慎司くんのお願い
視界のはしっこでよだかとごんが追いかけっこをしているが、当然お母さんには見えていないようだ。
わたしはお母さんがキッチンにいるのを確認して、なるべく小さい声で目の前の女の子に問いかける。
「知波ちゃんだよね?二番書記の」
「そうよ」
「今日はどうして」
「ちょっと、この家に用があってね」
お母さんがキッチンからジュースを持って戻ってきた。今日の気温は真夏日にせまる勢いらしく、額に汗をにじませた知波ちゃんがお礼を言って大きなコップを受け取る。
お母さんはわたしの前にも知波ちゃんが受け取ったのと同じくらい大きなコップを置いた。コップのなかには大つぶの氷が浮かんでいた。
雪が降ってこんなも寒いのに、冷たいものは飲みたくないなあ………。わたしはジュースに口をつけず、よだかたちの様子をながめながら知波ちゃんが飲み終わるのを待った。
「ねえ、——みやちゃんに会わせてもらえる?」
知波ちゃんはあんまりウチに長居する気はないみたいで、立ち上がりながら言った。
「みやちゃん?いいけど?」
知波ちゃんがみやちゃんに会いたい理由はわからなかったけど、わたしは知波ちゃんからのお願いをオッケーした。
みやちゃんはほとんどお外に出たことがなくて、友だちも少ない。
だから知波ちゃんと話せることをきっと喜ぶだろう。お母さんにはわたしのお部屋に案内することにして、2階へ続く階段を上がった。
「知波ちゃんってみやちゃんと知り合いじゃないよね?」
ただでさえ学校にほとんど行けていないみやちゃん。
学年がちがうし、知波ちゃんと知り合う機会もないはずだ。
じゃあ知波ちゃんはだれからみやちゃんの話を聞いたのかな?
「これは慎司センパイからのお願いなの」
「慎司くんから?」
そういえば慎司くんはみやちゃんの部屋に来たことがあった。そういえばその時、慎司くんはわたしじゃなくてみやちゃんを見ていたっけ。
………ふーん、へー、そっか。やっぱり慎司くんもみやちゃんしか興味ないんだ。
「みやちゃん、入るよ?」
ノックをしてわたしたちはみやちゃんのお部屋に入った。体調が心配だったけど今日もみやちゃんはベッドから起き上がっていた。
顔は雪のように青白い――けれど、お話しはできそうだ。
そう思い、まずは知波ちゃんにみやちゃんをしょうかいした。次にみやちゃんに知波ちゃんをしょうかいしようと思って
「それでね、みやちゃん。この子がこの前話した二番書記の――」
と言い始めたら
「今日はもう帰るわ」
と、知波ちゃんが突然声を上げた。
「え?どういうこと?待って!」
わたしがポカンとしているうちにお部屋から出てしまった知波ちゃんを追いかける。
知波ちゃんまだみやちゃんと一言も話してないじゃん!
「あなた、明日学校に来なさい!」
玄関で靴をはき終えた知波ちゃんがこちらを振り返る。
「どうして?!」
「いつまでも休んでいるわけにはいかないでしょ?」
「それはそうだけどお………」
出会ってから、わたしは知波ちゃんの勢いにおされっぱなしだ。
これが慎司くんや音子さんなら、ちょっとはわたしの話に耳をかたむけてくれるのにい!
「知波がむかえに来てあげるわ」
「まっ――」
「じゃあな!和風!また明日な!」
元気いっぱいにあいさつをするごんをランドセルに乗せた知波ちゃんは、また明日と言って嵐のように帰っていった。
「——まだわたし行くって言ってないけどお!」
わたしのお返事は知波ちゃんに聞かれることもなく、静かな玄関に悲しくひびいた。
「おはよう。」
「おはよう!和風!」
「……おはよう。」
次の朝、登校時間の少し前に知波ちゃんが本当におむかえに来た。あいわらずごんもランドセルに乗っていて元気そうだ。
知波ちゃんはおそらく、今日もわたしのいうことを聞いてくれないだろう。このまま引きずられながら学校に行くことになりそう……。わたしは勇気を振りしぼって学校にいくことにした。
わたしは通学路を歩きながら、わざとうらめしげな顔で知波ちゃんを見た。
けど横を歩く知波ちゃんはわたしの視線に気づかない。知波ちゃんの目線はわたしを通り越して楽しそうに通学する市蔵やごんを追いかけていた。
——もお!なんで知波ちゃんはかわいい見た目から考えられないくらい強気で強引なの!でも、知波ちゃんが来なくたってわたしももうそろそろ学校行かなきゃとは思ってたし!だからこれは良いきっかけ!そう、知波ちゃんありがとう案件なの!
そう自分に言い聞かせ、わたしは消化できないいかりを抱えたままトボトボと知波ちゃんたちの後ろを進んだ。
そうして歩くうちに学校の正門が見えた。ここまできたら学校に着くまでは一分もかからない。
でも、わたしの足は学校に近づくにつれてどんどん重くなっていき、校門まであと一歩のところでとうとう動かなくなった。
「和風?何してるの?」
急に足を止めたわたしに知波ちゃんが振り向く。
「待って!知波ちゃん、やっぱりわたし――」
「あら、波治さん。学校に来てくれたの?」
――帰る。そう言おうと口を開いたとき、前から担任の先生の声が聞こえた。
「せんせい……」
わたしはキュッと口を結んだ。
「体調はだいじょうぶ?早退した日から3日過ぎても来なかったから心配していたのよ」
ランドセルのかたひもを強くにぎるわたしの手を、先生のカサカサした手が包む。
「クラスには波治さんがお休みになった理由を知ってる子もいるみたい。妹さんのクラスの子を兄弟に持つ子ね」
そう言われて思い出す、いくつもの目。あの日の目はとまどった顔で、わたしに同情していた。
「妹さんのことは――」
わたしはいったい、何に同情されていた?
「——わたし帰る!」
「波治さん!」
先生が引き止めるのも聞かず、わたしは走りだした。
「知波ちゃんごめん!」
わたしはせっかくいっしょに登校してくれた知波ちゃんに謝る。
「そう、それが今のあなたの答えね」
知波ちゃんはわたしが帰りたいのをわかっていたみたいで、先生のように引き止めない。
「じゃあ、和風。——放課後、事務所で会いましょう」




