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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第3章 蒼波ヲ凌グ

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第51話 波紋の種

 ベル歴995年、雷の月20日早朝。


 アイゼン王国ザフィア辺境伯領内にある人気のない入り江。


 停泊するクロース式水遊艇【アクヴェラ】の船内。


 メインサロンからキャビンへと続く階段の前に、レオ、ノイアー、そしてオリガタ皇国駐在大使タチバナが立っていた。


 レオは階段の下の空間を指し示す。


「キャビンへと降りる階段の下に、時空属性を付与した【アイテムボックス】を配置しておきました。中には長期間の航行に必要な物資や、予備の魔導具などを収納してあります。外見は小さな箱ですが、内部の空間を拡張しているので、見た目以上の物資が積載されています」

「おおっ。何から何まで、本当に感謝いたします。クロース家の技術と、レオ殿の細やかな配慮には頭が下がる思いです」


 タチバナが深く一礼する。レオは小さく首を横に振り、これからの航路について口にする。


「マリノンからなら三日程度ですが、申し訳ないがアイゼンからの出航なので五日から六日ほどの航海になります。海中も十分な速度は出ますが、潮や波の影響で変わります。くれぐれも無理はしないでください。……ノワル、タチバナ大使を頼む」

「お任せを。必ずや、安全に目的地へと送り届けます」


 ノイアーが恭しく頭を下げる。レオは再びタチバナへと視線を向ける。


「それから、タチバナ大使。お渡しした密着衣の方に不具合はありませんでしたか?」

「ええ。何度か試させていただきましたが、問題ありませんでした。実に素晴らしい技術です」


 タチバナは感嘆の息を漏らした。


 オリガタ皇国の近海に張り巡らされた厳重な監視網を抜けるため、タチバナはノイアーと共に海中を直接移動する必要がある。そのためにレオが用意したのが、水圧や塩分を完全に遮断し、肩口の魔術陣で水流抵抗を制御できる特製の密着衣であった。


「それは良かったです」


 レオは小さく頷き、密着衣の防御性能の限界値について冷静に付け加える。


「万が一、魔導機雷が反応したとしても、一、二発くらいなら耐えられるように調整していますが、決して無理はしないでください。あくまで隠密行動が最優先ですから」

「承知しております。監視網の突破は、ノイアー殿の指示に従い、慎重に行動いたします」


 タチバナの覚悟を帯びた返答に、レオは静かに頷いた。


「最終確認は大丈夫そうですね。表に皆待っています。一度外へ出ましょうか」


 レオが外を示す。表では、ピア、フルーナ、そしてシルビアの三人が、彼らの出航を見送るために待機していた。


 レオたちは階段を上がり、アフトデッキから岸へと降り立った。潮風に髪を揺らしていた見送りの者たちが、静かに歩み寄ってくる。


「準備は万全のようだな」


 深い青の王衣を纏ったピアが、鋭い視線をタチバナへ向ける。


「他国の私が云うのもなんだが、オリガタの未来は、其方らの潜入にかかっている。重責だが、必ず生きて情報を繋げよ」

「はっ。ピア女王陛下から賜ったこの御恩、そして皆様の御尽力、決して無駄にはいたしません」


 タチバナが深く、重々しく頭を下げる。ピアは小さく頷き、今度はノイアーへと視線を移した。


「ノワル。タチバナ殿の命、頼んだぞ。特製装備があるとはいえ、海中の過酷さは陸の比ではない。油断は禁物だぞ」

「お気遣い痛み入ります、ピア様。この命に代えても、必ずや完遂いたします」


 ノイアーが静かな、しかし確かな決意を込めた声で応じる。


「道中のご無事と、聖霊様のお導きがあらんことをお祈りいたしますわ」


 ベージュのコートを纏ったシルビアが、両手を胸の前で組み、穏やかな微笑みを向ける。


「聖女様から直々に祈りをいただけるとは、これほど心強いことはありません。ありがとうございます」


 和服を着崩したフルーナが、煙管から紫色の煙を細く吐き出しながら妖艶に笑った。


「ノワル。アチキたちが次の試練を片付けている間に、ドジを踏んで海の藻屑になんてなりんさんなよ。旦那様のお側は、このアチキがしっかり護ってやりんすから」

「ご心配なく。留守の間に、レオ様の足手まといにならないよう精々励むことですね」


 ノイアーが涼しい顔で返し、フルーナが目を細める。彼ら聖猫は各々が己こそ主の筆頭従者であるという強い自負を持っている。それゆえの火花散るような牽制を、レオは短く息を吐いて制した。


「頼んだぞ、ノワル。タチバナ大使、吉報をお待ちしています」

「ええ。必ずや」

「いってまいります」


 タチバナとノイアーが深く一礼し、船内へと戻っていく。二人がアフトデッキのガラス戸を静かに閉ざした。


 推進器が低い駆動音を立て、船体が滑らかに岸を離れる。


 アクヴェラは海水を押し分けて進み、滑るような速度で沖合へと向かっていく。


 やがて、遠ざかっていく船が残した白い航跡と波のうねりだけが、広大な海面で広がっては消えていくのを繰り返していた。


「……行ったな」


 ピアが、船が消えた水平線を見つめたまま、短く息を吐いた。


「ああ」


 レオが静かに頷く。


「では、私をマレード宮まで送ってくれ。あまり留守にすると、文官どもがうるさくてかなわんからな」

「ははっ。そうだな、行こうか」


 レオは【ベルコネクト】を取り出し、虚空に扉を顕現させた。


 一行は『箱庭』の地下倉庫を経由し、レオが内側から行き先を上書きして再び扉を開け放つ。


 その向こうには、耐圧ガラス越しに水底が広がるマレード宮の執務室『静淵の間』が広がっていた。


 深い青の王衣を纏ったピアが、迷いなく執務室へと足を踏み入れる。振り返り、扉の枠に手をかけたレオを見据えた。


「それでは、またな。レオ」

「ああ。またな」


 ピアが短く口角を上げ、背を向け、レオは無言で扉を閉ざした。


 空間の繋がりが絶たれ、一行は『箱庭』の地下倉庫へと残される。


 同行者はレオ、シルビア、そしてフルーナの三人だ。


 一行は階段を上がり、一階の応接室へと移動した。


 家事用魔導人形ハウス・マナドールのパーラが淹れた茶を前に、ソファへ腰を下ろす。


「さて、今後のことですが」


 レオが切り出すと、向かいに座るシルビアとフルーナが視線を向ける。


「ええ。次は火の国ゲンマですね」


 シルビアが静かに頷く。これまではマナトレインでの優雅な列車旅を楽しんできたが、レオの表情は引き締まっていた。


「はい。ですが、優雅な旅は一旦お預けです。オリガタの危機を知った以上、早急というわけにもいかないでしょうが、なるべく早く試練を突き進まなければなりません。明日には、ルジュの目を借りて箱庭から直接ゲンマへ飛びます」


 オリガタ皇国の内乱と西側の介入。猶予は決して長くない。


「ええ。明日に備えて、万全の準備を整えておきますわ」


 シルビアが力強く頷く。そして、少しだけ姿勢を正し、真っ直ぐにレオを見つめた。


「それと、レオさん。わたくしもピア様やヴァルグ様たちと同じように気安く話しかけてほしいです」

「え?」


 レオは不意の申し出に目を丸くする。


「いや、いくらなんでも聖女様相手にそれは……」

「共に死線を潜り抜けた戦友ではありませんか。それに、先ほどのピア様とのやり取りを見ていて、少し羨ましくなってしまったのです」


 シルビアが真剣な瞳で訴えかける。


「それに……咄嗟だったとはいえ、水音の心奥(フルト・コル)で『シルビア!』と呼んでくれたのが、嬉しかったですわ」

「まあ、あれは……」


 レオはシルビアの真剣な目に気付くと、困ったように頬を掻き、やがて小さく息を吐いて苦笑した。


「……わかりました。いや、わかったよ、シルビア」

「はい!よろしくお願いいたしますね、レオさん!」


 シルビアが花が咲くような笑みを浮かべる。


「ふふ……。旦那様も隅におけねえでありんすね」


 フルーナが煙管の雁首を軽く指で叩き、からかうように目を細めた。


「どういう意味だ?フロー」


 レオが心底不思議そうな顔で問い返すと、フルーナは紫煙を細く吐き出しながら、妖艶な笑みを深める。


「なんでもありんせんよ」


 意味深に笑うフルーナと、腑に落ちない様子のレオ。その噛み合わないやり取りに、シルビアがクスクスと上品な笑い声をこぼした。


 早朝の静かな箱庭の応接室に、過酷な試練の合間とは思えない穏やかな空気が流れていく。


 一行はしばし、安らぎの時間に身を委ねた。






 同日、昼過ぎ。


 アイゼン王都にあるクロース侯爵邸。


 昼食を終えた一行は、邸宅内でも極秘の対話に用いられる『応接間』へと場所を移していた。


 室内の四隅に設置された防音防聴の魔道具が空間の振動を相殺し、外部への音漏れや魔力的な盗聴を完全に遮断している。


 絶対的な静寂が保たれた密室空間で、レオは≪クロノ・ボックス≫から一通の封筒を取り出し、軽く掲げた。


 向かいのソファでは、エリーザがティーカップをソーサーに置き、シルビアとフルーナもレオの手元へ視線を向ける。


「先日、陛下から手紙が渡されたんだ」

「手紙、ですか?」


 シルビアが問い返す。


「誰からのよ」


 エリーザが視線を鋭くした。


「さあ」

「さあ?」


 エリーザが怪訝そうに眉を寄せる。


「ああ。差出人の名前がないんだよ。それに宛名は〝リオン〟になっている。アクヴェラの潜航化改造や特製密着衣の改良で、じっくり目を通すのが後回しになっていたんだ。午前中に時間ができたから読んでみたんだけど……」


 レオは封筒から便箋を取り出し、テーブルの上に広げる。


「これ……どう思う?」


 レオが視線を上げ、問いかける。


「組織図でありんすね」


 フルーナが煙管の雁首で紙を指し示す。エヴィスの背後にある『ルーメン神教国』の簡易的な組織図。


 アイゼン王国でのクーデターを裏から操り、オリガタ皇国の内乱にも介入している闇の勢力。


 レオは続けて組織図の末尾、流麗な筆跡で記された一文を指で示した。


『願わくば西方の開放を』


「一介のハンターに頼むにしては荷が重すぎるだろ」

「まったくでありんすね」


 フルーナが呆れたように紫煙を細く吐き出す。


「それで?レオ。差出人の見当はついているのかしら?」


 エリーザが問いかけた。


「うーん。リオンというハンターを知っている奴ってさ、知り合いやギルドの職員以外は、ほとんどいないんだよね」

「じゃあ、職員かしら」

「いや。エナドだろ?エナドの職員がそんな回りくどいことするかな」

「たしかに、そうね」

「だから、その点からいうと、一つだけ心当たりがある」

「どなたでしょう?」


 シルビアが小首を傾げた。


「シルビアも会ったことがあるよ」

「え?わたくしも、ですか?」


 シルビアが目を丸くし、記憶を探るように視線を彷徨わせた後、ハッと息を呑む。


「……もしかして、あの夜の」

「ああ。王都の路地裏で遭遇した、エヴィスの実行部隊。たしか『鏡面ミラー』だったかな?」

「ええ、そうでしたわね。自分たちはアイゼンの警邏隊だといって、わたくしたちがエナドカードを見せた相手。たしか二名いらっしゃいましたが。そのどちらかということですか?」


 シルビアが記憶を探るように問い返す。


「いや、一人は俺が始末したんだ。だから、もう一人」

「し、始末……ですか。では、あの時の記憶から考えると、始末されたのは小柄な男性のほう……。たしか〝ディス〟と呼ばれていた――」

「ああ、その通りだ。南区の裏路地でバッタリ出会ってね。因縁付けてきたから」

「では、その手紙の差出人は、もう一方の女性」

「ああ。そん時にディスって奴がポロっと零してたんだ。〝あの時はイゼラに止められたから見逃してやった〟ってな」

「イゼラ……」

「敵の実行部隊が、わざわざ内情を明かして助けを求めてくるなんて。よほどの事態でありんすね」

「ああ、そうだな」

「で、どうしんすか?」

「正直、情報は有難いが今は対応はできない。この情報をニクラウス陛下に持っていき、八英雄の国で共有させるのが精一杯だ。西の果ての話だぞ。間に中央20カ国と『星辰のステラ・コロナ』、さらに西方諸国群があって、そのさらに西の果ての沿岸だ。どちらにしろ、今の俺たちでは行けないからな」

「……ええ。物理的にも、実力的にも、ですわね」


 シルビアが静かに同意する。


「ああ。まずは俺自身が力をつけることだ。それに、その前にオリガタの件もあるからな」

「ええ。ノワルさんたちが無事に潜入を果たしてくれることを祈るしかありませんわね」

「左様でありんす。極東の火種を消さねば、西の闇には立ち向かえやせん」


 話を聞いていたエリーザが、呆れたように問いかける。


「ちょっと、レオ。一気に抱えすぎていないかしら?」

「ああ。だから、ここで元魔術犯罪対策局局長の出番ってわけ」

「それって、わたし?」


 エリーザが目を丸くして自身を指差す。


「うん。ってことでコレ」


 レオは空間に展開した≪クロノ・ボックス≫から一枚の紙を取り出し、エリーザへと差し出した。


「さっきの組織図の複写だよ。これを陛下に届けてほしい。テトラルキス……親父は今はいないが、共有を頼める?」

「……ええ、構わないわ。お父様も、この勢力については黙って見過ごしはしないでしょうしね」


 エリーザが紙を受け取り、優雅に微笑む。


 レオが軽く肩をすくめると、エリーザは満更でもない様子で目を細めた。


 レオはテーブルの上に広げたままだった手紙を折りたたみ、≪クロノ・ボックス≫へと静かに収納すると、カップに残っていた紅茶を飲み干し、静かに立ち上がった。


「ま、慌てても仕様がない。一つずつ確実にクリアしていこう」


 レオの言葉に、皆が静かに頷いた。







 第3章 蒼波ヲ凌グ ―完―

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