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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第2章 翠嵐ヲ越ユ

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閑話 聖なる水門にて

 ガルズ湖の南岸。バーディア聖王国の特別自治区であるトゥインクディーヌ市国の外れに、その巨大な建造物は鎮座している。


 白亜の石材で組み上げられた外観は、王都の広場にあるような凱旋門を思わせる。だが、建造物の内部には、千年前に初代ノーマン・クロースが設計した魔導科学と、現代のクロース家まで脈々と受け継がれてきた技術の粋と更新が、血管のように張り巡らされていた。


 トゥインクディーヌ・ガルズ浄化水門『聖なる水門(ホーリー・ゲート)』。


 ガルズ湖の「怨」の淀みを抑え込み、トゥインクディーヌ市国、バーディア国内へ清浄な水を供給するための巨大なインフラ設備である。


 施設の中枢部。歯車と配管、光のマナを増幅させるための水晶レンズが規則的に配列された隠し空間で、作業着を煤で汚した大柄な男が、巨大なレンチを片手に魔力炉の調整を行っていた。


 クロース侯爵家現当主、オスヴァルト・クロース。


 彼は額に浮いた汗を腕で拭うと、接合部を締め直し、自身のマナを回路へと流し込んだ。


 水晶レンズの奥で、淡い金色の光が脈動する。聖女が充填する「癒」のマナを増幅し、湖水へくまなく浸透させて浄化を促進する基礎回路が、正常な出力へと戻ったことを確認し、オスヴァルトは短く息を吐いた。


 背後で、硬質な石の床を打つ複数の足音が響く。


 振り返ったオスヴァルトは、そこに立つ白銀の軽鎧を纏ったバーディア国王アーヴィンと、淡い青のドレスに身を包んだ王妃リンジー、そして見慣れぬ軍服姿の初老の男性の姿を認めた。


 彼は手にしていたレンチを作業台へ置くと、衣服の油汚れを気にする素振りも見せず、アイゼン王国の高位貴族然とした、流れるような完璧な礼をとった。


「これはこれは、アーヴィン陛下。それにリンジー王妃殿下。このような油臭い施設へ、ようこそおいでくださいました」


 恭しく頭を下げるオスヴァルトに対し、アーヴィンは慌てたように片手を上げ、苦笑を漏らした。


「やめてください、オスヴァルト義兄さん。クロース家は我々八英雄の国の長と同等の立場ですよ。どうか、いつも通りでお願いします」

「そうですよ、義兄様。そのような畏まった態度をされると、こちらまで戸惑ってしまいますわ」


 リンジーもまた、兄へ向けるような穏やかな笑みを向ける。


 二人の言葉を受け、オスヴァルトは口端を吊り上げ、ゆっくりと頭を上げた。いつもの職人の顔に戻っている。


「違いねえ。だが、一応ケジメってやつだ。……で、揃ってこんな場所に何の用だ?」


 アーヴィンが背後の護衛に目配せをする。護衛の騎士が、手にしたバスケットを作業台の空きスペースへと置いた。中には、厨房で用意されたであろう軽食と果実水が収められている。


「ご苦労。お前たちは外の通路で待機してくれ。ここからは魔法師団長殿がいるからね、護衛は彼一人で十分だ」

「はっ」


 騎士が恭しく一礼し、施設の中枢部から退室していく。


 重厚な扉が閉まり、完全に人払いが済んだことを確認すると、アーヴィンは再びオスヴァルトに向き直った。


「陣中見舞いですよ。義兄殿が三年分の遅れを取り戻すために、各国の水門を回っていると聞いてね。……この三年の空白で、ガルズ湖の淀みが悪化するかと危惧していましたが、杞憂だったようですね」


 アーヴィンの視線の先で、水晶レンズが絶え間なく流れ込む湖水へ、増幅された浄化の光を浸透させ続けている。


 ガルズ湖の「怨」の淀み。その概念的な汚染を浄化するためには、聖女が各国の『大聖堂』を巡礼し、直接マナを補填することが不可欠である。


 だが、そのマナをプラントの動力として効率よく拡散し、ロスなく湖水全体を浄化し続けるためには、クロース家の技術による物理的なメンテナンスの両輪が揃わなければならない。


「ああ。ここの『聖なる水門ホーリー・ゲート』を見る限り、ガタは来ていたが致命的な損傷はなかった。クロースの技術は、三年放置した程度で崩れはしねえよ」


 オスヴァルトは果実水の入った瓶を手に取り、中身を呷った。


「それに、不眠不休ってわけじゃねえ。三年もすっぽかしていた分のリカバリーにしては、随分と早く終わったんだ」


 オスヴァルトは作業台の上に置かれた、鈍い輝きを放つ小さな部品を顎でしゃくった。


「レオに頼んで準備してもらった、『時空属性の魔術陣』を組み込んだ代替部品を取り付けてな。聖女様が充填する『癒』のマナは八年サイクル……正確には予備タンクのようなもので十五年は保つんだが、そのマナを効率よく使用するための仕組みだ。マナの伝導率の補正から、レンズの経年劣化による屈折角のズレまで、時空のことわりで自動的に最適化されやがる。あいつの手回しの良さのおかげで、一から再計算する手間が省けた」

「なるほど、レオ君の……」

「ああ。……おっと、そういえば、この前はレオが世話になったな。ありがとう」


 オスヴァルトの言葉に、アーヴィンはゆっくりと首を横に振った。


「いや、礼を言うのは私の方ですよ。光の五重輪オクト・クインタ内の試練の回廊……『ルクス・コリドー』を共に歩みましたが、彼の時空魔法の精密さと、何より戦術を構築するあの冷静さ。あれは、ただの十八歳の青年が持つものではない」


 アーヴィンの言葉に、オスヴァルトの目が微かに細められた。


「アーヴィン殿も肌で感じたか。あいつの中にある、もう一つの記憶の気配を」

「……ええ。戦闘の最中、彼が私へ指示を出した時のあの声。知識として知るだけでなく、かつて世界を救った存在の重みを、確かに肌で感じましたよ」

「もっと、自分の息子ではないような感じになるかと考えていたんだがな。でも不思議なもんでよ、それでもあいつは俺に〝レオ〟と思わせるんだ」


 不敵な職人の顔から一転、父親としての柔らかな笑みを浮かべたオスヴァルトに、アーヴィンもまた深く頷き、穏やかに微笑んだ。


「ええ。彼は間違いなく、義兄殿の立派なご子息ですよ」

「違いねえ」


 オスヴァルトは口元を緩めたまま、アーヴィンの傍らに控える初老の男性へと視線を移した。


「それでそちらの御仁は?魔法師団長とか云っていたが」


 水を向けられ、アーヴィンは男性へと手を差し向けた。


「紹介しますよ、義兄殿。彼はジェームズ・スワン伯爵。我が国の魔法師団長を務めている」


 オスヴァルトの目が微かに見開かれた。


「スワン?あー!あのお嬢ちゃんの親父さんか」


 オスヴァルトの遠慮のない物言いに、ジェームズは苦笑しながら一礼した。


「お見知りおきいただき光栄です、オスヴァルト殿。愚娘のシルビアが、ご子息には大変お世話になっております」

「こっちこそレオが世話になってる。あいつ、口は達者だが危なっかしいところがあるからな」


 オスヴァルトが軽く手を振るうと、ジェームズは少しだけ目元を険しくし、低い声でこぼした。


「……ええ。お世話になっているのは事実ですが、父親としては、年頃の娘が年頃の男性と二人で旅をしている状況は、少々心臓に悪いものでして」


 その言葉に、リンジーが口元を隠して上品に笑う。


「ジェームズ伯爵ったら、シルビアちゃんが旅立ってからずっとその調子なのですわ。心配性すぎます」

「心配もしますよ。相手はあのクロース家の血を引く方なのですから。……それに、世間体というものもございます」


 ジェームズのぼやきに、オスヴァルトは首を傾げた。


「世間体ねえ。聖女ってのは結婚できねえんだろう?恋愛ごとは御法度なんじゃないのか」


 オスヴァルトの問いに、アーヴィンとジェームズが顔を見合わせた。アーヴィンが声を潜め、口を開く。


「実はですね、義兄殿。聖女が結婚してはならないという明確な決まりは、どこにも存在しないのですよ」

「なんだと?」


 オスヴァルトがレンチを握る手を止める。アーヴィンは言葉を続けた。


「世間的には、聖職者は結婚できないと思われています。……そして、本人にも結婚云々についてはあえて伏せているのです」

「なぜだ?本人が結婚したけりゃさせてやればいいじゃねえか」

「その方が、聖女としての役割を全うできるからです」


 ジェームズが引き取るように答えた。その顔には、父親としての複雑な心境が浮かんでいる。


「過去に、色恋沙汰が原因で聖女の御役目が疎かになり、問題が起きたことがあったそうです。聖霊様への祈りよりも、個人の感情を優先してしまった結果だと。……故に、ベル聖教府は暗黙の了解として、聖女自身にも『結婚はできない』と思い込ませているのです。教育係である大司教クラリベル猊下に至っては、興味がないのか全く教えていないようですが」

「臭いものに蓋、ってやつか」


 オスヴァルトは鼻を鳴らした。


「だが、いつまでも隠し通せるもんじゃねえだろ」

「ええ。その時はその時です。……ですが、今はまだ、使命に専念してもらいたい。父親のわがままかもしれませんがね」


 ジェームズの言葉に、オスヴァルトは声を上げて笑った。


「ははっ、親父のわがままか。そりゃあよくわかるぜ。……安心しろ、あいつはああ見えて筋は通す男だ」


 ジェームズはホッとしたように小さく息を吐いたが、すぐにまた表情を曇らせた。


「ええ、その点は信用しております。……しかし、野営などが心配でして」


 アーヴィンが言葉を引き取る。


「義兄殿もご存じの通り、スワン伯爵家は聖女を輩出した関係上、エナドの幹部になりました。とはいっても、体のいい監視下に置かれたと云ってもいい」


 アーヴィンの言葉に、オスヴァルトは目を細めた。


「なるほどな。一族ごと囲い込んで、不祥事を起こさせないための人質ってわけか」

「ええ。もし娘が使命を放り出して色恋に走れば、我がスワン家はエナドから直ちに危険因子として断罪されかねない。……道中の過酷な環境で、若い男女が同じテントで夜を明かすなどと想像するだけで、胃が痛くなる思いなのです」


 その生真面目かつ切実な心配に、オスヴァルトは豪快な笑い声を上げた。


「はははっ!そりゃあ取り越し苦労ってやつだ。実際、その決定を下すのは八英雄の国の長たちで、指導はあるかも知れんが、断罪ってほど非道じゃないぞ。それに、レオの周りにはいつも、聖猫たちが付いて回ってるからな。……なにより、あいつが持っている【クロノ・ヴィラ】ってのがあってな」


 アーヴィンが、我が意を得たりとばかりに深く頷いた。


「ああ、あれは本当に素晴らしいものだよ。ジェームズ伯爵、君の心配は全くの無用だ」


 ジェームズが不思議そうに国王を見る。


「【クロノ・ヴィラ】……?なんです、それは」


 オスヴァルトは作業台の上に置いていたレンチを作業着のポケットに差し込んだ。


「口で説明するより、見せた方が早い。ちょっと外へ出ようぜ。俺も今回のメンテナンス行脚や、よく行く素材採取用に、あいつから一人用のやつを貰っててな」


 四人は水門の中枢部から階段を上り、施設の外へと出た。


 ガルズ湖からの清浄な風が吹き抜ける、水門の裏手。一般の巡礼者からは死角となる、ちょっとした岩陰の広場である。


 オスヴァルトは自身の腰のポーチから、一辺が八センチメートルほどの白い立方体を取り出した。


 表面に複雑なルーン文字が刻まれたそれを、無造作に石畳の上へ置く。


「――展開オープン


 オスヴァルトが短く告げ、マナを流し込んだ。


 淡い虹色の光が明滅し、白い立方体が複雑に面を増やしながら急速に巨大化していく。数秒の後、光が収まると、そこには一辺が三メートルほどの、白を基調とした巨大な建造物が鎮座していた。


 ジェームズが目を見開く。


 オスヴァルトは自身の懐中時計を取り出し、壁面にかざした。


 解錠音が響き、壁面の一部がスライドして入り口が現れる。


「空間拡張式・簡易邸宅――【クロノ・ヴィラ】ってやつだ。さあ、中へ入ってみてくれ」


 オスヴァルトに促され、ジェームズは恐る恐る中へ足を踏み入れた。アーヴィンとリンジーも後に続く。


 広々としたリビングには、上質なソファが置かれ、空調によって快適な温度と清浄な空気が保たれている。奥には独立した複数の部屋へ続く扉が見えた。


「俺のは一人用だが、念のために三部屋用意されている。あいつが使っているのはさらに広い5LDKだ。鍵付きの個室も準備されているし、間違っても、一つ屋根の下で雑魚寝なんて状況にはならねえよ」


 ジェームズが室内の調度品を見回し、呆然と呟く。


「なんと……空間拡張に、この環境維持の術式。これが、野営のテント代わりだとおっしゃるのですか?」


 アーヴィンがジェームズの肩を叩き、援護するように口を挟んだ。


「驚くだろう?外見からは想像もつかない快適さだ。私も先日、五重輪オクト・クインタ内の回廊での試練の際に体験したばかりでね。ドアを閉めれば時空属性の防御結界が展開され、魔物や外敵の脅威も完全に遮断される。彼らは過酷な野営などしていないよ」


 リンジーが口元を隠して上品に笑う。


「シルビアちゃんも、ここでたいそう寛いでいたそうですわよ」

「シルビアが……」


 ジェームズは大きく息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。


「……そうでしたか。それならば、少しは夜も眠れそうです。クロース家の技術には、驚かされてばかりです」


 場が和んだところで、アーヴィンが僅かに身を乗り出した。


「ところで、義兄殿。このあとは?」

「ん?ああ」


 オスヴァルトは【クロノ・ヴィラ】の外へ出ると、再び懐中時計をかざして入り口を閉じ、小さな立方体へと戻した。


「俺の水門巡回も、ここバーディアが一カ所目だ。三年分はこのあとマリノンで、次にリオルト。そのあと今年分のフロワールだ」

「マリノンですか」


 アーヴィンの呟きに、オスヴァルトが頷く。


「ああ。あそこの『蒼瀑の大水門カタラク・ゲート』に組み込まれている『魔導透水殻マナ・ペルメア』のメンテナンスだ。海都に流れ込む圧倒的な水圧と質量の暴力を真っ向から受け止める世界最大規模のプラントなだけに、潮の干満と水圧の計算がシビアで、一癖ある場所だからな」


 オスヴァルトの言葉に、リンジーが両手を合わせる仕草を見せた。


「そういえば、クラルテちゃんから訊いたけど、シルビアも、次はマリノンの『ヴィーゼリア大聖堂』へ向かう手筈になっているはずですわ。聖女の水門巡礼と、義兄様のメンテナンス、そしてレオ君の試練。……見事に重なりましたわね」

「それは、聖霊様のお導きかもしれませんね」


 アーヴィンが穏やかに微笑むと、リンジーも同意するように深く頷いた。


「義兄様。無理だけはなさらないでくださいね。お姉様も、口には出しませんが、義兄様のことをとても心配しておられましたから」

「わかってるさ。エリーザを悲しませるような真似はしねえよ」


 オスヴァルトは短く答え、手にしたウエスを置いて再び巨大なレンチを握りしめた。


「さて、休憩はここまでだ。俺は水門の仕上げに戻る。あんたたちも、そろそろ王城へ戻った方がいい」

「そうだね。では、私たちはこれで失礼します。……この『聖なる水門(ホーリーゲート)』、引き続きよろしく頼みますよ」

「任せておけ。俺が直したからには、次の八年までボルト一本緩ませねえよ」


 オスヴァルトの力強い言葉に、アーヴィンは深く頷き、リンジーとジェームズと共に水門の敷地を後にした。


 三人の足音が遠ざかり、オスヴァルトは再び水門の中枢部へと戻った。


 かつて初代ノーマンが構築した浄化システム。それを維持し、技術を更新し続けることが、クロース家当主としての責務だ。


 オスヴァルトは計器の数値を最終確認し、小さく息を吐いた。


 施設内には魔力炉の低い駆動音と、レンズを通り抜ける清浄な水音が規則的に響いている。


 オスヴァルトは再びレンチを構え、次の配管の調整へと向き直った。

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