揚巻どのと真朱さま
◆クロ
伊佐といっしょに眠って、伊佐より早く起きた。伊佐はまだ寝てる。
ねぼすけ、だな。
昨日はご飯を食べてすぐに寝たから、あんまり部屋の中とか見ていなかった。
うん、狭い。てんよう様のところと全然違うのが、おもしろい。
衣紋掛けと行灯、机。本がたくさん。紙もたくさん。何をやっている人なんだろう。
今日から修行開始だ。霊力の増やし方はわかるけど。
てんよう様は、まずは伊佐と楽しく一緒にいることからはじめなさいとおっしゃっていたな。
でも、吾が楽しいだけじゃなく、伊佐も楽しくないとだめなのだ。
伊佐、起きないかなぁ。つまんなくなってきたので、伊佐の顔をたくさん舐めた。
◆伊佐
夢うつつで腕の中の子犬が抜け出し、何やら部屋を見て回っている気配は感じていた。
だが、俺はまだ眠いんだ。そのまま、目を瞑っていると近くに戻ってきた気配。
じっと見られているようだ。視線を感じる。ほのかな気配が温かい。
知らんぷりして寝たふりをしていると、クロは顔を舐めてきやがった。
一回だけなら寝たふりもできるが、こうも顔中舐め回されると目を開けるしかない。
わかっちゃいないだろうが、つい今目が覚めたという顔をして、
クロを呼ぶと勢いよくじゃれついてきやがった。
「おいおい、顔にじゃれつくな」
寝ていられずに、起き上がる。それを見て、クロははしゃいで、くるくると回っている。
子犬は朝から元気だねぇ。とりあえず、顔を洗って飯でも作るか。
「顔を洗ってくるから、お前は部屋で待ってな」というと、相変わらず「わん!」と良い返事。
ほんとにわかってんのかね。まぁ、戸を閉めておけば、大丈夫だろう。
「大人しく待ってろよ」と言いおいて、外に行く。
井戸に行くとすでに長屋の住人がいた。大工のかみさんのおしのさんだ。
「おはよう」
「おはよう。伊佐さん、あんた、子犬飼うことになったのかい?」
「あ〜、婆があれだけ大声でしゃべりゃあ、気がつくわな。そうなんだ。まだ片手で掴めるくらいの黒柴さ。クロって名だ。何かあったら、助けてくんねぇか」
「クロちゃんかい。黒柴の子犬なんて、かわいいねぇ。うちの太一もよろこぶね。そのうち遊びにいかせてもいいかい?なんなら、伊佐さんが留守の間に預かるよ」
「ありがてぇな。そのうち頼むわ。今日はちょっとこれから出かけるんだが、連れて行くか長屋に置いとくか、迷ってんだ」
「あ〜、あいにく今日はこれからちょっと出かけるんだよ……。太一を連れて行くかどうか迷っててねぇ。もしかしたら、お伊勢さんに預けるかもしれないんだが。ああ、米は炊いてあるから、後で持っていくよ」
「ありがてぇ。これからはクロの分も炊いておいちゃくれねぇかな。まだちびだからそんな量はいらねぇから。あと、今日は頼むとしても婆がいるから気にすんな。婆の都合が悪かったら、クロは連れて出かけるわ」
「そうかい、今日はお役にたてずに悪かったねぇ。じゃあ、あとでクロちゃんの分も持ってくね」
「ああ、よろしくな」
「あいよ。クロちゃんによろしくね。後で太一と挨拶にいくよ」
「おう」
部屋に戻ると、クロがしっぽをぶんぶん振りまわし、後ろ足で立ち上がり、ぴょんぴょん跳ねながら迎えてくれた。元気だな。
「よしよし、いい子で留守番できたな。これから飯の用意するからまってな」
伝えて、水をいれた器を置いておく。こいつ、言うことはちゃんとわかっているみたいだ。かしこいな。
昨日の飯と同じでいいか、と思ったところに、棒手振りの「あさり〜、しじみ〜」という呼び声が聞こえてきた。
あさりは俺の好物だ。朝の味噌汁がこたえられねぇ。クロにもわけてやるかと、腰を上げた。
◆クロ
今日はまた新しい人と友達になった。おしのさんと太一ちゃん。
おしのさんと太一ちゃんは同じ長屋に住んでいて、いつも朝に炊きたてのごはんを用意してくれる人らしい。
おしのさんは太一ちゃんの母さま。太一ちゃんはまだ小さい。
吾を見て、「クロちゃん、かわいいね」といい、手をのばし、なでてくれた。吾も仲良しになりたくて、太一ちゃんの顔と手を舐めて挨拶をかえした。うん。仲良しになれそうだ。
おしのさんは吾と太一ちゃんを見て、「仲良しになれたねぇ」と笑っていた。
母さまを思い出して、ちょっとさみしくなった時に、伊佐が朝ごはんを出してくれて、元気になった。
吾の朝ごはんは、おしのさんが持ってきてくれたごはんでつくったあさりと大根のおかゆ。
伊佐が吾のお皿に入れて出してくれる。吾はあさりははじめてだったが、ものすごくおいしい。
伊佐が出してくれるごはんは全部おいしい。残さず食べる。たくさん食べる。
でも、あさりの身は、伊佐が犬にはよくないといって食べられなかった。おつゆだけ。
でも、いつか、ちょっとだけ食べようと思う。
あさりのおかゆでおなかいっぱい。おなかがぽんぽこりんになってしまった。
眠くなったけど、おなかを下にむけらんない。苦しい。だから、仰向けになって足を広げて寝る。
伊佐に大笑いされた。
◆伊佐
朝からクロには大笑いさせられた。あさり粥が口にあったと見えて、腹いっぱい詰め込み、腹を下にできず、ヘソ天してやがる。
……こいつ、昨日うちに来たばっかりだよな。そうとは思えない寛ぎぶりだ。
大物なのかなんなのか。まぁ、初めて会ったときから、じゃれついてきたからなぁ。
ただなぁ、こんなちびを連れて出かけるのはやめておいたほうがいいな。
しょうがねぇ。昨日の今日だが、クロは婆に預けるか。
空文堂の若旦那のところへは早目に顔を出して、早目に帰ってこよう。
◆クロ
伊佐はこれから用があり出かけるので、吾に昨日会った婆さまのところにいろという。伊佐が迎えにくるまで待っていろということだ。
「できるな?」と聞いてきたので、「もちろんできる!」と答えた。吾をなんだと思っているのだ。
返事をしたら、「よし!」と抱えられ、婆さまのところへ。
婆さまは「クロ、いい子で伊佐が来るまで待ってようね。わたしの名前は伊勢だよ。伊佐と似てるだろ。覚えときな」と吾に言った。
えっ、伊勢!すごい名前!
自分の耳がぴこんと立ったのがわかった。伊佐の腕の中でもがき、降ろしてもらうとすぐに婆さまのところに行った。
「伊勢どの!吾は真黒。おかげ犬の修行をしているのだ。今日はよろしくなのだ!」
「おや、かわいいねぇ。挨拶してくれるのかい。じゃあ、伊佐が来るまで待ってようかねぇ」
「うん!」
「婆、その猫なで声、不気味だからやめてくれ」
「うるさいね。早く、若旦那のところにいっちまいな!」
伊佐、行くのか。見送るぞ。ちゃんと伊佐を見送るぞ。
「気をつけていくのだ!」
伊佐は、自分から出かけるといった割には、吾の頭を撫でてなかなか出ていかない。
「行かなくていいのか?」と聞いたが、
「婆、怖ぇから大人しくしとけよ」だの「婆んとこの猫にいじめられるなよ」と言って顔を見てくる。
伊勢どのから「いい加減に早く行け!」と怒られて、しぶしぶ出ていった。
伊佐は修行嫌いなのかな?
「朝からうるさいねぇ。ちびすけ」
揚巻どのだ。くわぁぁ、と大きな口を開けてあくびをしながら歩いてくる。
「おや、揚巻がクロのお世話をしてくれるのかい。あたしゃ、ちょっと太一ちゃん迎えに行ってくるから。じゃあ、ここはあんたに任せたよ」
お伊勢どのの言葉に揚巻どのが「にゃん」と答える。
ほんとに「にゃん」って言った!
「おはよう!伊佐が戻るまでここにいるのだ。よろしくです」
「ああ、そうなのかい。じゃあ、ここらへんの案内でもしようかね。……お前さん、お稲荷さんには挨拶したかい?」
「まだしてない!お近くなの?」
「江戸の長屋はけっこう稲荷の社があるってね。うちにも小さい社があるんだよ。そこに稲荷がいるのさ」
「お会いしたい!お稲荷さまはてんよう様、ご存知かな。揚巻どのはてんよう様をご存知か?」
「こっちは猫又のなりかけだ。神様に知り合いなんざいないよ」
「猫又ってなに?」
「まぁ、猫の妖怪の一種かね。長生きした猫がなるんだよ」
「長生きなの?揚巻どのはすごいんだね!」
「呪いが使えるわけでもない。長生きしてるだけさ」
そういうと、揚巻どのが戸に身体をくっつけ、すっと横に動くと戸が開いた。すごい。ああやって開けるのか。
外に出たら、中に戻れないな。でも外で遊んでいればいいか、と思って、揚巻どのの後をついて行った。
揚巻どのについて行くと朱色ののぼりに朱い鳥居。そのすぐ奥の稲荷のお社はこじんまりとしていて、左右に稲荷が控えていた。緑のお榊もきれい。みんなに大切にされているところみたいだ。
「真朱さま〜!」と揚巻どのが声をあげる。
吾の名前とちょっと似てる!と思ったら、すんなりとした白狐が姿を現した。真朱さまだ!
「揚巻か。神犬の子どもを連れてどうした?迷子か?」
「いや、迷子じゃあないんだよ」
「はじめまして!吾は真黒です!てんよう様の神犬です!昨日から修行にきています!これからよろしくです!」
ちゃんと挨拶した。
「ああ!月凛さまからお主のことは聞いたことがあるぞ。なんと、我の近くで修行か!」
「月凛さんをご存知ですか!?」
「ああ、月凛さまには良くしていただいている。我もてんよう様の眷属よ。今はこちらの社で修行中だ。真黒と同じだな」
「おやおや、真朱さまと真黒は同じ神様の眷属かい」
「そういうことになるねぇ。これもご縁だ。何かあったら力になるぞ。その時は遠慮なく申せ」
「はい!」
真朱さまのお言葉に返事をした時に、お伊勢どのの声が聞こえてきた。
「揚巻ぃ〜!クロォ〜!戻っといで〜!」
「ふむ。呼ばれておるぞ。戻っておやり」
「はい。また来ます!」
「じゃあ、真朱さま、これからこのちび、お願いしますね」
「あい、わかった。早く戻っておやり。ではな」
そういって、真朱さまはフッと消えた。
「はい!ありがとうございました!」
真朱さまのいた場所に向かって、お礼を言う。
急いで伊勢どののところに向かうと、太一ちゃんが見えた。吾に気付くと、手を叩いて駆けてくる。揚巻どのは、「人間の子どもは苦手だよ」と横道にそれ、あっという間に姿がみえなくなってしまった。
太一ちゃん、いい子なのに。吾は平気だよ。
吾も太一ちゃんのところに走っていって、飛びつく。太一ちゃんが笑う。楽しい。
「クロ、揚巻は逃げちまったねぇ。お前は太一ちゃんと遊んでな。太一ちゃん、クロはまだ小さいんだ。優しくしておやり。眠ったら起こさないで、婆に教えとくれ」
「うん!赤ちゃんだから寝ちゃうの?」
「吾はもう赤ちゃんでないぞ!」
「まだクロはうちにきたばっかりだろ?そういう時は疲れやすいんだよ。眠ったら寝かせておやりな」
「わかったー」
「吾は赤ちゃんじゃないぞ……。吾が太一ちゃんと遊んであげるのだぞ」
どうにも二人とも、わかっていないように見えた。




