わたしの悩み
「さて、君の悩みは何かね?」
音子さんが静かにわたしの返答を待つ。
「………なや、み?」
わたしはまたアイスティーを口に運ぶ。アイスティーの氷はもうすっかりとけてしまっていた。
「特に、ないですよ?」
「ほう」
「ウソだろ」
慎司くんが言った。
「なによ!」
「だって、こいつには雪が見えるんだぞ」
――昨日の慎司くんはわたしが雪が見えることについて変と言わなかった。けれど、今日のこの言葉は私のことを変と言っている。わたしは泣きそうになって下を向いた。
「見える、ねえ」
下を向いたわたしのあごを音子さんがすくい上げた。
「どれどれ」
音子さんが机から乗り出し、わたしの顔をのぞきこむ。
「君」
近い。さけようとする頭を音子さんの手が包む。にげられな――。
「——いい目をしているね」
音子さんが目の前でやわらかくほほ笑んだ。
「君、最近鏡を見たかね」
「毎日見てます!」
わたしは真っ赤になって答える。
「これは失礼。では、自分を観察はしたかね」
「観察?自分をですか?」
音子さんが自身の指先で目じりをたたいた。
「左目。目の中に雪が浮かんでいるね?」
「え?」
「一番書記くん、鏡を」
「ここに」
「君はやっぱり仕事のできる子だねえ」
わたしのあごから手をはなした音子さんがわたしに手鏡を差し出した。この部屋の雰囲気にぴったりの鏡だ。わたしはおそるおそる手鏡を持って、その中をのぞきこんだ。
「ほ、本当だ………」
音子さんに言われた通り自分の左目を観察すると、その目にはなぜか雪の結晶に似た模様が白く浮かんでいた。
「いつからだ?」
音子さんが静かに問う。
「わかりません」
「………雪を見始めたのは?」
慎司くんも問う。
「2週間前、くらい?」
「他に最近変わったことは?」
思わず、ええっ~と声を出してしまう。
一番変わったことといえば――夏なのに雪が降っていることだけど、これは二人とも知ってるし………他には何かあったかな………?
大好物で、おいしいはずのご飯がおいしく感じなかったこと、レオ姉のお家に泊まりに行けること、慎司くんと出会ったこと。そのどれもがめずらしいことだけど、変わったと言われるとそこまではない気がするし………。他に変わったこと、変なこと――あっ!
「妹が、」
「妹?」
「なんかよく分からない言葉を言うようになって。私も聞いたことない言葉で、病気でずっとお外に出られてないはずなのにどうしてそんな言葉知ってるんだろう。変だなーって思ってて」
わたしの言葉を聞いた音子さんは考え込んでいる。
さっきわたしが言った「妹」「病気」「よく分からない言葉」とくり返しながら、すみの棚からいくつかの本をぬき出していた。その表紙には国語や現代文と書かれていて、どこかの学校の教科書みたいだった。
音子さんは何をしてるんだろう。そう聞こうと思い、慎司くんの方を向いた。そうしたら、慎司くんは音子さんに負けないくらいまじめな顔で私に言った。
「その言葉は、あめゆじゆとてちてけんじや、か?」
私は慎司くんの言葉に息を飲む。
「——なんで、慎司くんがその言葉を知ってるの?」
パンッと部屋に音がひびいた。音子さんが教科書を閉じた音だ。音子さんはさっきのまじめ顔から一転、晴れ晴れした顔をしていた。なんだかクイズの正解にたどり着いたようなとてもスッキリとした表情だった。
「うん、分かった」
音子さんのはずんだ声を聞いた慎司くんもまじめな顔から一転、なぜかあせり出す。
「待ってください!こういう時の音子さんはろくなことを言わ――」
けれど、慎司くんが言い終わる前に、音子さんが言った。
「和風くん、君、うちの三番書記になりなさい」
「「!」」
わたしたちはおどろいて音子さんに注目する。
「三番書記?」
「つまりはここで働かないかってことだ。」
「働く?」
さっき音子さんはこの事務所は物語が創り出す、怪異トラブル専門の相談所と言っていた。
しゃべるトラ、神社からの移動に、この事務所の存在——。今日だけでも友だちに言われたウソと思わず言ってしまいそうな、フシギなことにたくさん出会えてる。
なら、ここで働くということはふつうなら出会えない、もっとフシギな体験ができるということだ!ぜったいおもしろそう!!
「働きます!」
わたしは手をあげて元気よく答えた。
「待ってください、音子さん!」
慎司くんは音を立てながらソファーから立ち上がった。慎司くんにたたかれたガラステーブルはぐわんぐわんとゆれていて、その上に乗っていたグラスもカタカタと音を鳴らした。
「こういう内容は慎重にいくべきです!それにこいつにはまだパートナーもいない!」
こういう内容とはどういう内容だろう?それにパートナーって?疑問に思い、慎司くんを見つめる。
「それに、お前!」
「はい!」
慎司くんは怒りとあせりを混ぜたような顔でわたしを指差す。そのあまりの勢いにわたしは思わず大きな声で返事をしてしまう。
「お前は今、自分の周りがどうなっているか分かって――」
「一番書記くん」
重みのある声で、音子さんはわたしにつっかかる慎司くんを制した。もしかして、これが所長のイゲンというものだろうか?
「聞くが、この子は李徴も見えたんだろう?」
「……はい」
音子さんの低い声に慎司くんの勢いがだいぶしぼんだようだ。李徴、って今も慎司くんの足元にいるとしゃべるトラのことだよね?この子が見えることに何か意味があるのだろうか?
「じゃあ入所しても問題あるまい」
「音子さん!」
「では、間をとって仮入所だ。そうさな、期間は三番書記用の机が届くまで。そこまで問題なく勤め上げたら正式入所させよう」
音子さんは慎司くんの背中に回り、かたをもむ。
「なあに、心配ないさ。ここに置くことがこの子にとって最大の安全になる」
慎司くんはもう反論することをあきらめたのか、音子さんにされるがままになっていた。
「そういうわけで新人の指導もよろしく頼むぞ、仕事ができる一番書記くん」
「………オレが?」
君が連れてきたんだろう?と音子さんは慎司くん笑いかけた。それにこの事件は――と、今度はわたしの方に向き直って言った。
「君にぴったりの話だ」
音子さんは慎司くんに向かって手をあげる。慎司くんは近くの机にファイルを音子さんに手渡す。
いつの間に用意したんだろう。——なるほど、音子さんが慎司くんに対して「仕事ができる」と言うのも納得だ。
ファイルから引きぬかれ、かかげられる1枚の紙。真っ白なふつうのコピー用紙で、さっき見た報告書はちがい、ずいぶんと新しい紙だ。そして、そのなかの一文にわたしは目をうばわれた。
「——かまいたち?」
「そう、今回の怪異の発生場所は君たちの出会った公園、事件内容はなぞの風——いわゆる、かまいたちだ」




