91話
◇
「遠方より遥々ご苦労様でした。心よりお待ち申し上げておりましたよ――第0部隊の皆様」
巣の女王蜂を思わせる威厳をまとい、女王陛下は王座から静かに私達を見下ろした。
その口元には柔らかな笑みが浮かんでいるものの、纏う空気にはどこか油断ならぬ気配が潜んでいる。
女王の両脇には、この国の王子ザイレクと王女アピアが控えていた。
――本来なら国境付近で会談するはずだったのに、どうして王国に招かれて、しかも女王陛下と直接対話することになったんだろう……。
蜜の流出については、あれほど強く否定していたのに。
会談が始まる直前、女王の使いが突然現れ「直接お話を伺いたい」と告げられた。その一言で予定は覆され、私達は急遽、この場へと招かれたのだ。
「こちらこそヴァルディア女王陛下に拝謁の機会を賜り、光栄に存じます」
ノアの声が、静まり返った女王の間に澄んで響く。
私達は揃って膝をつき、深くこうべを垂れた。
「さて、早速ですが、蜜の件について詳しく話を聞かせてくださいませ」
「母上! こんな奴等の話を聞く必要はありません!」
「ざ、ザイレク王子……!」
横から叫ぶように割り込んできたザイレク王子の声が、場の空気を乱す。
この国の宰相コクシエル様が慌てて王子を宥めている様子を見る限り、彼が相当な問題児であることは一目で分かった。
「お黙りなさい」
ぴしゃりと、陛下の冷酷な声がこの場に落ちる。
「この者達を呼び寄せ、直々に話を聞くとわたくしが決めたのです。それに異を唱えるつもりか?」
「い、いえ……そんなつもりは……」
女王の威厳に、王子は先程までの勢いを失って口をつぐんだ。
陛下はそんな王子を一瞥すると、まるで最初から騒ぎなど存在しなかったかのように、再び私達へと視線を戻した。
「失礼しました。どうぞ」
「書簡でもお伝えした通りです。我が国の異能が、犯罪組織ブライ商会によって略奪されました。その調査の過程で、ヴァルドール王国に由来のある蜜が発見されたのです。もしブライ商会が王国の関係者であれば、それは王国自らが略奪に加担していることになり、看過できません。また無関係であったとしても、重要資源である蜜が流出している事実は王国にとって大きな損失となり得るでしょう。ゆえに、我々は速やかに報告を行った次第です」
ノアの声は落ち着いていて、言葉の一つ一つが丁寧だった。
……本当にノアがいてくれて良かった。私じゃ絶対こんな風に説明できない。
「そこまで仰るのなら、証拠はお持ちなのでしょうね?」
「こちらが、押収した蜜の木箱でございます」
ノアは王章の刻まれた木箱を両手で抱え、女王陛下の前まで進み出る。
受け取ると、陛下は蓋に刻まれた印へそっと指を滑らせた。
「……確かに、我が国の王章のようね」
「っ!」
陛下の隣で、ザイレク王子がぎりっと歯を食いしばる気配が伝わってくる。
蓋が開かれ、小瓶に満たされた黄金色の蜜が光を受けてきらめいた瞬間――女王の表情が、はっきりと変わった。その瞳に宿ったのは、驚愕と抑えきれない怒り。
女王の間の空気が、一瞬で凍りついた。
「間違いようのない、我が国の秘宝だわ。ああ……なんということなの! 大切な蜜が、知らぬ間に奪われていたなんて……!」
女王陛下は王座をがたんと鳴らして立ち上がると、隣に控えていたザイレク王子の頬を、鋭い音を立てて扇子で叩いた。
「ザイレク! 蜜を盗むだなんて、貴方は何を考えているのですか⁉」
「「「⁉」」」
叱責の声が、女王の間に鋭く響き渡った。その怒気に満ちた響きに場の空気がさらに張り詰め、私達は思わず息を呑む。ザイレク王子が……蜜を盗んだ首謀者? 王子がそんなことを? それに、どうして女王陛下はここまで状況を把握しているの?
「は、母上、誤解です! 俺は……俺はそのようなことはしていません!」
叩かれた頬を押さえながら、王子は必死に否定の言葉を並べる。
だがその声は震えていて、説得力よりも狼狽の色が濃かった。
「た、確かに蜜が奪われていたのかもしれませんが、それが俺だという証拠は――」
「――残念ですね、ザイレク王子。貴方の悪事は、全て露見していますよ」
その静かな声が落ちた瞬間、空気がぴたりと変わった。
王子の肩がびくりと震える。そして私の胸も……別の意味で揺れた。
「アレン……!」
久しぶりに見る彼の姿は変わらないまま。アレンは一度だけ私と視線を交わすと、すぐにザイレク王子へと顔を向けた。
「馬鹿な! 証拠もないくせに、何をふざけたことを!」
「証拠なら既に揃っています。貴方が隠したがっていた場所は建物ごと発見され、内部の記録も密輸の痕跡も……全て女王陛下へ提出済みです」
「な、何だと⁉」
「それと――」
一拍置き、氷のような視線を王子へ向ける。
「木箱に入った蜜の小瓶も、帝国騎士団への攻撃に使おうとしていた『毒』も、全て回収済みです」
「そ、そんな……存在は完全に消させていたはず!」
王子の顔色がみるみるうちに変わり、動揺が露骨に表情へ浮かび上がる。
その狼狽ぶりこそが、彼の関与を雄弁に物語っていた。
「花園を守護する花冠騎士団として、せめて必要最低限の『毒』だけは花園から作り与えていたというのに……! それを、よりにもよって帝国の使者に用いるとは……。ザイレク、貴方は何を考えているの!」
女王陛下は、責めるような――いや、深く失望した声色で頭を押さえる。だが王子は怯むどころか顔を上げ、必死に声を張り上げた。
「これらは全て、王国のためにしたことです!」
「王国のためと?」
「そうです! この国は小さな国です! 王国が大きく強大になるためには、守るだけでは足りない! 力を! そのために俺は蜜を国外に流し、資金を集めたのです!」
女王の間の空気が、ぴたりと止まった。
王子の声は熱に浮かされたように必死で、しかしその告白の重さは、この場にいる全員の言葉を奪うには十分だった。
「お兄様……」
傍に控えていたアピア王女は胸の奥を押さえ、悲しげにそっと目を伏せた。
「はぁ……もうよい。お下がりなさい」
「母上!」
「くどい。王国の規律を破る者には容赦しない――大人しくしていなさい」
「――っ!」
その一言は、王子の反論を完全に封じる絶対の命令だった。
王子は数人の従者に連れられて退場し、女王の間にはようやく本来の静けさが戻る。
「アレン殿下、帝国騎士団の皆様。この度は息子の愚行により、多大なご迷惑をおかけしました」
陛下は私達に向かい、静かに頭を垂れ謝罪の意を示した。
続いてアピア王女とコクシエル様も、私達に向かい深く頭を下げる。今回の事態を王家がどれほど重く受け止めているかを、痛いほど伝えていた。
「すぐにザイレク王子の身辺調査を始め、帝国の異能略奪についても関わりがあるかを調べさせていただきます」
コクシエル様は目を伏せたまま、静かに続けた。
「ですが、真実がどうであれ、王子が皆様に攻撃を仕掛けたこと、そして犯罪組織と通じていた事実は消えません。それらは『攻めず、侵されず』を信条とする我が国の在り方に反する行為です」
淡々とした口調ではあるものの、その言葉には深い不安が透けて見えた。
「ザイレク王子には、必ず相応の罰を与えるとお約束いたします」
「……王子殿下の処遇について、俺から申し上げることはありません。しかし今回の件が表面化すれば、王国にとって致命的になるのではないですか?」
アレンの言葉に、女王陛下のまなざしが鋭くなる。
「……どういう意味かしら、アレン殿下」
「蜜の流出、犯罪組織との結託、そして帝国への無礼。これらが明るみに出れば王国内だけでなく、国外からの信頼も失われるでしょう」
ぴり、と空気が張りつめる。さっきまでの緊張とは質が違う。
「あ、アレン。何を……」
思わず漏れた私の戸惑いに、アレンはちらりとこちらへ視線を寄越した。
その一瞬だけ浮かんだ笑みは、まるで学生の頃、何か企んだ時に見せていたあの表情で――胸の奥がざわりと揺れる。
そして次の瞬間、彼ははっきりと言い切った。
「俺を解放する。もしくは――第0部隊を、正式にこの国に迎え入れてください」[HS18.1][ヒウ18.2]
「!」
女王陛下の目が大きく見開かれる。
ヴァルドール王国が最も嫌う他国の介入――その核心を突く要求だった。
「……何故そのようなことを?」
「俺は、いつまでもここに留まるつもりはありません。俺が必要な理由さえ解決すれば、もう用済みでしょう? もちろん、今すぐ解放していただいてもかまいませんが」
静まり返った空気の中で、彼の声だけがよく響いた。
「アレン殿下……まさか、結界の秘密を……」
陛下はぎろりとアピア王女を睨みつける。
だが王女は伏せたまま、まるで視線から逃げるように微動だにしない。
「我が帝国の第0部隊は、異能に長けた精鋭部隊です。女王陛下の憂いは、必ず取り除いてみせましょう」
丁寧な口調なのに、どこか逃げ道を塞ぐような響きがある。
これってつまり……今回の件を内密にする代わりに、こちらの要求を飲めって言ってるんだよね。
アレンの踏み込んだ言葉にノアは小さくため息をつき、アイノウは期待に目を輝かせ、ハルトは無表情のまま静かに立ち続けていた。
「……いいでしょう。第0部隊の入国を許可します」
長い沈黙ののち、陛下は短く、重く頷いた。
「ですが、女王陛下……!」
「アレン殿下は既に結界の弱体化を把握しておられるようですし、なおさら殿下は手放せません。これで我が国の不祥事に目を瞑っていただけるのなら――これほど安い代償はない」
コクシエルの憂いに応じるように言葉を返す陛下。
しかしアレンへ向けられたその視線には、抑えきれない怒りがはっきりと宿っていた。
「アレン殿下ご自慢の第0部隊。その実力、わたくしも拝見させていただきますわ」
女王陛下の視線がこちらをかすめ、背筋に冷たいものが走る。
「ただし人数は制限させていただきます。王国の安全保障上、全員を受け入れるわけにはいきませんので」
「それで充分です。陛下の配慮に心より感謝致します」
アレンは一歩下がり、恭しく頭を垂れる。私達もそれに倣って頭を下げ、静かに女王の間を後にした。
扉が閉まる直前、背中に残った空気だけが――まだどこか張りつめていた。
女王の間を離れ、外へと続く廊下。
「――久しぶりですね、リネット」
「アレン……」
いつも通りの笑顔を浮かべているのに、彼の声にはどこか迷いが混じっていた。
「本当は、貴女を巻き込むつもりはなかったんですけどね」
――また、私を遠ざけるつもりだったんだ。
「第0部隊として来たんですから、アレンに文句を言われる筋合いはありません」
抑えきれない怒りを隠しきれずに返すと、アレンは一瞬だけ言葉を失った。視線が揺れ、ほんのわずかに息を呑む。
それから、無理に柔らかさを作るように口元を緩めた。
「本当に、俺を振り回しますね」
その笑みの奥には、まだ距離を置こうとする影が確かにあって――胸の奥に溜めていた怒りがぐつぐつと揺れた。
「知りません。勝手に振り回されていてください」
吐き捨てるように言って、私はアレンから視線をそらした。
「わーっ! なになに? 楽しそうな話してるのー? 僕も――むぐっ!」
「アイノウ、少しは空気を読んでください!」
「……どうでもいい」
「あ……」
騒がしい声に、はっと我に返る。そうだ、ここには皆もいたんだった……!
ノアは素早くアイノウの口を塞ぎ、ハルトは相変わらず興味なさそうにぼんやりと立っている。その彼等らしい騒がしさが、一気に私を現実へと引き戻した。
◇
その後、ザイレク王子には罰がくだされた。もっとも、表向きには何一つ変わっていない。
「王家の不祥事」を公に認めれば、王国の威信は地に落ちる。ゆえに女王陛下は事態を伏せ、あくまで平静を装った。
だが裏では、密売で得ていた資金源は全て断たれ、王子に連なる側近達は次々と処分された。さらに金で集めていた支持者も離れ、王位継承権は事実上廃止。
かつては強い影響力を誇っていた王子の力は急速に、そして静かに削がれていった。
「――くそっ、何故俺がこんな扱いを受けなければならない!」
怒りに任せ、ザイレク王子は私室に置かれていた、自らの花冠騎士団の紋章が刻まれた椅子を蹴りつけた。
椅子は床を擦りながら派手な音を立てて倒れ、その音だけが、静まり返った部屋に虚しく響く。
「あいつ等の所為で……あいつ等が余計なことをしなければ!」
目は血走り、歯を強く食いしばる。
ザイレク王子の恨みは、もはや理性では抑えきれないほど膨れ上がり、全ては第0部隊とアレンへと向けられた。




