第3話
深幸ちゃんの返答を聞いて満足している朔來先生は軽く座り直して私の方へ顔を向けてくれた。とりあえず怖い人では無いともう安心しているので緊張を緩めて、いつでも話せる体制にした。
「おまたせしました。それで話とは何でしょうか?」
朔來先生は軽く会釈をして本題に進めようとしたところ、私の名前をまだ聞いていない事に気づいたのでしょう、なんてお呼びしたらいいですかと訊ねてきました。
「まさにその件で悩んでいるんです」
私はまず自分の名前が分からない事、この世界に来る前の記憶が無い事を話した。そして三途の川で睦江さんに会った事、森で深幸ちゃんと出会って寺子屋を案内された事も含めて話した。
「お姉ちゃんって自分の名前が分からなかったんだ」
先程まで隣で物凄く焦っていた深幸ちゃんが小さく声に出した。少しバツが悪かったので顔を向けずに頷いた。隠していてごめんなさい、森で私の名前を聞いてくれたのを拒んでしまって。なんというか、また冷やかされると思ったんです。
「それで朔來先生なら何か分かるかなと」
真剣な表情をして聞いてくれている朔來先生に自分の症状について何か原因、または対処法を知っていて欲しいと心の中で願った。
「興味深い……」
しばらく考え込んだ後の言葉は、私の状況に驚きはしているが冷静に判断して出したのでしょう。しかし残念ですが、これは原因や対処法が分からないという事を表している。沈黙を破った朔來先生はそのまま話し続けた。
「私はここで寺子屋をしておりますが実は研究が本業なんです。」
聞くところによると朔來先生は『種族』について研究しているそうです。研究者としてだけでは生計が立たないなどを生徒達に話しても理解されないから、今まで語ったのは少ないらしいです。
私は鬼や化け猫に会ったぐらいしかないですが、確かにこの世界はいろんな種族が居そうだと予感がしています。つまり私自身も何かしらの種族に分類されるのではないかと推測したのです。
「他に何か分かりませんか? 些細な情報でもいいので」
「そういえば睦江さんに生きているけど、生気は感じられないって言われました」
朔來先生は首を立てに振りながら私が幽霊のたぐいでは無いと絞り込んでいく。そのまま、あらゆる可能性を広げて当てはまりそうな条件を提示してくれた。
名前が思い出せないのは呪いや術を掛けられているとか、名乗られると第三者に不都合があるとかが考えられるみたいです。
記憶に関してだと思い出せないのではなく消されたという見方も出来ると、過去に見てはいけない物を見てしまったとか。でもそれって事件に巻き込まれたという意味なのでしょうか。
なんだが可能性を広げると少々、深刻化しているように思えてきます。
「いえ、あの頭を強く打って一時的に記憶が無くなったという、単純な場合もあるかもしれませんし、もしそうなら私が信頼しているお医者さんを紹介しますので……」
こちらの曇った表情を察してくれたのか、私に気を使った事例を上げてくれた。
しかし、これで踏ん切りがついたかもしれません。こんなにも状況がややこしいのであればこの世界に住む方向に切り替えるのが早いと思うのです。ここを新たな出発点として前に進んで行けば問題は無くなるでしょう。
「朔來先生、この人里に住むのってすぐに出来るのでしょうか?」
私から視線をそらして少し黙り込んだ後、何か呟いています。良い考えがあるのでしょうか、それともここに住むのは容易な事ではないのですかね。
「それはあまり勧めしません」
朔來先生は前を向き直して、きっぱりと一言で否定した。別に人里が悪い訳ではないそうです。そして神妙な面持ちで私に語りかけた。
「今は記憶が無い事が苦では無いかもしれません。しかしこの先、何かの拍子で記憶が戻ってしまった場合、それはあなたを苦しめる場合だってあるのですよ。」
私はとんでもない思い違いをしていたようです。この世界にどうやって、そしてどこからやって来たか分かりませんが、最初に私が目覚めた場所は三途の川でした。ということは私を以前から知っていた人からすると悲しい思いをさせているかもしれない。過去の記憶や名前で自分を形成したその気持ちを大切にしないで良いのでしょうか。
「私は……私が何者なのか知りたいです」
私は自分の過去を取り戻す事へ前を向いた




