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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第3章 蒼波ヲ凌グ

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第38話 水都の夜と異国の使者

 ベル歴995年、雷の月2日。


 マリノン海洋国の首都セレーナの中枢、巨大な海水湖に浮かぶマレード宮。


 天井からは魔力光を湛えたシャンデリアが柔らかな光を落とし、壁面の透かし彫りからは、夜の海風が静かに吹き込んでいる。広間の片側は水路と直接繋がっており、微かな波の音がオーケストラの奏でる緩やかな調べに心地よく混ざり合っていた。


 大広間は、昼間に執り行われた水門巡礼の成功を祝う晩餐会の場となっている。


 華やかな歓談の輪が広がる中央付近では、純白の法衣を纏った聖女シルビア・スワンが、深い青の王衣を纏った女王ピア・マリノンとともに、列席する貴族たちと穏やかに酒杯を交わしている。


 千年の統治を続ける長命なセイレーン族の女王と、癒の聖霊アウローラの加護を受ける稀代の聖女。二人の存在感は、異国情緒あふれる大広間の中でも一際目を引くものであった。


 その光景を、少し離れた壁際のバルコニーに近い場所から、レオ・クロースは静かに見守っていた。


 濃紺の上質な生地に銀糸の刺繍が施された、クロース侯爵家の正装。手にしたグラスの果実水を揺らしながら、広間の熱気を肌で感じる。


 不意に、隣から強い酒の香りが漂ってきた。


「よぉ、レオ」


 声の主は、父であるオスヴァルト・クロースだった。


 アイゼン王国の高位貴族に相応しい上質な礼服を纏ってはいるが、広い肩幅と分厚い胸板は、職人としての武骨さを隠しきれていない。


「親父」


 レオが短く応じると、オスヴァルトは手にしたグラスの強い酒を呷り、バルコニーの外に広がる夜の運河へ視線を向けた。


「マリノンは初めてだろ。どうだ?この国は」

「どうって云われてもなあ。……まあそうだなあ。水の都の名にふさわしい美しい景観と、美味しい料理。まだ、この街を観光していないからな。今のところはそんなところだ」

「着いたのは昨日だったか?」

「ああ。それに遊びに来たわけじゃないからね」

「違えねえ」


 オスヴァルトが豪快に笑い、グラスの中の酒を呷った。


「――お二人とも、こちらにいらっしゃいましたのね」


 親子の短い会話に割って入るように、凛とした声が響いた。


 振り返ると、純白の法衣に身を包んだ聖女シルビア・スワンが立っていた。彼女の顔には、大広間の中央でピア女王や要人たちと交わしていた外交の緊張から、わずかに解放された安堵の色が浮かんでいる。


「お疲れ様です、シルビアさん。外交の顔は一休みですか?」


 レオが気遣うように声をかけると、シルビアは小さく息を吐いて微笑んだ。


「ええ、少しだけ。この国の要人の方々へのご挨拶も、一段落いたしましたわ。昼間の水門での儀式が無事に終わり、ようやく肩の荷が下りて、こうして心置きなく晩餐会を楽しんでおります」

「そういや、見事な祈りだったぜ、シルビアちゃん」


 オスヴァルトが労うと、シルビアは居住まいを正して頭を下げた。


「オスヴァルト様が組み上げてくださった濾過装置のおかげですわ。わたくしはただ、祈りのマナを流し込んだに過ぎません」

「謙遜するな。そもそも初代のノーマンは、歴代の聖女の『祈り』を組み込む前提で、あの水門を設計したんだ。俺の基礎設計が頑丈なのは当然だが、ガルズ湖の淀みを一掃するには、お嬢ちゃんの純度の高い『癒』のマナがなきゃ、あの巨大な施設はただの石の塊でしかねえ。胸を張れ」


 クロース家の技術による物理濾過と、聖女による浄化。初代から続くその両輪が揃って初めて、世界へ清浄な水を供給するインフラが成立する。職人としての絶対的な自信と、聖女への確かな評価。オスヴァルトの言葉に、シルビアは少しだけ頬を緩めた。


「おう、ここにいたか、レオ。それにオスヴァルト殿も」


 少し遅れて、大広間の中央から女王ピア・マリノンが歩み寄ってきた。


 深い青の王衣を纏う彼女の首元には、水陸両生の種族であるセイレーン族特有の鰓が静かに呼吸を打っている。


 そして、ピアの隣にはもう一人、見知らぬ男性が並び立っていた。


 深い藍色を基調とした、質素ながらも洗練された和装。派手な装飾は一切ないが、生地の光沢や仕立ての良さから、決して貧乏くさい印象は与えない。背筋が真っ直ぐに伸びた、初老の紳士であった。


「ピア陛下。それに……そちらの方は?」


 レオがアイゼン王国の貴族として礼節を弁えた声で尋ねると、ピアは手を軽く男性に向けて掲げた。


「紹介しよう。オリガタ皇国から我が国へ派遣されている大使のタチバナ殿だ」


 鎖国中の極東の島国、オリガタ皇王国。マリノンは世界で唯一、彼らと国交を持つ窓口である。その言葉に、オスヴァルトの目が僅かに見開かれ、シルビアが姿勢を正す。


 和装の男性は、音もなく滑らかな動作で一歩前に出ると、深く、そして美しい所作で一礼した。


「お初にお目にかかります。オリガタ皇国より、大使として赴任しておりますタチバナと申します。アイゼン王国のクロース侯爵家の方々、そしてバーディア聖王国の聖女様。どうぞお見知りおきを」


 タチバナと名乗った大使の声は、穏やかでありながら芯が通っていた。


「アイゼン王国、クロース侯爵家次男、レオ・クロースです。こちらは父で現在のアイゼン王国クロース侯爵家当主のオスヴァルトです」


 レオはグラスを持ち直し、アイゼンの貴族として、相手の礼節に応じるように静かに頭を下げた。


「聖女のシルビア・スワンと申します。お見知りおきを」


 シルビアも優雅なカーテシーで応じる。


 一通りの挨拶が済むと、オスヴァルトが鼻を鳴らし、グラスの中の酒を揺らした。


「それで?オリガタの大使様が我々になにか?」


 単刀直入なオスヴァルトの問いに、ピアが応じる。


「其方らというか、レオにだな。レオ。ちょっといいか?」

「……私に、ですか?」


 レオが眉を寄せると、ピアは静かに頷いた。


「ああ。少し込み入った話になる。場所を移そう」


 レオは隣に立つオスヴァルトとシルビアに視線を送る。オスヴァルトは「行ってこい」とばかりに軽く顎をしゃくり、シルビアも小さく頷いた。


 ピアとタチバナに続き、レオは大広間の喧騒から離れ、人気のないさらに奥のテラスへと移動した。


 魔力光の届かない薄暗いその場所は、夜の海風が直接吹き込み、足元に打ち寄せる波の音が聴こえてくる。


 三人はテラスに設置されているテーブル席へ腰を掛けた。


 人目がないことを確認すると、タチバナは表情を硬くし、ピアへと疑問をぶつけた。


「ピア殿。なぜ、八英雄の国の『匠聖』であられるオスヴァルト殿ではなく、御子息に?」


 世界最高峰の魔道具師である当主のオスヴァルトではなく、実績の少ない若い次男を名指ししたピアの意図が、タチバナには理解できなかった。


 だが、ピアは波の音に耳を傾けたまま、ふっと口角を吊り上げた。


「それは、後ほど説明する。今は騙されたつもりで話されよ」

「……承知いたしました」


 水都の女王の有無を言わせぬ言葉に、タチバナは小さく息を吐いて引き下がった。そして、改めて深く、重々しくレオに向かって頭を下げた。


「夜分に突然のお声がけ、誠に申し訳ございません。レオ殿」

「いえ……それで、タチバナ大使。私にどのようなご用件でしょうか?」


 レオがアイゼン王国の貴族として、礼節を弁えた静かな声で先を促す。


「単刀直入に申し上げます。我が国、オリガタ皇国は現在、未曾有の危機に瀕しております。……北島の『カムイ族』と、本島を支配する『クニツ族』。双方が互いの正統性を主張し、一触即発の内乱寸前の状態にあるのです。かつては義を重んじ、共存していた彼らが、今は互いを激しく憎み合っております」


 タチバナは夜の運河を見つめながら、絞り出すように言葉を紡いだ。


「鎖国をして外の脅威を断ち切ったはずの国が、なぜこれほど急速に内側から崩れようとしているのか。我々も不審に思い、極秘裏に調査を進めておりました。その結果判明したのは、国の中枢システムへの微細な干渉でした」


 タチバナは顔を上げ、静かにレオを見据えた。


「はじめはカムイ族の手の者による介入かと考えていたのですが……。そもそも、国の中枢管理システムはオリガタにおいていわば心臓です。それに干渉できる者など、ごく一部に限られます」


 タチバナは苦渋の色を滲ませながら、さらに言葉を絞り出す。


「もし、情報を司る内側の者が意図して中枢に干渉し、国を内乱へ導こうとしているのだとしたら……オリガタは完全に崩壊するでしょう」


 タチバナは深く頭を下げた。


「裏を取るのは我々の仕事です。ですが、システムの異常を証明するための技術的な解析において、どうしてもクロース侯爵家の魔導科学の粋を頼りたく……。どうか、オスヴァルト殿にお力をお貸しいただけないかと、ピア殿にご相談申し上げていたのです」

「中枢管理システム……」


 レオがぽつりと呟いた。


 横で黙って聞いていたピアが、夜の海風を浴びながら静かに口を開く。


「タチバナ殿。其方の国のその心臓とも言えるシステム。それに干渉できるほどの頭脳と権限を持った一族といえば……心当たりは一つしかあるまい?」


 ピアの問いかけに、タチバナは苦渋に満ちた表情で、重々しく頷いた。


「……ええ。皇王家に次ぐ権力を持ち、オリガタ文明の中枢を担う『彼ら』を、我々も疑ってはおりました。ですが、彼らが国を裏切って内乱を企む理由が見当たらず……」

「だが、もしその最高頭脳の一族が、大罪のマオンに巣食われ、利用されているとしたらどうだ?」


 ピアの言葉に、タチバナが息を呑む。


「だからこそ、こやつの出番というわけだ」


 ピアはタチバナにそう告げると、隣で黙って話を聞いていたレオへと視線を移した。


「なあ、レオ。お前なら、そのシステムの深淵に潜むことわりに心当たりがあるのではないか?」


 ピアは悪戯っぽく、しかし確信を突くように、千年の時を超えたその名を口にする。


「ん?どうだ?気にならないか? ――〝ショウ・トキノ〟よ」

「お前……」


 レオがジト目を向ける。


 その名を聞いた瞬間、タチバナが微かに息を呑み、驚愕に目を見開いた。


「ぴ、ピア殿!今、なんと申された!?拙者の耳にはたしかに〝トキノ〟の名が……!」


 洗練された大使としての仮面が完全に剥がれ落ちていた。


 思わず武家の出である『拙者』という素の一人称が飛び出し、タチバナは椅子を蹴立てんばかりの勢いで身を乗り出した。その顔は驚愕に染まり、声はかすかに震えている。


 クニツ族の中枢科学者一族、『トキノ家』。


 ショウは千年前の英雄にして、オリガタ皇族の次に権力を持つ名家の次男。特にそのショウは、トキノ家の歴史上最も優れた人物として、オリガタにおいてその名を知らぬものはいない。


 タチバナは、中枢システムへの干渉を行っているのが他でもない自国の最高頭脳『トキノ家』であるという苦渋の推測と、目の前の青年の姿、そして伝説の天才の名を重ね合わせた。


 ピアが先ほど言った「騙されたつもりで話されよ」という言葉の真意、すなわち一族最高の頭脳の魂がこの青年に宿っているという事実にたどり着いたかのように、言葉を失って震えていた。


「声がでかいぞ、タチバナ殿。其方らの国では『壁に耳あり障子に目あり』という諺があるのであろう?」


 ピアが静かにたしなめると、タチバナはハッと我に返り、慌てて居住まいを正した。


「し、しかし……いえ、おっしゃるとおり面目ございません」


 タチバナが口を噤むと、テラスには再び夜の海風と微かな波の音だけが響いた。


 レオは手にしたグラスの果実水を静かに揺らし、遠くの暗い運河へと視線を流す。数秒の沈黙の後、彼は淡々とした声で口を開いた。


「……事情は分かりました。近いうちに機会を作って、お話を伺いましょう」


 レオが告げると、タチバナは弾かれたように深く、そして先ほどよりもさらに深い敬意を込めて頭を下げた。


「か、感謝いたします……!どうか、よろしくお願いいたします!」


 タチバナは顔を上げると、周囲の気配を気にするように素早く視線を巡らせた。


「……夜分に長々と引き留めてしまい、申し訳ございません。私はこれで失礼いたします」


 これ以上の密談は、かえって周囲の耳目を集めかねないと判断したのだろう。タチバナは再び深々と一礼すると、大使としての洗練された所作を辛うじて取り繕いながら、足音を立てずに広間の喧騒の中へと戻っていった。


 テラスには、ピアとレオの二人だけが残された。


「……悪趣味だぞ、ピア」

「カッカッカッ。だが、無視はできまい?」


 ピアのからかいを背に受けながら、レオは小さく息を吐いた。


「今すぐにとは云わんよ、レオ。だが、時間は多くない。だから考えておいておくれ。お前の魂に刻まれた記憶の人物の故郷の現状を」

「……ああ」


 テラスでの密談を終え、レオは静かに息を吐き出すと、グラスを片手に、オスヴァルトとシルビアが待つ喧騒の大広間へと戻っていった。

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