0079. 閑話・【船大工の棟梁】潮風と殿の気まぐれ
わしの仕事場は、いつも潮の香りと木を打つ音に満ちておる。
安房の国、布良の湊。ここで、わしは布良三郎右衛門として、親父からそのまた親父から代々、安房の主の船を造ってきた。この手に馴染んだ鑿や鉋はもはやわしの体の一部じゃ。
木材の木目に指を滑らせれば、その木の育った方角や潮風に耐える強さが手に取るようにわかる。それがわしの誇りだった。
「――棟梁! こちらの船釘が、もうなくなりやすぜ!」
「わかっとる! 鍛冶屋に催促はしておるが、あちらも、平砂浦の普請に駆り出されて、てんてこ舞いらしいわい!」
わしは怒鳴り返しながら、大きくため息をついた。
平砂浦。なんでも、殿が目出度い御神託を授かったとかでこの安房の国の守護を祈願して、途方もない社と門前町を造るのだという。神仏へのご信心も結構だが、その途方もない大普請のせいで、この布良の湊からも腕利きの若い衆が何人も引き抜かれていった。
おかげで水軍からの矢のような催促にも思うように応えられぬ日々が続いておる。
水軍の連中も最近はいつもの三浦や下田、大島以外にも、紀州やさらに西へも足を延ばしておるらしい。戦や小競り合いは減ったと聞くが遠征が増えれば、船は傷む。人手と船が足りぬと水軍の大将がわしの仕事場に怒鳴り込んでくるのも日常茶飯事じゃった。
そんな折だった。
「――殿がお呼びである」
城からの使者の言葉に、わしは我が耳を疑った。
殿がこのわしを直々に? 船大工の棟梁に過ぎぬ、このわしを? いったい、何をしでかしたというのか。見当もつかぬ。
稲村の館へ向かう道すがら、件の平砂浦の普請場を横切る。氏兼殿が差配しておるというが壮大ではあるものの、どうにも奇妙な普請じゃ。生活ができるだけの家は建っておるが社はまだまだこれから。
畑や田んぼが少しずつ整えられておる横で、村の周りには城を囲むでもないのに、深い堀が掘られている。あの角度、あの深さ、一体何から身を守るためのものか。船大工であるわしの目から見てもその意図がとんと分かりかねる。
館に到着すると、驚いたことに殿はもう広間でお待ちであった。一介の船大工をここまで丁重に扱われるとは。ますます胸騒ぎがする。
「布良三郎右衛門、参上いたしました。お待たせして申し訳ございませぬ」
「うむ、三郎、よう来たな。わざわざ布良からご苦労であった。待ってはおったが、別の者と話をしておったので、気にすることではないぞ。
それはそうと来る途中、平砂浦を通ったであろう。船大工である、そなたの目から見て、あの普請はどう映る」
突然の問いに、わしは正直に答えるしかなかった。
「はっ。……壮大ではございますが、実のところ、あの堀の掘り方など、わしにはその意図がとんと分かりかねます。氏兼様は、一体どのような町をお造りになるおつもりか……」
「そうか。そなたにも分からぬか。……それは良かった」
殿はなぜか満足げに微笑んだ。
「あれはな、まだ社と町作りを始めて二年ほど。氏兼からも、数年で終わる事はないと聞いておる。まだまだこれから、人が集まってくる町となるであろうよ」
何と数年で終わらぬ町づくり。京の都でも作るおつもりか。そうなれば、平砂浦に取られた弟子たちが戻ってくるのは諦めるしかない。それにしても琴様がお生まれになってから、殿も里見家も随分と変わられた。
以前ほど好んで戦をしなくなった。その代わり、銭や商いに妙に力を入れ始めておる。その変化がわしのような職人にとって、吉と出るか、凶と出るか……。
「さて、三郎。今日、そなたを呼んだのはこのような話をするためではない。船の話じゃ」
やはり催促か。わしは身構えた。
「今、我が水軍は知っておると思うが色々と動き回っておるため、船も人も足りてない。今は二形船と小早船を造っておると思うがそうであるか」
「はい、その通りです。ですが、人手を取られ、これ以上早くは造れませぬ」
「そうであろうな。それでまずは、小早船はもう造らなくてよい。今後も足を延ばすゆえ、より大きな二形船の建造に集中させよ」
「はっ。承知いたしました」
そこまでは分かる。理に適ったお指図だ。だが、続く言葉はわしの常識を遥かに超えていた。
「――そして、それと並行して、今までにない、全く新しい船をそなたに造ってもらいたい」
「…………は?」
新しい船?
わしは、我が一族が何代にもわたって、この安房の荒波と格闘し、改良に改良を重ねて、ようやく今の二形船の形にたどり着いたのだ。
船底の竜骨の僅かな反り、帆の張り方一つで船の速さも乗り心地もまるで変わってしまう。それをこの御方は、まるで新しい箸でも誂えるかのように軽々しく……。
(……殿は、分かっておられぬ)
船を造るということが、どれほどの知恵と技と、そして、歳月を要するものであるか。これはただの気まぐれ。あるいは、どこぞの誰かの甘いささやきに乗せられただけじゃろう。
だが、わしは船大工じゃ。船に乗る者たちの命を預かる船を造る。できぬものを「できまする」と安請け合いし、海の藻屑となるような代物を造ることは断じてできぬ。
おれは覚悟を決めた。
主君の言葉に「否」と答える。それはこの首が飛ぶやもしれぬ、大罪。里見家への不忠と見なされれば、一族郎党、路頭に迷うことになる。
だが、安易な返事でこの布良の名を先祖代々受け継いできた船大工としての魂を汚すわけにはいかぬ。
「……殿」
おれは下げていた頭をゆっくりと上げた。殿の真っ直ぐな視線と我が視線がぶつかる。
「恐れながら、申し上げます。……」




