混乱と不安の津波
カルシュトの剣を代償に水晶玉を割り、白色の触手は再びシトラの体内に戻っていった。ロゼットとゴルドーは急いでシトラに駆け寄り、声を掛ける。
「シトラさん、大丈夫!?」
「……。」
「どうやら気を失っているみたいだな。命に別状は…無さそうだ。良かった。」
その言葉にロゼットも私も思わず顔が綻んだ。ゴルドーは額の汗を拭き、シトラをおぶって来た道を戻った。穴の直ぐ下まで進むと、彼はシトラを下ろして近くの壁に寄りかからせた。私達を上まで投げ飛ばす気だ、そうに違いない。ロゼットを見ると、表情を固くして今から受け身を取る準備をしている。
「よし…じゃあ投げるぞ。安心しろ、今度こそ上手くコントロールする。」
「は、はぁ。信じますからね?あの壁に頭激突だけは嫌ですよ?」
「ロゼット君、そう身構えるな。任せておけ、よっ!」
ゴルドーはロゼットの腰辺りを掴んで勢いよく投げ飛ばした。辺りにロゼットの悲鳴が響き渡り、少し心配になってきた。順当に行かなくても次は私の番だ。ひと目見ただけで体格の良さがひしひしと伝わってくる目の前の男。せめて骨が折れないように備えておこう。
「よし、じゃあ次はラヴィーネ君だな。」
「そうですね。もう一思いにやってしまってください。」
「この世の最後みたいに言うなよ。心配するな、これでも…教師だからなぁー!」
その瞬間私の体は砲丸のように宙を舞い、あっという間に右も左もわからなくなった。脳筋め、投げられてお陀仏したら夢に出て斬り伏せてやる。半ば自暴自棄になり、がむしゃらに頭を回して周りを確認すると、そろそろ地面が近そうだ。半身をひねって地面に触れる体の箇所を調節し、何とか滑り込むような態勢で着地することに成功した。
「ラヴィ大丈夫…生きてる?」
「これくらい平気。というか、私のことよりもロゼの方が心配だったわよ。無事に上がってこれたようで安心したわ。」
その後残るはシトラとゴルドーだったのだが、流石に気絶している人を投げ飛ばすわけにはいかない。そのため、ゴルドーがシトラを背負いながら崖を登る事となってしまった。ゴルドーは見た目以上に屈強な精神の持ち主であり、今は文字通り命懸けで登っている最中なのだ。
「せ、先生無理せずに…」
「し…し、心配するな。これくらい、鍛錬の内だ…あと話しかけないでくれ。気が散る。」
先生の気が散る以前の問題で、見ている私達の方が心臓が飛び出そうなくらい肝を冷やしているのだ。ただひたすらに心臓に悪いのだ。一分一秒が非常に長く感じる。まるで時が止まっているようだ。
「(どうか…どうか何事もなく。僕の友人と先生が落下するのだけは…!)」
「(早く終わって欲しいわ…慎重に、慎重に。ほらそこ危ないわよ!あぁもう私のほうが持たない!)」
十数分後、ようやくゴルドーの足が私達と同じ高さにまで到達した。たった今この瞬間まで、息をするのも忘れてしまう程空気が張り詰めていた。私とロゼットにとって、あの時間は最早地獄という言葉も生ぬるいほどの色濃い時間となったことは間違いないだろう。
「ふぅ…ようやく登りきったか。思ったよりキツかったな。」
「えぇ…それはもう。こちらも精神的にキツかったですとも。」
「死んだまま生かされている気分だったわ…」
先生の体力の消耗具合を鑑みて、私達は穴から少しばかり離れた場所で休憩を取った。しかし、先生は地面に大の字になって暫く休むと誰よりも早く回復した。先生に催促され、私達も渋々立ち上がろうとした。
次の瞬間、何処からか爆発音が響き渡り、再び洞窟が大きく揺れた。地面が崩落した時は天変地異かのように感じたが、今回はまるで地震のようだ。周囲の状況を確認すると、今まで固く閉ざされていた入口の扉が徐々に開き始めている。薄暗かった洞窟内に突然陽の光が差し込み、思わず目を瞑った。
「あれは...ラヴィーネか。おーい!」
誰かに呼ばれた気がして、声がした方を見るとフォルズが私に手を振っていた。よく見ると彼はレイニーをおぶって歩いている。レイニーはグッタリしている様子で、一体何があったのだろうか。
「フォルズ!貴方何処行ってたのよ。」
「説明は後だ。扉は多分開いただろ?早いとこ外に出るぞ。」
「ご…ごめんね、ぼく今体調悪いんだ。ちょっと、休ませてくれないかなぁ…」
レイニーはそれだけ言い、フォルズの背中の上で眠ってしまった。息も絶え絶えだったので無理をして喋ったようだ。シトラの方もまだ目覚める気配はない。二人をいつまでもこのような場所に居させたくないというのは、皆共通の思いだった。
入口が再び閉まらない内に外に出ようとすると、誰かに腕を掴まれた。後ろを振り向くと、それぞれの穴から無数の手が生えてきている。
「ガァ…ギィ。イタイ、苦シイ…!」
「オ前ダナ…私達ヲ殺シタノハ。」
「償イヲ…家ヲ焼イタ罪人ニ断罪ヲ。サァ、ソノ輝カシイ命ヲ私ニ…!」
何十人もの恨みの声が一気に聞こえてきて、耳がおかしくなりそうだ。ここで何があったのか知らないが、彼らを殺したのは私達ではない。聞こえないふりをして振り切ろうとすると、他の亡霊とともにサニーも這い出てきた。
「あぁ、あの子はドコ?会いたい、もう一度だけ会いタイノ…」
サニーは会いたい、会いたいと何度も何度も連呼して私達の方を舐め回すように見た。彼女の視線が一点に止まった時、そこに映ったのはフォルズにおぶわれたレイニーの姿。フォルズは自然な動きでサニーと距離を取った。
「ねぇ貴方、あの子を知らない?白色の瞳で、大人しい子ナノ…シラナイ?」
「…いや、すみませんが心当たりがないですね。因みに、その人のお名前は?」
「思い出せないの…どうして?名前がわからない、ワカラナイ…あぁそう、貴方の後ろにいる子よ!やっと会えたわ、ずっと探してたのよ?今までドコ行ってタノ?ほらコッチに…」
サニーがレイニーの頬に触れようと近づいたその時、フォルズは突発的に剣でサニーの腕を切り落とした。サニーが腕を抑えて痛がる傍らで、フォルズは顔を青ざめながら叫んだ。
「きゃあ!腕が…腕が!」
「コイツに、触るな!アンタはもう亡霊だ、レイニーとは住むべき世界が違うんだよ!」
「違う違う…あの子は帰ってきてくれたのよ!私達のもとに帰ってきたの!ジャマするな、レイニーを返せ、カエセ!」
フォルズの必死の言葉はサニーの機嫌を逆なでしてしまったようで、サニーは血相を変えて襲ってきた。それに便乗するように亡霊もレイニーを穴へ引きずり込もうとしてくる。
「フォルズ、貴方何か武器持っていないの!?さっき剣が折れたばかりなのよ!」
「ちょっと待てって!…ヤバいナイフしかない!」
「それで良いわよ、何でも良いから渡して頂戴!」
フォルズから強制的にナイフをふんだくり、迫りくる無数の手を手当たり次第に切り落とした。その度に亡霊はギャーギャーと喚いていたがそれどころではない。数が多い、この一言に尽きる。
今動ける人達で一生懸命に対処しているが、それでも圧倒的に数が足りない。瞬く間に押され気味になり、戦況は絶望的に。すると突然、ゴルドーが入口側に向かって声量の限界ギリギリで叫んだ。
「今です!一気に数で押し切りましょう!」
「了解ですニードリッヒ先生!よし、皆行くぞ!」
入口には既に洞窟を脱出したのべ百人以上の生徒達と、先生複数人が待ち構えている。先生の合図で皆が一斉に亡霊に押し寄せ、洞窟内は混戦状態に。短時間でのこちらの急激な増援の数に押し切られ、分が悪いと判断したのか亡霊は次々と退散していった。だがその中で一人、逃げずに向かってくる亡霊が居た。
「レイニー…そう、レイニー。やっと会えたんだもの…もっと話しましょう?」
サニーが手を伸ばしレイニーに触れると、サニーの姿は消えてしまった。生徒達は数が多いせいで統率が取れておらず、亡霊は各々が好き勝手に穴に戻る。誰かが何をしているのかまともに把握できない状況下で、それに気づけたのはフォルズだけだったという。
「おいレイニー、大丈夫か!取り敢えず返事はしろって!」
決して広いとは言えない洞窟に人が密集して、あちこちでガヤガヤと煩い声が聞こえる。レイニーに何があったのかこの時の私は全く理解できていなかったが、フォルズのレイニーを心配する声だけは聞こえた。
「皆静かに、静かに!あぁもう、これから宿に戻る!はぐれないように列に並んでおけ!」
生徒達の無法地帯に男性教師の怒号が響き、私達の廃墟探索は形式上の終わりを迎えた。




