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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第3章 蒼波ヲ凌グ

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第43話 欺瞞の海

 時系列は三日前に遡る。


 ベル歴995年、雷の月4日。


 マリノン海洋国の東端に位置する貿易の拠点、ルグラ島。オリガタ皇国との唯一の窓口でもあるその島の桟橋に、一隻の連絡船が静かに接舷した。


 タラップが降ろされ、一人の男が降り立つ。


 深い藍色の和装を隙なく着こなした初老の紳士。オリガタ皇国から派遣されている駐在大使、タチバナである。


 彼は活気に満ちた港の喧騒を一瞥すると、迎えの者も呼ばず、単身で海を見下ろす高台へと歩みを進めた。


 目的の場所は、高台に佇むオリガタ料理の料亭『シラナミ』。


 白亜の石造りとオレンジの瓦屋根が混在するルグラ島にあって、純和風の木造建築を保つその店は、オリガタの要人たちが密かに利用する拠点でもあった。


 タチバナが暖簾をくぐると、奥から和服姿の女将が小走りで出迎えた。


「お待ちしておりました、タチバナ様」

「遅くなってすみません」

「いえいえ、ささ、こちらへどうぞ」


 女将の案内に従い、タチバナは店の最奥にある特別個室へと足を踏み入れた。


 周囲を強固な防音の結界で覆われた個室の中で、タチバナは卓上に置かれた通信用の魔道具を前に、深く重い息を吐き出した。


 本国オリガタにおいてタチバナ家当主を務める兄へ、緊急の連絡を入れるためだ。


 昨晩、マレード宮のテラスでピア女王から引き合わされた青年、レオ・クロース。


 彼が千年前の天才科学者にしてオリガタの最高頭脳『ショウ・トキノ』の魂を継ぐ者であるという事実は、内乱寸前の本国を救うための最大の切り札となる。事態は一刻を争う状況であった。


 タチバナが魔道具の起動スイッチに手を伸ばした、その時である。


「――こんばんわ、タチバナ様」


 個室の窓枠に、深い藍色の姫カットの髪を揺らす女が腰掛けていた。


 ピア女王の傍らに影のように控える得体の知れない側近、フルーナである。彼女は和服を着崩した姿で、右手に持つ煙管から紫色の煙を細く吐き出した。


 いかなる手段で侵入したのか、気配はおろか、窓が開く気配すら一切なかった。


「フ、フルーナ殿……!どうやってここに……!」

「ん?アチキにとっては、そんな難しいことではありんせんよ」


 フルーナは煙管を唇から離し、事も無げに告げ、そのまま窓枠から音もなく室内へと降り立つ。その身のこなしに、タチバナは背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 ここは厳重な警備が敷かれた料亭の特別個室だ。


 マナの気配すら一切感知させず、物理的な障壁を完全に無視して現れたこの女は、一体何者なのか。ただの女王の側近という枠には到底収まらない底知れぬ異質さに、タチバナが息を呑む。


「そんなことよりも、タチバナ様。ピア様から言伝がござりんす。でもその前に」


 フルーナは煙管を揺らし、タチバナの手に収まる通信端末へと冷ややかな視線を落とした。


「誰に連絡を取ろうとしていたのでありんす?」

「こ、これは……本国にいるタチバナ家の当主である兄に、緊急の報告を……」

「なるほど。昨晩お会いした旦那……レオ・クロース様のことを報告しようとしていたのでありんすね」


 図星を突かれ、タチバナの肩が微かに跳ねた。


「ええ……!フルーナ殿、拙者としては早急に本国の捜査を進めたいのです。タチバナ家の当主である兄を説得し、動かすためには、レオ殿――トキノ家の魂を持つ彼の存在を報告する必要があります」

「……間に合ってよかったでありんす。言伝というのは他でもありんせん。『レオのことは漏らさぬように』だそうでありんす」

「……ピア様がご自身で明かしておきながら、今更口止めですか」


 タチバナは深くため息をついた。


 一国の女王が勝手に最大級の機密を明かしておいて、後になって口止めに使いを寄越すという杜撰さに、内心で頭を抱えそうになる。


 だが、フルーナがそれに答えようとした、その時である。


 空気が激しく震え、海の方角から、大気を引き裂くような鼓膜を圧迫する咆哮が響き渡った。


 タチバナが弾かれたように窓の外へ視線を向ける。


 高台の窓から見晴らす宵の海。眼下に広がる貿易港のさらに先、ルグラ島近海の沖合で、局地的な嵐を思わせる強風が吹き荒れていた。


 常人の視力ではそこまでが限界だが、フルーナは目を細め、瞬時にチャクラを視覚へと回した。強化された眼球が、数キロ先の海上の光景を正確に捉える。


 空中で完全に静止する巨大な影。翼を広げれば二十メートルを超える威容が、その巨大な喉袋を震わせ、海面を揺るがすほどの咆哮を放っていた。


 特級魔獣、ギガ・ペリクス。


 国家レベルの脅威に分類される、鳥類系ペリカン型の超巨大魔獣である。


「……特級魔獣。随分とタイミングがよろしいことでありんすね。」


 フルーナが事も無げに告げる。その事実を聞かされ、タチバナの顔から完全に血の気が引いた。


「なっ……!なぜ、ここに……!」


 タチバナが絶句する横で、フルーナは窓の外から視線を戻し、タチバナの手に収まる通信端末へと冷ややかな目を向けた。


「もしや、タチバナ様」


 フルーナが細めた瞳の奥で、獲物を逃がさない冷たい光を放つ。


「今まさに使おうとしていたその端末で……潜伏している工作員に、決行の合図でも送るつもりでありんしたか?」

「いや!いやいやいや!拙者は兄上に連絡をしようと……!」

「冗談でありんす」


 フルーナは細めていた瞳を緩め、妖艶な笑みを浮かべた。


 タチバナが額に汗を浮かべて必死に否定するのを余所に、彼女は煙管の吸い口を唇に当て、紫色の煙を細く吐き出す。


「……話を戻しんしょう。口止めを忘れていたわけではありんせんよ。昨晩、ピア様があえてあの場で『トキノ』の名を出したのは……鼠をあぶり出すためでありんす」

「鼠をあぶり出す……?」


 タチバナが怪訝な顔を作る。フルーナは煙管を揺らし、室内の空気を見透かすように目を細めた。


「ええ。マレード宮のあのテラスは安全でありんすが、タチバナ様がマレード宮へ向かう道中、あるいは常日頃から、何者かの監視……盗聴の恐れがありんした。……現在のオリガタは、内乱寸前の極めて危険な状態にありんす」

「……ええ。だからこそピア様は、本国の窮地を救う切り札として、レオ殿を引き合わせてくださった」

「その通りでありんす。……マレード宮のテラスは波の音で盗聴は困難でありんすが、タチバナ様は驚きのあまり『トキノ』と大声を上げてしまいんしたね」


 図星を突かれ、タチバナがハッと息を呑む。


「これはあくまで推測にすぎんせんが、おそらく、細かい話は波の音にかき消されて聞こえなかったでありんしょう。だが、もし工作員がその『トキノ』という言葉だけを拾い、タチバナ様が内乱の影に『トキノ』の名があると勘付いたと判断したのなら……裏で糸を引く者たちはどう動くと思いんすか?」


 その推測が示す意味を理解し、タチバナの顔から血の気が引いた。


「……必ず、本国へ報告される前に口封じに動く」

「ご名答でありんす。タチバナ様もある程度気付いていたんざんしょ?大使館内に鼠がいることに」

「……」

「だから、この場所に一人で訪れたのでありんしょう?」

「……」

「無言は肯定と受け取りんすえ」


 フルーナは細めていた瞳を緩め、満足げな笑みを浮かべた。


 タチバナは沈黙した。彼が港から迎えも呼ばず、単身でこの高台の料亭へ足を運んだのは、本国への緊急連絡を誰にも悟らせないための警戒からだった。


「昨晩、ピア様があえてあの場で最大級の機密を口にしたのも、タチバナ様の周囲に潜み、内乱を裏で操る『鼠』を動かすための罠でありんした」


 昨晩のピアのあの言葉は、酒の勢いで滑らせたものではなく、古典的だが極めて効果的な罠だったのだ。


 本国から送り込まれた工作員、あるいは内乱を企てる首謀者の手先がタチバナを監視していると踏み、「タチバナがトキノの存在を知った」という事実を、あえて敵に掴ませたのである。


「タチバナ様が本国へ重大な報告をする前に、敵は必ず口封じに動く。そう踏んで、タチバナ様が今夜、このルグラ島にいるという情報を流しておきんした」


 フルーナは窓の外――数キロ先の沖合で滞空する特級魔獣へと視線を向けた。


「だが、特級魔獣とは予想外。あの魔獣が意図して呼び寄せられたものなら、鼠の背後にいる者の力は計り知れやせんね」


 本国からの工作員による、大使暗殺の罠。それを炙り出すために、マリノン側が意図して情報を操作した結果が、眼前の脅威である。


「悠長に話している場合じゃありんせんね」


 フルーナは腰に差したオリガタ刀に左手を添え、窓枠へと身を躍らせた。そして、左耳に揺れるピアスに指先で触れる。


 瞬間、淡い光が彼女の身体を包み込んだ。


 光が晴れると、だらしなく着崩していた和服は、動きやすいよう計算された濃紺の戦闘用和装へと姿を変えていた。


 闇の大聖獣カドリーの分身体であるキュートが紡いだ糸の生地をベースに、随所には真鍮の歯車や無骨な革の装具があしらわれている。


 レオが自身の魔法と魔導科学の粋を集めて仕立て上げた、スチームパンク様式の特製和風装備への瞬時の換装。


 タチバナが驚愕する。


「さて行きんしょう。タチバナ様にも手伝ってもらいんすえ」

「……せ、拙者も、ですか?」


 タチバナが問うと、フルーナは夜の海風を一身に受けながら妖艶に微笑んだ。

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