第48話 影の根回し
ベル歴995年、雷の月11日。箱庭の屋敷の裏庭。
マリノンから帰還したレオは、船台に載せた小型単胴船を改造していた。
するとアイゼンの意匠が施された飾り小屋が光を放つ。
黒猫のノワルだ。
ノワルはレオに近付きながらヒト化の魔法≪ヒュマジオン≫を発動し、青年の姿であるノイアーへと姿を変えた。
「レオ様」
「おう、ノワル」
「これが、先日伺った船舶でございますか」
「ああ。ピアのやつ、いい船をくれたよ」
ピアから渡された船は、「クルーズ体験用」の小型船舶。
全長約二十メートルに及ぶ船体は、流体力学に基づいた滑らかでダイナミックな流線型のフォルムを持ち、ダークグレーとカッパーの二色で彩られている。
最大十五名が乗船可能な船内には、白い革張りソファが並ぶ広いメインサロンや、独立した三つの寝室、シャワールームが完備され、モダンで豪奢な空間が広がっていた。
船尾には小型エーテルリアクターを二基搭載している。
「それで、ノワル。さっき念話で〘お話があります〙って知らせてきたが?」
「ああ。さようでございました。ニクラウス様がレオ様にお話があると申しておりました」
ノイアーは居住まいを正し、静かな声で告げた。
「陛下が?用件はなんだろう?」
「はて。直接お渡ししたいものがあるとおっしゃっておりましたが、詳しい内容までは伺っておりません」
「そうか。わかったよ。片付けたらすぐに向かおう」
レオは手元の工具を置き、油で汚れた手を布で拭き取った。
「そういえば、箱庭に湖みたいな場所あったっけ?」
「ええ、ございます。ここより南へ3キロメートルほど行った場所に、小さいですがそれなりの湖が」
ノワルが船台の船に視線を向ける。
「テスト、でございますか?」
「ああ。まだ完成していないから、あとでな。おっと、着替えてくるよ」
「ええ。お待ちしております」
数分後。
油にまみれた作業着から、濃紺の上質な生地に銀糸の刺繍が施されたクロース侯爵家の正装へと着替えた。胸元には、家紋である「歯車と槌」のバッジが鈍い光を放っている。
レオが屋敷の地下倉庫へと降りると、そこには完璧に整えられた燕尾服に身を包んだノイアーがすでに待機していた。
レオは無言で頷き合うと、外へと続く質素な扉のノブに手をかけ、アイゼン王都にあるクロース侯爵邸のエントランスをイメージしてマナを流し込み、扉を開け放つ。
研磨された大理石の床と堅牢な石造りの壁が広がる、クロース侯爵邸のエントランスホール。
そこには、ちょうど外出の準備を整えたのか、透き通るような白銀の髪を優雅に結い上げた母エリーザと、私服のワンピースに着替えた聖女シルビアの姿があった。
たまたまエントランスを通りかかった二人は、空間の歪みから現れたレオたちを見て足を止める。
「あら、レオ。どこかへお出かけ?」
「ああ。陛下から呼び出しがあったんだ」
「お父様から?なにかしら?」
「さあ。それは行ってみないとわからない」
「そう……」
「母さんたちも、これから外出?」
「ええ。お天気が良いから、シルビアちゃんと少し王都を見て回ろうかと思ってね」
エリーザは上品に微笑む。以前からシルビアを気に入っていたエリーザは、水門巡礼の合間にクロース邸へ滞在している彼女をたいそう歓待していた。
「お父様からの呼び出しなら、気をつけて行ってきなさいな」
「レオさん、いってらっしゃいませ」
「ええ。いってきます。お二人も楽しんできてください」
シルビアの見送りの声に短く応え、レオはノイアーと共にエントランスを抜けて外へ出た。
邸宅の車寄せには、すでにノイアーの指示で手配されていた運転手付きの魔導車が待機している。
「準備がいいな」
「いえ。当然のことでございます」
二人が後部座席に乗り込むと、アイゼン王国製の最高級車両は音もなく滑るように走り出し、王宮へと向かった。
王宮に到着し、重厚な石造りの回廊を抜けた先。人払いが済まされた、豪奢な絨毯と調度品が整然と並ぶ一室にレオたちは通された。
アイゼン国王の私室である。
部屋の中央、重厚な執務机の上で手を組み、奥の椅子に深く腰掛けていたのは、アイゼン王国第三十五代国王、ニクラウス・クライノート・アイゼンであった。
「――来たか、レオ」
「お久しぶりです、陛下」
レオはアイゼン王国の貴族として、洗練された礼をとる。ノイアーもまた、レオの斜め後ろで恭しく頭を下げた。
ニクラウスは短く頷き、机の上で組んでいた手を解いた。
「急な呼び出しですまなかったな」
「恐縮です。……ノワルより、私に直接お渡ししたいものがあると伺いましたが」 「ああ。これだ」
ニクラウスは机の引き出しを開け、一枚の金属製カードを取り出して机の上に滑らせた。
八英雄の国連合防衛組織が発行する身分証兼ライセンス、【エナドカード】だ。
レオは一歩進み出て、その真新しいカードを手に取った。
「新たなエナドカードだ。お前のハンターランクを1級へ昇格させておいた」
「ハンターランク、1級……ですか」
「ああ。お前が『リオン』として積んできた実績も査定対象に含まれておる。本当はお前を特級にと推薦したのだが、さすがに三階級特進は認められなかった」
ニクラウスが短く鼻を鳴らす。
「大罪のマオンを倒した実績もあるというのにな」
「いえ。おそらくアレはまだ生きています。退けただけかと思われます」
「だとしてもだ。相手は大聖霊と対極をなすマオン。加護を持たぬヒトの身でありながら、それを退けた功績は揺るがん」
ニクラウスが低く重い声で断言する。
「ですが陛下。実際に戦ってみた私の見立てでは、アレに大聖霊と対極をなすほどの脅威を感じることはできませんでした」
「それならば良いのではないか?」
「いえ。だからこそあの時の虚飾のマタド・ク・シアは、本体ではなかったのではないかと」
「なるほどな」
「現在挑んでいる聖霊の試練において、大聖獣の模倣体と相対したことで、なおのことその推測は強くなっています」
「……試練か。そういえばその話はノワル殿から訊いておる。調子はどうだ?」
「光、風、水と、今のところ順調です」
「そうか。各国を周るにあたって新たなエナドカードは大いに役に立つであろう」
「ええ、確かに。ありがとうございます」
レオは懐に仕舞った金属製のカードに触れる。1級ハンターの資格は、他国での活動や国境の通過において、様々な活動をするにあたっての強力な証となる。
「……それと、エルフの森にマナトレインを通すらしいな」
「ええ。なんとか説得できました」
「あの頑迷なエルフたちを、よく説得できたものだな」
「間伐材を用いた木製の車体と、風属性マナによる完全静音結界の組み合わせですよ。森を傷つけない対等な共同事業として持ちかけたら、ヴァルグ王も首を縦に振ってくれました」
「なるほど。オスヴァルトの執念と、お前の手腕が見事に噛み合ったというわけか」
ニクラウスが感心したように深く頷く。
「ええ。父は今、水門の巡回整備で不在ですが、祖父と兄は、その間伐材の加工ラインを作るために西の新領地へ行っています」
「うむ。旧クプファー領での巨大工房だな」
「ええ。マナトレインの車体が完成したら、その後はクロロン大森林の現場で活動する手筈です」
「なるほどの。マルセルもマルクスもか?」
「さあ、そこまでは。一応予定では、クロロン大森林での現場指揮を、祖父が執る予定です」
「そうか。……そこでだ」
ニクラウスは姿勢を正し、王としての鋭い眼光を向けた。
「その期間、オリバーを西のクロース領の代官に任命し、ダミアンを補佐として同行させることにした。彼らに新領地を任せ、一から実務を学ばせる」
その言葉に、レオは微かに目を見開いた。
大罪紋から解放された第一王子オリバーと、兄の変貌を静観していた第二王子ダミアン。
彼らを王都の中枢から切り離し、旧クプファー領である西の国境都市の運営を学ばせる。
一見厳しい処遇だが、次期王となるハンスを支えるための教育であり、王族としてのやり直しの機会を与えるという、ニクラウスらしい強かな采配であった。
「なるほど。良い経験になるかもしれませんね。……それでは、これまであそこで新領地の管理をしていたノワルは?」
レオが尋ねると、ニクラウスは視線をレオの背後に控える黒衣の従者へと移し、口元を緩めた。
「ノワル殿ご自身の希望だ。どうしても引き続きお前の旅に同行したいと、私に直訴してきてな」
レオが背後を振り返ると、ノイアーは表情一つ変えることなく、恭しく一礼した。
「新領地の基盤はすでに整え、マルクス様への引き継ぎも完了しております。……私の居場所は、あくまでレオ様の傍らでございますから」
「そうか……」
レオが短く息を吐く。
主の旅に随行するため、有能な黒猫は水面下で完璧な根回しを済ませていたのだ。
「……それから、もう一つ。お前に渡しておくものがある」
ニクラウスが机の引き出しから、一通の封筒を取り出して机の上に滑らせた。
「手紙、ですか」
「ああ。ハンターズギルドに届けられていたものだ。先のクーデター未遂で建物は壊れたが、奇跡的に残っていたらしい」
レオは一歩進み出て、その封筒を手に取った。
「差出人の名前はない。中身は見ておらん。魔道具の検査でおかしなところはなかったから安全だ」
ニクラウスが淡々と事実を告げる。
無地の封筒の表には、ただ一言、宛名だけが記されていた。
「表には『リオン』とだけ記されている。アイゼンのハンターズギルドに登録されているリオンという名前は、お前の偽名以外いないからな」
ニクラウスの視線を受け、レオはその宛名を見つめる。
「……お手数をおかけしました。確かに、受け取りました」
レオは中身をその場で改めることはせず、封筒を上着の懐へ仕舞い込んだ。
「読まんのか?」
「ええ。差出人不明の代物ですからね。念のため、一人になった時に慎重に改めさせていただきます」
「そうか」
ニクラウスの短い言葉に静かに応じ、レオは深く一礼した。




