88話
◇Side アレン
俺がこの国に求められた役目は、女王の儀式に参加することだ。
女王の塔の最奥――まるで隠すようにひっそりと設けられた園庭。そこが女王の花園であり、儀式の場でもあった。
赤、白、青、黄色。色とりどりの花々が咲き乱れる花園には、甘い香りが満ちている。
花弁の間を淡い光の粒がふわりと漂い、魔力が空気そのものに溶け込んでいるのが分かった。その花々の間を、黄金色の小さな蜂達が飛び回っている。
その中心、白で基調された祭壇に立つ俺を見て、女王は満足そうに笑みを強めた。
「始めます」
ヴァルディア女王が手をかざした瞬間、花弁の間を漂っていた光の粒が、まるで潮が引くように一斉に祭壇へと吸い寄せられた。
続いて、足元が低く脈打つ。
花園全体の空気が一瞬で澄み渡り、花園がぱっと目を覚ましたように華やいだ。
「ふふ。なんという輝きなのでしょう! やはり殿下こそ、我が国に相応しき御方ですわ」
咲き誇る花々に、女王は歓喜に満ちた声を上げる。
「……っ」
だが、その喜びとは裏腹に、体が急に重く沈んだ。
足先から頭の先まで、じわじわと力が抜け落ちていく。視線を落とすと、体中から魔力が引き抜かれていくのが、はっきりと分かった。
「殿下の魔力は甘美ですわね。もっと……もっと与えてくださいますわよね?」
女王の口元に浮かんだのは、ぞくりとするほど歪んだ笑み。
その一言で理解した。花園そのものが、俺の魔力を「栄養」として吸い上げているのだと。
「アレン殿下。どうですか? そろそろこの国の暮らしにも慣れてこられましたか」
儀式を終えたばかりの花園。
白いティーテラス席の傍に立つ宰相コクシエルが、穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「ええ、おかげさまで」
俺は足を組み、用意された紅茶を口に運びながら、当たり障りのない返事を返す。
「それはよろしゅうございました。ね、アピア王女」
「……は、はい」
コクシエルの視線は、会話の合間ごとにアピア王女へと向けられていた。そのたびに王女へ言葉を投げ、無理にでも場に参加させようとしているのが分かる。だが当の王女は俺の隣に座っていながら、ほとんど俯いたままだ。
たまに顔を上げても、すぐにまた悲しげに視線を落とす。彼女「も」乗り気でないのは明らかだった。
――これは、女王が俺達を親しくさせるために仕向けた茶会だ。くだらない。定期的に開催されるようになったこの茶会にも、もう辟易している。だが、女王からの招待となれば無下にはできない。仕方なく参加しているだけで、実際にはただの形式にすぎなかった。
「アレン殿下が我が国に来てからというもの、女王の花園も色とりどりの花が咲き誇り、女王も大変お喜びでございます」
「女王陛下にお喜びいただけるのなら光栄です」
花園に満ちる甘い香りは、最初こそ神聖に思えた。だが今では、胸の奥をじわりと締めつける重さへと変わっている。
「ところで、あの儀式は何のために必要なのでしょうか。王国にとって重要だとは理解していますが、その本質についても教えていただければ助かります」
「ああ。あれは結界を維持するための儀式です」
「結界を?」
「ええ。我が国の異能【犠蜂の盾】は、『魔力を糧として花を咲かせます』。そして、その花々から生まれる『蜜』こそが、結界を動かす力となっているのです」
「……意外と簡単に、他国の俺に情報を教えていただけるのですね」
どの国も自国の力を秘匿するものだが、ヴァルドール王国の慎重さは群を抜いている。だからこそ、こうもあっさりと口を開いたコクシエルの態度が不自然に思えた。
探るように言葉を返すと、宰相は微笑みを崩さぬまま、穏やかな声で答える。
「アレン殿下はすでに儀式に参加されておりますから。まったく説明しないわけには参りません」
その声音には、語るべき範囲をきっちり線引きしている気配があった。
「とはいえ、アレン殿下が我が国の人間になっていただけたなら話は別です。アレン殿下がアピア王女と結ばれてくだされば、これほど幸いなことはありません」
「……っ」
アピア王女が傷ついたように表情を歪めても、コクシエルは気づく素振りすら見せない。
当事者の望みなど意に介さず、ただ国の都合だけで話を進める。そこに俺達の感情を汲もうとする気配は微塵もなかった。
やがてコクシエルは気を利かせたつもりなのか席を外し、俺と王女だけを残した。
重い沈黙が落ちる。
しかし、俺は俯いたままの彼女に静かに声をかけた。
「アピア王女。今までヴァルドール王国は他国の介入を拒んできました。それなのに突然俺を迎え入れようとするのには、何か理由があるのではありませんか?」
「え……」
びくりと王女の肩が震え、長い前髪の隙間から蜜色の瞳がかすかに覗く。
「わ、私は何も……」
「申し訳ありませんが、俺は貴女と結婚するつもりはありません。もし王国が俺を必要とする理由があるのなら、それを解決して、帝国に戻りたいんです」
リネットに会うために。
自分で選び、彼女を置いてきた。守るためだと納得したはずだった。それなのに、こうして時だけが過ぎ、再会すら叶わない現状が……耐えられない。
王女は俺の言葉に、申し訳なさそうに視線を落とした。
「大切な……婚約者様がおられるのですね」
「ええ」
「……」
短い沈黙が落ちる。
その静けさの中で、確信する。
アピア王女だけは他の王族とは違う。俺との婚約を心から痛み、迷い、苦しんでいる。だからこそ彼女には「付け入る隙」がある。
利用しているようで胸が痛むが……それでも、どんな手を使ってでも、俺は彼女の元へ帰る。
王女は長い沈黙の後、静かに口を開いた。
「花が……花園の花が、枯れてきてしまったんです」
「花が、枯れる?」
「花が枯れるということは……結界の動力となる蜜が……とれないということです」
告げるアピアの声は、かすかに震えていた。
「蜜がなければ、結界は維持できなくなります。だからお母様は……女王陛下は、アレン殿下の『魔力』に目をつけたのです。アレン殿下の優れた魔力ならば、一時的にでも花園を生き返らせることができるのではないかと……」
言葉が落ちるたび、胸の奥が冷えていく。
ヴァルドール王国にとって結界は、平和を象徴する存在だ。その結界が失われれば……この国は、あっけなく崩壊してしまうかもしれない。
王女の告白の重さに言葉を失っていると、花園の奥から急ぎ足の気配が近づいてきた。
「アレン殿下、アピア王女! 大変でございます!」
息を切らしながら戻ってきたコクシエルは、普段の落ち着きを完全に失っていた。
その異様な様子に、アピア王女がはっと顔を上げる。
「ど、どうしたんですか……?」
「じ、実は、我が国の『蜜』が国外に流出している可能性があると、ラングシャル帝国の騎士団から情報が入りまして……!」
「……え?」
アピア王女の顔から血の気が引き、指先が震えていた。
……動揺するのも当然だ。この国にとって蜜は命そのものなのだから。しかも、今はその生産すら追いついていない。
重い沈黙が広がる中、背後から靴音が近づき、空気がわずかに揺れた。
「――何の話をしている?」
低い声が響く。
振り返ると、王国第一王子ザイレクが、不機嫌さを隠そうともせず立っていた。王子はゆっくりと歩み寄り、俺達三人を睨み付ける。
「蜜が流出していると聞こえたが……そんなこと、あるはずがないだろう! 蜜は厳重に管理されている。花園は我が花冠騎士団が守っているんだ。蜜が外に出るなど、ありえるはずがない!」
「で、ですが……」
「くどい!」
怒声が花園に響き、アピア王女は怯えたように肩をすくめて俯く。
コクシエルも返す言葉を失い、唇を噛んだ。
「はっ。こんなくだらない世迷言を、アレン殿下まで信じませんように。……ああ、貴方の国の情報でしたね」
ザイレク王子は、見下すように言い放った。
「……帝国の騎士団は、誤った情報を掴むような騎士団ではありません。決めつける前に、少しは話を聞いてみてはいかがですか?」
「その必要はない!」
吐き捨てるような一言だった。
それ以上取り合う価値もないと言わんばかりに、王子は踵を返して去っていく。マントが荒く翻り、足取りは苛立ちを隠そうともしない。だが、その怒りに身を委ねる姿が俺には――動揺に見えた。




