物語に宿る怪異
女の人が自分の向かいのイスを差した。座って、ということらしい。
なんだか昔の探偵が座っていそうな革で作られた茶色いソファーだ。座ったことのない感じのソファーにドキドキしながら、わたしは静かにこしを下ろした。
「君の名前は?」
「えっと………」
知らない人に名前を教えていいのかな。
どうしていいか分からず、わたしは男の子の方を見た。わたしの視線の先に気付いた女の人が男の子に声をかける。
「この子の名前は?」
「知らない」
ハアーという大きなため息。
男の子のそっけない返答にカタを落した女の人がいかにも残念というわかりやすいポーズをする。
「一番書記くんよ。君は仕事はできるのに本当に愛想がないなあ」
一番書記と呼ばれた男の子は女の人に返事もせず、別の部屋に行ってしまった。ゴソゴソと音が聞こえるので、なにかの作業をし始めたみたいだ。李徴もカレといっしょにそっちの部屋に行ってしまったので、部屋にはわたしと女の人だけになった。
知らない部屋で、知らない人と、二人きり――。どうしよう。どうしたらいいんだろう………。
ドキドキして、水が飲みたくなって、自分のリュックから水筒を取り出す。けれど、水筒に残っていた量はちょっぴりで、わたしのドキドキを治めるには全然足りなかった。
わたしは女の人の持つこはく色の紅茶がうらやましくて、思わずのどを鳴らす。
――いいなあ、わたしも何か飲みたいなあ。
「まあ、いい」
男の子からの返事をあきらめたのか、ぽんとひざをたたき、女の人はわたしに向き直った。
「全て――所長の私から説明すればよいのだから」
わたしを見つめる目は、先ほどよりもするどくなっていて――ああ、これはにげられないと感じた。………まあ、そもそもここからどうやってにげるのかもわからないけれど。
女の人はひざの上で組んだ指にあごを乗せ、またわたしにたずねた。
「君、名前は?」
わたしはカラカラになった口を開き、言った。
「和風。波治和風です」
「私は架間音子。一応、ここの所長をしている。して、こっちは一番書記の赤松慎司くん」
一番書記くんあらため、慎司くんがこちらにもどってきて、わたしのとなりに座った。手にはグラスを2つ持っていて、
「飲め」
差し出された手には氷のたっぷり入ったアイスティーがあった。
「……いいの?」
慎司くんはうなずく。わたしはお礼を言ってアイスティーを受け取った。説明もなしにトラ《李徴》に乗らされて、遠くの神社に連れて来られて、気が付いたら現実ばなれした知らない場所で――。
わたしは気付かないうちにきんちょうしていたみたいだ。慎司くんがくれた紅茶は冷たくて、いつの間にか気を張りつめていたわたしの火照りを冷ましてくれた。
「ここってなんなんですか?」
飲み物で落ち着きを取り戻したわたしは音子さんに聞く。
「ここは物語が創り出す、怪異トラブル専門の相談所なんだ」
「物語が創り出す、怪異トラブル?」
聞きなれない言葉を思わずくりかえしてしまう。
音子さんは冷静に、そう、といってソファーから立ち上がった。
「つくもがみ、と聞いて説明することはできるか?」
ヒモでくくられた書類の束を捲りながら、音子さんが問う。
「たしかモノに神様が宿るんですよね?」
「そうだ。ざっくりというと、日本にはつくもがみといって100年を経過した物体に神が宿るとする文化がある。とりあえずこれを読んでくれ」
音子さんの白くて長い指先が日に焼けてうす汚れた紙を指差す。その紙には「報告書」と書かれており――
「8××年、○○市で怪異発生」
「11××年、○○市で怪異発生」
「13××年、○○市で怪異発生」
「17××年、○○区で怪異発生」
「19××年、○○区で怪異発生」
――めくる度に年代が現代へ、発生場所が東京へと近づいていく。でも、書類にはまだ習っていない漢字も多く、報告書がうまく読めないわたしは音子さんに聞いた。
「つくもがみがモノに宿るのは分かりましたけど、これとどうつながるんですか………?」
わたしのビミョーな返答に音子さんは失礼、と言って内容をていねいに説明してくれた。
わからないことをわかるように教えてくれる音子さんの説明はとても上手で、まるで個別指導の塾の体験をしているみたいだった。
「——つまり、宿るだけならまだしも、その神は化けたり人に害をなしたりする場合もある。これは、過去につくもがみが起こしたトラブルの記録書だ」
「つくもがみが事件を起こすってこと?神様なのに?!」
「そう!そのつくもがみが起こすトラブルの中でも、物語に宿ったつくもがみ――物語の怪異が起こした事件を解決すべく立ち上げられた事務所、それがこの猫の事務所だ。」
「へー!」
音子さんの熱の入った言い方に、思わず手をたたいてしまう。
ここに連れて来られ、事務所のインテリアを見たとき、まるで物語の世界に迷いこんだみたいだなと思った。けど、それだけじゃなく物語の世界の出来事も現実に起こっているなんて――!!
私はきょろきょろと部屋の中を見回す。部屋のすみの本棚には本がいっぱいつまっている。もしかしたら、あれも、あれも、全部物語の怪異の報告書?
「音子さん!あれも読んでいいの?」
「いいさ。けれどまあ、それは追々。」
さっきまでわたしの横で先生をしていた音子さんが、ドカッと音を立てて対面のソファーに座り直す。
大の大人がはしたないですよ、とたしなめる慎司くんの注意はなんのその。音子さんがあのするどい目つきでわたしを見つめた。
「さて――」
ああ、なんで音子さんのこの目にドキドキするのか、やっとわかった。
「君の悩みは何かね?」
刑事ドラマの刑事さんが、――犯人に向ける目にそっくりなんだ。




