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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第3章 蒼波ヲ凌グ

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第46話 クニミツ・タチバナの憂慮

 ベル歴995年、雷の月7日、夜。


 マリノン海洋国の中心、巨大な海水湖に浮かぶマレード宮。その奥まった一角に用意された貴賓室で、拙者は一人、冷めた茶を喉に流し込んだ。


 窓の外からは、微かな波の音と夜の海風が静かに吹き込んでくる。


 本来であれば、拙者はオリガタ皇国の駐在大使として、王都セレナにある大使館で執務にあたっているはずだった。


 だが、現在はこうして他国の王城の一室に身を隠すように滞在している。


 三日前の出来事が、脳裏に蘇る。


 ルグラ島での拙者を狙った暗殺未遂。我が国の守護獣でもある、ギガ・ペリクスの襲来という未曾有の混乱に乗じて放たれた、五名の工作員たち。彼らは、拙者を確実に仕留めるために周到に配置されていた。


 ピア女王の側近であるフルーナ殿の鮮やかな水魔法の手際により、工作員たちは一人残らず生け捕りにされた。


 しかし、彼らは心臓に刻まれた遅効性の自壊術式を起動させ、己の命と引き換えに情報を吐く前に全員が絶命した。


 その直後、フルーナ殿から強く忠告された。


 拙者が単身でルグラ島の料亭へ向かった事実が、情報を意図的に流したとはいえ、これほど正確に暗殺部隊へ伝わっていたのだ。大使館の内部に「鼠」が潜んでいる可能性が極めて高い、と。


 大使館へ戻ることは自ら死地に赴くようなものだというフルーナ殿の論理的な提案に従い、拙者はこうしてマレード宮の客間で極秘裏に匿われることとなった。


 祖国オリガタは、北の『カムイ族』と本島を支配する『クニツ族』との間で、一触即発の内乱状態にある。


 鎖国によって外界の脅威を断ち切ったはずの国が、なぜ内側から崩壊しようとしているのか。中枢システムへの微細な干渉。その謎を解き明かすための切り札である〝トキノ〟の魂を持つ青年に希望を見出した矢先の、この襲撃である。


 控えめなノックの音が、拙者の思索と室内を満たす波の音を破った。


「タチバナ様。夜分に失礼いたします。お休みでいらっしゃいますか」


 扉の向こうから、部屋付きのメイドの静かな声が響く。マレード宮の奥深くに国賓として滞在している以上、世話役からの定期的な確認は欠かさず行われていた。


「ええ、起きております。どうしましたか」

「ピア女王陛下とフルーナ様、それに客人の方々がお見えでございます」

「……!どうぞ、お入りください」


 拙者が応じると、重厚な木製の扉が音もなく開かれた。


 一礼して下がるメイドの背後から姿を現したのは、深い青の王衣を纏ったピア女王と、その側近であるフルーナ殿。そして、アイゼン王国クロース侯爵家の次男、レオ・クロース殿と、聖女シルビア・スワン殿の姿があった。


 拙者は即座に椅子から立ち上がり、深く一礼した。


「タチバナ様。夜分に押しかけてすまんしたねぇ」


 フルーナ殿が気怠げに微笑む。


「いえ。皆様、ご無事の帰還、何よりでございます」


 彼らはつい先ほどまで、極秘の任へ赴いていたはず。決して容易い道中ではなかっただろう。


 だが、レオ殿もシルビア殿も涼やかな顔で、その底知れぬ余裕は、初めてお会いした時と何ら変わっていなかった。


「長居はしない。夜分にすまないな」


 ピア女王が勧められるままにソファへと腰を下ろし、他の三人もそれに続いた。


「三日前の件で何か進展が?」


 拙者が単刀直入に尋ねると、レオ殿は静かな声で答えた。


「ええ。結論から言うと、オリガタの内乱には西方の勢力が直接介入しています」  「西方……。あの五名について何かが?」  

「二名が異国風の装束で、見慣れぬ紋章の剣を持っていたのを覚えていんすか?」


 フルーナ殿の言葉に、拙者は頷く。


「ええ。たしか、不気味な紋でした」

「それなんですが、アイゼンのクーデターを裏で操っていた組織、『エヴィス』の紋と一致しました」


 レオ殿の決定的な言葉に、拙者の心臓が冷たく跳ねた。


「エヴィス……。西方諸国の裏組織ですね」


 レオ殿が微かに目を丸くした。


「へえ……。よくご存じで」

「あ、いえ。オリガタの高度な情報網があっても、組織名とそれが西側であるということ。おそらくは『ルーメン神教国』との繋がりがあるということぐらいで、詳細まではほとんどが謎に包まれている組織には変わりません」

「……まあ、無理もありませんね。大陸を分断する『星辰のステラ・コロナ』によって、西方の情報は物理的に封鎖されていますから」

「ええ」


 千年経っても〝コレ〟しか情報がない。だが近年、彼らの動きが活発になってきている気がする。


「私の方も、それがエヴィスの紋だと特定できたのもつい先ほど。私がアイゼンの動乱時にたまたま回収していた武器があったからこそです」


 そう言って、レオは何もない空間から一振りのロングソードを取り出した。その柄には、たしかに不気味な紋章がはっきりと刻まれている。


「たしかに……。この前確認した紋章と同一のものですね」


 鎖国体制の密室国家に、他国を裏から操る闇の組織が入り込んでいる。その事実を前に、拙者は慎重に言葉を継いだ。


「外界と遮断された国で、他国の組織が……。内乱の扇動も彼らの手引きだと?」

「断定はできませんが、おそらくは。アイゼンでのやり口に近しいですから」

「情報網を掌握し、偽情報を流し疑心暗鬼を生ませる、と」

「ええ。そうやって内側から国を崩壊させるのが、奴らの狙いなのでしょう」

「悪辣な手口です……。それに、カムイ族とクニツ族が対立する中、南のハヤト族の沈黙も不気味です」

「エヴィスの手駒に落ちているのか、別の理由か。証拠がない以上、現状は分かりません」


 レオ殿の客観的な分析に、拙者は重い息を吐き出した。


「……実は、拙者からも一つ」

「なんでしょう」

「捕らえた五名のうち一名は、我が大使館の庭番でした」

「大使館の職員が……」


 シルビア殿が、信じられないというように口元を覆った。


「ええ。彼は私の動向を監視し、本国へ報告しようとする私の行動を怪しんで、暗殺部隊を手引きしたのでしょう。彼自身は、怪しさを微塵も見せてはいませんでしたがね。結果論でしか申せませんが……大使館の内部すら、すでに奴らの息がかかっていたということになります」

「鼠がいたわけだ」


 ピア女王が深く頷くと、レオ殿の瞳に、鋭い光が宿る。


「自壊術式を刻むほどの管理です。エヴィスが内部勢力を完全に操る証拠ですね」

「ええ。とはいえ、いつまでも空ければ、潜伏する鼠に動く隙を与えませんか」

「すでに『マリノン騎士団の護衛で各諸島を視察中だ』と通達してありんす。実際に騎士団と遠目から見たら気付かない程度の影を用意して、視察もどきは進行中でありんすえ」

「視察の名目ですか。九つの諸島を巡っているとなれば、数日間の不在の正当な理由になりますね」

「……暗殺部隊からの連絡が途絶えた『鼠』は、匿われているのか視察中なのか、判断がつかなくなるわけだ」

「ええ。偽情報に踊らされ、疑心暗鬼で身動きが取れなくなりんすよ」

「……確かに。時間を稼ぐには十分な手立てですね」

「ああ。機を見て事実を公表し、タチバナ殿の身柄を保護しよう」


 ピア女王が力強く請け負ってくれる。


 拙者は短く息を吐き、その理にかなった処置に納得して頷いた。そして、椅子から立ち上がり、レオ殿に向かって深く、重々しく頭を下げる。


「レオ殿。内乱を止めるためには、貴方の知識と技術が不可欠です。……どうか、オリガタを救ってはいただけないか」


 頭を下げたまま懇願する拙者に対し、レオ殿は慌てる素振りも見せない。


「頭を上げてください。……エヴィスが絡むなら他人事ではありません」

「おお……!」

「ですが、今は動けません。私たちは自身の実力不足を補うための旅の途中です。次の国も待っています」

「それに、物理的な問題もありんす。特級魔獣の襲撃でオリガタ行きのタンカーが破壊されんした」

「……ええ。次の定期便は冬前になりますか」


 定期便という言葉に、レオ殿が眉を寄せる。


「それだって、今回の事件があったから、定期便が来るかも怪しいですよ」

「そ、そうなりますか……」

「ええ。それに、たとえ定期便が通常通り運航されても、私が訪れることができるのは、早くても来年になります」


 拙者は苦渋の事実を口にする。


「ですが、猶予はもって半年から一年。早ければ数ヶ月で内乱が勃発しかねません」

「分かっています。……ですから今は、マリノンで身の安全を確保してください。時が来たら、連絡します」

「そ、それはっ。……いえ、かしこまりました」


 一刻を争う事態でありながら、ただ待つことしかできない己の無力さに奥歯を噛み締める。


 拙者が深く一礼すると、レオ殿は短く応え、部屋の出口へと向かった。ピア女王やフルーナ殿、シルビア殿もそれに続く。


 彼らが貴賓室を去った後、拙者は窓辺に立ち、夜の海を見つめた。


 祖国の猶予は長くない。


 拙者は冷めた茶を飲み干し、彼らの旅の無事を静かに祈るしかなかった。

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