この世の終着点
地下千メートル。
光の届かない、巨岩の山の腹の底。
セリシウス監獄の地下には、豊富な鉱物資源が眠る大空洞が広がっていた。その一角には、問題を起こした囚人を閉じ込める懲罰房が設けられている。
数百万年という途方もない年月が作り出した岩肌は、溶岩が流れ出しては冷え固まることを繰り返したた岩盤。その亀裂からは、得体のしれない蒸気が絶え間なく噴き出していた。
蒸気にさらされた岩肌は斑模様に変色し、空洞の中には肺を焼くような独特な臭いと熱気が充満している。
最深部には、セリシウス監獄のあらゆる魔術結界を制御する魔核が淡い光を放っている。
そんな地獄のような地下大空洞に、鉄格子の牢が点在していた。
その一つに、オムレットの姿もあった。
懲罰房での一日は何もない。
光の届かない暗闇の中で、ただひたすらに自分の罪と向き合う時間が与えられる。
刑務は存在せず、食事は廃棄品が一日に一度だけ。
そんな生活が、かれこれ二か月続いていた。
「あ~暇だ。暑い。早く自分の牢に戻りてぇ~」
心なしか、独り言が増えた気がする。うだるような暑さにも、数日で慣れてしまった。
魔族の生命力とはなんと恐ろしいことか。
どんなに厳しい環境にも、すぐに順応してしまう。
おまけに魔力感知があるおかげで、暗闇に意味がない。
ただボーっと、一日が終わるのを待つだけの日々。
暇なことと飯が不味いことだけが、オムレットにとっての罰になっていた。
――今日はやけにご機嫌斜めだな、オムレット
頭蓋の内側に直接響く異音。
耳鳴りではない。
幻聴を聞いているわけでも、気が触れたわけでもない。
オムレットの意識に直接、語り掛けてくる男の声がした。
一日に数分ほどの頻度で、こうしてオムレットに話しかけてくるのだ。
「よお、メディウス。お前は逆に楽しそうじゃないか」
彼はオムレットと同じく、地下大空洞の懲罰房に収容されている囚人の一人だ。
名はメディウス。
彼は魔力吸引で枯渇したわずかな魔力を振り絞り、日に一度だけ、魔術によって思考を伝えてくる。
奴も相当、暇をしているのだろう。
――いいや。今日は変な虫が入り込んだように思えた。実に面白い出来事だ。この俺が歴史の教科書に掲載された暁には、一ページの余白をやろう
メディウスはまた訳の分からないことを言っている。
彼は、いわゆる頭がおかしい男なのだ。
声からして間違いない。
彼と意見が一致するなんてあり得ない。
意見が合わないことが何より正常。
自分が少しはマシな人間に思える。
それほどまでに、メディウスという男の思考回路は滅茶苦茶だった。
「虫……? こんな場所に虫なんて居ないだろ。近くを感知しても何も感じないぞ」
周囲に魔力感知を展開する。手狭な鉄格子の檻。岩盤の亀裂。煮えたぎる溶岩。
何もない。
そもそも、これほど高熱と蒸気が充満する場所で、生き延びられる虫なんているはずもない。
それと、メディウスは彼女が詳細に感知できる圏外に幽閉されているようだ。
――同志オムレットよ。貴様の魔力感知もまだまだのようだな。ここを出たら俺が稽古を付けてやろう
「何言ってやがる。ここから出るなんて無理だろ」
――いいや。無理じゃない。俺はメディウスだ。不可能はない。今はこの生身が惜しいから捕まってやっているが、やる気になれば幾らでもやりようはある
「……よくわかんねぇーけど。えらい自信だな」
――当たり前だ。俺は世界屈指の精神干渉系魔法の使い手だからな!
「へぇー。意外だな。自信過剰なお前のことだから、世界最強とか世界一とかぬかすと思ったんだけどな」
――ふんっ。気に食わない話だが、この俺でさえ、勝利を掴めるかどうか分からない相手がいる。しかし、その魔族の女狐は俺との勝負を前に死んだらしい。実にくだらない! 歴史の教科書には載り得ない、くだらない死に様だな!
「ほ~そうかそうか。またいい相手が見つかるといいな」
――・・・・・・・ぅ・・・・・・・ぇ・・・・・・・・・・・ぁ
「――切れたか」
枯渇した数少ない魔力が尽きたようだ。念話を送っているメディウスの気配が消えた。
あとは昼寝か夕寝か曖昧な惰眠を貪るだけと、オムレットは石の寝床に背中を預けたところで、予期せぬ訪問者が現れた。
「時間だ。出ろ」
数名の看守が唐突に懲罰期間の終了を言い放つ。
「え、あ、はい」
***
同日。地下大空洞。
魔力が枯渇したメディウスは、背中を刺すように硬い石のベッドで仰向けになり、虚空を見つめていた。
漆黒に炭化した己の右手を伸ばすも、暗闇に同化して輪郭を捉えることは出来ない。
指先に感覚はなく、痛みもない。
「ふむ……今思い返しても実に不愉快だな」
腕を炭化させられた際の記憶を思い返していた。
あれは故郷であるマルセーユ共和国の我が領地、メスティアノ領だった。
彼が生み出された特異な精神干渉系魔法の実証実験によって、領民はもちろん、肉親に至るまでありとあらゆる人間に魔法をかけた。
自我を失い、亡霊のようになった領民たちが己の故郷を滅ぼす姿は壮観の一言に尽きた。
一夜にして滅んだ領地の中心で、歴史書にどう写っても良いよう、砕けた化粧台の鏡で前髪を整えていた時のことだ。
――アレが突然現れたのは、その時だった。
異質な気配を察知し、メディウスは振り返った。
誰もいない。
いや、人ではない何かが、そこにはいた。
黒い靄のようなソレが、彼に語りかけてくる。
恐怖という感情を自らの魔法で捨て去った男が、身の毛のよだつ感覚を覚えたのは、それが最初で最後のことだった。
「…………」
言葉ではない。
けれど間違いなく意思がメディウスの意識には伝わってくる。
「ふはっ……! 何かと思えば――何だ!? 勧誘か!? この俺を勧誘とは見る目があるが……同時に分不相応。誰だか知らないが、身の程をわきまえろ、不敬だぞ」
それから、会話とも呼べないやり取りを何度か繰り返した後、突然、彼は意識を失っていた。
次に目覚めた時には、近隣の領地から派遣された騎士団に拘束され、今に至る。
おまけに右腕は不自然に炭化し、不自由極まりない状態になっていた。
それが、メディウスがこのセリシウス監獄に収容されるきっかけとなった出来事だ。
「そろそろここの生活にも飽き飽きしてきたころだ。オムレットでも連れて地上に戻るのも一興だ」
一日分の回復した魔力を消費してオムレットと念話をしていたが、魔力切れを起こしてしまった。
おかげで残りの時間は一人で暇つぶしをしなければならない。
足元に転がる火山岩の欠片を数えて過ごしていると、牢の外から小石が一つ転がってくる。
どうやら来訪者が歩いたつま先で蹴ったようだ。
「――こちらとしても、潮時だ。メディウス・メシウス・アルレディウズ・マーセル」
暗闇に浮かぶ影は看守の服を身にまとっている。
どこにでもいそうな、冴えない看守が彼の懲罰房に現れた。
以前にも感じた既視感を覚えながらも、この看守の登場は今回が初めてではないため、メディウスは、それほど警戒していなかった。
「いつも不意に現れる奴だな。それでは歴史の教科書には載れないぞ?」
魔力感知で看守の肉体を凝視すると、魔力が不自然に揺らいでいるのが見て取れた。
この看守の精神は明らかに精神干渉系魔法の影響下にあり、正気ではない。
「下準備は十分だ。こうして君と魔法を介して話すのも、これで最後になるだろうね」
「下手な精神干渉系魔法もこれで見納めか。……俺は一向に構わないが、貴様の正体を知らない以上、計画を実行した段階で貴様の命の保証もないんだぞ?」
「ご心配には及ばない。私が死ぬ可能性は万に一つもないからね。――むしろ、君は自分の身を案じていた方がいいと思うよ。何が起きるか人生わからないからね」
そう言って看守は、虚ろな瞳のまま、指輪をはめた左手を鉄格子から牢の中へ差し出した。
操り人形と化した看守の悲惨な背景を思えば、普通の人間ならわずかばかりの同情や躊躇を覚えるかもしれない。
だが、ことメディウスに至ってはその心配は無用だった。
他者との絆など、自分を飾り立てるだけの重たい装飾に過ぎないのだから。
メディウスはニヒルな笑みを浮かべ、差し出された看守の手に歯を突き立てた。




