セリシウス監獄の日常
礼拝を終えた囚人たちは、各々の持ち場へ向かって歩き出した。
ただ豚箱に入っているだけが贖罪ではない。
セリシウス監獄には、囚人たちに『刑務』と呼ばれる労働が課されている。
衣服やシーツなどの洗濯のほか、危険が伴う地下採掘場での鉱物資源の回収作業、用途不明の機器の組み立て作業などなどなど。
社会奉仕活動は多岐にわたる。
さらに、囚人には月に一度、『魔力吸引』を受ける義務があった。
体内に蓄積した魔力を、施術によって体外へ排出する。表向きは心身の浄化を目的としているが、実態は監獄側の安全対策にすぎない。
魔法や魔術を悪用した脱獄は、何としても阻止しなければならない。そのため看守たちは囚人の動向に目を光らせ、不審な素振りを見せた者には容赦なく制裁を加える。
手足に重い枷を付けられ、視界を閉ざされた状態にあるオムレットには、一般的な刑務は遂行できない。
そのため、様々な工場に荷物を運ぶ補助的な仕事が割り振られていた。
今日も最初の仕事は、組み立てられた部品をさらに加工するため、別の工場へ運び込む作業からだ。
木箱に積まれた機器に視界を遮られているが、オムレットにとっては問題なかった。
視界を閉ざされたオムレットは、周囲を漂う魔力を知覚することで、周囲の状況を把握していた。
目には見えない魔力の残滓が、あらゆる物体の輪郭をなぞるように降り積もっている。
――まるで、静かな粉雪のように。
人の形も、壁の位置も、歩み寄る者の気配も。魔力の流れを辿れば、おおよその輪郭を掴める。
場内を歩いていると、オムレットの柔肌に日差しの温かみが伝わってきた。
ただし、空だけは違った。
「今日はたぶん、いい天気だな」
空はあまりにも広く、オムレットの観測力をもってしても、飛んでいる鳥や虫を認識することしかかなわない。
それでも、彼らのおかげで世界は広いのだと感じることができた。
「ん……?」
工場の近くまで来たところで、正面からとある一団がこちらへ向かってきていることに気がついた。
すぐさま近くを歩いていた他の囚人と同じく、廊下の隅に跪き、一団が通り過ぎるのを待った。
ぞろぞろと歩く一団の波がすぐ側に近づいてきた。
「さあ、そのままサッサとどこかに消えてくれ」と呪いの言葉を掛けていると、あろうことか一団の先頭を歩いていた者がオムレットの前で足を止めた。
「チッ……」
思わず舌打ちする。
先頭に立っているのが誰なのか、オムレットは魔力感知ですでに察知していた。
「――ここに居たのか。刑務も良いが貴様には、もっと重要な役目があるだろう。さらに励め」
そこに立っているのは白い外套を羽織った騎士のような見た目の監査官――ライズ・ルナリス・フィールだった。
後ろに引き連れている取り巻きは、彼の権力にあやかろうと群がる畜生どもだ。
「…………」
オムレットは、彼のことをよく思っていない。
彼が見ているのは、今ここにいる自分ではないからだ。
記憶を失う前のオムレット。
オムレットになる以前のオムレット。
彼が言葉を投げかけているのは、彼女自身さえ知らない、どこかに置き去りにされた「本来の彼女」だった。
「少し痩せたか? 食事はしっかり摂れ。貴様だけの体ではないのだからな」
無言を貫いていると、隣で跪いていた別の囚人が軽口を叩いた。
「おいおいおい監査官様様がこんな時間から囚人に逢引きかぁ~? いい趣味とは言えねぇーなー? もしかして上物を抱き過ぎて色物に興味が出てきちまった玉かぁ? 俺の尻を掘るのは勘弁してくれよな!」
このセリシウス監獄に収容されている囚人に礼儀作法を説くことは、風に「吹くな」と言っているのと同義。
そして――ライズに喧嘩を売ってはならないことも、このセリシウス監獄では知れ渡っている事実であろう。
「コレは?」
軽口を叩いた囚人を指さし、隣に立つ看守長に訊いた。
囚人をコレと形容するあたり、同じ人間とは思っていないようだ。
看守長は恐る恐るライズの問いに答える。
「先月、六件の殺人事件を起こして帝都から移送されてきた囚人です。名は――」
スキンヘッドに大量のピアス痕、黒く染色された眼球。
痩せこけた頬。
絵に描いたような狂人。
こんな精神異常者と同列に扱われていることに憤りを感じる。
「もうよい。…………ふん。そうだな、とりあえず腕一本と言ったところか」
「あぁ……?」
次の瞬間、囚人の片腕が宙を舞った。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
囚人は傷口を押さえ、床に転げ回った。もがき苦しみながら悲痛な断末魔を吐き出す。
しかし、誰も助けようとはしない。
看守たちは眉ひとつ動かさず、ただ後始末の手順を考えている。
「ルナリス卿、掃除が大変ですから程ほどにといつも申し上げているではありませんか」
看守長は、まるで床に水でもこぼされたかのような口調で言った。
セリシウス監獄に収容されている囚人は重大な罪を犯し、大陸の各地から移送されてきた筋金入りの極悪人。
死刑を待つ者たちだ。
つまり、いつ刑が執行されるかは看守側の裁量に委ねられている。
厄介なら殺してしまえばいい。
そんな狂った倫理観のもとで、この監獄は成り立っている。
「囚人に片付けさせろ。それと――その囚人のうるさい口を塞げ。傷口は焼いて塞いでおけ」
ライズはいつの間にか抜刀していた長剣に付着した鮮血を、看守から手渡された清潔な布で拭いながら命じた。
「定期的に力関係を理解させておく必要がある。穏便に済ませてしまえば付け上がる者もおりましょう。ルナリス卿のご判断は正しいものです」
別の看守が眼鏡を正しながら、ライズの行動に賛同の意を示した。
「そ、そうですな。さすがはルナリス卿」
自身よりもライズを上手く持ち上げる別の側近の言動に慌てた様子で賛同する看守長は、思い立ったようにオムレットへ視線を向けた。
「そ、そうだ。そこの囚人! 405! 腕を焼却炉に持っていきなさい!」
「げっ……俺かよ」
面倒な仕事を押し付けられてしまった。
ついていない日はとことん、ついていないものだ。




