次に取り掛かったのは、冷蔵庫の野菜をすべて救い出す『オイル漬け(ソットーリオ)』の無限生産だ。
俺は冷蔵室から茄子、ズッキーニ、パプリカ、ポルチーニ茸、アーティチョークの箱を山のように運び出した。
そこからは完全に工場のライン作業だった。
猛スピードで野菜を切り分け、白ワインビネガーを効かせた湯でサッと茹で上げて清潔な布巾に並べて乾かす。
それを蒸気で殺菌した何十個もの巨大なガラス瓶にぎっしりと詰め込み、ニンニク、唐辛子、粒胡椒、ローズマリーと共に、最高級のエキストラバージン・オリーブオイルをなみなみと注いで密閉していくのだ。
パスのシャッターの向こうで元ウェイターのゾンビが唸り声を上げる中、俺は百本目の瓶の蓋を閉め、真空状態になった『ペコン』という小気味よい音を確認して満足げに頷いた。
さらに俺は、精肉用の冷蔵庫へと突入した。
豚のロース、牛の塊肉、鴨の胸肉、仔羊の脚。
俺は25キロ入りの粗塩の袋を調理台にぶちまけ、挽きたての黒胡椒、潰したジュニパーベリー、ローリエ、タイムを混ぜ合わせた。
そして、高級スパのマッサージ師さながらの丁寧な手つきで肉の塊一つ一つに塩とハーブをすり込み、余分な水分が抜けるよう穴あきバットに並べて塩の山へと埋めていく。
『肉の塩漬け(カルネ・ソット・サーレ)』の完成だ。これで冷蔵庫が止まっても、半年は極上の熟成肉が食い放題になる。
もちろん、俺はただ働き続けていたわけではない。
保存食の仕込みがひと段落するたび、俺はコンセントの横に座り込んで新型ゲーム機を起動し、ゾンビゲームのステージを一つずつ確実にクリアしていった。
そして腹が減れば、自分のためだけに『三つ星レストラン級の料理』を振る舞った。
ある時は、豚ホホ肉の塩漬け(グアンチャーレ)の塊を厚めの拍子木切りにし、フライパンで脂が透き通るまでじっくりとカリカリに焼き上げた。
生クリームなどという邪道なものは一切使わない。
ボウルに新鮮な卵黄と、すりおろしたばかりのペコリーノ・ロマーノチーズ、そしてたっぷりの黒胡椒を混ぜ合わせ、グアンチャーレの旨味が溶け出した黄金色の脂を少し加えてペースト状にする。
そこにアルデンテに茹で上げたスパゲッティを投入し、火を止めた余熱と茹で汁だけで一気に乳化させた『究極のカルボナーラ』だ。
フォークに巻き取って口に運べば、濃厚な卵黄とチーズのコク、そしてカリカリのグアンチャーレから溢れ出す塩気と黒胡椒の刺激が脳髄を直撃する。
扉の外で誰かが壁を引っ掻く音をBGMに、俺は皿の底に残ったソースまでパンで綺麗にぬぐって完食した。
またある時は、冷蔵庫の電気が落ちる前に一番いい部位を食っておこうと、最高級の『牛フィレ肉のグリーンペッパーソース(フィレット・アル・ペペ・ヴェルデ)』を焼いた。
厚さ四センチの牛フィレ肉に塩をして、バターを溶かしたフライパンで表面を香ばしく焼き固め、完璧なロゼ色のミディアムレアに仕上げる。
肉を休ませている間に、フライパンに残った肉汁をブランデーでフランベし、塩漬けのグリーンペッパー(緑胡椒)と俺特製の仔牛のフォン、そして少しの生クリームを加えて煮詰めたソースをたっぷりとかけた。
ナイフを入れると、抵抗なくスッと刃が通る。
口に入れた瞬間、赤身肉の暴力的なまでの柔らかさと肉汁、そしてグリーンペッパーの爽やかな辛味が一体となって溶けていった。
「……ああ、生きててよかったぜ」
俺は極上の赤ワインをグラスで一口やりながら、ゲーム機のコントローラーを握り直した。
――そうして、俺がこの厨房に閉じこもってから『十一日』が経過した。
十一日目の朝、ついにその瞬間はやってきた。
船底から重苦しい爆発音のような響きが伝わってきたかと思うと、天井の蛍光灯がバチッと音を立てて完全に消え去った。
空調のファンが止まり、冷蔵庫のモーター音が沈黙し、厨房内はバッテリー式の赤い非常灯だけが照らす薄暗い空間へと変わった。
俺は即座にコンセントから充電器を抜き取り――もちろんゲーム機の充電は常に100%をキープしていた――外壁にある強化ガラスの丸窓へと歩み寄った。
手の甲でガラスの曇りを拭い、外を見る。
水平線には、軍艦の影も、沿岸警備隊のヘリコプターも、何一つ見えなかった。
半マイル先にあるブラックロック島からは、今もなお黒い煙が立ち上っており、岸壁には無数のゾンビたちがうごめいているのが見えた。
十一日間待っても、救助は来なかった。
この船も、あの島も、完全に外の世界から見捨てられたか、あるいは世界そのものが同じ地獄に落ちているかのどちらかだ。
そして空調が完全に死んだ今、この密閉された厨房にこれ以上留まり続ければ、熱気と酸欠で俺自身が蒸し焼きにされてしまう。
俺は冷たいガラスに額を当て、ふうっと長い息を吐き出した。
「……さてと。十分待ったし、食材も全部仕込み終えた」
俺はポケットから最新型のゲーム機を取り出し、セーブを確認してから、パチンと電源を落とした。
「画面の中のゾンビはお預けだ。ここからは、外の『本物』を全員ぶっ殺してやる」
生き残って助けを呼ぶためには、上のデッキにある船長室へ行って無線機を探すか、あの島へ降りるしかない。
そのためにはまず、この厨房の扉を開け、外の連中を殲滅する必要があった。
俺は中央の調理台へ戻ると、『防具のクラフト』を開始した。
ゾンビ映画の登場人物は、半袖シャツ一枚で飛び出してあっさり腕を噛まれる。
だがゲーマーは知っている。人間の歯などというものは、圧縮された紙の束と金属の層を絶対に貫通できないということを。
俺は料理長室から、分厚い表紙の『料理専門誌』や食材業者のカタログを二十冊ほど抱えてきた。
まずはそれを両腕の手首から肘までと、両脚のスネにぐるぐると隙間なく巻きつける。
さらに三冊の雑誌を筒状に丸め、中世の騎士のプレートアーマーのように自分の首の周りに高く固定した。これで首筋に噛みつくことは物理的に不可能になる。
その上から、俺は業務用の『極厚アルミホイル』――家庭用の三倍の分厚さがあるプロ仕様のロール――を取り出し、雑誌の上から十重、二十重に銀色の金属膜を巻きつけた。
最後に、灰色の強力な『ダクトテープ(布ガムテープ)』を三巻まるごと使い、アルミホイルと雑誌を一切の隙間なくガチガチに固定していく。
俺は何度かその場でシャドーボクシングをして動きを確かめた。
見た目は中世のテンプル騎士団とオーブンに入れる前のベイクドポテトを足して二で割ったようなマヌケな姿だが、手首も肩も問題なく動くし、防御力は文字通り鉄壁だ。
最後に、俺は包丁ラックへと向かった。
刃が薄くてしなる柳刃やフィレナイフは選ばない。骨に当たった瞬間に折れるからだ。
俺が選んだのは、ドイツ製の高炭素鋼を一体鍛造で作られた、刃渡り三十センチの重厚な『牛刀』二本。
スチール棒(研ぎ棒)でジャッ、ジャッ、ジャッと四回鋭く刃を合わせ、空中で髪の毛が断ち切れるほどの剃刀の切れ味に仕上げてから、予備の分厚い骨スキ包丁(肉切りナタ)もベルトに差し込んだ。
いきなり正面の鋼鉄扉を開ければ、廊下に溜まった群れに押し潰される。
まずは安全地帯から、外の敵の数を減らす『グリッチ(ハメ技)』を使うのが定石だ。
俺はレストランのホールへと繋がる横長の小窓『ディッシュ・パス』の前へと歩み寄り、左手でシャッターの取っ手を掴み、右手に牛刀を構えた。
「よし、クソ野郎ども――」
料理雑誌とアルミホイルの襟の奥で、俺は獰猛に笑った。
「ディナーの注文を受け付けてやるぜ」




