閑話 とある記者の取材記録①
フェルトシュタイン領が北の砦と呼ばれる所以――
それは、オルランド大陸北部を西から東へ駆ける、マドラ連峰に起因していた。
一年を通じて寒冷な気候が続くこの地では、数百年もの間、山々が雪に覆われている。マドラの岩肌を目にした者などいない――そう言われるほどの雪化粧に覆われた地だった。
マドラ連峰はフェルトシュタイン領から東部沿岸沿のルブリエ辺境伯領まで、約五千キロにわたって続いている。
ギルエットの町から荷馬車に揺られること数日。
とある記者は、ようやくその山々を眼前に捉えた。
「やっと見えてきましたね」
記者は親指と人差し指で作った輪を覗き込んだ。
その視線の先には、雪に覆われた山腹に黒ずんだ城塞がそびえ立っていた。
記者が使ったのは、第一指定魔法≪メルダ≫。
遠方を覗く魔法だ。
親指と人差し指で輪を作り、片目を閉じる。それだけで、遠方の景色を鮮明に捉える魔術だ。
こうした術は『法令指定魔法』。一般人にも使用が認められた魔術の総称だ。
本来、魔法とは詠唱や魔法陣、供物、舞と言った『儀式』を経て、精霊から力を借りる現象を指す。
だが、完全な魔法は儀式が複雑で、日常的に使うにはあまりにも不便だった。
そこで儀式を簡略化し掌印などによって魔法陣や舞の働きを再現する技術が生み出された。
それが『魔術』である。
完全な魔法とは遠く及ばない、まがい物の力。
それでも、この時代を生きる人々にとっては十分なものだった。
≪メルダ≫は、しばらく山々をなぞるように周囲の情景を映し出し、中腹に聳える城塞を映したところで、その動きを止めた。
「あれがセリシウス監獄、ですか」
天井の鳥籠――
かの監獄を巷では、そんな渾名で呼ぶ。
吹き付ける寒風の中に聳え立つのは、数百年前に起きた大戦を耐え抜いた黒ずんだ巨岩の城塞。
白銀の雪山と対比をなすようその面持ちは、まるで一体の魔物のようだ。
かつて幾千もの猛攻を退けた歴戦の要塞は、今はその役目を終え、新たに凶悪な罪人を封じ込める監獄と化している。
そんな監獄こそが、彼女が目指す旅の終着点だった。
***
セリシウス監獄の応接室に通された記者は、豪勢なソファーに腰を下ろしたまま、周囲をソワソワと観察する。
凶悪な犯罪者を収容する施設とは思えないほど、優雅で気品に満ちた内装をしている。
部屋の中央には背の低い大理石のテーブル。
対を成すように配置された二人掛けのソファー。
開け放たれた窓からは、清涼な風が吹き込み、レースカーテンが踊り子のように舞っている。
青く澄んだ空は自由を表しているようだが、一方で窓枠にはめこまれた重厚な鉄格子が皮肉にも不自由を表しているようにも思え、やはりここが監獄の中なのだと記者は再確認した。
「紅茶もお菓子も頂いてしまって、気分は最高潮!」
クッキーを頬張ると、バターの豊かな香りが鼻を抜けた。表面を彩るホワイトチョコレートが、甘さにほどよい変化を加えている。
それから紅茶を一口。口の中がさっぱりしたところで、また次のクッキーに手が伸びた。
――何か他に隠し味があるようにも思えるが……これは一体。
気のせいだろう。
記者は首を傾げながら、再び紅茶を口に含んだ。
記者がこの地を訪れた理由は、表向きには、かの有名な虹の輪の開祖にして、魔族人権運動の母、そして――大規模テロ事件の首謀者であるオリエントを討ち取った英雄、ライズ・ルナリス・フィールに単独取材を行うためだった。
記者がこうして浮かれるのも無理はない。
『血の討論会』以降、英雄視されたライズへの謁見は容易ではなかった。
大陸中から記者や観光客が押し寄せ、取材の申し込みが殺到。
連絡もままならない状態だった。
記者が取材の申し入れを行うこと百五十回。
遂にその努力が日の目を見たのだ。
「あー! 緊張してきましたね! 集大成ですから! ライズに触れられさえすれば、全部うまくいくんですからね! ――って、あれ……?」
口が止まらない。
頭に浮かんだ言葉が、意思とは無関係に次々と飛び出してくる。
喉の奥にじわじわと熱が広がり、脳の芯が痺れていくような感覚。
胸の鼓動が嫌なリズムで跳ね始め、舌の根が勝手に動き出そうとする。
魔法による精神干渉ではない。しかし異変は、応接室に入ってから起きている。
――それは、つまり
「ジ、ジハク……自白剤とは……ズイ、随分な、もて、なし……デス、ネ!」
古典的な手段で罠を仕掛けてきたらしい。
時間が経つにつれて、乱れていく理性を保とうと努める。
記者はすぐさま唇を噛み、物理的に口から言葉が漏れないよう対処する。
歯が食い込んだ皮膚から溢れた鮮血を手のひらで受け止めながら、深く息を吸い、
乱れた呼吸を整え――
1
2
3
ドクンッ
「はぁーーーーーーーーーーー…………!」
何やらスイッチが切り替わったように、鼓動が不自然に落ち着きを取り戻す。
両手を、胸元あたりでそっと合わせ、
「≪ザインベルグ≫」
と治癒魔術を素早く唱えた。
自ら噛み切った唇や口元の傷が、みるみるうちに再生していく。
最後にぺろりと舌で口元をなぞり、満足げに記者は一息ついた。
「――はぁ……。手荒い歓迎じゃないか、あの坊や」




