92話
第四章 《再会と蜜の祭り》
ある建物の一室。
掃除は行き届き、机や椅子もきちんと揃えられているものの、磨かれた床の下には古い傷跡がのぞき、壁を飾る布の色合いもどこか揃わない。
整えられているのに、どこかちぐはぐな印象が残る。そんな部屋に、私達はいた。
「お元気そうで何よりでございます、アレン殿下」
ノアは静かに歩み出ると、深々と頭を垂れた。その所作はいつも通り端正で、場の空気まで引き締める。
「ノアも変わらず息災のようで安心しました。貴方がいることに心から安堵しています。頼りにしていますよ」
「勿体なきお言葉です」
皇族としてのアレンに、隙なく礼を尽くすノア。
その静かな緊張を――アイノウが軽々と吹き飛ばした。
「アレンー! ひっさしぶりー! ねぇねぇ元気してた? ちゃんとご飯食べてる? こわーい女王蜂にガブッて噛まれたり、毒針ぷすって刺されたりしてないよね? 僕、すっごーく心配してたんだよ!」
勢いよく背後から飛びつき、腕を絡める。
アレンは露骨に眉をひそめると、ぐいっとその腕を押し退けた。
「離れてください。暑苦しい」
「ええー? 久しぶりなんだから、ちょっとくらい良いじゃん! 子供の可愛い触れ合いだよ? 癒されるでしょー!」
アイノウは全く悪びれず、むしろ嬉しそうに笑っている。
ノアはそんな彼を横目に、静かにため息を落とした。
「アイノウ。殿下に無礼です」
「だってアレンだよ? 無礼とか関係ないでしょ!」
「関係大ありです。ハルトも、黙っていないできちんと挨拶してください」
蚊帳の外のように窓の外へ視線を投げていたハルトに注意するが、彼はちらりと視線を向けただけで、特に動く気配もない。
「相変わらず苦労していますね、ノア」
「分かっていただけますか?」
軽く肩を落とすノアの横で、アイノウとハルトは相変わらず好き勝手に振る舞っている。
その三人のやり取りを眺めながら、アレンは小さく息を漏らした。その吐息には呆れと、どこか懐かしさが滲んでいた。
「……皆さんは、顔見知りなんですか?」
気付けば、疑問がそのまま口をついて出ていた。
確かにアイノウとは、私とアレンは学生時代に会ったことがある。けれど、それだけじゃない。もっとずっと深い関係のような気がする。
「そうですね。アレン殿下は皇族でいらっしゃいますし、第二部隊の隊長です。これまでにも、ご挨拶の機会は何度かありました」
「僕は小さい頃からアレンのこと知ってるよー!」
アイノウは胸を張り、まるで自慢でもするように言った。
「アレンってほんっと酷いんだよ? 学生の頃に会った時なんて、『知らないフリしてろ』って言うんだ! 酷いよね!」
「貴方と知り合いだと思われるのが面倒だったので」
アレンは悪びれる様子もなく、あっさりと言い放った。
ちなみに、ここは王国が私達のために用意した拠点だ。
アレンはこれまで通り内層にある女王の塔に滞在しているが、私達第0部隊には中層の市民区にある、長らく空き家だった建物が「客人館」として与えられた。
もっとも、客人館といっても名ばかり。そもそも他国を招き入れる習慣のないこの国に、正式な迎賓施設など存在しない。急場しのぎでそれらしい名を付けただけの、臨時の滞在場所に過ぎないのだろう。
「王国の異能【犠蜂の盾】ですが、ここ数年で花園の花が枯れ始め、遂には数ヶ月前、結界に綻びが生じたそうです」
テーブルを挟んで向き合いながら、アレンが王国内で得た情報を語り始める。
結界の弱体化については会談の時にちらりと聞いていたけれど……これが事実なら、王国の根幹が揺らぐ事態だ。
「原因は分からないんですか?」
「少なくとも、アピア王女は把握していないようでしたね」
アレンは、その時の光景を思い返すように、わずかに視線を落とす。
そして淡々と、だがはっきりと言葉を続けた。
「ですから第0部隊には、花が枯れる要因――そして、その解決策まで見つけ出していただきたいと思っています」
にこやかな笑みを浮かべたまま、あっさりと言い切る。まるで簡単な頼み事のようだけれど……それって、相当厄介な話だよね?
思わず言葉を失っていると、ノアも同じ結論に至ったらしく、深くため息を吐いた。
「アレン殿下は、第0部隊を便利屋か何かだと思っていらっしゃるのですか?」
「まさか。信頼しているんです」
即座に返された声には、冗談めいた色は一切ない。本気の響きだった。
「希少な他国の異能に触れる良いチャンスです。第0部隊の働き、期待していますよ」
「まっかせてー! 僕達にかかればおちゃのこさいさいだよ!」
重たい案件に頭を抱えている私達とは対照的に、アイノウはまるで自ら志願するかのように明るい笑顔で手を上げた。
「……異能……やる」
その隣で、ハルトも小さく手を上げる。
「……はぁ。仕方ありませんね」
ノアも、諦めを滲ませながらこめかみを押さえて同意した。
「リネットも異論はありませんね? それとも、帰りますか?」
「……帰りません。絶対に」
「では、決まりですね」
アレンは腕を組んだまま、落ち着き払った表情で場を締めくくった。
私が帰らないと分かっていて、あえてあんなことを聞くなんて……。
その意地の悪さに胸の奥で小さく火が弾ける。思わず言い返しかけたが、私は一度息を吐き、言葉を飲み込んだ。




