第182話 陰陽
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アイリスは未明に皇宮を出てソフィアと会う。夜にも会う約束をする。ウァレリウス邸に戻ったアイリスはウルフガーに自分が剣闘士のアイリスであると明かす。彼からレオニスの背後にはソキエタス・パトロニという組織があり、クルエンタス議員とも関係するかもしれないという情報を得るのだった。
掃除を終え、エミリウス様に魔術を教える時間となった。
数日ぶりだ。
「水を集める魔術からですね。現在どの程度扱えるかを確認してもよろしいですか?」
挨拶を交わしてからすぐに本題に入る。
「実際にお見せします」
彼は宙に両手を広げ、集中を始めた。
水分子が他の分子にぶつかりながらも、集まっていく。
次から次に霧状になり、重さで落下していった。
彼が集中を止める頃には、床がかなり濡れている。
「使えるようになったんですね!」
「どうしても水そのものは生み出せませんでした。使えるようになったといっていいのかどうか」
「大丈夫です。ちゃんと水は生み出せています。濡れているということは、誰にでも水の存在が分かるということです」
「――そうですね」
「魔術って、理解と意志で世界に変化を与えることだと思うんです」
「変化ですか」
「はい。自身の意志に沿った変化がこの世界に起きてれば、それは魔術が使えるようになったことだと思います」
「分かりました。その視点でも考えるようにしてみます」
一応、歩み寄ってはくれたんだろうか。
≫先生らしくなってきた≫
≫エミリウス様って自己評価低いな≫
≫褒めるにも理由がないといけないっぽい≫
「さて、今日は少しでもエミリウス様の目標の結果になるように一緒に考えていけたらと思っています。エミリウス様の納得できる結果に近づけましょう」
「は、はい。お願いします」
それから、エミリウス様に魔術を使うときの手順を説明してもらいながら、一番うまくいっていない場所を探る。
彼の客観的な説明が分かりやすい。
彼は、水を集めるときに他の分子が邪魔をしているのが問題だと思っているようだった。
「私もエミリウス様と同じ箇所が、一番の原因と思います」
「やはり、そうなんですね」
「確認ですが、以前使った風の魔術は使うことができますか?」
「はい。昨日試しました」
「難しいとは思いますが、少し挑戦をしてみませんか? 水分子を集める魔術と風の魔術を同時に使う挑戦です」
「同時に……あ。はい! 分かりました」
これだけで何をしたら良いのか気づいたみたいだ。
「風の魔法は今まで通り一方向だけのやり方で大丈夫です」
要は、水分子を集めながら邪魔な他の分子を飛ばしてしまおうという作戦だ。
「やってみます」
気体の動きを見る。
エミリウス様は非常に器用で、水分子集めと風を同時に起こせていた。
私の場合、2つの魔術を同時に制御するまで、かなり苦労したし時間も掛かったのに。
水分子が集まるのは早くなっている。
――と思っている内に更に早くなっていく。
微調整している感じか。
最後の方がどうしても集めきれなくて、結果としてはさっきと同じように床が濡れる程度になっていた。
そのまま、また魔術を使い始めようとする。
「空気中に水分子はあまり存在していません。一度集めるとその付近の分子は少なくなってしまいます」
事実だけ伝えた。
彼は一旦魔術の使用をやめる。
「使ってない場所には水分子があると考えていいんですよね」
「はい」
「ドアを開けてもいいですか?」
頷くと、彼は風の魔術を使って空気を入れ替え始めた。
さすがに機転が効く。
私がアドバイスする必要はなさそうだ。
その後も、魔術を使う様子を見守る。
ただ、どうしても集める領域が狭くなるところで苦戦しているみたいだった。
ヒントを与えた方がいいんだろうか?
いや、エミリウス様は考える力が私よりある。
今、思いつかない場合でも自力で解決した方が自信に繋がるはず。
考え方のヒントだけ話してみよう。
「方法はあるはずです。発想を逆転させたりしてみてください。今、できる範囲のことでも表と裏があるはずです。私も、つい、表のことばかり考えてしまいますが」
「表……と、裏」
彼は集中し始める。
私の言う『表』は、水分子だけを選んで動かすことが出来る魔術。
『裏』は、水分子以外を選んで動かす魔術。
話してしまえば簡単にできるんだろうけど、自分で思いつくことで経験になるはず。
私の勝手な思いこみかもしれないけど。
結局、その日のエミリウス様は私がやってみせたような創水の魔術を使えなかった。
「エミリウス様。魔術を使うのは楽しいですか?」
「楽しいです。でも、難しいですね」
「そうですね。おっしゃられる通り、難しいと思います。しかし、理解を深めることやアイデアだけで困難を突破できてしまうのが魔術の魅力だと思います。突破できると更に楽しくなります」
「そうなんですか?」
「はい。私にもいろいろな魔術の難題がありました。突破できたときは嬉しかったです。もちろん、今も難題があって、どうしようかと考えてる最中です。魔術ある限り、ずっとこういう難題の連続なんでしょうね」
「そういうことでしたか。先生、ありがとうございます。自分の力で解いてみます」
エミリウス様、物わかりが良すぎる。
課題をうまく用意することが、彼の成長を促すような気がした。
彼の成長に影響してしまうことを考えると、責任は重大だ。
その後、剣術練習に移るために、部屋から庭へと移動する。
「この2日間は剣術練習はどうしていましたか?」
歩きながらエミリウス様に話しかけた。
「ウルフガーから剣の振り方を教わっていました」
「どうでしたか?」
「剣の振り1つでも奥深いことがよく分かりました」
「それはよかったです。剣の振りに関して、私は何も知りません。ウルフガーさんに学ぶことで得るものも多いはずです」
「意外です。フィリッパ先生はなんでも知っているのかと思っていました」
「私は何もかも、ほとんど分かっていませんよ」
「『無知の知』ですね」
≫ソクラテス!≫
≫ギリシア哲学!≫
≫不知の自覚派!≫
≫どっちでもいい派≫
≫むちむち派!≫
何かの授業で習った気がするけど、『無知の知』が『知らないことを知っている』以上のことは知らない。
「その『無知の知』についても、私は哲学としてちゃんと理解しているか怪しいです。少なくともギリシアやローマのことならエミリウス様が詳しそうですね」
「僕だって詳しいとは言えません」
「では、おあいこということで」
2人で笑い合う。
すぐに練習している場所へと到着した。
ウルフガーさんはすでに立っていた。
こちらに気づくと一礼してくる。
そうして、剣術練習がはじまった。
最初はエミリウス様の剣の握りから素振りまでを確認していた。
私がいないときの練習の確認だろう。
「フィリッパ。この教え方は君の目から見てどうだ?」
ウルフガーさんが私に聞いてくる。
私の正体を知ったことが行動に出ちゃってるか。
エミリウス様は特に意外そうな表情はしていない。
それが不気味でもある。
「裏表なく答えます。剣を振ることに関して、私は素人です。教え方も含めてよく分かっていません」
まっすぐウルフガーさんを見て言った。
「そうか。すまない」
「いえ、私に分かることであれば口頭でお答えします」
「助かる」
それだけ言って、その後は特に何かを聞かれることはなかった。
しばらくすると、木剣を使って攻防を交代して1本ずつ打ち合う練習に入った。
ウルフガーさんの剣の振りは鋭い。
それを楯で受けただけで、エミリウス様は手が痺れているようだった。
何回か繰り返すとウルフガーさんが私に近づいてきた。
「エミリウス様に、剣の受け方を教えてもらえるだろうか? 私では分からない」
「承知いたしました」
楯で、剣を受け止める方法か。
私は、エミリウス様に私なりの剣の受け方を説明した。
あくまで『重さの軽い私のやり方』と付け加えて。
まず、足を開いて剣を受け止めないこと。
足幅が狭いまま受ける。
あと、可能な限り、楯だけを動かして受けることは止める。
楯の真ん中に隠れることを意識すること。
とりあえずこの2点を話した。
重心線の前に楯を置くというのは難しいので、隠れるという言葉に置き換えた。
私自身もこっちの方がしっくりくるかも。
普段の戦いでも、真っ直ぐに立てた剣に隠れている気がする。
この説明のあと、エミリウス様の動きがよくなった。
面白いのが、ウルフガーさんも真似して楯の使い方が更によくなったことだ。
力みが全くなく、剣に当たったときの音がよい。
2人とも吸収が早いな。
そんな感じで剣術練習は終わった。
剣術練習のあと、給仕や食事も終わり、いよいよ自由時間になる。
サトゥルヌス神殿でソフィアと待ち合わせをしている。
出る前にウルフガーさんに声をかけた。
「外出して参ります」
「そうだったな。目がどこにあるか分からない。気をつけてくれ。それと、練習では助かった」
「お役に立てたのならよかったです」
笑顔で言って、人気のないことを確認しながら、ウァレリウス邸の塀を飛び越えた。
そのまま、坂を下りて神殿へと向かう。
向かう途中、光を吸収する新しい影化の魔術を練習しながら向かった。
ウルフガーさんにも組織の目がどこにあるか分からないと言われたし、ちょうどいい練習になる。
ただ、自分が黒くなっているかどうかが確かめられない。
確認はできないけど、何も考えず真っ直ぐ歩いているときは魔術が有効になっている気がする。
魔術のことを考えたり、下り坂だったり、曲がり角などにくると解除される気がした。
とにかく、何も考えずに歩くと大丈夫かも。
時間の感覚は分からないけど、元々の限界だった15秒は超えてる気がする。
じっとしているより歩いてる方が集中しやすいのだろうか?
そのまま、何も考えずに歩き、サトゥルヌス神殿の影に隠れた。
いや、そこまで必死に隠れる必要はないんだけど。
警備は気づいてなさそうだ。
空間把握で探ると、神殿の入り口前にソフィアらしい人物がいた。
私を捜しているのか、見渡している。
入り口の道を見ている。
ごめん、ソフィア。
そっちの方角からは来てない。
私は彼女の耳の近くで暴風の魔術を使って、こちらへ注意を向けさせる。
すると彼女は気づいたようで、自然な感じでこっちに向かって歩いてきた。
「なにしてるの?」
小声で話してくる。
ローマの夜は静かという訳でもないので、小声くらいだと響かない。
「要注意人物だから隠れて行動しようかと思って」
「ふふ。結構、楽しそうだね」
「楽しんでるよ。新しい魔術に挑戦してるしね」
「新しい魔術?」
「これ」
私は集中して、新しい影化の魔術を使う。
「なにこれ! どうやってるの? っと思ったら、戻ったね。残念」
話しかけられた瞬間、影化が解けたみたいだ。
「光を反射させないようにしてるんだけど、わかる?」
「光? 反射? うん。よく分からない」
「だよね。ところで神殿へは入ってもいいの?」
「さっきサピエンス神官長から許可はいただいたよ」
「ありがと」
「どういたしまして。そろそろ入る?」
「うん。入るとき、私がソフィアの侍女って感じでいい? 念のためにだけど」
「もちろん」
「じゃ、お願いね」
「了解。行こっか」
周りを確認する。
警備の人が何人かいるだけだ。
神殿の中も人が少ない。
ソフィアは挨拶して、そのまま神殿の中へと歩みを進めた。
私も肌の反射を抑えながら入っていく。
そのまま、以前にも使った部屋まで連れられた。
中にはすでにサピエンス神官長がいるみたいだ。
「失礼します」
ソフィアがノックする。
「入りなさい」
ソフィアに続いて部屋に入り、フィリッパとして挨拶した。
アイリスとして神官長と接するかどうかはまだ保留中だ。
「部屋には誰も近づかないように言っておくよ。ゆっくりしていきなさい。何かあったら自室にいるので声を掛けてほしい」
「ありがとうございます」
言って、彼は出て行った。
必要以上、関わらないでいてくれるのがありがたいな。
「じゃ、一応、防音の魔術を使うね」
「ふふ、了解」
「使ったよ」
「ふぅー」
ソフィアは伸びをしてみせた。
「どうしたの?」
「解放感あるなーってね」
「ソフィアは割といつも解放されてるような気もするけど」
「それはそう」
軽く笑い合った。
「じゃ、クルエンタス議員の話をするけどいい?」
「もちろん」
「分かった。ちょっとショッキングかもしれないけど、あくまで私の考えだから。まずは背後の事実だけ話すね」
私は前置きしてから、順に話していった。
レオニスとの対戦前の人質の話。
誘拐されていた人質は助けたこと。
不自然な怪我をしていた貴族の妻のこと。
彼女に呼ばれて行った先で暗殺され掛かったこと。
「裏でいろいろあったんだね」
「もっとあったけどね。私に直接関係するのはこれくらい」
皇帝の暗殺未遂とかは省いている。
「クルエンタス議員のことはあくまで見ただけってことか」
「そうだね」
「でも、アイリスはクルエンタス議員がその中心にいると考えてるんだよね」
「証拠はないけどそう」
「私が知ってるクルエンタス議員についてアイリスに話せばいい?」
「そうして貰えると助かる」
「了解」
ソフィアは、クルエンタス議員がオプス神殿に多大な寄付を行っていることや、彼の経歴について知っていることを話してくれた。
クルエンタス議員は元第一軍団の副官で、今はローマの議員をしている。
政界はもちろん、軍部、商人、神殿などにも幅広い人脈を持っているらしい。
右足が悪いのは、20年ほど前の伝説的なゲルマニアの戦いで1人生き残ったときのもの。
ローマ軍の撤退戦で彼を中心に時間稼ぎに成功し、後の勝利へと繋がったとの話だ。
彼は足の怪我により、軍団を離れることになったが、英雄として尊敬している者も多いらしい。
例えば、オプス神殿の元第一軍団のリギドゥスさんは尊敬しているとのことだった。
「――思っていた以上にやっかいな人だね」
「普通は喧嘩売ろうとはしないよ」
「初手で私を暗殺しにこなきゃ、喧嘩しようと思わないんだけどなあ」
「アイリスも普通とは違うから。向こうも仕掛ける相手を間違えてるね」
「ともかく、クルエンタス議員が私を暗殺できるだけの背景は持っていると理解できたよ。その上、裏社会でも一定の地位を持ってるとなるとかなりやっかいな相手かな」
「どうするつもり?」
「まずはもうちょっと関与の証拠を探る感じだね」
「探ったあとは?」
「裏の顔を暴けたら、それを公にしていくつもり」
「殴り込みって訳じゃないんだね」
「最初は勝てるだろうけど、そのあとがね。数が多いだろうし、私の周りの人たちにも迷惑掛けそうだから」
「そういうことか」
「例えば千人の組織の人間が、私や周りの人に嫌がらせをしてくると、対処できない」
「確かにそれはアイリスでも厳しいか」
「うん。だから、反発を生まないように対処する必要があるかなって」
「それはそれで難しそう。でも、周りに被害がいく可能性は少なくなるのか」
顎に手当てながらソフィアが言った。
「それが一番大事だから」
「そっか。ところで、私よりその辺の事情に詳しそうな人がいるけどどうする?」
「ソフィアより詳しい人?」
誰だろう。
「サピエンス神官長。仕事柄もあるだろうけど、たぶんその手のことには詳しいよ。こちらから聞かないと話してくれないけどね」
サピエンス神官長か。
話を聞くとなると、私の正体がアイリスだと話すことになる。
ソフィアが慕ってるくらいだし、信頼できそうだなとは思う。
ただ、私の正体を知ってる人が増えすぎてるんだよなあ。
敵も、レオニス側の組織だけじゃない。
皇妃関係者もいる。
サピエンス神官長は皇妃側とは繋がっていなさそうだけど。
ちらっとソフィアを見た。
微笑む顔が灯りで揺れている。
考えている私を待ってくれているようだ。
≫迷ってるのか?≫
≫神官長に正体を明かすかどうかか?≫
≫新たに1人知られるとリスクが上がるからな≫
≫何してるかと思ったら迷ってたのか……≫
≫サピエンスは何を考えてるかよく分からん≫
≫神官長を味方につければ大きいだろうな≫
――話すか。
そもそも場所を借りてる時点で私は怪しい。
防音の魔術も見せてるし、隠しても中途半端になる。
「サピエンス神官長さえよければだけど、話をさせて。もちろん、私がアイリスであることと背景を話した上でね」
「了解。じゃ、お呼びするね」
防音の魔術を解く。
嬉しそうに彼女は出て行った。
ふぅ。
状況は完全に変わりつつあるな。
フィリッパとして過ごしてきたけど、関わってきた何人もの人たちが私がアイリスだと知っている。
第一軍団の動きも気になる。
あのカトー議員が自分より強いと認めている軍団だ。
遠くない将来に、私がウァレリウス家で働くフィリッパと名乗っていることにたどり着くだろう。
これからは、私の正体がバレている前提で動いた方がいいのかもしれない。
「少し時間が掛かるって」
ソフィアが戻ってきた。
「サピエンス神官長もお忙しいんだね」
「待ってる間、闘技会の話聞かせて。対戦してたときの」
「もちろんいいよ」
私は、剣を奪う技を破ったときの話や、レオニスが一度倒れたあと立ち上がってきたときの話をした。
すると、サピエンス神官長がやってくる。
「いらっしゃったみたいだよ」
言いながら防音の魔術を解く。
「了解」
ソフィアが立ち上がってサピエンス神官長を出迎えた。
私は立ち上がって礼をする。
「楽にしなさい」
「失礼します」
言ってから私は座った。
「2人とも気兼ねなく話してくれ」
「ありがとうございます」
私がソフィアを見ると、彼女はにこやかに頷いた。
「まず、防音の魔術を使用します。よろしいですか?」
「構わないよ」
それから、私はサピエンス神官長に、剣闘士のアイリスであることや皇妃と敵対していることなどを話した。
「これは驚いた。ただ者ではないとは思っていたが、かの『女神』だったか」
あんまり驚いているように見えない。
「はい。伏せておりました。誠に申し訳ございません」
「隠す事情があったのだろう。それに、これから話すことは、正体を知っていないと理解できないとみたがどうかね?」
「ご明察の通りです」
続けて、レオニスとの対戦までの話や、私の暗殺未遂、組織、クルエンタス議員のことを話していく。
慎重に言葉を選びながら。
「大変な目にあっているね。命を狙われた理由はどう考えている?」
「理由については、私が彼らの面子を潰したことが原因と考えています」
「妥当な考え方のように思う。法より強さがモノを言う社会では、舐められないことが何より重要視されるからね」
なるほど。
強さが主軸だとそうなるのか。
――討伐軍もそういうところがあったな。
「参考になります。その上で聞きたいのは、クルエンタス議員のことです」
「そうか。彼については黒い噂がある」
「そ、そうなんですか?」
「ただし、あくまでも噂でね。我々のように税を扱っている立場から見ても、彼らの活動はなんら咎めることはできない。むしろ、税を取り立てる側からすると優良だね」
「失礼な物言いにはなりますが、彼が元々真っ当であるか、隠すのが巧みであるということですね」
神官長は笑顔を見せるに留めた。
楽しそうではある。
「黒い噂があるということが分かっただけでも十分すぎます。更に失礼な話ですが、サピエンス神官長がクルエンタス議員を探るとしたらどこから攻めますか?」
「君は遠慮がなくて良いね」
「恐縮です」
「私が攻めるとしたら、周辺、特に家族になる」
「ご家族が組織に絡んでいるのですか?」
「恐らくは、であるが」
「貴族社会については、全く知見がないのですが、貴族階級であっても非合法的なことに家族を巻き込むものなのですか?」
「その人物によるだろうね。モラルに欠けていて巻き込む者もいるし、家族しか信じられない者もいる」
お金や権力を持っていてもそういうものか。
「このような基本的な質問にお答えいただきありがとうございます」
「興味深い質問だからね」
どういう意味だろう?
質問しすぎてるし、今はいいか。
「そうなのですね。ところで、貴族としての彼や家族に、何か表だった問題点は存在していないのですか?」
「問題点どころか尊敬されているね。戦場での負傷者への支援や、彼の妻の慈善活動などは有名だよ」
「――それは尊敬されるに値しますね。彼らの支援が消えたら社会的な影響は大きそうです」
「大きいだろうね」
クルエンタス議員を失脚させるとすると、彼らの支援で助かっていた人たちは困ることになる。
バックアップ体制は必要か。
頭が痛い。
「戦うことになっても社会的な影響がないように準備はします。その前に、彼らに関する確実な情報を集めたいと考えていますが」
「実に賢明な考え方だ」
「光栄です。実際に行動に移すとなるとかなり困難なことだけは分かっているつもりです」
「興味本位で聞くが、君は社会的な影響のないよう準備すると言ったが、実際どう動くつもりかな?」
「支援体制を維持するため、親しくさせていただいている識者の方々に相談してみます。その上で可能なら制度化というイメージでしょうか」
「良いね。承知した。そのときは私も相談に乗ることにしよう」
「ありがとうございます。助かります」
とりあえず、クルエンタス議員に関する話はできたし、ここまでかな。
他にも第一軍団などの話も聞いてはみたいだけど、さすがに神官長は詳しくない気がする。
「本日は深夜にも関わらず、ありがとうございました。助かりました」
「私もかの有名人と話すことが出来て光栄だったよ」
神官長に笑顔で見送られて、ソフィアと外へ出た。
すると暗闇から誰かが近づいてくる。
し、しまった。
完全に油断していた。
ソフィアに迷惑が掛かりそうなので逃げずに対応すると決める。
一応、影化の魔術で灯りに照らされる肌の反射を抑えた。
「こんばんは~。ソフィア様とお見受けします」
社交的な感じで軽い。
声に人なつっこさがある。
青年という訳ではなさそうだ。
30代半ばくらいだろうか。
「こんばんは。どちら様でしょう?」
ソフィアが答えた。
調子を合わせながらも、外向けの応対だ。
「第一軍団のピロと申します」
「第一軍団の方でしたか。ソフィア・レントゥリナと申します」
頭を下げずに言う。
私のことは紹介しない。
侍女として扱うつもりなのだろう。
私もそう振る舞うことにした。
実際、侍女だし。
「少しお話がありまして。よろしいですか?」
「どのようなお話でしょう」
「ソフィア様はパンクラチオンに興味がおありとか」
「ええ」
「どんなところがお好きなのですか?」
「そうですね……。自由なところでしょうか」
「自由! 言われるまで気づきませんでしたが、確かにパンクラチオンというのは、身1つで全てをコントロールできる。真の自由がある状況なのかもしれないですな」
「楽しいことをおっしゃられる方ですね」
「そうでしょうとも。会話もまた自由ですからね」
「では、私も自由な会話を楽しむことにいたします。貴方が本当に聞きたいことは、どのようなことなのでしょう?」
「これはこれは! 話が早くて助かります。実のところ、剣闘士のレオニス殿の道場へ貴女が伺ったかどうかが気になっておりまして」
「左様でしたか。残念ながら覚えておりません」
「覚えてないのなら仕方ありませんね」
にこやかに会話している。
つまりピロと名乗る彼は、ネブロ師範の付き添いがソフィアだったかどうかを確認しにきたのか。
本命はたぶんアイリスとしての私を捜してる。
皇妃が、第一軍団のヴィクトル司令官に頼んだのかも。
従兄弟らしいし。
ただ、本当に私を捜しているのなら、ソフィアの応対もかなりベストだ。
覚えてないという発言は、実質付き添いを認めたようなもので他の可能性を考えにくい。
私へ辿り着く道は消える。
「単純な興味なのですが、なぜこのような深夜に?」
「ウチのボスが早く知りたがったのと、私も面白くなってつい。失礼な時間に申し訳ありません」
「私も神殿を抜け出してきてますからね」
「貴女のそんなところに興味を持ちました。お元気のようで何よりです。ネブロさんとは違いますね」
「そうなのですか? コモド流の道場でお会いしましたが、元気そうな方でしたよ」
「これは失礼いたしました。実際にお会いしていたのですね」
「はい? どういうことでしょう?」
「申し訳ありません。話を担保するために貴女を試してしまいました」
「――左様でしたか。貴方も大変なのですね」
「怒らないのですね。叱責を覚悟しておりました。お優しい方で助かりました」
「お互い立場がありますから」
「ご理解ありがとうございます。では、これで」
彼はにこやかに去っていった。
速い。
「私たちもいきましょうか」
「承知いたしました」
侍女モードのままソフィアに接する。
私たちは無言でサトゥルヌス神殿を離れるのだった。
ソフィアが何か話したくてうずうずしているのが、暗闇でも分かった。




