0076. 閑話・【光賀】土の納品と新たなる道
「――里見様、ご依頼いただきました土などの買い付けでございますが、三宅殿にご助力いただき、火山灰、火山岩、石灰岩、まずはそれぞれ船一艘分を買い付けてまいりました。
一月半から二月ほどで、紀州御坊に運び入れてもらう手筈、整いましてございます。つきましては、御坊より、この安房への輸送に里見水軍のお力をお借りできないかと、ご相談にまいりました」
安房に戻ったわしは早速、里見様に謁見し、西国での交渉結果を報告した。我ながら、見事な差配であったと自負している。不可能に思えた「土集め」という奇妙な商いに確かな道筋をつけたのだから。
「さすがは、光賀じゃの、無事に買い付けてまいるとは。見事な働きよ」
殿は満足げに頷いた。だが、その目はどこか遠くを見ている。
「水軍を貸し出すのは問題無い。だが、仁右衛門。毎回毎回、我が水軍を動かすのは戦支度を考えれば、得策ではない。それにそなたは今までのような遠方での買い付けの商いができなくなるのではないか。それでは、かえってそなたの不利になるであろう」
「はっ……」
「今後の商いを考えれば、そなたもそろそろ、この安房か、あるいはどこぞの地に拠点を構えるのはいかがじゃ。商いの大きさに見合うだけ、そなた自身も大きくなるべき時ではないか?
それに自前の船を持つのもよいであろう。すぐにとは言わぬが、我が水軍の船をそなたに下売りしてもよいと考えておる」
ありがたいお言葉だ。だが、一介の連雀商人に過ぎぬわしにはあまりに分不相応。
「ありがたきお言葉、身に余る光栄にございまする。とはいえ、里見様のお話の通り、まだ店を構えておらぬ身でありますので、船だけ持つのもおかしな事でございまする。三宅殿にもそろそろ店を構えてはどうかと勧められておりますので、真剣に考えたいとは思いまするが……店を回すための手代や丁稚もおりませぬゆえ、まずは実家に相談してからにはなりますが」
わしがそう言って、この場を収めようとした時だった。殿は静かに、しかし、有無を言わさぬ力強さでわしの言葉を遮った。
「うむ。そなたが店を構えることを考えておることが分かっただけでも十分じゃ。……そなたが店を構えるのであれば、頼みたいことがあったのだがな。いや、仁右衛門。わしはただ西国から物を買うて満足するつもりはない」
殿の纏う空気が変わった。静かな、しかし、とてつもない熱を込めて彼は続けた。
「――この里見家が自ら商いに乗り出そうと思うておる。日ノ本を股にかける新たな〝商家〟をこの安房の地に設立する」
「なっ……!」
わしは言葉を失った。
武家が、ら、商家を?聞いたことがない。堺の会合衆ならいざ知らず、坂東の武家がだ。常軌を逸している。
わしが驚きのあまり呆然としていると、殿はさらに信じられぬ言葉を続けた。
「その新たな商家の本店は、我らが新たに建立する〝大聖宮〟の門前町に構える。そして、仁右衛門……そなたにその店の采配を一切、任せたい。初代〝番頭〟に就いてもらいたいのだ」
「……ばん、とう……。わしがでございますか」
番頭。つまり、わしは店の全てを任されるがその更に上に、誰かこの商家を統括する「主」がおられる、ということか。
「左様。そなたは、番頭として、西国との商いの全てを取り仕切れ。そなたが報告を上げるべき相手はただ一人。その大聖宮と神領の全てを差配する男……宮司の堀内氏兼じゃ」
「……氏兼様がでございますか」
なんと奇妙な。あの武骨な武人である氏兼様が商いの上役に?
いや、違う。宮司とは、神領の統治者。その地の商いを宮司が監督するのは筋が通っている。
だが、その更に上にいるこの商家の真の〝主〟は……。わしの脳裏に、あの幼き姫君の全てを見透かすような瞳が浮かんだ。
「さらに、船も用意させよう。我が水軍も今、新たな船を建造中での。古くなった船をその商家に負担が少なくなるような方法で格安で払い下げる。それをそなたの商いの元手とするが良い。この話は真であるぞ」
あまりに破格の、そして、あまりに突飛な申し出。
わしは、ただ、口をぱくぱくとさせるばかりで、何も言うことができなかった。
「……あ、ありがたき、お言葉にございまする。ですが、先ほども申しました通り、わしには店を回すための手代も丁稚もおりませぬ。まずは実家と相談の上で……」
声を発するのがやっとだった。
わしはこの御方が描く、途方もない未来図のその中心に自分が組み込まれようとしていることを肌で感じていた。
――三ヶ月後
御坊から運ばれた三艘分の土は無事に里見様に納品された。
そして今日、わしは再び殿の前に呼び出されていた。あの謁見から三ヶ月、わしはあの「番頭」の話を誰にもできぬまま、一人で抱え込み、考え続けていた。
「仁右衛門、また呼び出してすまぬの。先日届けられた土じゃが、確認してもらい、〝申し分なし〟との報せじゃった」
「はっ、それは、ようございました」
「うむ。ついては、追加の発注じゃ。あの土であれば量はいくらあっても良いそうなのでな。二艘、三艘分と言わず、〝運べるだけ、運んでほしい〟とのことじゃ」
(……運べるだけ!?)
一体、どれだけのことをなさるおつもりなのか。この御方の考えることは、いつもわしの想像の遥か上を行く。
さらに殿は、もう一つの新たな商いの話を切り出した。
「それともう一つ。いずれ、この安房から西国へ売り出すための、新たな〝産物〟が生まれる。今、売れるものを考えてもらっておる段階じゃがな。その商いも、この間の話を受けるのであれば、番頭である、そなたに任せたい。でき次第、西国で売れるか試してほしいのじゃが、よいかの」
「まだ番頭のお話を受けることができるか、わかりませぬが、商いであれば もちろんでございます! 安房の産物があれば、行きの船が空になることもなく、行きと帰り両方で商いが出来まする! これ以上のことはございません!」
わしは興奮を隠せなかった。商人として、これほど胸躍る話はない。
だが謁見を終え、城を辞したわしの胸には一つの大きな疑問が渦巻いていた。
(……安房の新たな産物?)
わしはここ何年も安房の隅々まで商いをして回った。だが、西国の大店を唸らせるような、そんな特別な産物が作られている気配など、どこにもなかった。
一体どこで誰が、そんなものを……。
そして、その全てを取り仕切る商家の真の〝主〟は。
分からぬ。分からぬが、一つだけ、確かなことがある。
この秘密の商いを、里見様はこのわしにだけに任せようとしておいでだ。
(……これは、わしだけの商いの種じゃ。だが、商家をどうするか、それは悩ましいのぉ)
父上にも、安房や津島の仲間にもまだ話すわけにはいかぬ。この巨大な商いの全貌が明らかになるまで、この話はわしの胸一つに収めておくべきだ。
わしは新たな野心の炎が胸の奥で静かに、しかし、熱く燃え上がるのを感じていた。一介の連雀商人で終わるつもりはない。この底の知れぬ里見様の下で、日ノ本を揺るがす大商人になってみせる。
そのための最初の一歩は、まず、わしの「店」を持つこと。そして、それを動かす手代と丁稚を育て上げることだ。
わしの長い旅は、一つの終わりを告げ、そして、新たな始まりを迎えようとしていた。




