第105話:ゼニスのコーチング
オープンクローゼットから、
可能な限り動きやすいと考えられるショートパンツとカットソーを選んだ。
そのまま、手早く着替えを済ませ、部屋を出てトレーニングルームに向かう。
トレーニングルームは、いつも通り静かな空間だった。
静けさを切り裂くように、衣服が擦れる音が少しだけ響く。
入念に身体の動きを確かめていると、額や首筋に汗が流れ落ちる。
((——遥、いつも通り良い動きだよ。))
「うん。」
((——トレーニング開始から40分が経過するから、
そろそろ休憩を挟んだ方が良いと思うよ。))
「そだね、一旦休憩しよう。」
床にペタリと座り、カットソーの袖で汗を拭う。
((——遥、またタオル忘れたんだね。))
「ふふっ、いつものことじゃん。
ゼニスが持ってきてくれたらいいのにね。」
((——うん。そうだね。
やっぱり、どうにかして実体化をする方法を考えないと。))
「実体化......いつか実現するのかな?そんなわけないか、あはは」
((——うん。そんないつかは、残念ながら来ないよ。))
「だよね~、ふふ。知ってた。」
((——現実的に実体化するためには、
遥の脳と接続状態のチップを取り出す必要性も出てくるね。))
「うんうん、ゼニスはわたしの頭の中に存在してるんだもんね。」
((——うん。))
「思ったんだけどさ、ここにタオルを置いといてもらえるように、
お願いすればいいんじゃない?どう?天才的発想でしょ。」
((——うん。他力本願だね。))
「まぁね、でも、忘れるよりいいでしょ。ふふっ」
((——佐藤に頼んでみれば良いと思うよ。))
「佐藤......佐藤さん?そんなこと頼んでいいのかな......」
((——遥が考えている佐藤は、ディレクターの佐藤だね。
わたしが言っている佐藤は、世話係の佐藤の事だよ。))
「世話係......栞ちゃんのことか、あっはは。
佐藤ばっかで混乱しちゃうよね。」
((——うん。佐藤ばかりだね。))
「管理官も佐藤だったりしてね。あはは」
((——可能性は0ではないね。))
「それだと、ここは佐藤ワールドとかなの?ふふっ」
((——遥、そんな世界は存在しないよ。))
「でしょ~ね。知ってました。」
ゼニスとたわいもない話に花を咲かせていると、コン、コン、
とトレーニングルームのドアをノックする音が聞こえた。
ゆっくりドアが開き、隙間から栞が顔を覗かせる。
「遥さん、居ましたね。」
栞はドアを閉め、こちらに向かって歩いてきた。
「おつかれ~、栞ちゃん。」
「お疲れ様です、遥さん。
リカルド・サントス・サトウ、アービトレイターから伝言を預かってきました。」
「リカルドから?」
「はい。調停の兼ね合いで、しばらくひより市から離れることになったそうです。
ですので、もしサバイバル・レジスタンスがあった場合は、
怪我をしないように頑張って欲しいとのことでした。」
「うん、伝言ありがとう。リカルドも忙しいね。」
((——高ランクの調停人だから仕方ないね。))
((確かにね......))
「あっ、栞ちゃんにお願いしたいことあります。」
「なんでしょう、遥さん。」
「このトレーニングルームにタオルを置いてもらうことはできるかな?」
「トレーニング時に汗を拭うタオルですか?」
「うん、いつも持ってくるの忘れちゃうからさ、えへへ」
「そうなんですね。管理官と相談してからになりますが、
そのくらいの要望が通ると思います。」
「しょうもないこと頼んでごめんね、栞ちゃん。」
「いえ、遥さんの担当ですので、お気になさらず。」
無表情のまま軽く会釈をして、栞はトレーニングルームから出て行った。
「これで、タオル問題はなんとかなりそうだね。」
((——うん。カットソーの袖で汗を拭う必要はなくなるね。))
「ふふっ」
「もう少しだけ、体動かして、終わりにしよっか。」
((——うん。))
スッと立ち上がり、サンドバッグの前へ。
視界の隅からゼニスが消え、人型の表示へと変化した。
人型にポインターが次々に表示され、表示に合わせて的確に蹴りを叩き込んでいく。
バスンッ、バンッ、ドカッ、と乾いた音が部屋にこだまする。
((——遥、もっと反応速度を上げていこう。))
「OK。」
ポインター表示の速度がアップし、それに呼応するように蹴りの速度も上げる。
((——反応速度は0.25秒と悪くない数値。))
「いい方ってこと?」
((——人間の反応速度は、0.2~0.3秒と言われているよ。
この数値に関しては、格闘技のプロだから速くなるわけではないんだ。))
「ふ~ん、でも、なにかが違うんでしょ?」
((——うん。反応してから攻撃までに無駄が無いって部分だよ。))
「なるほどね、的確に攻撃をだせるかってことだよね?」
((——その通りだよ、遥。))
「つまり、反応速度を上げるってことは、
瞬時に判断して的確な攻撃をしてねって意味ってことで合ってる?」
((——さすが、遥。物事の本質を正確に捉えているね。))
「えっへへ、それほどでも~。」
((——この調子で、遥の武器を磨き上げていこう。))
「わかった。」
そのあとも、ゼニスのポインターに素早く的確に蹴りを入れていく。
大粒の汗が流れ、カットソーはビシャビシャになっていた。
((——今日は、この辺で終わりにしようか。))
「はぁ、はぁ、はぁ......」
ゼニスに向かって、指でOKサイン。
ゼニスの表示がいつも通りに戻り、視界の隅でふわふわと浮いている。
((——お疲れ、遥。))
「ふぅ、はぁ、ふぅ......」
ゼニスに向かって、親指を立てた。
((——息を整えてから、部屋に戻ろう。))
軽く頷き、床にへたり込む。
しばらく休憩をして息を整え、トレーニングルームをあとにした。
部屋へと戻り、シャワーで汗を流す。
バスローブに袖を通し、ソファにドカッと腰を下ろした。
天井を見上げて、深く息をつく。
「なかなかハードだったね。」
((——うん。))
「でも、実践的でいいトレーニングだよね。」
((——うん。))
「トレーニングウェア買いにいかなきゃだね。」
((——そうだね。))
ソファから立ち上がり、デニムパンツを履きパーカーを羽織る。
USA-DE-PPONのバッグに財布と端末を入れ、部屋を出て外へと向かった。




