84話
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バルセリアから東にある境界の森 《エルドライン》。
ラングシャル帝国とヴィルドール王国を結ぶ境界の道に面し、そう呼ばれている。
普段は何の変哲もない森だが、言われてみれば確かに、自崩れでも起こしたような地形の乱れがあった。
「リネット、何か感じますか?」
「いいえ、まだ何も……」
森の入口に立ち、ノアの言葉に首を振る。
魔物の数は以前より落ち着き、増援も無事に町に到着した――だからこそ、ようやく本来の任務である異能の探索に戻れた。
そして何より、あの町で結晶について聞き回っていた謎の存在。
「リネットから聞いた話を元に改めて町の方々にも聞き込みをしましたが……やはり、そういった連中が色々と詮索していたようですね」
ノアの声音は落ち着いていたものの、その奥には確かな警戒がにじんでいた。
町の人々の証言が一致している以上、結晶を狙う者達が動いている可能性は高い。その事実が、場の空気を重く沈ませていく。
「……奪うなら、斬るだけ」
ハルトが危うい声音で吐き捨て、そっと腰の剣に触れる。
「落ち着いてください。現状は疑わしいという段階で、まだ確証はありません。ですが、第0部隊として、異能の結晶を先に奪われるわけにはいかないのも事実です」
対照的にノアは冷静さを崩さず、静かに言葉を重ねた。
「引き続きサイラスとクリフに情報を集めるよう頼んであります。俺達はこちらに集中しましょう」
「じゃ、その怪しい連中よりも先に異能を見つけちゃうのが、いっちばん大事だよねっ! よーし、みんなで頑張ろー!」
えいえいおー! と片手を高く掲げ、深刻な空気を吹き飛ばすように気合を入れるアイノウ。
ノアはそんな彼に呆れたように眉間へ手を当てていたが、私がその変わらない明るさにほんの少し救われているのは、ここだけの秘密。
しかし、わずかに緊張が和らいだのも束の間、森へ足を踏み入れた瞬間に空気は一変した。
「……酷い有様ですね。奥へ進めば進むほど、さらに複雑さを増しているように見えます」
「森の中、迷路みたいだねー! こっちに行ったら、出口がなくなっちゃいそう!」
ノアは森の奥へ視線を巡らせ、静かに状況を分析する。その隣でアイノウは、面白がるように声を弾ませた。
木々はまっすぐ伸びるどころか、ねじれ絡み合い、互いに縋りつくように傾いている。
本来の形を失ったその姿は、まるで森そのものが意志を持ち、侵入者を惑わせようとしているかのように歪だった。
「これって……結晶の影響ですか?」
「だろうねー」
私は歪な空気に自然と背筋を伸ばしたが、アイノウは相変わらず飄々としたまま。
本来のエルドラインの森は、こんな迷いの森めいた景色ではないと聞かされているからこそ、胸の奥が落ち着かない。
「森の形まで変えてしまうなんて……異能の結晶って、本当に凄いんですね」
「そうだよ! 異能によっては戦争のきっかけになっちゃうくらい大事な子なんだから!」
軽い調子に聞こえるが、その言葉は決して冗談ではない。
過去には幾度となく異能の結晶を巡る争いが勃発し、その爪痕は史書にもはっきりと刻まれている。結晶は力であり富であり、時に――国家を揺るがす火種ともなるのだ。
「それほどのものを、私達は探しているんですね」
思わず漏れた言葉に、ノアが静かに頷いた。
「だからこそ、慎重に進まなければなりません」
緊張する空気の中、さらに歩みを進める。
道中、何度か魔物と遭遇することもあったが、その度にハルトとアンセイが迷いなく前へ立ち、魔物を退治してくれた。
そうしてしばらく進んだ頃。私は少しの違和感を感じて、立ち止まった。
『鎖が……ほどけない……』
「っ!」
悲しげな声が、頭の奥に響く。
『……どうして……私が、罰されるの。私はただ、友達を助けたかっただけなのに……!』
囁くように小さな声。
正体は分からない。ただ胸を締めつける痛みとどうしようもない孤独が、泣き声と共に押し寄せてきた。視界が揺れ、足元が不安定になる。
「リネット、大丈夫ですか⁉」
とっさに腕を伸ばして支えてくれたノアが、心配そうにこちらを覗き込む。
私は浅く息を整え、わずかに落ち着きを取り戻しながら答えた。
「……大丈夫……です。それよりも、向こうの方から声が聞こえました」
指先で方角を示すと、仲間達の足取りは迷うことなく、その先へと向かっていく。
「わーい! もう少しで異能に会えるんだね!」
「……異能は、僕が手に入れる」
競うように先へ進むアイノウとハルト。その背中を追うように、私とノアも歩みを進めた。
――だが。
胸の奥でざわめいていた異能の気配が、突然、途切れた。
「え……?」
思わず足が止まる。
耳を澄ませても、もう何も届かない。胸をかすめていたざわめきも、内側を引っかいていた違和感も、跡形もなく溶けていった。
「どうしたんですか?」
ノアが振り返り、私に声をかける。
「声が……消えました」
「消えた?」
「私にも分かりません。本当に、一瞬で……」
問いかけられても、説明のしようがなかった。
必死に感覚を研ぎ澄ませても、今度は何も掴めない。残されたのは森の静けさと、胸の奥に広がる不安だけだった。
「ねぇねぇ、何か凄いことになってるよー!」
先を行くアイノウの声に急いで足を向けると、目の前には魔法の攻撃で裂かれた木々や、激しい戦闘の痕跡が広がっていた。
枝は無惨に折れ、地面には焦げ跡が残り、まるで森そのものが暴力にさらされたみたい。
「これって……!」
「……断定はできませんが、異能の試練の『痕跡』かもしれませんね」
「っ」
ノアの言葉に、息を吞む。
見渡しても異能の結晶はどこにもない。胸の奥がざわめき、嫌な予感が広がる。
「ノアの言ってること正解かもねー! だって森の雰囲気さっきまでヘンテコだったのに、ちょっとずつ戻ってきた気がするもん!」
「言われてみれば……」
アイノウの言葉に、森の様子を見渡す。
異能の気配ばかりに囚われていたが、森に踏み入れた瞬間に感じた歪な空気が薄れた気がする。まるで、ただの森に戻ったかのように静まり返っていた。
「もしかして、もう盗られちゃった後なのかもねぇ」
気楽そうに聞こえる言葉。しかしアイノウの笑みは軽やかでも、その瞳の奥は決して笑っていなかった。ハルトもノアも同じだ。
突き刺すような緊張感――殺気にも似た気配が場を満たし、ぞくりと鳥肌が止まらなかった。
「……殺す」
「ハルトってば物騒だなぁ。せめて半殺しくらいにしとこうよ」
「二人とも、第0部隊の面子を潰されてむきになるのは分かりますが落ち着いてください。まずは犯人を捕らえて詳しく話を聞き、そのうえで判断しましょう」
無表情の苛烈さ、明るい軽口、怒りを抑えた冷静さ。
三者三様の反応が交錯する中、共通して感じられたのは、第0部隊に喧嘩を売った者の末路だった。
第0部隊に喧嘩を売るなんて、正気の沙汰じゃない。
「絶対に……取り戻します!」
私も、力強く同意した。
――異能の結晶が消え去った後、境界の森エルドラインは再び静けさを取り戻し、かつての姿を取り戻した。けれど外から流れ込むように現れる魔物の出没だけは、依然として止まらないままだ。
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