とある記者
≪人類歴120年≫
雄大な朝焼けが、彼方まで続く夜を飲み込んでいく。
横に伸びる白雲に朝日が反射し、ホームを柔らかな黄金色に染め上げていく。
時刻は午前六時。
ガナリア帝国が誇る北の砦――フェルトシュタイン領内にあるギルエットの町は、土地の気候も相まって、まだ冬の寒さを残している。
重たいトランクケースを両手で運びながら、とある記者は疲れた体を引きずるように列車を降りた。
目の前には、息を呑むほど美しい朝の景色が広がっている。目の前に広がっているのは、大陸最高峰の山々が連なるマドラ連峰だ。
それを楽しむ余裕は、今の彼女にはなかった。
蒸気機関車での長距離移動の長旅で、腰や節々に疲労が蓄積していた。
ほんの数十年前までは、鉄の塊が人を乗せて走るなんて誰も想像していなかったことだろう。
先人たちの暮らしを思えば、文句を言う気にもならない。
腰の痛みなんて些末なこと。
「うぅー! やっと着きましたね」
腰を伸ばし、彼女は誰にともなく声を漏らした。
鮮やかな琥珀色のセミロングが風に揺れる。
ガナリア帝国の建国以前からこの地に住まう、先住民族特有の髪質だ。
メガネの位置を正してホームの先端を見据えると、小さな改札口が目に入った。
「ギルエットの町に来るのは十年ぶりくらいですかね」
改札口で切符を駅員に渡しながら記者は答えた。
「帰省ですか?」
この髪質を見れば、彼女がギルエットにルーツを持つことは誰の目にも明らかだった。
「残念ながら仕事です。こう見えて私、記者なんですよ~」
そう言ってトランクケースから真新しいカメラを取り出した。
「それはそれは……! 是非、空いている時間があれば町を観光していってください」
ここ数年で開発が進んで見物できるスポットも増えているのだと、駅員はそばに置いてあった木箱から一枚のパンフレットを取り出した。
『悪魔を葬った英雄が住まう町へようこそ!』
そんな大々的に書かれたフレーズに、記者は思わず苦笑する。
駅員は得意げにこう付け加えた。
「パイは絶品ですよ。フィッシュフライはクソ不味いので注意」
「有益な情報、感謝いたします」
記者は小さく敬礼した。
駅員は鼻の下を伸ばし、どこか締まりのない敬礼で彼女を見送る。
彼女は笑顔を貼り付けたまま改札を抜けた。
そして駅員の視線が届かなくなったところで、そっと息を吐く。
「はぁー……」
昔から、この手の応対にはうんざりしていた。
この豊かで平和な町を築き上げた英傑の血を引く「純血」の民を、民衆はもてはやす。
何をしていなくても、不出来でも。
そんな環境に嫌気がさしたのが、あの活動に参加したきっかけだったかもしれない。
家族からは勘当され、帰る家はこの地には無いけれど、記者は後悔などしていない。
自分が信じる道を歩むことができれば、それほど幸せなことはないからだ。
駅のロータリーには、二気筒エンジンを床下に備えたバギー型の四輪駆動車や、昔ながらの風情を残す馬車が路上に停まっていた。
まだ人の往来は疎らで、早朝のロータリーは少し簡素に映った。
「……前は早朝でもビラ配りをしている活動家の方々がいらっしゃいましたよね」
例の事件以降、世論はより一層、魔力廃絶主義に傾きつつある。
活動家の行動にも治安当局から制限がかけられ、自粛を余儀なくされている。
「気落ちしてはいけませんね! まだまだこれからですよ」
沈みかけた気持ちを鼓舞するように、両の手を強く握りしめた。
ギルエットの町を散策していると、大きな広告看板が目に留まった。
グラマーな女性が注射器を手に、こちらへ微笑みかけている。
その横には、大きく『魔力吸引』の文字。魔力を吸い取ることで美容を促進する――そんな謳い文句が掲載されていた。
記者は足を止めた。
かつて、この世界では魔力こそが価値の象徴だった。
勇者ロドニスが存命だったとされる約四百年前。まだ魔王による脅威が日常にあった時代、人々は魔力の強さによって優劣を決め、弱者は強者の陰で生きるしかなかった。
強い者が賞賛され、弱い者はただ片隅で細々と生きていくしかない。
――そういう時代だ。
強者と弱者の間には、努力では決して埋まることのない溝が存在していた。
だが、勇者によって魔王が討伐され、全人類を巻き込んだ数百年にも及ぶ争いの歴史に幕を閉じた。
平和が訪れると急速に産業が発展していき、魔法に代わる新たな技術、魔術とも異なる全く新しい概念――『科学』が躍進を遂げる。
魔王残党軍や危険なダンジョンを平定したのは、勇者でもなければ、他の魔力に富んだ者でもなく、科学による平等な力の功績だ。
やがて時代の主役は科学へと移り変わり、人類の争いもまた、魔法から科学へと変化していった。
片隅で魔王の脅威に震えて隠れていることしか出来なかった者たちが、努力によって自分自身の価値を高め、証明することができる時代。
それは素晴らしい。
――しかし、人類とは、なんと愚かな生き物なのだろう。
力によって優位を得てきた者たちは自然と淘汰され……いつからだろう?
魔力とは不浄の象徴にまで成り下がった。
魔族に留まらず、魔力が高い人々への差別や迫害は、年月が経つにつれて広がっていた。
勇者ロドニスが思い描いていた『平和な世界』とは程遠い。
『魔力が少ない体は美しい!』
そんな時代を象徴するような広告だった。
「……ち、違いますよ⁉ 別にグラマーなのを羨んでいるわけではないですからね!」
記者は思わず声を上げ、控えめな胸元を隠すように腕を交差させた。
慌てて広告から目を逸らすと、ふと遠くを見つめるような表情になり、ぽつりと呟いた。
「――私は……勇者ロドニスが浮かばれないなと思っただけです」
記者はどこか遠い目をして、役場の前に立つロドニスの像を見つめた。
首だけが無残に砕かれた侘しい姿からは、人類を救った誇り高き勇者の面影はない。
まるで今の社会は『英雄』なんて求めていないという、残酷な回答を突き付けているようだ。
こんな所業は英雄に対する仕打ちではない。
『ロドニスの子供たち』と呼ばれる、彼の血を色濃く受け継いで生まれた子供たち。
そんな彼らは、もしかしたロドニスの呪縛によって、突き動かされているのかもしれない。
――――きっとあのオリエントもそうだったように
十年前に起きた『血の討論会』。
あの惨劇を思い出すたび、記者は唇を噛んだ。




