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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第2章 翠嵐ヲ越ユ

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第27話 森の悲鳴と千年の想い

「――到着だ。ここからならば、我が国の首都を一望できる」


 ヴァルグに先導され、一行は鬱蒼とした森の獣道を抜け、突如として視界が開けた場所へと出た。


 そこは、クロロン大森林の巨大なすり鉢状の地形を見下ろすことができる、切り立った高台だった。


 眼下に広がるのは、自然の造形と調和した美しい都市の全貌だ。数百メートル級の古代樹の太い枝葉を利用して作られたツリーハウス群や、植物の蔓を編み込んで架けられた吊り橋、そして石材を一切使わず木々の温もりだけで構築された建築物が、森の緑の中に完全に溶け込んでいる。


「見事な景色ですね。息を呑むほど美しいですわ」


 シルビアが感嘆の声を漏らし、その隣でリエリーも誇らしげに胸を張る。


 レオもまた、左腕で静かに寝息を立てている灰色の猫――シャルルを落とさないように抱え直しながら、その壮大な景色を見下ろした。


 だが、案内役であるヴァルグの横顔には、首都の美しさを誇るような余裕はなかった。


 彼は眼下の街並みではなく、その周囲を取り囲むように広がる斜面の森を、重苦しい眼差しで見つめていた。


「レオよ。実はこの森も限界なのだ」


 不意に、ヴァルグが背後を振り返ることなく口を開いた。その声は、一国の王としての威厳よりも、長年一人で抱え込んできた苦悩を吐露するような響きを帯びていた。


 レオは首に掛けていたゴーグルを額に押し上げ、王の隣に並び立つ。


「ん?なんで?」

「ここ数十年、土砂災害が絶えなかったのだ」


 ヴァルグは視線を落とし、崖の縁の脆い土を踏みしめる。


「今は結界で何とか抑えてはいるが、それももう保たないところまで来ている。森の土台そのものが、崩れ去ろうとしているのだ」

「あー、そういうことか」


 レオは深く頷き、周囲の斜面へと視線を巡らせた。そして、山沿いに密集して生えている針葉樹の群れを真っ直ぐに指差した。


「ヴァルグ。森に着いた時も感じてたんだが、あの辺の針葉樹たちだろ?土砂災害を起こすのは」


 ヴァルグが弾かれたように顔を上げ、レオの顔を凝視した。


「なぜわかるのだ。結界の綻びでも、その奇妙なレンズで見えるというのか?」 「いや、結界うんぬんよりも、木の質だよ」

「木の質、だと?」


 レオは、斜面に生える木々の幹の細さと、異常なまでの密集度を、感情を交えない技術屋の目で観察する。


「ああ。ヴァルグ、お前、間伐とかしてないだろ」

「当たり前だ!」


 ヴァルグの顔に強い怒りの色が浮かぶ。


「我々エルフにとって、木々は我々の命と代わりない!風のことわりを共に生きる同胞を、やすやすと切り倒せるわけがなかろう!」

「そうか……。じゃあ、この話はここで終わりだな」


 レオは表情を変えることなく、冷徹なまでにあっさりと会話を打ち切った。彼は視線を外し、踵を返そうとする。


「な、なぜだ!?」


 想定外のレオの反応に、ヴァルグが狼狽して声を張り上げる。


「だって、木を切れないんだろ?」

「そうだ!森の同胞を傷つけることなど、王たる私が許すはずが――」

「だから、終わりだよ、この話は」


 レオは振り返り、淡々と事実のみを突きつける。


「原因が分かっていても、解決策を実行できないなら議論するだけ無駄だ。かわいそうだから切らない、という精神論では物理的な崩壊は解決しない。このまま土砂災害に怯えながら、結界を張り続けて少しずつ首を絞めるしかない」


 その冷酷な宣告の前に、ヴァルグは反論の言葉を見つけられなかった。


 エルフの王としての誇りと信仰。そして、国を護らねばならないという現実。ヴァルグは唸るように俯き、拳を白くなるほど強く握りしめた。


 長い沈黙の末、彼は王としてのプライドを捨て、絞り出すように言葉を口にした。


「……は、話だけでも聞かせてくれ、ショウ」


 それは、かつての友に対する無防備な懇願だった。


 レオは左腕のシャルルを優しく撫でながら、小さく息を吐き、再び斜面の森へと向き直った。


「いいよ、わかった。俺は技術屋だからな。理屈の通る話なら、いくらでも」


 レオは、感情論を一切排し、語り始めた。


「あの辺りの針葉樹。まっすぐ上に伸びる特性があるから木材としては優秀だが、密集しすぎている。間伐をしないと、木と木の間隔が狭くなりすぎるんだ」


 レオは一本の細い木を指差す。


「光合成。……つまり、狭いゆえに木々は日光を求めて〝上〟へと競争し、細くひょろ長いだけの木になる。いわゆる『もやしっ子』だ。それに、幹が細いということは、根を張る範囲も狭く、浅くなる」


 ヴァルグは無言でレオン言葉に聞き入っている。


「結果として、地面の土砂を掴む力が極端に弱まる。重力や雨の影響で下がる土砂を、浅い根では支えきれなくなる。……それが土砂崩れのメカニズムだ。木を切らないという優しさが、結果的に森の地盤を弱らせている」


 理路整然と語られる残酷な現実に、ヴァルグの顔に苦悶の色が浮かぶ。


「それに、花粉もきつくないか?」

「……そうだ。山沿いどころか、森全体への花粉の量が多くなった。昔はここまで飛んでいなかった」

「普通の針葉樹ならば、二十年から三十年で伐採するのが理想だ。おおよそ四十年ほどで花粉を放出するようになるからな」


 レオは自身の鼻先を軽くこする。


 「エルフの清浄なマナで育ったこの森の木々は、普通の木の倍の時間をかけて育った後、花粉を放出し始める。だが、現状は所狭しと木が生え、隣近所に自分の種を落とすスペースがない。『ここは満員だ。子孫を残すためには、遠くへ飛ばすしかない』と木が判断し、大量の花粉を風に乗せて遠方へ飛ばしている。異常な花粉量は、育ち過ぎてしまった森が、苦しいと悲鳴を上げている証拠だよ」


 ヴァルグは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


 彼が長年感じ取っていた「森の悲鳴」の正体が、彼ら自身の信仰による「放置」が招いた結果であるという事実。


 その静寂を破るように、高台の背後にある木立から、鋭い怒声が飛んだ。


「――ここにいたのか!兄者!!それに――!!」


 同時に、凄まじい風圧と殺気がレオたちを襲う。


 リエリーが即座に風の弓を構え、シルビアが体内のマナを活性化させる。レオは左腕に抱いたシャルルを庇うように、半身になって身構えた。


 風を纏って現れたのは、ヴァルグによく似た面差しを持つ、屈強なエルフの戦士だった。


 だが、その深緑の瞳には、ヴァルグの静けさとは対極の、燃え盛るような憎悪が渦巻いている。


 セルバン王弟にして、国境警備総隊長。強硬派の筆頭であるヴォルグ・セルバン。


「ヴォルグ。剣を収めよ」


 ヴァルグが静かに制止するが、ヴォルグは抜いた長剣を下ろそうとはしなかった。その剣先は、真っ直ぐにレオへと向けられている。


「正気か、兄者!その男が身につけている忌まわしい歯車が見えぬのか!」


 ヴォルグの全身から、周囲の木々を揺らすほどの暴風のマナが吹き荒れる。


「鉄臭いヒュマーノ族を、あまつさえこの聖なる高台へ引き入れるなど……断じて許さん!!」


 ヴォルグの瞳に、明確な殺意が宿る。


「貴様らヒュマーノ族が、千年前になにをしたか!己の欲のせいで世界を焼き、最も尊き魂を犠牲にした罪深き者どもめ……。今すぐこの森から立ち去れ!!さもなくば――」


 ヴォルグが怒りに任せて剣を振り上げ、レオに斬りかかろうとした、その瞬間だった。


「なぁ、ヴォルグ」


 激昂するエルフの戦士の言葉を、レオの気の抜けた声が遮った。


 目を丸くし、ヴォルグの動きが緩む。レオは首のゴーグルを弄りながら、ふと思い出したように、心底どうでもいい日常の疑問を口にする。


「フェリシアさんとは、どうなったんだ?」

「…………は?」


 ヴォルグの動きが、完全にフリーズする。ピタリ、と。吹き荒れていた暴風のマナが、嘘のように停止した。


 フェリシア。ヴォルグが率いるスカンス族の族長であり、千年前から共に最前線を守り続けている美しきエルフ、フェリシア・スカンスのことだ。


「いや、千年前の聖戦の時、お前がフェリシアさんのこと目で追いかけてたの、俺は気づいてたんだけどさ。……まさか、千年近くも経ってまだ進展してないとか、言わないよな?」


 レオが呆れたようにため息をつくと、ヴォルグの顔が、耳の先まで一瞬で沸騰したように赤く染まった。


「き、貴様ッ!?なぜそれを!!」

「えっ?ヴォルグ様、フェリシア様と……?」


 弓を構えていたリエリーが、弓を下ろし、目を丸くして口元を右手で覆う。


「な、違う!誤解だリゼ!私はただ部下としてフェリシアを――ではなく!貴様、なぜそのことを知っている!?」


 ヴォルグは剣を持ったまま、狼狽え、声を裏返らせてレオに詰め寄る。その隙だらけの態度は、先ほどまでの「他種族を憎む冷酷な戦士」の面影など微塵もなかった。


「なぜって、千年前、野営の火の番をしながらお前から相談されただろ?『どうすればヒュマーノ族のように、気の利いた言葉を女性に贈れるのだ』って」

「や、やめろおおおお!!」


 ヴォルグが悲鳴のような声を上げ、頭を抱えてその場にしゃがみ込む。


 シルビアが「まあ」と頬を染め、リエリーが「へぇ、ヴォルグ様は意外と純情ですのね」と口元を隠して嗤う。キュートはレオの肩の上で「千年も片想いだなんて、重いッチュ!」と無邪気にはしゃいでいる。


 ヴァルグ王はと言えば、深々とため息をつき、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえていた。


「……だから剣を収めよと言ったのだ、ヴォルグ。相手が悪すぎる」


 ヴァルグの呆れ声に、ヴォルグはハッと顔を上げ、信じられないものを見る目でレオを凝視した。


「そ、その記憶……その気安い口調……。それに、私をからかうその態度は。まさか、貴様……」

「久しぶりだな、ヴォルグ。相変わらず、頭に血が上りやすい性格みたいだが」


 レオは眠るシャルルを抱いたまま悪戯っぽく笑い、千年前と同じように、かつての友に向かって軽く右手を挙げた。

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