0084. 姫と武将のまちづくり会議
私の「令和式産業革命計画」は、少しずつ、しかし着実に安房の国に根付き始めていた。
衣・食の分野で順調な滑り出しを見せていることに私は満足していた。だが、人間にとって最も重要な生活基盤、「住」の改革はまだ手つかずのままだった。
快適で安全な住環境なくして、文化の発展も民の心の安定もあり得ない。そして何より、私の理想とする安全な「ひきこもりライフ」の実現は不可能だ。
その日、私は侍女のたきに叔父上である氏兼さんが進めている新しい門前町の設計図を持ってきてもらった。叔父上は里見家きっての猛将として知られるが、同時に領地経営にも長けた、父上が最も信頼を置く人物の一人だ。その彼が心血を注いでいるというのだから、期待は高まる。
しかし、広げられた大きな和紙に描かれた町の姿を見て私の表情は曇った。そこに描かれていたのは、碁盤の目のように整然としながらも、ただ家と道が機械的に並んでいるだけのありふれた町の姿だった。美しく区画整理はされている。だが、それだけだ。
(……これじゃ、ダメだ)
私は小さく首を振った。この設計には人の暮らしに対する想像力が欠けている。道は狭く、家屋は密集し、井戸と下水を捨てる場所の区別も曖昧だ。これでは一度、大火が起きれば業火は瞬く間に町を舐め尽くすだろう。
病が流行れば、汚染された水を通じてあっという間に広がり、逃げ場はなくなる。近くを流れる川の存在も考慮されていない。長雨が続けば、町は泥水に沈むだろう。
これでは民が安心して暮らせない。民が安心して暮らせなければ国の力は弱まる。そして、私の安寧も脅かされる。
「たき」
「はっ、姫様」
「叔父上……いえ、氏兼殿をお呼びください。『町の絵図について、急ぎ、ご相談したい儀がある』と。丁重に、けれど、可及的速やかに、と伝えて」
翌日の昼過ぎ。私の部屋には到底収まりきらない巨躯が鎮座していた。甲冑姿も猛々しい、叔父・氏兼その人だ。
普段使っている文机や調度品がまるでおままごとの道具のように小さく見える。彼は四歳の私を威圧せぬよう、身をかがめるようにして座っていたが、その存在感は隠しようもなかった。
「姫様。某に、火急のご相談と伺いましたが、一体いかなるご用件でしょうか」
野太いがどこか緊張をはらんだ声。私の神託の噂は叔父上の耳にも当然入っているのだろう。
「ええ。お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ありません。さ、まずはお茶を」
たきが淹れた茶を勧め、一拍置く。まずは落ち着いた雰囲気を作ることが肝心だ。叔父上は巨大な手で小さな湯呑を慎重につまむと、一口、茶をすすった。その仕草に彼の武将としての繊細な一面が垣間見える。
「単刀直入に申し上げます。あなたが今、作っている町は民を殺す町になるやもしれません」
私の衝撃的な言葉に、ピシリ、と空気が凍った。氏兼の眉が険しく動き、その眼光が鋭く私を射抜く。
「……と、申されますと? 某の絵図は京の都の造りを参考に防衛の観点からも熟慮を重ねたもの。手前味噌ながら、これ以上の町割りはございますまい」
彼の声には自らの仕事に対する誇りと、私の言葉への明確な不快感が滲んでいた。当然の反応だ。
「ええ、この整然とした区画割りは見事なもの。ですが叔父上。この絵図には、戦以外のもっと身近な脅威への備えがございません」
私はそう切り出すと、絵図を指し示した。
「火事、病、そして洪水。民の暮らしを日々脅かす、三つの災い。この絵図にはそれらへの備えがあまりに足りませぬ」
私は神託という体裁を使い、具体的な問題点を挙げていった。
「道が狭く家が密では、火は瞬く間に燃え広がります。井戸のすぐ近くで汚水を捨てれば、病は水を通じて民を蝕むでしょう。川の氾濫に備えた堤防や、町から水を逃すための水路も描かれておりませぬ」
「……むぅ」
叔父上は言葉を失い、絵図と私の顔を交互に見つめている。彼の頭の中では、武人としての経験と私の指摘する現実が激しくせめぎ合っているのだろう。
「私は神託にて、〝災いを防ぐ町〟の姿を授かりました。今日はその話をあなたとしたいのです」
「災いを、防ぐ町……」
呆然と呟く氏兼。しばらくの沈黙の後、彼は重々しく口を開いた。
「姫様のおっしゃることは、理解いたしました。某には、その〝災いを防ぐ町〟なるものの全容は分かりませぬが、姫様のお考えを伺い、それを実現するためにこの氏兼が動き回る、ということでよろしいですな?」
それは神託を持つ者への臣下としての実直な申し出だった。だが、それではダメなのだ。
「いいえ、それでは不十分です」
私は、きっぱりと首を振った。
「氏兼。私はまだ四歳の子供。神託の知識はあっても、この国の民がどのように暮らし、何を考え、何を恐れているのか、肌感覚では理解できておりませぬ。
この土地の風はどちらから吹き、川はどちらに荒れやすいのかも知りません。私の知識が天から授かった完璧な剣だとしても、それを振るう腕がなければ、ただの鉄の塊です」
私は一度言葉を切り、彼の目を真っ直ぐに見つめた。
「あなたの武将としてのこの地を知る者としての経験と知恵がどうしても必要なのです。私の知識とあなたの経験。その二つが合わさって初めて、〝災いを防ぐ町〟は形になるのです」
私の言葉に氏兼ははっと目を見開いた。その険しい表情が驚きにそして次第に歓喜に近いものへと変わっていく。
次の瞬間、彼はそれまでの固い表情を崩し、巨体に似合わぬ快活な声でにかりと笑った。
「……なるほど。そういうことでございましたか! いや、一本取られ申した! 神託をただ拝領するのではなく、某の知恵と合わせよ、と。姫様は、この氏兼を単なる手足ではなく、町の未来を共に作る相手として見てくださると!」
彼は、私の前に深々と頭を下げる。
「姫様の神託と某の経験。その二つを合わせれば、きっと日ノ本一の町が作れまするな! この氏兼、謹んでその大役お引き受けいたします!」
「頼もしい言葉、感謝します」
話がまとまったところで、私はたきに、新しい白紙の和紙と筆を持ってこさせた。
「では、始めましょうか、氏兼。まずは、この紙の上に私とあなたの〝理想の町〟を一緒に描いてみましょう」
私は、小さな手に筆を握りしめる。
「まず、町の中心を貫くこの道を、今の三倍の広さに。火事が起きても燃え移らぬ『火除け地』となり、民の避難路となります」
「なんと! しかしそれでは、屋敷を建てる土地が……」
「減った土地は、建物を二階建て、三階建てにすることで補います、寺社の三重塔五重塔のように。そのための建築法も、私の中にございます」
「なんと……!」
火事に強い、広い道。病を防ぐ、清潔な上水と下水を分けた水路。そして、民の笑顔が溢れる、賑やかな広場。
四歳の姫と百戦錬磨の武将。二人の奇妙な「まちづくり会議」は、こうして、夜が更けるのも忘れ、熱を帯びて続いていくのだった。




