物語の怪異が発生する条件
「そういえばよだかの名前、何にしたんだ?」
いち早くクッキーを食べ終え、紅茶を準備し出した慎司くんがわたしに聞いた。
「市蔵!」
「ワッハッハ!」
音子さんが大きな声で高らかに笑う。慎司くんが事務所に入ってくる直前も吹き出してたけど、おもしろいことでもあったんだろうか。
音子さんの大笑いが止まるのを待って、慎司くんがわたしにもう一度切り出した。
「市蔵?本当にか?」
「どうもそのようだ」
少し落ち着きを取りもどした音子さんは慎司くんの言葉でまたクックックッと声をもらす。
寝不足って人を変にするんだなあ。わたしは音子さんが心配になった。
「お前、本当にちゃんと『よだかの星』を読んだのか?」
なぜだか慎司くんがあきれている。今日の慎司くんはわたしにあきれてばかりだ。
「あれを読んでどうしたら市蔵になるんだよ」
「なによ!」
「お前、国語の成績悪そうだな」
「市蔵がいいって言ってるんだから市蔵なの!」
「よだかはそれでいいのか?」
わたしの反論をよそに、慎司くんがまだ頭上で飛び回っている市蔵に問いかける。
「ぼくね、タカさんに言われた市蔵はいやだなって思ったんだけど、和風ちゃんに言われたなんがかうれしくなったの」
飛び回ってたよだかがわたしのカタに降りてきた。
「市蔵~!」
カタにちょこんと収まる市蔵がかわいくて、わたしはほおすりをする。
「いや、でも市蔵は――」
「まあまあ」
まだなにか言いたそうな慎司くんの下から李徴が助け舟を出してくれる。
「和風嬢と市蔵がそれで良いというならよろしいのでは?」
「李徴~!」
わたしは李徴にかけよって抱きついた。李徴は空に近いところを飛ぶためか、干したてのお布団の香りがする。太陽のにおいだ。
「そうさ、結局人と人——この場合は人と鳥だが、コミュニケーションは内容ではなく関係性で決まるのさ。それに子どもも動物も、大人が思う以上に他人をよく見ている」
いつの間にかコーヒーを入れ直した音子さんが定位置の所長イスにこしかけて言う。
「どのような生物だって言葉にこめられた悪意は気付くし、一見いやな言葉でも関係性によってはそれがうれしく感じる場面だって当然ある」
机の上に組まれた手にあごを乗せる音子さん。
その目はわたしたちのいる方向を見つめていた。けれどその目線の先はどこか遠くて、音子さんにもそういう思い出があるのだろうか。
「三番書記くん、君と市蔵の間では今回それは成り立った。しかし、言葉は時に刃になる。それは心にきざんでおけよ」
和風が帰った後、オレは音子さんと事務所に残った。この件をまだ和風本人に言うべきか迷っていたからだ。
「一番書記くん、君は昨日三番書記くんの家に行っただろう。どうだった」
「そうですね。予想通りという感じでした」
「そうか。じゃあ、妹さんはもう………」
和風はもう帰ったのに、なんだか口に出すのははばかられ、オレはだまってうなづく。
「まだ窓から見た情報でしか判断できていません。——それに和風は知波と同じ学校に通っているようです」
「ほう、二番書記くんと三番書記くんは同じ小学校か」
それは裏取りがしやすいなあと音子さんが本日何杯目かわからないコーヒーをあおる。口調はいつもと変わらないものの、やはり和風の件が気がかりなのだろう。
「運命というのはやはりひかれ合うのだな。私は運命を感じる時が生きていて一番楽しいよ」
「少し大げさじゃないですか?」
「ふふふ」
音子さんがある書類を取り出した。そこには「調査報告書」と書かれている。
しかし、これはいつもの怪異に対する報告書ではなかった。なぜなら書類の一枚目にはられている写真が怪異に関わるものではく、和風の写真だった。
「これはいつ?」
「昨日君たちの帰った後に」
「早いですね」
「早いことに意味がある」
見てみろとわたされた書類には和風自身のことはもちろん、その家族についても調査されている。オレはみやちゃんと呼ばれる妹の項目を探した。
「われわれは常に物語が起こす怪異に備えているのは知っているな」
「はい」
返事はしつつも、いっこうに書類から目をはなそうとしないオレ。失礼な態度であるものの、オレの行動を音子さんはとがめない。——それほどこの報告書には重大なことが書かれているのだろう。
「今回のよだかの件はたまたま人が関わっていない事件だったが」
けれども音子さんはまだオレに向かって話し続ける。——おかしい。
音子さんは本来、非礼な行動を取った時以外で、オレたちの行動をジャマしない人だ。
けれども今日はオレが話しかけてくる人の目を見ないことはとがめないのに、あからさまに書類を読むことはジャマしてくる。
「では、一番書記くん。問題だ、トラブルに人が関わっている場合、物語の怪異が発生しやすい条件とは?」
非難のこもったオレの視線も気にせず、音子さんは急にテストを始めた。
「物語に則したストーリーとキャラクターが存在すること」
こういうときの音子さんは折れない。寝不足らしいし、キゲンでも悪いのか。そう判断し、オレは書類を読むのを止め、会話を優先することにした。
「正解だ。しかし、物語に則したからといって全てが怪異を発生させるわけでない。では、同じ条件でも怪異の発生率が高くなり、トラブルが大きくなる原因とは?」
「それは、キャラクターとなる人物が強い感情に飲みこまれること」
だからこの報告書のなかの妹の項目が、和風を取り巻く事件を解くカギとなる。オレはそう考えていた。
「残念。それだけじゃあ部分点になる」
オレのまちがいがめずらしいのか、音子さんは空中にピッとチェックマークを書く。
そうしてオレにどうしても完答させたい音子さんが続きを手でさいそくする。
オレはため息をつきながら、音子さんが言わせたいだろうことを口に出した。
「めずらしい事例として作家の血筋の人間であることがあげられますが――」
こんな事例はめったにない。オレだってその事例に立ち会った経験はほとんどないし、音子さんも片手もないだろう。
しかし、このめったにない事例を音子さんは今、オレに求めた。その理由があるはずだ。
そう考え、オレの頭にある可能性が浮かぶ。
「——まさか」
「そう、われわれの組織はそういう人間のデータを常に集めているわけだよ。そして、三番書記くんもこちら側の人間だった」
「そういうことでしたが」
――わたされた書類にろくに目を通させず、いきなりテストされたのはこれを伝えるためか。
たしかに、ただ書類に目を通すだけならオレは和風の生まれまで確認しなかっただろう。
オレは音子さんのジャマくさい行動の意味がやっと理解できた。
「そういう意味でもよだかの件は和風にぴったりだったということですね」
「まあ、あの時はそこまでの予想していなかったがな」
やはり運命というのはやはりひかれ合うのだな、と音子さんは先ほどと同じことばを繰り返す。
これは音子さんが気に入ってよく言うフレーズだ。
いつもならまたいつものセリフを言ってるなくらいしか思わない。——が、今日はこの聞きなれたフレーズがいつもよりも重く耳に残った。
「三番書記くんは自宅から遠い公園や神社までマフラーを着けて行動していた。通常の事件の大きさでは考えられない」
昨日よだかをつかまえるきっかけになったマフラー。それはオレが和風に話しかけた理由であり、怪異事件の発生を疑うきっかけでもあった。
「妹さんのこともある。原因が感情の高ぶりである可能性も考えた。しかし、結果として――」
「この早さで和風の調査報告書が事務所に届けられ、それが判明したというわけですね」
音子さんは無言でうなずく。
古びた照明がオレたちににブキミな影を差した。
「これは久しぶりに大きな事件になるなあ」
所長のイスにこしかけた音子さんはそのままたおれ、その重さでイスがギシリとゆがんだ。




