0082. お庭で始める、土木工学入門
私の「令和式産業革命計画」は、農業改革や綿製品開発という形で、ゆっくりと、しかし確実に芽吹き始めていた。美味しいものを食べ、快適な寝具で眠る。そのための第一歩は、順調と言っていい。
そして今日、私は次なる一手――この国の経済の血流を創り出す「物流革命」のための、基礎研究に着手していた。
美味しいものがたくさん採れても、ふかふかの綿がたくさんできても、それを必要な場所に、必要な時に、効率よく運べなければ意味がないのだ。
研究場所は、お城の庭の片隅。父上が私のために特別に作らせてくれた、広々とした専用の「お砂場」だ。
「……うーん、やっぱり石畳は、手間がかかりすぎるわね」
私は二歳児の小さな指で、一つ一つ小石を丁寧に並べながら呟いた。私のそばでは、侍女のたきが「まあ、姫様は本日も真面目にお遊びになりますねえ」と微笑ましげに見守っているが、これは遊びではない。国の未来を左右する、真剣なシミュレーションである。
私の目的は、この戦国の世の、雨が降ればぬかるみ、乾けば土埃が舞う獣道を、令和レベルの快適な街道に変えることなのだ。
(アスファルトは論外。原油も精製技術もないわ。じゃあ、次善の策は……)
私は、脳内の知識を総動員する。
ヨーロッパの美しい街並みで見た石畳。見た目は良いけど、石を一つ一つ切り出して、平らに敷き詰めるなんて、コストと時間がかかりすぎる。雨の日に滑りやすいし、馬車の車輪も痛めそうだ。
では、木を敷き詰める木塊舗装はどうか。これも、すぐに腐るし、冬になれば薪として領民に盗まれておしまいだろう。
(となると、本命は……ローマンコンクリートか)
確か、火山灰と石灰、海水などを混ぜて作る、古代ローマの超技術。二千年経っても劣化が少ないというオーパーツだ。
(でも、この安房の国で、火山灰が手に入るかしら……。富士山まで行かないとダメ?)
私は試しに、庭の土と砂、そして砕いた貝殻(石灰の代わり)を水でこねて、ミニチュアのコンクリートを作ってみる。水の配合を変え、砂と土の比率を変え、藁を混ぜて強度を試す。しかし、出来上がるのは、固まる気配すらないただの泥団子だけだ。
「姫様、本日も元気にお団子作りでございますね。今度、きな粉をお持ちしましょうか」
たきの温かい声が、研究に没頭する私の心をえぐる。違う、そうじゃない。これはお団子じゃないの!
(ああ、もう! やることが、やることが多い!)
道路の舗装方法一つ決めるにも、資材調達という大きな壁が立ちはだかる。石灰だって、貝殻を焼くための大規模な窯が必要になる。これも、製鉄技術の研究と並行して進めないと。
そもそも、道を作るなら、どの場所に、どんな幅で、どう通すのか。未来にできる社の門前町の設計、川の治水、災害対策まで考えた、本格的な「都市計画」が必要じゃないか!
私は泥団子作りを中断し、砂の上に、社の周りに広がるであろう町の区画整理図を、木の枝で描き始めた。
「ここは商業区、こっちは住居区。火事の延焼を防ぐために、火除け地も必要ね。それから、川の氾濫に備えて堤防を築いて、井戸と排水路も計画的に配置しないと、疫病が流行ってしまうわ」
その時、また一つ、新たな、そして致命的な問題に気づく。
(……土を掘るのも、運ぶのも、平らにならすのも、全部手作業じゃ、いつまで経っても終わらない!)
ブルドーザーやロードローラーは望むべくもない。それは分かっている。せめて、効率的なスコップや鍬、そして土砂を運ぶための一輪車やリアカーといった、基本的な土木工具がなければ、私の壮大な計画は、領民たちをブラック労働地獄に突き落とすだけの絵に描いた餅だ。
今の鋤や鍬は、土を「掘る」のには良くても、「すくって運ぶ」のには向いていない。刃の部分が鉄で、柄が木でできた、軽くて丈夫なシャベルが必要だ。一輪車だって、車輪に鉄の輪をはめ、軸受けに油をさせば、もっとスムーズに、もっと重いものを運べるはず。
「……むぅ〜」
私は泥だらけの手で頭を抱えた。
「道路の舗装」「都市計画」「土木工具の開発」。
農業や綿の件で、すでに山ほどおねだりをしたばかりだというのに、またこんなに多くの無理難題を父上たちに突きつけなければならないのか。
しかも、今回は「神託で……」と言っても、あまりに話が具体的すぎる。綿の道具のように、一つの物ならまだしも、国のインフラ整備という壮大な計画だ。
(……さすがに、呆れられるかな。「また姫様の神託か…」って、家臣たちが陰で噂しているかもしれない。怒られるかも。父上も母上も、私のことを本当はただのわがままな子だと思っているんじゃ……)
初めて、私の壮大な計画に、本気の弱気が顔を出す。
もし、この話をして、父上たちの反応が芳しくなかったら……? 私の「神託」の神通力が、ここで尽きてしまったら?
その時は、仕方ない。まずは農業や綿で目に見える成果を出して、私の「神託」が里見家にとって有益であることを証明してから、再挑戦しよう。
でも、それでは時間がかかりすぎる。
(うじうじしてどうする、私!)
私は自分を奮い立たせる。
(失敗したっていいじゃない。まだ二歳児なんだから、『子供の戯言でした』で済ませられる! やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい!)
私は泥だらけの手を服で拭うと、決然と立ち上がった。
「たき、おへやにもどる。おふろにはいって、それから、ちちうえとははうえのところへ」
これから始まるのは、交渉という名の戦いだ。その前に、泥を落とし、身を清めなければ。
当たって砕けろ、だ。
私の「おねだり大作戦・第二幕」の幕が、今、上がろうとしていた。




