0080. 閑話・【船大工の棟梁】天鳥船神と我が魂
「恐れながら、申し上げます。殿、新しい船を造るとは何と仰せられますか。正直に申しまして、今までにない船を造る力量もそれを描くための絵図も我らにはございませぬ。こればかりは殿のご期待に沿うことは……」
「――待て、三郎」
おれの言葉を殿の静かだが有無を言わさぬ一言が遮った。
「無論、今のそなた達だけで新たな船が造れるとは、如何にわしとて思うてはおらん。そなた達の腕を疑うわけではないが、無茶を言うつもりはない。……これを見よ」
殿が小姓に合図をすると、四本の武骨な紙の筒がおれの前に恭しく置かれ、紙の筒が開かれた。
「なんと、四つも新たな船の絵図がすでにあるのでございますか。如何様にして、これほどの物を……。畿内や薩摩、琉球などに出向かれた際に、買い付けたのでございましょうか」
「ええぃ、うるさいのぉ。三郎も職人として相も変わらず詮索好きじゃな。この絵図は外から買い付けたものではないわ。出所は今は明かせぬ。よいから見るがいい。船大工であるそなたの目でこの中でどれなら造れるかをな」
外からの物ではない、と? この安房の国でわし以外にこれほどの船を考えられる大工などおらんはずだが……。
疑問は尽きぬが、目の前には職人の魂を揺さぶるであろう「絵図」がある。おれはごくりと唾を飲み込み、まず、〝梅〟と記された絵図を震える手で広げた。
殿は松竹梅の順で見てほしいのかもしれぬが、まずは確実に造れると言えるものを見つけ、殿を安堵させるのが筋だろう。
そこに描かれていたのは、安宅船。現在の主力である二形船の正当な発展形だ。船首の形状、肋材の間隔、そして何より堅牢さを増したであろう竜骨の太さ。それはわしが長年、頭の中で思い描いてきた「次なる船」の姿に酷似していた。
(……これならば!)
おれの強張っていた心が少しだけほぐれる。
(これならば、時間はかかるがこの三郎右衛門の手で必ずや形にできる! まるでわしの考えを写し取ったかのようだ)
安堵と共に次の絵図への期待が膨らむ。次に〝竹〟と記された二つの絵図を広げた。
(……何じゃ、これは)
見たこともない、複雑な帆の形。船体の構造も日ノ本のそれとは全く違う。一つは合の子船、もう一つは、じーべっく、と書いてある。竜骨の代わりに船体中央に巨大な梁を通す構造か。帆はまるで鳥の翼のように幾重にも分かれている。
分からぬ。分からぬが……その機能美はおれの職人としての心を強く、強く揺さぶった。
(……美しい。なんという無駄のない形じゃ……)
そして、最後に、〝松〟と記された絵図。
その瞬間、おれは言葉を失った。呼吸すら忘れた。
そこに描かれていたのは船ではなかった。もはや海に浮かぶ城だった。
何層にも重なる甲板、森のように林立する帆柱、そして、その船の横腹には見たこともない四角い蓋がずらりと並び、そこから覗く、無数の黒い筒。これは何の筒なのか。これほどの数の筒を積んでこの巨体は、本当に海に浮くというのか。
(……無理じゃ)
おれは己の未熟さを生まれて初めて心の底から思い知らされた。
(これは人の業ではない……。わしが一生をかけてもこの船の図面一枚、理解することすらできぬやもしれぬ)
だが、絶望の淵でおれはもう一つ全ての絵図に共通する重大な点に気づいていた。
そこに描かれている「帆」だ。
日ノ本の船が使う、硬い筵でもなく、荒い麻布でもない。それは見たこともないほど目が細かく、しなやかで、そして、雪のように真っ白な布で描かれていた。
(……この帆は、一体何でできておるのだ。これほどの帆ならば風を余すことなく捉え、船を鳥のように走らせることができよう。だが、このような布、見たこともない……)
おれは顔を上げた。絶望と興奮で声が震える。
「……殿。〝松〟の船は神の領域にございまする。今の我らでは手も足も出ませぬ。ですが……」
おれは決意を込めて続けた。
「〝梅〟の安宅船、そして、この〝竹〟の合の子船。この二艘の船体であれば、この絵図を描かれた御方に直接お話を伺う機会をいただけるのであれば! この三郎右衛門、身命に賭して、必ずや造り上げてご覧にいれまする!」
おれの言葉に殿は満足げに頷いた。
「おお、二艘もか! よう言うてくれた! 絵図を描いた者も一つでも形になれば、と申しておったわ!」
そのお言葉におれはさらに最大の懸念を口にした。
「しかし、殿。船体を造れたとて問題が一つ。どの絵図にも描かれております、あの白くしなやかな帆は、一体、いかなる布でお造りになるおつもりか。あればかりは、わしにはとんと見当もつきませぬ」
その問いに、殿は全てを見通していたかのようににやりと笑った。
「帆のことまで見抜くとは、さすがは三郎じゃ!」
そして、自信に満ちた顔で言った。
「――案ずるな。その〝帆〟の元となる、白く柔らかな〝綿〟は、今、別の者が西三河を探し回っておる。船が完成する頃には、必ずやそなたの元へ届こう」
「なっ……!」
なんと、そこまでお考えであったか!
「殿! どうか、その絵図を描かれた御方にお会わせくだされ! この絵図のこと、帆のこと、直接話をお伺いしたい!」
すると、殿は少しだけ困ったような顔をした。
「……うむ。それがな、三郎。今はちと難しいのじゃ。だが、いずれ必ずそなた達と話ができるよう、手筈を整えよう。それまでこの絵図をよく読み込んでおけ」
絵図の作者には会えぬ……? 何か特別なご事情でもあるのか。
おれは礼を述べ、〝松〟〝竹〟と〝梅〟、四本の絵図を震える手で、しかし、宝物を抱くように大切に、大切に抱きかかえた。
広間を辞し、自らの仕事場へ戻る道中、おれの頭は興奮で沸騰しそうだった。
(……このような絵図を描ける者。ただの人間であるはずがない)
ならば、答えは一つ。
(――天鳥船神)
古事記に記されし、船造りの祖神。その神の寵愛を受け、その知恵を授かった神の使い。
この安房の国にそのような御方がおられたとは。
「ふ、ふふ……ふはははは!」
おれの口から抑えきれぬ笑いがこみ上げてきた。
平砂浦の若造どもにはすまぬが、この仕事ばかりは誰にも譲れぬ。
このおれが陣頭指揮を執り、神の船をこの手で造り上げてくれるわ!
この年になって、これほどの魂が震えるような仕事に出会えるとは。
おれは天鳥船神に、そして、我が主君に心の底から感謝した。
布良の湊に帰り着く頃には、わしの頭の中は新しい船のことでもう一杯になっていた。




