0073. 閑話・【光賀】里見様の次なる一手は「土」
琉球からの長い旅路を終え、安房の土を踏んでから、早くも二月が過ぎた。甲斐での人買いに始まり、南海の果てでの奇妙な野菜や獣の買い付け。我が商人人生でこれほど濃密で不可解で、そして実りの大きな商いはなかった。
おかげで新たな人脈もでき、未知の商いの種も手に入った。この先のことを思えば、まさに値千金、大きな利を得たと言えよう。だが、正直に言えば心身ともに疲れ果てていた。
だからこそ、この二月は己を癒すためにあった。稲村の湊を拠点に安房の近隣を巡り、塩や干物をさばく。商人になりたての頃から慣れ親しんだ、地道で穏やかな商い。儲けは小さいが、人々の顔が見え、日々の手応えが確かに感じられる。
ようやく平穏な日々に……。そう思っていた矢先のことだった。
「――殿がお呼びである」
稲村の宿に戻ったわしを待っていたのは、里見家からの使者だった。
(……来たか)
この呼び出しがわしのささやかな平穏の終わりを告げるものであることを予感していた。これはまた難儀なことになりそうだ。人に動物に植物と商いをしてきたが、次は何を求められることやら。断れぬと分かっているだけに自然とため息が漏れ、足取りが重くなる。
重い足取りでわしは城へと向かう。
(……此度も御方様と姫君はご同席されるのだろうか)
歩きながら、わしはあの奇妙な謁見のことを思い出していた。
重要な商談の場に奥方様が静かに座しておられる。おそらく、あの御方こそが里見家の真の采配を振るっておられるのだろう。そして、その膝の上には全てを見透かすような瞳をした、幼き姫君が……。あの御方様に関わりのある誰かからのご指示なのであろうか。
(……まあ、よい)
もはや、その異様な光景にも慣れてしまった自分がいる。里見家は他の武家とは違う。わしは商人。里見様の流儀に合わせるまでよ。
広間に通されると、やはり、上座には里見様とその傍らに奥方様が静かに座しておられた。
「光賀仁右衛門、罷り越しました」
「仁右衛門、よう来たな。いつも無理難題を頼み申し訳ないの。先日の商いは実に見事であった」
「はっ、ありがたきお言葉にございます」
殿は満足げに頷くとすっと真剣な眼差しになり、わしを見据えた。
「さて、仁右衛門。そなたに次の商いを頼みたい。此度の商いは、この安房の国の未来の礎そのものとなる重要な役目じゃ」
(……礎?)
またとんでもなく大きな話になってきた。武家の言う「礎」ほどあてにならぬものはない。だが、この里見様に限っては、本気でそう考えておいでなのだろう。
「そなたに集めてほしいのは………〝土〟じゃ」
「…………はい?」
思わず間抜けな声が出た。今、この御方は何と仰せられたか。つち? ど、と書いて、土? あの地面にある土のことか?
「里見様、恐れながら……土、と申されますと」
「うむ。この坂東にはない、特別な土や石が西国にはあると、我が〝耳〟が報せてきてな。それを安房まで運んでほしいのじゃ。なに、定期的に集めて運んでくれればよい」
里見様はわしに一通の書状を差し出した。かなり変わった土をご所望、ということか。一体どこでそのような話を聞いて来られるのか、下手に藪をつつかぬ方が身のためだろう。
「そなたは、先の旅で薩摩の坊津や備中の商人と良き縁ができたと聞いておる。この書状にある品々は、まさしく、その地で手に入るはず」
わしは恐る恐る書状に目を通した。
そこに書かれていたのはわしの理解を完全に超えた奇妙な目録だった。
【買い付け品目録】
一、薩摩・向島(桜島)の火山灰と火山岩
一、備中・新見の石灰岩
一、美作・真庭の……
「まずはそれぞれ船一艘分ほど。よしなに頼む!」
(……ふ、船一艘分!?)
わしは耳を疑った。灰や石を船一杯にだと? 正気か?
米や塩なら分かる。だが、ただの土や石をそれほどの量……。一体、この安房に山でも築くおつもりか。火山灰など一体何にお使いになるというのだ。
そもそも、どうやって集める。薩摩の向島といえば島津様の御領地。その火山灰を勝手に掘り出すわけにはいくまい。島津様の許しがいる。備中の石切り場も地元の許しがなければ、石ころ一つ持ち出せぬ。人夫も荷馬車も膨大な数が必要になるではないか。
(……いや、待てよ。里見様は縁があるとおっしゃった)
途方に暮れるわしの脳裏にあの豪放な男の顔が浮かんだ。
(備中……。石灰岩は備中新見。あそこは三宅殿の庭のようなもの。彼に相談すれば、石切り場の手配も人夫の工面も道が開けるやもしれぬ。薩摩の島津様への取次も西国に顔が利く彼ならば……)
わしは頭の中の混乱を商人としての算段で無理やりねじ伏せた。岩や土は動物や植物と違って、死んだり腐ったりせぬ分、扱いは楽かもしれぬ。
それに定期的に欲しいとなれば、わしの利にもなる。どうせ琉球での買い付けや三宅殿からの人買いの仕事もあるのだ。船の空き間にでも積めば、そこまでの損はせぬやもしれぬ。
「……承知いたしました。船一艘分とは、また壮大な……。西国の三宅殿とも相談の上で、必ずや手配してご覧にいれまする」
「おお、そうか! 引き受けてくれるか!」
「はっ。ただ、土や石の商いは初めてにて。値の付け方も分かりませぬゆえ、多少の不手際はご容赦いただきたく存じます」
「構わぬ、構わぬ! よしなに頼む!」
わしは深々と頭を下げた。
もはやこの御方が何を考えているのか、その底知れぬ思考を理解しようとするのはやめた。
わしは商人。
里見様が「土を運べ」と仰せなら、山をも動かして土を運ぶ。
そして、その対価としてきっちりと銭をいただく。
それがわしの仕事だ。
「それでは早速、支度に取り掛かりまする」
わしは、奇妙な品々が書き連ねられた紙を懐にしまった。
また長い旅が始まる。だが、不思議と最初の時のような気鬱はなかった。あの頃の先の見えぬ不安と重圧は今はもうない。
むしろ、この底の知れぬ里見様が次にどんな「無理難題」を吹っかけてくるのか、少しだけ楽しみにしている自分がいることに、わしは気づいていた。
普通の商いでは、もはやこの心の渇きは癒せぬのかもしれぬ。あの里見様が創ろうとしているものの果てをこの目で見届けたい。そんな途方もない好奇心が、商人としての本能を凌駕しつつあった。




