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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第3章 蒼波ヲ凌グ

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第36話 オリガタタウン

 マリノンの中心、巨大な海水湖に浮かぶマレード宮での謁見は、滞りなく終了した。


 建国より約千年にわたり統治を続ける初代女王ピア・マリノンとの公式な顔合わせを経て、翌日に控えたガルズ湖畔にある『蒼瀑の大水門(カタラク・ゲート)』での水門巡礼についての打ち合わせが行われた。


 そして、夜。


 潮の香りと出汁の入り交じった匂いが漂う、活気に満ちた一角。


 白亜の石造りをベースとした建物に、木造の軒先やオレンジ色の瓦屋根が連なる。


 通りには淡い光を放つ提灯が整然と並び、行き交う人々の中には独特の和装を羽織る者の姿も目立っていた。


 店先からは新鮮な海産物を炙る煙が立ち上り、開放的な港町の景色に極東の伝統的な様式が違和感なく溶け込んでいる。


 鎖国中の東の島国、オリガタ皇国の民が住まう居留区、通称「オリガタタウン」にある大衆食堂の木製テーブルを囲み、レオは目の前に座る人物へ向けて静かに口を開いた。


「ピア陛下」

「なんだ?」

「なぜいるんですか?」


 レオの問いに、ジョッキに注がれた黄金色の酒を煽っていた女性――マリノン海洋国女王ピア・マリノンは、豪快に口元を拭って口端を吊り上げた。


「なぜって、かつての戦友が来たのだ。歓迎の酒を酌み交わすのは当然であろう」


 ピアは王衣ではなく、動きやすいラフな衣服を纏っている。だが、その艶やかな青色の髪や、首の付け根にうっすらと見えるセイレーン族特有のエラは隠しきれていない。


 ピアは国民と距離感が近い女王として知られており、この食堂においても、通りがかった店の者が「おや、ピア様じゃないか。今日も飲みに来たのかい」と軽口を叩くほどに、彼女の振る舞いはフランクであった。


 ピアもそれを咎めることなく、豪快に笑ってジョッキを突き出している。


「だとしても、一国の女王が護衛もつけずに大衆食堂というのは、いささか不用心ではありませんかね」

「堅苦しいことを言うな。千年前も、そうやって細かいことばかり気にしていたな、お前は」


 ピアが楽しげに目を細めると、レオの内に眠る英雄の記憶が自然と表出する。


 強張っていたレオの肩から力が抜け、かつての戦友に向ける気安い笑みが浮かんだ。


「……相変わらずだな、ピア。お前のその酒癖の悪さは千年前から治ってないのか」


 レオの態度の変化を見ていたシルビアが、少しだけ目を丸くした。


「レオさん。ヴァルグ様の時もそうでしたけれど、千年前のお知り合いと接する時は、本当に雰囲気が変わりますわね」

「仕方ないですよ。こいつら相手に畏まっても、調子を狂わされるだけですから」


 レオが苦笑すると、隣で豪奢な和服を着崩したフルーナが、煙管から細い紫煙を吐き出して妖艶に笑った。


「ふふっ、ピア様は昔からこういうお方でありんすよ。……さあ、シルビアも遠慮せず、このオリガタの料理を食べてごらんなんせ。絶品でありんす」


 フルーナが勧めたのは、新鮮な魚介を薄く切り、独自の黒い調味料をつけて食べるオリガタの伝統料理だ。 


 シルビアは恐る恐る箸を手に取り、口に運ぶ。


「まあ……。生の魚と聞いて少し抵抗がありましたが、全く臭みがありませんわ。それに、この黒いソースが素材の甘みを引き立てて……とても美味しいです」

「ん」


 シルビアの隣では、クレアが器用に箸を使いこなし、黙々と魚の切り身を口に運んでいる。五歳児ほどの小さな体躯と普段の脱力した様子からは想像できないほどの速さで、すでに皿の上は空になりかけていた。


 通りがかった食堂の者が、手際よく空いた皿を下げ、温かい茶を新しく置いていく。


 ピアは思い出したように、少しだけ口角を上げた。


「そういえば水門の方には、もう一週間ほど前からお前の父親が入り浸っていたぞ。アイゼンの『匠聖』の仕事ぶり、私も少し覗かせてもらったが……あれは、ノーマン以上に頭のネジが飛んでいるな」

「……親父に会ったのか。まあ、親父は一度作業に入ると周りが見えなくなるからな。迷惑をかけてなきゃいいが」

「迷惑などかけていないさ。むしろ、あの複雑な機構の修繕をあっという間に完了させてな。明日の聖女によるマナ補填の儀式にも施設内で控えて様子を見る、と言っていたぞ」


 ピアが豪快に笑い、再びジョッキをあおる。


「ところで、レオ。いや、ショウ」


 ピアがふと、手元の酒から視線を上げてレオを呼んだ。


「ん?」

「なつかしいだろ?」

「え?あ、ああ。まあ、そうだな」

「なんだ?お前の故郷の味だろ。それにこのオリガタタウンの雰囲気も」


 その言葉に、隣で箸を進めていたシルビアが弾かれたように顔を上げ、目を丸くした。


「え!?英雄ショウ様の出身ってオリガタだったんですの?」

「そうだぞ」


 ピアが事もなげに頷く。シルビアの驚きの視線を受け、レオは自身の前に置かれた黒いソースのかかった魚の切り身を見つめ、少しだけ困ったように眉を下げた。


「どうかな?俺の意識の大半はレオに依存しているからな。それにオリガタにいたのは10代までで、その後は国を出て留学しちまって、一度も戻っていないし」


 レオは手元の茶を一口すすり、黒いソースのかかった切り身へ視線を落とした。


「懐かしいというより、記憶の底にある記録と照らし合わせているような、不思議な感覚だよ」

「ふん。まあ、無理もないか」


 ピアはジョッキの酒を煽り、小さく息を吐いた。


「それに、今のオリガタは、お前がいた千年前とは随分と様子が違うからな」

「……どういうことだ?」


 レオの問いに、隣に座るフルーナが煙管から細い紫煙を吐き出した。


「一触即発、内乱寸前でありんすよ」

「内乱……ですか?」


 シルビアが不安げに顔を寄せる。フルーナは煙管の吸い口をテーブルの縁で軽く叩き、灰を落とした。


「ええ。北島の『カムイ族』が、自分たちこそがオリガタの真の原住民族であると訴え、蜂起しんした。現在、中央の本島を支配する『クニツ族』と真っ向から対立している状態でありんす。双方が互いの正統性を主張し、一歩も引かぬ構えでありんすよ」


 オリガタ皇国は現在、鎖国体制を敷いている。外界との国交を断ち、独自の文化と技術を保持している島国だ。唯一の貿易の窓口であるマリノン海洋国だからこそ、その閉ざされた内部事情が正確に伝わってきているのだろう。


「カムイ族と、クニツ族……」


 レオは脳内のショウの知識を検索する。


 千年前のオリガタに、部族間の対立など存在しなかった。義を重んじ、穏やかな気質を持つ彼らが、国を二分するほどの内乱を起こすなど、当時の記憶からは到底考えられない事態だ。


「かつて海外からの内政干渉を受け、一度国体が崩壊しかけた。その教訓から鎖国を決意し、外の脅威を断ち切ったはずなのに、今度は内部から崩れようとしているわけか」

「左様でありんす」

「……昔は、部族間の対立なんて無かったはずだ。外からの干渉を断ち切った密室での、不自然な内乱」

「レオさん、それは……」


 シルビアが不安げに顔を寄せる。レオは茶を一息に飲み干し、静かに、だが確信を持って告げた。


「ええ。その陰にはおそらく……〝奴ら〟が絡んでいる可能性がありますね」


 その言葉に、黙々と魚を食べていたクレアがピタリと箸を止め、薄い金色の瞳を鋭く細めた。


 ヒトの負の感情と悪意を喰らい、精神を操って国を内側から崩壊させる存在。


 八大罪のマオン。


 閉ざされた密室での疑心暗鬼と争いなど、奴らにとってこれ以上ない極上の餌場に他ならない。


「どれぐらいもちそうだ?」


 レオが視線を上げ、正面に座るピアを見据えた。


「ん?」

「オリガタはどれぐらい現状を保てそうだ?」


 レオの問いに、ピアはジョッキの縁を指でなぞりながら、表情を険しくした。


「さあな。今はフルクマ家とユリワカ家が睨みを利かせているが……もって二年。早ければ半年後にはというところか」

「武家のフルクマとユリワカ、か。ヤマト家は?」


 千年前の記憶を持つレオが、オリガタの武を司る筆頭の家柄を口にする。だが、ピアは首を横に振った。


「ヤマト家はなぜか沈黙している」


 ピアは呆れたように肩をすくめ、空になったジョッキをテーブルに置いた。


「まったく。どこもかしこも、平和とは程遠いな。……まあいい。せっかくの歓迎の宴だ。面倒な話はこれくらいにして、今はただこの酒と料理を楽しむとしよう」

「……そうだな」


 レオが頷き、再び箸を手に取る。


 活気に満ちたオリガタタウンの喧騒の中、不穏な影を意識から払い、かつての戦友たちとの再会を祝う穏やかな夜が更けていった。

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