0068. 世界を視て君との違いを知る
いつものように侍女たちが目覚めるより半刻(一時間)ほど早く、私は目を覚ました。今日の早朝訓練は、昨日までとは全く違う、特別な意味を持つ。これはただのスキル練習じゃない。花梨ちゃんをこの世界に、私たちの家族として、完全に繋ぎ止めるための最初の儀式だ。
私はまだ陽炎のように揺らめいている花梨ちゃんをそっと顕現させると、隣ですでに起きていた狐火ちゃんに心の中で語りかけた。
(狐火ちゃん、今日は君の力を貸してほしいの)
私の想いに応えるように、狐火は「任せて!」とでも言うように、九本の尻尾を誇らしげに揺らした。
私は二人に見守られながら、意識を集中させた。
「――【魔眼】、起動」
その瞬間、私の目に映る世界が一変した。視界の端から徐々に色彩が褪せていき、代わりに世界の輪郭が淡い光の線として浮かび上がる。現実の物質的な情報がノイズのように後退し、世界の根源的なエネルギーの流れ――魔素のきらめきだけが、絶対的な情報としてクリアに見えてくる。
空気中に漂う無属性の白い粒子、大地からゆっくりと立ち上る土属性の茶色い粒子、庭の木々や草花から生命力として発せられる木属性の緑の粒子。それらが混じり合い、キラキラと輝く光の川となって、部屋の中を緩やかに流れていた。
(また見てもすごい……これが、世界の本当の姿)
そして、意識を二人の相棒へと向ける。
常時顕現している狐火ちゃんは、その体自体が周囲の魔素と緩やかに同化しているように見える。狐火ちゃんの魂が、この世界の魔素循環システムに完全にプラグインされ、その存在そのものが魔素を集める一種の「核」として機能しているようだ。狐火ちゃんが静かに呼吸をするたび、様々な色の光の粒子が分け隔てなくその身に出入りしていた。
一方、花梨ちゃんは違う。花梨ちゃんの体を構成しているのは、私から伸びる臍の緒のような魔素の供給路だけ。花梨ちゃんは、この豊穣な光の川から完全に孤立している。まるで、分厚いガラスケースの中にいるみたいだ。周りにはご馳走(魔素)がたくさんあるのに、それを食べることができない。
私からのパスだけが、この世界に繋ぎ止める唯一のライフライン……。その不安定さが、私の胸を締め付けた。
(よし、ここからが本番だ)
私は二人に心の中で呼びかけた。
「狐火ちゃん、花梨ちゃん、お願い。少しだけ、君たちのスキルを使ってみてくれる? 狐火ちゃんは、いつものすごいやつ、みせて。花梨ちゃんは、あのお庭の桜の若木を、元気にしてあげて」
《琴ちゃんのおねがい! まかせて!》
狐火ちゃんは、私の頼みに胸を張った。格好いいところを見せるチャンスだ。その身に炎を纏うと危ないので空中に小さな炎の壁――【焔壁】を美しく揺らめかせた。彼の体内から溢れ出した高密度の赤い魔素粒子が美しい炎の形に編み上げられていく。
《わたしも、がんばる》
花梨ちゃんも私の期待に応えようと、庭の小さな若木に向かって、その身から優しい緑の光――【新緑の宴】を放った。彼女から放たれた緑の光が若木に吸収され、その生命力が活性化していくのが、魔眼を通してはっきりと見えた。若木が嬉しそうに葉を揺らす。
二人がスキルを使った瞬間、魔眼に映る光景は劇的に変化した。
狐火ちゃんの体から消費された魔素が、燃えるような赤い光となって溢れ出る。だが、それと同時に、狐火ちゃんの体の表面にいくつもの小さな渦が生まれ、周囲のキラキラとした光の粒子を、まるで高性能な掃除機のように、凄まじい勢いで吸い込み始めたのだ!
特に彼の属性である赤い粒子を優先的に、しかし他の色の粒子も分け隔てなく取り込んでいる。
それは、まるで彼の全身が魔素を吸い込む「口」になったかのようだった。
対して、花梨ちゃんは……。
花梨ちゃんの体からは、スキルを使った分の緑の光がごそっと失われ、陽炎のようなその姿がさらに透き通っていく。見ているこちらがヒヤリとするほどに。だが、周囲の豊かな光の粒子は、彼女の体をただ素通りしていくだけ。失われた魔素は、私からの供給路を通じて、ゆっくりと点滴のように補充されるのを待つしかない。
「…………そうか」
私は全てを理解した。
狐火ちゃんは全身で魔素を〝皮膚呼吸〟している。いや、もっと根源的だ。狐火ちゃんの魂そのものが、この世界の魔素とダイレクトに繋がり、エネルギーを交換している。
でも、私と、そして私を介して顕現している花梨ちゃんは、口や鼻から普通の呼吸と一緒にごく僅かな魔素を取り込むことしかできていない。
この差が、〝常時顕現〟と〝一時顕現〟の、決定的で、絶望的な違い。
謎は、解けた。
だが同時に新たな、そしてより困難で、途方もない問いが私の前に立ちはだかる。
(……どうすれば、魔素の〝皮膚呼吸〟なんて、できるようになるの?)
気功? 練功? それとも、漫画みたいな覚醒イベント? 神々の説明書にも、そんなファンタジーな修行法は載っていなかった! これは…人間と幻獣という、種族レベルでの根本的な違いじゃないか……!
一度はそのあまりに高い壁に不可能だと絶望しかけた。
しかし、私はスキルを使い終えて、少し疲れた様子でこちらを見ている二人の姿を見た。
狐火ちゃんは「どう?すごいでしょ!」と誇らしげに胸を張り、花梨ちゃんは「うまくできたかな?」と不安げに私を見上げている。
私はその愛しい二人の頭をそっと撫でた(もちろん、二人とも、まだすり抜けてしまうけれど)。
(諦めるわけには、いかない)
ヒントがないなら、私が最初のヒントになる。私が実験台になって、皮膚呼吸のメカニズムを解明して、それを花梨ちゃんに教えてあげる!
「二人とも、ありがとう。おかげで、道が見えたよ」
それはまたしても、地道なトライ&エラーの始まり。とてつもなく長くて、険しい道かもしれない。
でも、今度はもう闇雲に探す必要はない。目指すべきゴールは、はっきりと鮮やかに見えているのだから。




