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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第2章 翠嵐ヲ越ユ

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第31話 森の友への説明

 空気が氷解し、千年の呪縛が解けたかのような穏やかな静寂が円卓を包み込んだ後、ヴァルグ王は改めて族長たちに向け、現在クロロン大森林が直面している危機と、その解決策について静かに語り始めた。


 億年を超えるエルフの歴史において、遊動生活から定住への移行がもたらした、歴史上初めての「誰も木を切らない森」の弊害。 間伐されず密集した斜面の針葉樹が「もやしっ子」と化し、根が浅くなったことによる、次の中規模暴風雨での地盤崩壊の予測。


 そして昨日、アイゼン王国のクロース侯爵邸の地下工房にて、現当主である〝匠聖〟オスヴァルト・クロースから提示された「森を運び、森を育てる鉄道」の構想について。


 鉄は一切使わず、間伐されたクロロン大森林の木材そのものを圧縮・硬化魔術で加工して車両とレールの土台にすること。風属性マナによる「完全静音結界」とマナ斥力を用いた摩擦ゼロの浮上走行により、森の静寂を乱さないこと。さらに、森の景観と一体化させるため、エルフたちの手で木製の格子状トンネルや動物道を建設する共同事業であること。


 隠し立てのない、物理的な事実と冷徹な処方箋。 一連の説明を聞き終えた円卓は、深い思索の海に沈んでいた。


 森の危機という現実の重さと、提示された解決策のあまりの合理性。かつての英雄の魂を持つ青年が導き出したその完璧な論理の前に、感情的な反発を差し挟む余地は残されていなかった。


「……それにしても」


 沈黙を破り、トレヴァ族の族長ラウールが、腕を組んだまま忌々しげに顔を上げた。


「なんで選りにもよって、あの糞野郎の子孫なんかに」


 その言葉に、円卓の数名が渋い顔で頷く。彼が言う「糞野郎」とは、千年前、自然の循環を無視して森を切り裂き、巨大な鉄の管を通そうとした初代ノーマン・クロースのことだ。


 いかに目の前の青年がショウの魂を継いでいようと、クロースという家名に染み付いた油と鉄の悪臭は、彼らの記憶に根強く残っている。


「先程も説明したが、今のクロース家……特に〝匠聖〟オスヴァルトはあのノーマンとは正反対な性格だ」


 ヴァルグ王が、静かに、しかし確かな信頼を込めて応じた。


「彼は先祖の失敗を深く理解していた。そして二十年もの間、いかにして森に溶け込む路を敷くか、その一点のみを考え続けていたのだ。……昨日、あの無骨な工房で見せられた模型の走りには、確かに森への敬意があった」


 王の言葉を補足するように、レオが口を開いた。


「ああ。親父からその模型を借りてきてる」


 レオは何もない空間に右手を差し入れ、空間を波立たせた。時空属性の収納魔法≪クロノ・ボックス≫から、長方形の木箱を取り出し、円卓の上へと置く。


 中から取り出されたのは、本物の間伐材を精密に加工して作られた、全長数十センチほどのマナトレインの模型と、オーヴァルレールのセットだった。


 レオは円卓の上にレールを組み、マナを流し込んで模型を置いた。 模型はレールに触れることなく、数ミリの隙間を空けて完全に空中に浮上する。


 レオが指を鳴らすと、模型がレールの上を滑るように走り出した。


「……なんだ、この静けさは。車輪が擦れる音も、機械の駆動音も全くしないぞ」


 模型の軌道を食い入るように見つめ、ラウールが驚きの声を漏らす。彼は顔を近づけ、その小さな車両がレールに一切触れることなく浮上している事実を瞬時に見抜いた。


「振動すら発生していない。それに……この車体、鉄の臭いが全くしない。本当に、木だけでこれほどのものを」


 ラウールの職人としての眼光が、模型の材質の異質さに気づく。ラウールの職人としての眼光が、模型の材質の異質さに気づく。


「現在のマナトレインは、この駆動方式が採用されているよ。まあ、それでも、この模型のようなマナトレインほど静かではないんだけどね。それと、ここの森の木じゃないけど」


 と云って、レオは≪クロノ・ボックス≫から、鈍い光沢を放つ一塊のブロックを取り出した。そのブロック素材を円卓に置く。


 木工と建築の専門家であるラウールが、訝しげにそのブロックを手に取った。


 瞬時に、彼の瞳が驚愕に見開かれる。極限まで圧縮されてはいるが、金属ではない。確かな木の温もりと、生きたマナの痕跡がそこには残っていた。


「これが……先程聞いた〝鉄より堅い木材〟か」

「ああ。ここの森の木ならば、これより強度も増すし、更に頑丈になると思うよ」


 レオは千年前の戦友たちに向ける気安い口調で、事も無げに告げた。


 そして、少しだけ懐かしむように目を細める。


「前にこの模型を見せてもらったときに、父さんが云っていたよ。〝もう、半分趣味みたいなものになっちまった〟って」


 二十年間、森への立ち入りを拒絶され続けながらも、森に溶け込む路の完成だけを夢見て試行錯誤を繰り返してきた天才魔道具師の執念。


 その言葉の重みに、彼を門前払いし続けてきたヴァルグ王が、バツが悪そうに視線を逸らした。


「それは……、何とも云えぬな」


 エルフの王としての決断だったとはいえ、純粋な技術者の善意を長年拒絶し続けてきたことへの微かな罪悪感が滲む。


 レオは小さく笑い、首を横に振った。


「ああ。わかっているさ。今の俺はショウの記憶もあるからかもしれないが、森の民の気持ちも理解しているよ」


 過去の因縁を咎めるつもりはないと、レオは千年前の戦友たちへ向けて穏やかに続ける。


「レールも車体も、この圧縮木材で作る。動力と土台は俺たちが責任を持つが、森に最も馴染む駅舎の外装や、動物の通り道なんかは、木工の専門家であるあんたたち……トレヴァ族の腕がないと完成しない。俺たちの魔導工学と、あんたたちの木工技術を掛け合わせる。……互いの領域を尊重した、対等な合作にしたいんだ」


 レオの言葉に、ラウールの職人としての眼光が鋭く光った。


「我々の技術を組み込むというのだな、ショウ。……確かに、ヒュマーノ族の無骨な直線建築など森にはそぐわん。木を殺さずに曲げ、景観と一体化させる技術ならば、我らトレヴァ族の右に出る者はいない」


 ラウールは腕を組んで深く頷き、小さく鼻を鳴らす。


「ふん。まあ、そこまで言うのなら、外装くらいは手がけてやってもいい。森の景観を損なわない配慮があるのなら、話は別だからな」


 ラウールが納得して席につくと、今度は水色の髪を持つ穏やかな印象の女性が立ち上がった。 水辺に居住し、歌によって水を浄化するリーレル族の族長、ラーニである。


「材質と外装については理解しました。ですが、ショウ様。動力源であるエーテルリアクターはどうなのですか?いくら安全なマナ融合技術とはいえ、巨大な機械を動かすとなれば、森の清浄なマナを乱し、淀みを生むのではありませんか?我々リーレル族は、水の浄化を担う者として、それを見過ごすわけにはいきません」


 千年前の「マナ分裂」の過ちを乗り越えた現代の技術であっても、巨大なインフラが自然のマナ環境に与える影響を危惧する、真っ当な問いだった。


「心配ないよ、ラーニさん」


 ラーニの懸念に対し、レオは【マナロジカ】を操作し、空間に青白いホログラムを投影した。そこには、動力機関のエネルギー変換効率の数値が示されている。


「最新の小型エーテルリアクターは、空気中のマナを無作為に吸い上げたり、排熱で森を汚すような古いタイプじゃない。完全に独立した循環システムだ。ノイズや環境への負荷は、数値上ゼロに抑えられてる」


 ラーニが投影された数値をじっと見つめる。彼女は『響命術』を通じてマナの波長に極めて敏感な部族だ。レオが示した論理モデルと、その迷いのない口調に、不自然な淀みがないことを感じ取った。


「……理解しました。その循環システムであれば、森の淀みとは無縁のようですね。私たちの響命術と干渉することもなさそうです」


 ラーニが静かに一礼して着席する。主要な部族が次々と納得を示していく中、西の国境地帯を守護するスカンス族の族長、フェリシアが凛とした声で問いかけた。


「結界の再構築については、どうお考えですか、ショウ?西の関所から路を敷くとなれば、現在私が管理している防衛網を一度解かなければなりません」


 彼女の眼光は、外部からの侵入を阻む結界の管理者としての責任感に満ちている。千年前の戦友としての気安さとは別に、実務責任者としての妥協のない問いだ。


 その問いに対し、レオが口を開くよりも早く、先ほどまで赤面して狼狽していた王弟ヴォルグが進み出た。彼は既に国境警備総隊長としての厳格な顔を取り戻している。


「それについては、私が保証する、フェリシア。……間伐によって地盤を安定させ、新たな『木路』の要所を基点として結界を張り直す。一時的に防衛網は薄くなるが、その間は私が全軍を率いて物理的に国境を封鎖する。……二度と、理不尽な災害で身内を危険に晒したくはないからな」

「ヴォルグの言う通りだよ、フェリシアさん」


 レオがヴォルグの言葉に同調する。だが、フェリシアは依然として険しい表情を崩さなかった。


「ですが……外敵はヴォルグ様が防いでくださるとしても、結界が無くなればそれこそ、間伐が終わる前に土砂崩れが起きる可能性が――」

「ああ、それについてはこれだ」


 レオは≪クロノ・ボックス≫から、鈍い光沢を放つ円筒形のデバイスを取り出し、円卓の上へと置いた。


「この前、アイゼンの動乱があったんだが、その際、王都で試験的に使って成功した結界魔道具だ。俺の時空属性が付与されている」


 レオは千年前の戦友を見据え、真摯な声で告げた。


「動乱って、お前。大丈夫だったのか?」


 ラウールが初めて聞いたアイゼンの内情に呆れ声をあげた。


「ああ。なんとかなったよ、ラウール」

「なんとかって、お前なあ」

「それについては、時間があるときにまた、な」

「まあ、いい。あとで訊こう」

「ああ。ありがとう。ただ、これは森のみんなが嫌う魔道具だ。だが、地盤が安定するまでの少しの間だけでいいから我慢してほしい」


 フェリシアは円卓に置かれた魔道具を見つめ、数秒の沈黙の後、ゆっくりと首を縦に振った。


「……時空の結界。ショウ様がそこまでおっしゃるのなら、異存はありません。スカンス族は、路の建設に伴う警備と結界の再構築に全面協力いたします」


 主要な部族が全て同意を示したことで、評議会の空気は「拒絶」から「調整」へと完全に切り替わった。 ヴァルグ王が立ち上がり、円卓を静かに見渡す。


「これで懸念は晴れたはずだ。我々セルバンは、クロース家の技術を受け入れ、森の治療を行う。これは、我が国が定住し続けるための新しい道筋である」


 ヴァルグはレオの方へ向き直った。


「だが、広大なクロロン大森林には、各部族の領地ごとに異なる地形と事情がある。いくらお前の計算が完璧であろうと、机上の図面や一つの素材だけでは、実際の路は敷けまい」

「ああ、その通りだな」


 レオは【マナロジカ】のホログラムを消去し、端末を懐にしまいながら頷いた。


「現場を見ずして図面は引けない。各部族の集落を回って、土質、風の抜け方、マナの溜まり場を一つ一つ確認し、現場の状況に合わせてルートと設計を最適化していく必要がある」


 ヴァルグは深く頷き、決定を下す。


「よかろう。レオよ。お前には、この森に点在する各部族の集落を巡ってもらう。それぞれの部族と直接対話し、森の現状を自らの目で確かめながら、路の道筋を定めるのだ」

「了解。……随分と長い出張になりそうだ」


 レオが小さく息を吐く。森の王の統括の下、個性豊かな部族長たちと向き合う新たな旅。千年の停滞を打ち破るための、対話と実証による行脚が決定した瞬間だった。









 評議会が散会し、レオは王邸の中層に用意された客間へと戻ってきた。


 木々の蔓で編まれた扉を開けると、そこには、旅の仲間たちが思い思いにくつろぐ姿があった。


「お帰りなさいませ、レオさん。随分と長丁場でしたね」


 窓辺の椅子に腰掛けていたシルビアが、手にした木の実の器を置いてふわりと微笑む。彼女は私服に身を包んでおり、気楽な態勢を整えていた。


「ただいま戻りました。……まあ、色々と話し合うことが多かったですから」


 レオが疲れたように首を回しながら部屋に入ると、風の聖猫リエリーが優雅に歩み寄ってきた。


「お疲れ様ですわ、レオ様。評議会の風向きは、どうでしたの?」

「悪くないよ。むしろ、千年の呪縛が解けたみたいに前向きだった。……お前たちの王様も、なかなか柔軟なところがあるじゃないか」

「ふふっ。ヴァルグ様は頑固ですが、決して愚かではありませんもの」

「そうだな。ヴァルグが英雄に選ばれた理由もわかるよ」

「それに、レオ様の中にいる『友』の気配が、彼の心を解きほぐしたのでしょうね」


 リエリーが嬉しそうに目を細める。レオは苦笑して肩をすくめた。


「……それにしても、千年は長いだろ。友を失ったからって、千年間も意固地になって他種族を拒絶し続けるなんてさ」

「ふふっ。不器用なのですわ。ですが、それも森の民を思えばこそですもの。仕方ありませんわ」

「まあ、そうかもな」


 レオは微笑んで頷くと、部屋の隅のクッションで丸くなっている灰色の猫へと視線を落とした。


「シャルルはまだ起きそうにないな」


 魔力枯渇からは回復しつつあるが、念のために猫の姿で休ませている。レオが愛おしげに灰色の毛並みを撫でようと手を伸ばした、その時。パチリと青い目が開き、シャルルがレオを見上げた。


「もう起きてるわよ、旦那様」


 シャルルが猫の姿のまま、呆れたような声で告げる。 レオは目を丸くした後、そのまま灰色の毛並みを優しく撫でた。


「おー、起きてたのか。……体の具合はどうだ? まだマナは戻りきってないんだろう」


 レオが気遣うように声をかけると、シャルルは心地よさそうに目を細め、喉を鳴らした。


「……平気よ。ただの魔力枯渇だもの。少し休めば、またいつでもあのエルフたちを凍らせてあげるわ」

「頼もしいな。でも、無茶はしないでくれよ。お前が倒れたら、俺が困るからな」

「……ほんと、調子がいいんだから。でも、その言葉、覚えておくわ」


 シャルルはぷいっと顔を逸らしつつも、しっぽの先だけは隠しきれない嬉しさでパタパタと揺れていた。


 そこへ――。


「おかえりだッチュ!会議はどうだったッチュ?」


 部屋の隅の木箱の上でくつろいでいた黒い毛玉――闇の大聖獣カドリーの分身体であるキュートが、ピョコンと跳ねてレオの肩に飛び乗ってきた。


「ボクもついていって、あのエルフたちに聖獣の威厳を見せつけてやりたかったッチュ!」

「お前が出てきたら、大聖霊の思惑だなんだと警戒されて話がややこしくなってただろ。大人しく留守番してくれて助かったよ」


 レオは苦笑しながら、キュートの小さな頭を指先で撫でた。


「それで、レオさん。これからの予定は?」


 シルビアが凛とした表情で問いかける。


「俺としてはここからが本番です。クロロン大森林に点在する各部族の集落を回って、路を敷くための現場調査と交渉を行うことになりました」


 レオは懐から手帳を取り出し、パラパラとページをめくる。


「トレヴァ族の木工職人、リーレル族の水辺の管理、スカンス族の結界……。それぞれの事情に合わせて、最適なルートを設計しなきゃならない。かなり骨の折れる『行脚』になりますね」

「望むところですわ」


 シルビアが力強く頷き、自身の拳を軽く握りしめた。


「わたくしも聖女として、この森のマナの淀みを浄化するお手伝いができます。それに……体力には自信がありますから、レオさんの護衛はしっかり務めさせていただきます」

「え?」


 レオは思わず目を丸くした。これから行うのは土質調査やエルフの各族長との地道なインフラ交渉である。戦闘がメインではない以上、聖女である彼女がわざわざ護衛として同行しなくてもいいような内容だ。


「なにか?」


 だが、やる気に満ちたシルビアの笑顔と、微かに握り込まれた物理的破壊力抜群の拳を見て、レオは喉まで出かかった言葉を静かに呑み込んだ。


「……いや、頼りにしていますよ」

「ええ。お任せくださいませ!」


 レオが苦笑交じりに頷くと、シルビアは花が咲くような笑顔を見せた。


「……それに、風の案内人もいるしな」


 レオがリエリーへ視線を向けると、彼女は優雅にカーテシーをして見せた。


「ええ。このクロロン大森林の道案内ならば、ワタクシにお任せくださいませ。風の流れる場所であれば、迷うことなどあり得ませんわ」

「ボクの糸の防具もあるから、どんな魔獣が出ても安心だッチュ!」


 キュートも胸を張る。


「よし、準備を整えて、2、3日後の出立を目指そうか」


 レオは窓の外、鬱蒼と広がる深緑の大森林を見下ろした。


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