夕暮れの影に
長い修学旅行も終わり、シトラは帰路についていた。ガヤガヤとした人混みを抜け、幅が狭い道を暫く歩くと、ある建物の前で足を止めた。王国の暗い街角にひっそりと建っている[カシヤップ占い館]。そこの裏口に回り込み、静かに戸を開ける。
「ただいまー…」
木造の家なので声が良く響く。彼女の声に反応し、中年の男性がリビングから顔を覗かせた。シトラは不思議に思い、リビングの床にバッグを下ろしながら質問した。
「お父さん、店番は?まだ仕事中でしょ。」
「今はお客さんは来てないからね。イオラも少し休憩してるんだよ。」
「ふーん、そっか。」
シトラは自分のバッグを漁り、中から瓶のようなものを取り出した。何か入っている。それを机に三つ置き、一つを父の方に寄せた。
「ブランマンジェ、お土産だよ。帰りに買ってきたんだ。」
「ありがとう、店じまいになったら食べるよ。」
「うん、じゃあ二人に渡してくるね。」
父は一瞬なにか言いたげにしていたが、口をつぐみニコッと笑った。
「…きっと、喜ぶと思うよ。イオラはお店の方にいるから。」
シトラは小さく頷き、荷造り用バッグと二つのお土産を持ってリビングを出た。バッグを自分の部屋に入れ、廊下から占い館の方へ顔を出した。目の前にいるのは、すみれ色の瞳を持つシトラに似た女性。こちらを振り向き、少し驚いた顔をしている。
「あら、帰って来てたの?それは?」
「修学旅行のお土産。お姉ちゃん、甘いもの好きでしょ?」
そうね、ありがとう、と言いかけたイオラに、シトラが持っているもう一つのブランマンジェが目に入った。途端に表情が険しくなり、訝しげに聞いてきた。
「ねぇそれ、母さんにもあげるの?」
「そうだよ?…当たり前じゃん。」
イオラは目線を逸らし、口をモゴモゴさせている。そして再びシトラの方を見つめ、不満げに眉をひそめた。
「でもあの人は!」
「お姉ちゃん。」
イオラの声を遮り、椅子から立ち上がる勢いの彼女を宥めた。シトラの少し低い声にハッとし、イオラは何かを訴えかけるように無言でシトラの目を見る。シトラは机にブランマンジェを一つ置き、イオラに笑顔を見せた。
「これ、置いておくね。お仕事頑張って。」
それ以上何も会話を交わさないまま、シトラは部屋を後にした。彼女の後ろ姿を、イオラは難しい顔つきで暫く見つめていた。
占い館から自宅に戻り、シトラはとある部屋の前に立った。中々ドアをノックする勇気が起きない。一呼吸おき、意を決してドアを叩いた。
「お母さん、あたしだよ。」
「………あ。」
ドアの向こうから、ほんの少しだけ声が漏れている。いつもと比べると静かだ。今日は[あの人]は調子が良いらしい。
「修学旅行のお土産買ってきたんだ。側の棚に置いておくから、良かったら食べてね。」
「……。」
「今日はそれだけ、邪魔してごめんね。それじゃあね…」
寂しいような、空虚なような。そんな気持ちが心の中を漂う。やはり禄な返事は返ってこなかった。[あの人] の顔を最後に見たのは、一体いつだっただろうか。
「(アイツはただ逃げてるだけだ、お前からも、向き合うべき現実からも。シィもよく愛想つかさねえな。)」
「たとえどんな人でも、あたしのお母さんはたった一人だよ。お母さんだっていつかはきっと…きっと。」
セインズに悪態をつかれ、シトラはそれ以上何も言い返せなかった。一つため息をつくと、急に疲れが溜まってきてしまった。自分の部屋に戻ろうとした時、母の部屋からすすり泣く声が聞こえてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…でも、居なくならないで。」
ある日の夕暮れ、私、ラヴィーネは黄昏れていた。何故なのか、それは自分でもよくわからない。ただ席に座り、窓から茜色の空を見つめていた。
修学旅行が終わり、残す一大行事は卒業式のみ。もうすぐ自分は卒業、学校生活が終わる。そしてロゼットの家での生活もきっと、終わりを迎えるのだろう。
「(学生でなくなって、私は…その先で何になるのかしら。)」
しかしただ一つ、心に決めたことがある。カルシュトに会いに、いや、彼をあの屋敷から連れ出しに行こうと思う。今までずっと逃げていた。あそこに足を踏み入れることが怖くて、自分のことしか考えていなかった。一人残されたカルシュトの気持ちを考えていなかった。今更遅いと恨まれても構わない。このまま彼の苦しみから目を背けることのほうが、余程恥ずかしい。
「…よしっ、何だか覚悟が決まったわ。まずはカルシュトのこと、問題はそれよね。」
通学バッグを背負い、ふと時計を見た。気がついたらかなりの時間が経っている。ロゼットはまだ教室にいるのだろうか、一応隣の教室を確認してみよう。廊下を出て少し歩けば、彼の教室は直ぐそこだ。閉まっているドアに手で触れた時、誰かの声が聞こえた。音を立てずにドアを少し開け、隙間から覗いてみた。
「お前知ってる?シャルロット、この前の期末テスト一位だったんだってよ。凄いよな〜、で?兄貴のお前は何位なの?」
「…何で君に言わなきゃいけないの?」
「うわっ!人に言えないくらいヤバい順位取ってんのかよ!ギャハハハ!」
この腹が立つ声に人を小馬鹿にしたような口調、前にも聞いた気がする。自分より優れた人を貶めて優越感に浸ろうとする、つくづく低俗な連中だ。本当に虫唾が走る。教室に乗り込もうとしたその時、ロゼットが突如席から立ち上がった。また言い返さず我慢する気なのかと思ったが、どうも違う。彼は生ゴミを見つめるような冷たい目つきで、奴らを睨みつけた。
「あのさ…今まで黙ってたけど。もう全部言うね。」
「な、何だよ。ただの冗談だろ?本気にすんなって、あはは…」
「君らは物事の分別がついてないから理解できないだろうけど、冗談でなくて立派な嫌がらせなんだよね。何ヶ月も嫌味ばっかり…シャルだって僕より優れた人間になるために生まれた訳じゃないし、僕だってシャルに越されるために生きてるんじゃないんだよ?」
無表情で淡々と詰め寄るロゼットには、私から見ても恐怖心を抱いた。ただ喋っているだけなのに、裏の怒りの感情をひしひしと感じる。奴らは青ざめた顔で後退りするが、ロゼットはジリジリと距離を詰めていく。
「自分より強い人には媚びへつらうくせに、弱いと思った人は虐げる。虐げられた人は恨みを募らせ、恨みを糧に虐げた人より強くなる。他人を蹴落とすだけじゃデメリットしかないってわからないの、本当に可哀想だよね。あぁ、だから君たちいつもテストで赤点取ってるのか。ひたむきに努力しようとする頭がないんだもんね?」
「あぁ、あばばば…ごめん、ゆる、許してくれ!謝る、謝るから!」
「オレらが悪かった!だから、だから…」
恐怖で腰を抜かしたクラスメートに目線を合わせ、肩に手を触れる。ロゼットはとびきりの笑顔を見せ、静かにこう囁いた。
「もう話しかけてこないでね。次は、ないから。」
すると教室のドアが開き、ロゼットと目が合った。ロゼットは気まずそうに目を逸らし、ボソッと言った。
「み、見てたんだ…あはは。」
「少し、見直したわ。ほら、早く帰りましょう。」
ロゼットは頬を赤らめて小さく頷き、私達は夕暮れの教室を後にした。




