閑話 とある記者の取材記録③
「――それで、何が訊きたい? 今さらオリエントの話でも聴きたいのか?」
ライズはどこか不貞腐れたように尋ねた。
「いいえ。私はライズ様の意見が聞きたかったのです」
召使の代わりに記者が新しく用意したティーポットから、二人分の紅茶をカップに注ぐ。
「意見?」
「ええ、意見です」
「何に対して意見を述べようと言うのだ」
記者は少しもったいぶるように注いだ紅茶に口をつけ、ゆっくりと紅茶を口の中で転がし、飲み込んだ。
芳醇な茶葉の香りに、ミルクのまろやかさと砂糖の甘味が重なり、気品のある味わいを生み出している。
さすが領主の息子が口にする紅茶だけあって、どれも一級品だ。
あまり焦らすと、せっかく記者に向けられたライズの興味が削がれてしまう。
彼の瞳を見つめ、記者は答える。
「――世界平和、についてですかね」
「世界平和……? ずいぶん投げやりな質問だな」
さすがのライズも塗り固められたような仏頂面が崩れ、豆鉄砲を食らったような顔をする。
しかし同時に興味を失った様子ではなかった。
記者にとって、決して適当な質問ではないのだ。
十年の歳月を経た彼がどのような人間に成長したのか、推し量るためでもあるのだ。
「世界が平和になるには、どうしたらいいと思いますか?」
「何だ? その質問は。ネチネチと送り続けていた取材の申し入れは、そんな質問をするためだったのか?」
呆れた様子でライズは紅茶を飲み干す。
「何を仰いますか。世界平和より大切なことがありましょうか」
「いくらでもある。人は自分の手が届く範囲の幸せを守るので精一杯だ。世界のことまで面倒を見ていられるか。――私だってそうだ」
ライズの表情に、ふと影が差した。
記者はその顔を見つめ、手にしていたペンの先を、彼の傍らに立て掛けられた長剣へと向けた。
「では、どうしてその剣をお持ちに?」
「…………」
ライズは一瞬、目をそらした。痛いところを突かれたらしい。
本人にも自覚はあったようだ。
あの剣は、豪奢な装飾で偽装されてはいるが、柄の奥に眠る刃は、かつて勇者ロドニスが所持していた『ヒイラギの剣』そのもの。
魔力廃絶主義を加速させる、そのきっかけとなった地を統べる家系の人間が持っていい品ではない。
ギルエットの町で首が落とされたロドニス像を、記者は何度も目にしている。
ライズは顎に手を当て、何かに想いを馳せるように目を細めて問いに答える。
「預かった物を手放せなかったという理由が大きいが……あえて記事映えする理由を挙げるなら、それは――戒め、だろうか」
「戒め、ですか」
「あぁ……私は昔、勇者ロドニスに憧れていた。本当に世界を救う偉業を成し遂げた人物が実在したなんて、下手な物語よりもワクワクするだろ?」
ロドニスを語る彼の瞳は光が灯り、揺れていた。
けれどすぐに現実を直視したように曇っていく。
「――しかしな。世界を平和にしたいと願う人間がいるように、平和になって欲しくないと願う人間もいる。そのどうしようもない隔たりを、幼い私は知ってしまったのだ」
ライズは力が抜けたように、深々とソファーに身体を預けた。
「君は勇者ロドニスの最期を知っているか?」
と記者に尋ねた。
「えぇ、もちろん」
子供たちに語られる英雄譚には、続きがある。
大人になれば、いつか知ることになる。そして、落胆する。
ライズもまた、知ってしまったのだろう。
憧れた勇者が偉業を成し遂げた先に待っていた運命を――
「共に魔王を討ち取った仲間に暗殺された。なんとも呆気ない最期さ。この剣は『お前の正義なんて何の役にも立たないんだぞ』という戒めだ」
その理屈に納得しているのか?
そんなわかりきった質問は野暮だろう。
「そんな難しい顔をして、いつも仕事なさっているんですか?」
記者は悲観的なライズに半分呆れた調子で訊いた。
「あぁ。あいにく手の掛かる囚人がいてな」
そもそも何故こんな辺鄙な城塞で監査官をしているのか。
喉元まで出かかった疑問を、記者はそのまま飲み込んだ。
彼の近況に興味が湧かないからだ。
「例の隣国から移管されてきたという凶悪犯のことでしょうか」
オルランド大陸の南部に位置するマルセーユ共和国で、一つの街を滅ぼしたとされる大罪人だ。
オリエントと同じく、第一級の悪魔に認定された人物だ。
なんでも、住民全員を歩く屍に変えてしまったとか――
「まあそうだな……奴は厄介だ」
ライズはどこか歯切れが悪そうに、記者に同意した。他にも心配ごとは、ありそうだ。
それからしばらく他愛のない会話を重ね、去り際、記者は今度こそ真っすぐに右手を差し出した。
差し出された華奢な手を前に、ライズは一瞬ためらったものの、どこか照れ臭そうに応じた。
差し出された彼の手のひらと、記者の指先が触れ合う。
ほんの一瞬。
だが、お互いの体温がたしかに伝わった――その瞬間。
記者がはるばるこの辺境の地まで足を運んだ目的が――達成された。
***
帰り道。
「……ライズ・ルナリス・フィール。可哀想な人でしたね」
揺れる荷馬車の中で、眼鏡を掛け直し、記者は深いため息をついた。
彼の目は、どこか、報われない人間の目をしていた。
報われることを望んでいないのではない。最初から、自分には報われる資格などないと決めつけている――そんな目だった。
「――えへへ……感傷に浸っている暇はありませんよね。それに……想定外ですよ、身体が勝手に動いているなんて。しかも、独立した意思を持って」
大声を上げないか心配でしたよ、と記者は両手で頬を扇いだ。
ライズの手に触れた際に記憶を辿ることこそ、記者が長年の間、目標にしてきたことだった。
そして、ようやく悲願は達成された。閉ざされていたオリエントへの道しるべが開けたのだ。
「……何か悪いことでもしたんですかね。懲罰房なんかに入れられて」
クスッと小さく笑い、記者はセリシウス監獄を振り返った。
「――えぇ。少し様子を見てみましょうか」
それから、ライズに触れ合った右手に目を落とす。
「それと……ライズに触れた時。――そうですよね。やっぱりアイツの因子が残っていました」
記者は右手を見つめ、指先を軽く握り込んだ。
「アイツと接触していたのなら、辻褄も合います。討論会に向けて行われていた魔力吸引。商業施設を視察していた、警備の薄い時間帯。そして、事件直後に突入してきたライズ……」
夜空へ視線を移す。
「――全てが、アイツの手のひらの上だったんですね」
独り言をつぶやき、記者は遠い目をした。懐かしい光景が頭をよぎったからだ。
「すっかり遅くなってしまいましたね。まさか、出入りするだけでもあんなに手荷物検査があるなんて。私たちは虹の輪の残党とは無関係なんですけどね」
今日は野宿になりそうだ。
こんな辺鄙な場所まで、招待したライズに文句の一つも言いたいところだが、彼女の心情を思えば、そんな気も薄れてしまった。
夜空に浮かぶ星々を独り占めする権利があるだけ、まだ記者の方が恵まれているのだから。




