光速の斬撃
目隠しが外れてから、数分後のことだ。
石畳の遊歩道に、黒い文字で刻まれた魔術刻印が浮かび上がり、あっという間に魔術結界が中庭を包み込んだ。おそらくセリシウス監獄に備えられた防衛機構の一種だろう。
どこか見覚えのある、ベールのような結界は、あの白い部屋で天幕のように吊られた魔術結界と構造が酷似している。
「これはどういうことだ」
特別監査官の権限を利用し、結界をすり抜けてライズ・ルナリス・フィールが駆けつけた。
オムレットの顔を一瞥した後、険しい形相を三人組の囚人に向けた。
「た、助けてくれ! 次男坊! オリエントだ! なぜかオリエントが紛れていやがった!」
エリックは腰を抜かし、四つん這いのままライズに縋りついた。
しかし、助けを求める声が途切れるよりも早く。
彼の首が、地面に転がった。
鮮血は一滴たりとも飛び散らず、首の断面から流れ出た血だけが、青々とした芝生をじわじわと赤く染めていく。
またしても、抜刀した姿すら、誰の目にも捉えられていなかった。
「――なぜ、目隠しを取った」
残り二人の囚人には目もくれず、オムレットに詰め寄る。
彼女の肩に触れたライズの手は震えていた。
いくら自制心が強い彼であろうと、赫眼がもたらす根源的な恐怖の前に例外はないらしい。
「……アイツらの攻撃をもろに受けちまって……焼かれちまった」
認めたくはないが、あの奇襲は完璧だった。
救出した亜人族の少女に気を取られ、魔力感知も散漫になっていたのだ。
「そうか……魔力吸引だけでは魔法を完全に抑止することは叶わなかったか。貴様はそこで大人しくしていろ」
そう言い捨てると、ライズは残り二人の囚人の元へ向かう。
獣族のサムエルと魚人族のギル。
彼らは中庭を包み込むように展開された結界に阻まれ、行き場を失っていた。
ベールを叩くものの、全く結界が壊れる様子はない。
「次男坊! 俺たちは何も見てない! オリエントなんて知らない! 誰にも口外しない!」
「そうです! 私たちは勤勉に刑期を全うしようと努めているのです! ここで死刑なんてあり得ない!」
先ほどまでの威勢はどこへ行ったのか。
彼らの口から出るのは見苦しい命乞いの言葉だけだ。
「――オリエントの存在を知られた以上、生きて返すわけにはいかない」
そんな言葉に惑わされることもなく、ライズは冷徹に告げた。
一歩、また一歩と近づくライズ。
先に動いたのは魚人族のギルだった。
芝生に指を突き立て、掴んだ土をライズの顔面めがけて投げつける。
ライズは顔をわずかに傾けただけで、それをかわした。
その隙を逃さず、獣族のサムエルが鋭い爪を彼の首筋めがけて走らせる。
「やったか……!」
振り返ったサムエルの片足が、遅れて地面に転がった。
「く、くそおおおおおおおおおお!」
苦し紛れに飛びかかる。
次の瞬間、サムエルの首もさらに遅れて転がった。
ライズは剣を振るった姿勢すら見せず、静かに立っていた。
予備動作すら感じさせない、洗練された剣技だった。
「や、やだ。やだやだやだやだ! 私は! 僕は! まだ死にたくない! あのお方が救い出してくれるのに! こんなところで!」
ギルが縋りつこうとする。
だが、彼の願いが届くことはない。
気づけば、首が地面に転がっていた。
刑の執行を終えたライズは、すぐにこちらへ戻ってきた。
「お、俺もやるのかよ」
彼が抜刀する瞬間を捉えることは出来ない。
けれど万が一に備えてライズの両手に注視する。
「戯言を並べる前に傷を見せろ」
こちらの警戒などお構いなしにオムレットの頬に手を添えて、火傷を確認してくる。
「ち、近い!離れろ!」
「動くな。黙っていろ」
ライズは短く目を閉じ、呼吸を整え、言葉を紡ぐ。
「――愚者の執行、聖者の行進、聖十二神将の導きに従いし
かの者に明日を生きる力を≪ザインベルグ≫」
それは永久に続く人々の安寧を願った奇跡の唄。
今より遠い古の時代より存在する、人々の痛みを取り除いてきた、最も古い治癒魔法。
頬に触れた手から安らぎを感じさせる温かな光が降り注いだ。
憎しみもない。
慈愛に満ちた奇跡の光はオムレットを包み込み、傷ついた皮膚を癒していく。
冷徹な男には、似合わない優しい魔法だった。
「いいのかよ……それは『法令指定魔法』ではないだろ」
オルランド大陸では、魔法の使用を原則として禁止している一方で、生活に根差した殺傷能力に乏しい魔法のみの使用を一部認めている。
それが法令指定魔法だ。
それ以外の魔法――つまりザインベルグは、魔力の消耗が激しいことを理由に、使用を禁じられているはずだ。
規律に厳しい彼が法を破る――ましてや一人の囚人のために。
本来あり得ないことだ。
「黙れ。貴様に傷つかれては困るだけだ。すぐにこれを付けろ。じきに看守も集まってくるだろう」
そう言ってライズは、新しい目隠しを彼女に装着させた。
それからすぐに、騒ぎを聞きつけた看守が中庭に集まってきた。
「ルナリス卿……! これは一体!」
看守の一人が囚人の遺体とオムレットを見比べながら訊いた。
「囚人同士のいざこざを仲裁したまでだ」
このまま現場検証に移るはずだ。
オムレットはさり気なく中庭から立ち去ろうと歩き出した。
「それじゃあー……俺はこれで~」
「――そこの囚人は懲罰房に入れておけ」
「へ……?」
どうやら、助かったわけではないらしい。
オムレットの平穏な日常は、残念ながら当分お預けのようだ。




