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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第3章 蒼波ヲ凌グ

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閑話 木路胎動

 ベル歴995年、雷の月20日。


 霊峰クロロン山麓クロロン大森林北部『間伐地』。


 秋の深まりを告げる冷涼な風が、新たに切り開かれた空間を吹き抜ける。針葉樹が間伐されたことで陽光が差し込むようになった斜面では、色鮮やかに染まった広葉樹の葉が舞い落ち、足元の土を覆い隠すように積もっていた。


 切り出された巨大な切り株の上に腰を下ろし、眼下の風景――間伐によってバランスの取れた間隔で残る木々――を眺めていたセルバン国王ヴァルグの背後で、落ち葉を踏む静かな足音が止まった。


「ヴァルグ様」

「ん?ああ、リゼか。どうした」


 エメラルドグリーンの髪をハーフアップに結い上げた、風の聖猫のヒト化姿であるリエリーが報告する。


「レオ様から連絡がございましたわ。しばらくの間、クロロンへは赴けないとのことです」


 ヴァルグは組んでいた腕を解き、視線を背後のリエリーへと移す。


「ほう。それで、その理由は」

「レオ様が試練を早急に進めていかなくてはならない事態が生じたらしいですわ」

「事態?なにかあったのか?」

「オリガタが内乱寸前だそうです」

「オリガタか……」

「……その陰に、マオンの影が見えるらしいですわ」


 リゼの回答に、ヴァルグは短く息を吐き、再び眼下の森へと視線を戻した。


 外界からの情報を遮断した極東の密室国家。そこに大罪のマオンが潜み、内乱を扇動しているとすれば、事態は一刻を争う。さらに、オリガタといえばレオの魂の記憶の人物、ショウ・トキノの出身地でもある。レオが聖霊の試練を急ぐのも無理はない。


「代わりに、お兄様のマルクス様と、お祖父様のマルセル様がこちらでの作業を進行する許可を求めておいでです」

「構わん。クロースの関係者たちの出入りは許可する。……だが、彼らが来たところで、北方の地の冬は早いぞ」


 リエリーもまた、冷気を帯び始めた風に髪を揺らしながら静かに頷く。


 北に位置する森林都市国セルバンの冬の訪れは、他国よりも格段に早い。


 この時期になれば、エルフの各部族は総出で冬支度に追われる。建物を雪から守るための雪囲いの設置、厳しい寒さを凌ぐための保存食の準備、そして何より、暖を取るための大量の薪の確保である。


「今年は、薪の心配だけはせずに済みそうだがな」


 ヴァルグの視線の先には、間伐によって切り倒された膨大な数の針葉樹のうち、建材には満たない端材が、整然と積み上げられていた。


 千年間放置されていた森の木々が、巡り巡って彼らの冬を越すための命を繋ぐ糧となっている。


「ええ。ですが、土の凍結や積雪を考慮すれば、外部の人間がこの森で大規模な作業を行うのは困難を極めるでしょう」

「ああ。基礎固めや外装の格子トンネルの建築など、本格的な作業が開始できるのは、雪が解ける来年の春以降になるだろうな」

「そうですわね」

「それに、レオが滞在していたころのアドバイスに従って、春にはバランスを考えた植樹も計画している」


 ヴァルグは静かに予測を立てる。クロース家の職人たちがどれほど優秀な技術を持っていようと、凍てつく大地と降り積もる雪を前にしては、大規模な土木作業など不可能だ。自然のサイクルに強引に逆らうことはできない。


「来年の春、か。……千年の停滞からすれば、数ヶ月の猶予など瞬きのようなものだ。我々は我々の冬支度を整え、春を待つとしよう」


 用件を終え、戻ろうと踵を返したリエリーが、思い出したかのように振り返る。


「あ、それと」

「ん?」

「マリノンのピア様が、マナトレインが完成したら遊びにいく、と」

「……そうか」


 吹き抜ける風が、色づいた広葉樹の葉をさらに数枚、宙へと舞い上げる。


 旧友の気まぐれな伝言に、森の王は微かに口元を緩めながら静かに立ち上がり、冬の足音が近づく北の大地を見据えた。






 三日後。アイゼン王国西端。クロース侯爵領郊外に新設された巨大魔導工房。


 稼働を始めたばかりの加工ラインから、低く重厚な駆動音が絶え間なく響いている。


 工房の片隅に設けられた仮設の執務スペースでは、巨大な図面と青白い光を放つ魔導演算端末【マナロジカ】の投影データを前に、二人の男が額を集めていた。


 次期侯爵にして魔道具開発局副局長であるマルクス・クロースと、その祖父であり元局長のマルセルである。


「御爺様。さっきリゼちゃんが来てくれたよ」

「ほう。して、なんと言っておった」

「本格的な作業は雪が解けたあとの春で、ということだったよ」

「ふむ、やはりな」

「だけど、データは届いている。西から東の関所へ抜けるルートと、木材加工、保管を兼ねた貨物駅の配置案だ」

「おお」

「さらに、旅客用のマナトレインを走らせる北側の山沿いの高所ルートに至るまでだね。地盤の硬度とマナの流動係数、それに風の抜け方まで完璧に数値化されているよ」


 マルクスが手元の端末を操作し、ホログラムの数値をスクロールさせながら感嘆の息を漏らす。


「相変わらず、レオの測量精度には舌を巻くわい」

「本当だね。あのエルフたちが管理する広大な森を、短期間でこれだけ精密にデータ化してのけるとはね」

「全くだ。そして、それを即座に理解し形にするお前もな。流石はワシの自慢の孫たちだ」


 マルセルも顔に油の染みをつけたまま低く笑い、図面の一点を太い指で叩いた。


「だがな、マルクス。机上のデータがいかに完璧であろうと、現場の空気というものは行ってみねば分からん」

「確かにね」

「特に今回は、ただレールを敷くだけではない。車体からレールの土台に至るまで、全てが〝木〟だ」

「そうか。気候による膨張率や、湿度の変化によるマナの伝導率のブレは、鉄の比ではないからね」

「うむ。その通りだ」

「それに、トレヴァ族が手がけるという外装の格子トンネルや動物道との接合部も課題だね。彼らの木工技術は自然の曲線美を活かすものだと聞いているよ」

「ほう」

「僕らの規格化された魔導回路とどのように噛み合わせるか、図面上の計算だけではどうしても誤差が生じるだろうね」


 マルクスは柔らかな微笑みを浮かべ、図面にペンを走らせながら客観的な分析を口にする。


 アイゼン王国の緻密な魔導工学と、セルバンの伝統的な木工技術の融合。それは、これまでのインフラ構築とは全く異なるアプローチを要求される未知の領域だった。


 工房の開け放たれた搬入口から、冷ややかな風が吹き込んでくる。雷の月も下旬に差し掛かり、吹き抜ける風には確かな冬の気配が混じっていた。


 マルクスは顔を上げ、冷たい風の吹いてくる北の方角へと視線を向けた。


「父さんはまだ水門の巡回で不在だ。基礎工事の最終的なすり合わせは、僕らでやるしかない」

「ああ」

「あと、御爺様が云うだろうと思って、雪が降る前に実際の現場を見たいと伝えたよ」

「流石だな、マルクス。それで?」

「ルートを伝えたら、『お迎えいたします』と云ってくれたよ」

「よし、わかった」


 マルセルが首に巻いたタオルで汗を拭い、静かに頷く。マルクスは手元の端末を閉じた。


「マナトレインでティアゾンの国境町まで行くので、そこから徒歩で行こう」

「野営か」

「ああ。でも僕らにはこれがあるからね」


 マルクスは自身の腰のポーチを軽く叩いて微笑んだ。


「レオからもらった次元収納ポーチと、その中にある【クロノ・ヴィラ】」

「そうだな。それがあれば、野営も問題ないからな」

「出立の準備を進めようか、御爺様。工房の指揮は信頼できる技術者に任せて、数日のうちにセルバンへ向かおう」

「ああ。千年変わらなかった森に、我々の技術がどう馴染むか……腕が鳴るというものだ」


 二人は顔を見合わせて小さく笑い合うと、すぐに出立の準備へと取り掛かった。

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