図書館と幼馴染
放課後、俺はいつものように図書室へ向かう。
本を読むのは嫌いじゃない。現実から逃げられるから。特に最近は、美咲とまともに話せない自分から逃げたくて本の世界に没頭することが増えていた。
でも今日は、いつもの席に先客がいた。
窓際の一番奥の席。そこに座っているのは美咲だった。
心臓が跳ねる。引き返そうかとも思ったが、気づかれてしまった。
「蒼くん」
美咲が顔を上げて俺を見た。大きな瞳がまっすぐに向けられて、息が止まりそうになる。
「よかったら、ここ座らない?」
彼女が指したのは、自分の隣の席だった。
「え、でも……」
「ダメ?」
首をかしげる仕草が、反則なくらい可愛い。昔から彼女はこうやって俺を動かしてきた。小さい頃は「ねえ蒼くん、一緒に星見に行こう」と夜中に窓から抜け出そうとしたこともあった。あのときもこんな顔をしていた気がする。
俺は断れるわけもなく、ぎこちなく隣に座った。
「蒼くんも本好きだよね」
「まあ、それなりに」
「どんなの読むの?」
美咲が身を乗り出してくる。シャンプーの匂いがふわりと漂って、俺は必死に平常心を保とうとした。
「小説とか……ミステリーとか」
「へえ、私も。最近読んだのだとこれが面白かったよ」
そう言って美咲が見せてくれたのは、宇宙を舞台にしたSFミステリだった。
「天文好きのお前らしいな」
「そうかな。でもね、この本は星の話っていうより人間の話なんだよ」
美咲はページをめくりながら言う。
「宇宙って、すごく広くて人間なんてちっぽけで。でも、そんな小さな存在同士がわかり合おうとする話なの」
「わかり合おうとする?」
「うん。何億光年も離れた星の光が地球に届くみたいに、人と人の心も時間をかければ届くのかなって」
美咲の横顔が窓から差し込む午後の光に照らされている。まつげの影が頬に落ちて、その表情は真剣ででもどこか寂しそうだった。
「……難しいこと考えるんだな」
「そうかな。蒼くんだって、いつも考えてるでしょ。いろんなこと」
「俺はただの現実逃避だけど」
「それも考えてるうちに入るよ」
美咲がくすっと笑う。
それから三十分ほどだろうか。気づけば俺たちはおすすめの本の話で盛り上がっていた。美咲は思っていたよりずっと気さくで、笑顔が可愛くてそして何より俺の話をちゃんと聞いてくれる人だった。
いや、そんなことはずっと前から知っていたはずなのに。
「そろそろ閉館だね」
司書の先生が声をかけてきて、俺たちは慌てて立ち上がった。
「今日はありがとう。楽しかった」
図書室を出るとき、美咲がそう言って笑った。
「こちらこそ」
「また話そうね」
そう言って彼女は去っていった。俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
(また話そう)
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
昔は毎日のように話していたのに。「また話そう」なんて改まって言う関係じゃなかったのに。
いつの間にか俺たちの間に透明な壁ができていた。それは俺が作ったものなのか、それとも時間が自然に積み上げたものなのか。
わからない。
でも、あの日、図書室で彼女と話した時間は確かに心地よかった。
失くしたと思っていたものが、少しだけ戻ってきたような気がした。




