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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第3章 蒼波ヲ凌グ

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第35話 美しき水の都『セレナ』

 ベル歴995年、雷の月2日。


 寝台マナトレイン『ザフィーロ・マーレ』の最後尾に連結された展望ラウンジ車両。側面から天井まで続き、日差しを軽減させる加工が施された巨大な曲面ガラスがある。近づく目的地マリノンの景色をパノラマ絵画のように切り取っていた。


 大陸の南東、海へと突き出た半島の先端。その周囲を囲む九つの島々が天然の防波堤となり、波の穏やかな入り江を形成している。


 外洋とぶつかる本流付近には、白波を立てる巨大な渦潮が幾つも発生し、都市を守る天然の防衛線として機能しているのが見て取れた。


「見事な景色ですわね。海が、透き通るようなサファイアブルーですわ」


 ラウンジのゆったりとしたソファで、シルビアが感嘆の声を漏らす。彼女の碧眼には、陽光を反射して煌めく水面が鮮やかに映り込んでいる。


「ええ。ですが、街並みも独特ですよ。見てください」


 レオが窓の向こう、半島に広がる首都セレナを指差す。


 都市の中心には巨大な海水湖があり、そこから水路が葉脈のように街全体へ張り巡らされている。建物の基本は白亜の石造りだ。


 だが、その白壁の頭上には、異質なオレンジの瓦屋根が乗せられており、独特の景観を作り出している。


「白亜の洋館と、オレンジの瓦屋根。……随分と不思議な調和ですわね」

「鎖国状態にあるオリガタ皇国と、世界で唯一国交を持っている国ですからね。あちらの文化や技術が流入しているんです。……石造りの躯体に瓦屋根という、機能性と美観が上手く融合した、実に見事な造りですよ」


 レオは技術屋としての視点で、石造りの街並みに違和感なく溶け込むオリガタ式の屋根を評価する。


 窓際では、クレアがガラスに手をつき、食い入るように外の景色を見つめていた。その薄い金色の瞳が、海を行き交う二つの胴体を持つ船の動きを追っている。


「……ふね」

「ああ、エクレア。あれはオリガタ製の魔導双胴船だ。波の揺れに強く、安定性が高い構造になっている。このマリノンの島々を渡る連絡船や入り江の遊覧船は、ほとんどがその型で統一されているはずだよ」


 レオが背後から頭を撫でると、クレアは満足そうに喉を鳴らした。


「気持ちよさそうですわね。……今回私たちが向かう水門や聖域は、この入り江とは逆方向のガルズ湖側でしたわね。でも、あの遊覧船にも乗ってみたいですわ」


 シルビアが少し名残惜しそうに、窓の外の景色を見つめる。


「ええ、いいですね。俺ももう少し優雅な旅を楽しみたいところですが、着いたらすぐ忙しくなりますからね。……マリノンの『蒼瀑の大水門カタラク・ゲート』に組み込まれた『魔導透水殻マナ・ペルメア』のフィルター交換で、巡回中の親父が今現地で作業してるんです」

「まあ。では、オスヴァルト様が?」

「ええ。あそこは世界最大の水門なだけに、潮の干満と水圧の計算がシビアですからね。親父が組み込む新しい装置に俺の時空属性魔法を付与して、水圧変化を自動で最適化できるようにしておいたんです」

「レオさんの魔法が、マリノンの水門にも使われるのですね」

「そうですね」


 レオは微かに口元を緩めると、懐中時計を取り出して時刻を確認した。


「……そろそろですね。間もなくセレナ中央駅に到着します。個室に戻って、降りる準備をしましょうか」


 レオが立ち上がると、シルビアも頷き、クレアの手を引いてラウンジ車両を後にした。


 それぞれの個室へ戻り、トランクケースを手にした直後、列車が滑らかに減速を始めた。


 『ザフィーロ・マーレ』がガラスドーム状の巨大な駅舎へと滑り込む。風属性マナによる逆噴射が作動し、重厚な車体が音もなく停止した。


 気密ロックが解除され、扉が開く。


 ホームに降り立った瞬間、潮の香りを帯びた湿気のある風が肌を撫でた。


「アイゼンやバーディア、それにセルバンとは全く違う空気ですわね」


 シルビアが周囲を見渡す。


 駅を行き交う人々の姿は、一見するとヒュマーノ族と何ら変わりない。だが、すれ違う彼らの首元や上あごの付け根付近には、うっすらとエラのような器官の筋が確認できた。


 セイレーン族は陸上では肺呼吸を行い、水中ではエラ呼吸に切り替える完全な水陸両生の種族だ。


 手足の指の間にはわずかな水かきがあり、眼球には水中でも視界を鮮明に保つための透明な保護膜が備わっている。ホームグラウンドである水中に引きずり込まれれば、ヒュマーノ族とは比較にならない機動力を発揮する厄介な相手となる。


 一行が改札を抜け、駅前広場へと出る。活気に満ちた港町の喧騒が彼らを迎えた。


 広場には、新鮮な海産物を並べる露店や、観光客向けの土産物屋が軒を連ねている。


 その中で、レオの視線が広場の一角にある小さな建物に止まった。


 白亜の石造りでありながら、オレンジの瓦屋根を戴いた小さな建物。その入り口には、制服姿のセイレーン族の兵士が立ち、観光客に道案内をしている。


「あれは……オリガタ式の〝コウバン〟ですね」


 レオが視線の先を見て分析する。


「巨大な詰め所に兵士を集中させるのではなく、街の要所に小規模な拠点を分散配置して常駐・巡回させるシステム。……治安維持と観光案内を両立させる、実に無駄のないインフラですね」


 レオが技術と社会システムの見事な融合に感心したように呟く。


 その時だった。


「――おや、随分と感心しておいででありんすね」


 背後から、甘く、気怠げな声が響いた。


 振り返ったレオの目に映ったのは、深い藍色の姫カットの髪を揺らす女性――水の大聖霊アイルヴィーズの加護を持つ聖猫フローのヒト化した姿、フルーナだった。


 彼女は相変わらず、豪奢な和服をだらしなく着崩している。帯にはオリガタ刀が差され、右手には細長い煙管が握られていた。


「ようこそ、マリノンへ。お待ちしておりんしたよ、旦那様」


 フルーナは煙管を口元から離し、紫色の煙を細く吐き出しながら妖艶な笑みを浮かべた。


「おお、フローか」


 レオが軽く手を挙げて応じると、フルーナはくすくすと笑った。


「ここは良い街でありんすよ。文化も、技術も、そして……食事もね」


 フルーナが視線をずらし、レオの傍らに立つシルビアと、自身をじっと見つめるクレアへと目を向ける。


「シルビアも、箱庭で会った時より随分と逞しい顔つきになりんしたね。エクレアも息災のようで何よりでありんす」

「ん」


 クレアが短く応え、シルビアが親しげに微笑む。


「お久しぶりですわ、フローさん。相変わらずお綺麗ですこと」

「ふふっ、嬉しいことを言ってくれんすね。……宿は手配してありんす。まずは荷物を置いて一息つくことでありんす」

「助かるよ。そこで正装に着替えてから、マレード宮へピア女王に挨拶に行きたい。……ちなみに、宿はどこを取ってくれたんだ?」

「『ホテル・ペルラ』でありんす」

「おっ!ペルラか。泊まってみたかったんだよ。ありがとう、フロー」


 レオが目を輝かせ、素直な称賛を口にすると、フルーナは煙管を帯に差し込み、得意げに踵を返した。


「ふふっ。旦那様に気に入っていただけたのなら、何よりでありんす。……さあ、ご案内しんす」


 フルーナに導かれ、一行は駅前の広場を抜け、都市を縦横に走る運河の乗船場へと向かった。


 そこには、日除けの屋根が設えられた小柄な双胴船が、波に揺れることなく静かに停泊している。


「歩きでは少々距離がありんすからね。宿までは水路を行きんしょう」


 フルーナの合図で、船頭のセイレーン族がレオたちのトランクケースを手際よく船へと積み込んでいく。一行が客席へ乗り込むと、船は音もなく滑るように水路を進み始めた。


 船上からは、両岸に立ち並ぶ白亜の街並みと、行き交う人々の活気が間近に感じられる。水路の幅に余裕があるため、行き違う船同士の往来もスムーズだ。


「ペルラは海鮮料理も絶品だとガイドに書いてあった。ちょうど昼時だし、今から楽しみだよ」


 レオが頬に受ける海風の心地よさに目を細めながら言うと、フルーナは艶然と微笑んだ。


「ふふっ。ですが、昼食は軽く済ませておくことをお勧めしんす。マレード宮での謁見が終わった後の夜は、『オリガタタウン』にでもご案内しんしょうか。あそこなら、極上の海鮮をオリガタの料理と一緒にさらに楽しめりんすよ」

「オリガタタウン?」


 シルビアが不思議そうに首を傾げた。


「ええ。唯一国交があるこの国には、オリガタの人間が住まう居留区がありんす。独自の文化を疑似体験できる場所として、観光客にも人気でありんすよ」


 フルーナが煙管を揺らしながら説明を続ける。


「あちらの人間は基本、とても穏やかな人種でありんす。不義で生を永らえるくらいなら死を選ぶような高尚な気質を持っていんすから、この国の民とも問題なく、上手く共存しているんでありんすよ」

「……なるほど。いざ戦う時は恐ろしく強いが、義を重んじるから治安を乱すことはない、か。なら、夜の食事には大いに期待できそうだな」

「左様でありんす。……シルビアも、今日くらいはお堅いお勤めを忘れて羽を伸ばしてくださんせ」

「まあ。それは楽しみですわ」


 シルビアが嬉しそうに微笑む。


 和やかな会話を交わすうちに、視界が開け、船は巨大な海水湖へと出た。その湖畔の一角、専用の桟橋へと船が緩やかに滑り込む。


「さあ、着きんしたよ」


 桟橋の先に建つのは、オレンジの瓦屋根を戴く白亜の石造りの高級宿『ホテル・ペルラ』だった。


 マリノン屈指の格式を誇るその宿は、海風が吹き抜ける開放的な白亜の躯体に、オリガタ由来の精緻な木工技術や意匠が上品に融合した、この国のエキゾチックな文化を象徴するような豪奢な造りとなっていた。


 船頭から荷物を受け取り、一行はフルーナに促されてマリノンの穏やかな時間の中へと足を踏み入れた。


 エントランスを抜けると、天井が高く広々としたロビーが彼らを迎えた。磨き上げられた石床には柔らかな日差しが差し込み、静かな水音が空間に心地よく響いている。


 フルーナがフロントへと向かい、慣れた様子で淀みなくチェックインの手続きを済ませる。その間、洗練された身のこなしの従業員がレオたちの元へ歩み寄り、重いトランクケースを恭しく台車へと移していった。


 手続きを終えたフルーナが戻ってくると、入れ替わるように、パリッとした制服に身を包んだセイレーン族の案内係が恭しく一礼して進み出た。


「お待ちしておりました。皆様、最上階の客室へご案内いたします」


 案内係のスマートな先導に従い、一行は広い客室へと足を踏み入れた。


 部屋の窓からは、巨大な海水湖と、その中央にそびえるマレード宮が一望できた。


 風の国セルバンでの過酷な試練と交渉を乗り越え、たどり着いた水の都。


 まずは旅装を解いて正装に着替え、一国の女王に謁見する手筈だ。


 レオは案内係によって室内に運び込まれた自身のトランクケースの前に立つ。


 窓の外に広がるサファイアブルーの海を一瞥すると、小さく息を吐き、静かにトランクの金具へ手をかけた。

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