第三章 第二十六話 祈り
「……あの規模の襲撃から考えたら、まさに奇跡的というべき被害の少なさだな」
書類上の数字を眺めながら、そう独り言ちるのは巌のような顔つきの男。
枢機卿 ウェイザック・バーボンである。
複数の国家からなる共同体の側面を持つ大勢力の一角、『聖人教会』における枢機卿が携わる業務は教会に関する物だけではない。
各国家間の調整や、他の大勢力に対する警戒など、国の枠組みを超えた外交と内政面を司っている者も少なくはない。
とりわけ今回の『神権教団』のような犯罪者や『ユニークス』のようなモンスター、国家の枠組みを揺るがすような脅威に対する対応とその事後処理は、一国の長に勝る権限を持つ彼らでなくては物事をスムーズに進められないだろう。
「穀倉地帯の被害はほぼゼロ。王都内の倉庫街の被害も極めて軽微。ふむ。食糧面での支援はほとんど必要なさそうだな。街道の大半が破壊されている時はどうなるかと思ったが、首の皮一枚繋がったらしい。ビットー王国単体で補えると分かれば、他の国からの文句は減るだろう」
『聖人教会』は四大勢力の中でも最も色濃く国家の枠組みを残している。
『冒険同盟』は半世紀前の『厄病龍』の襲来によって国家という枠組みは半壊し、有力な《冒険者》クランが貴族のようにその土地を褒章として手に入れた。
『協商財団』はもとより国家と呼べぬほどの少数民族たちの貿易網を源流としており、商会が土地を分割統治している。
『魔術連合』はかつて存在していた大帝国の残骸をそのまま流用している。
歴史ある王国貴族に対する『配慮』を欠かすことができないのは、『聖人教会』の欠点とも言えた。
といっても他の勢力も、その勢力特有の有力者たちが大なり小なり権力争いをしているので、人の性と言ってしまえば人の性なんだろうが。
そうして人の世の、いついかなる時も変わらぬ煩雑さに思いを巡らせていると、彼のいる一室の扉が開いた。
「……なんと」
これはあり得ない事態だ。
『聖人教会』においては国家元首よりも、位の高いと言える権力者というべき枢機卿の私室にアポイントメントもなしに入るなど言語道断。
不敬罪で死刑、などという古臭い罰則はないだろうが、左遷などを含めた冷遇は免れない。
いいや、それ以前に扉の前に控えた従者たちが声をかけないというのは、警護の観点からしてありうるべかざる事例だ。
「こちらにいらしておいででしたか」
そのあり得ないを押し通すことができるのは、それこそありうるべかざる存在のみ。
「使徒十四位、フーリア様」
「着席したままで結構です。ウェイザック」
使徒は『聖人教会』の擁する最高戦力である。
百名ほど存在するその使徒たちへの加入条件はたった一つ。
種族レベル六百以上。即ち《至天職》を有していることが常識であり前提となっているのだ。当然彼らの戦闘能力も計り知れない。
枢機卿が『聖人教会』の知を担うのならば、使徒たちは暴を極めている。まさに神の威光の体現者。
それが使徒たちだ。
「……随分広い竜車ですね。これら全ては信徒たちからの税金で賄われているのですか?」
「迅速な意思決定と要人たる枢機卿の警護を兼ねた、移動要塞ですよ。必要経費だと考えております」
ウェイザックの居場所は、大地に縫い留められた建造物ではない。
小規模な砦の下部に無限軌道を備え、教会保有の最上級個体の飛竜によって牽引される動く砦というべき代物だ。
こんなものを動かす以上、少なくない人員と資金が必要となっているが、それでも必要経費と断じてウェイザックは乗り回している。
『鉄血の枢機卿』と称される彼が乗り回しているこれには、利点も存在している。
枢機卿の本国からの外出には最上級職の部隊を下限とした一定以上の戦力が求められるが、その人員ごとまとめて移動できるという利点。
枢機卿の現地派遣が求められるような災害においては、一種の避難所に成り得るという利点。
逆に敵勢力の侵攻が認められた場合には、文字通りの移動要塞として機能するという利点。
政治的な利点としては、これだけ大きなモノを動かせる枢機卿の威光を、傘下の国に知らしめることと、この要塞の派遣それ自体によって、『聖人教会』はその国を蔑ろにしていないというアピールにもなる。
そういった様々な利点から、一見この不合理に見える移動要塞は、本国にそれなりの数が存在していた。
その諸々を説明し終えたウェイザックに対して彼女が言ったことはシンプルだ。
「しかし私のような《至天職》が奇襲を仕掛ければ、単独でも墜とせてしまいますよ?」
「フーリア嬢のような御方に攻められて堕ちぬ要塞などありますまい。その仮定は無意味でしょう」
「いいえ。敵勢力圏への奇襲ならば、確実に少数精鋭であることが求められます。そうなれば《至天職》、あるいは【災異能力者】による攻撃はむしろ当然の物だと考えるべきです。ですから貴方も私に護衛依頼をしたのでしょう?」
「そうなりますね。それで、ご用件を伺っても?」
気安く尋ねるウェイザックに、フーリアは気分を悪くした様子はない。
枢機卿ではあっても三十代そこそこの彼と、その十倍は生きている《至天職》という枠組みから見ても上澄みの超越者。
立場的には対等ではある彼らであっても、見えざる格差が存在するものだが、この二人にはソレを乗り越えられるだけの確かなつながりがあった。
だからこそフーリアも、この要件を語るに至ったのだろう。
「この要塞内部からアンデッドの気配がします」
「何と……。して、それはどこから」
「……この部屋、の上からです」
臨戦態勢。
その身を銀色の聖なる光が包み込む。
特別な《スキル》や《アビリティ》を使用したわけではない。ただ戦闘状態に移行しただけだ。
それだけで、並みのアンデッドは近づくだけで羽虫のように燃え尽きる《聖属性》のオーラが彼女の衣となる。
どんなアンデッドであろうとも、居場所を割られ、対アンデッドの極致ともいうべき彼女の目と鼻の先にいる以上、絶体絶命に他ならないだろう。
彼は。
その事を正しく認識した上で。
天井をすり抜けた。
「お初にお目にかかります。私の名前はソウヤ・アカツキ。今回は使徒フーリア様にお願いがあってこちらに参った次第であります」
鎧に【憑依】すらしていない、剥き出しの霊体で。
彼は《勇者》をも超える、絶対の天敵の前に跪いた。
□
フーリア・リンクスは目の前のアンデッドの実力を瞬時に認識した。
脅威度、極低。即時抹殺可能。
彼女の《至天職》は隠密と探知に長けたモノだ。《至天職》でも上澄みである彼女の眼は、クリスの《虹彩の識眼》を上回る精度を誇っている。
なればこそ、目の前の死霊が、限りなく生者に近しいことと、そして種族レベル二百に満たないことを瞬時に見抜くことができた。
その体内の魔力流はひどく穏やか。故に目の前の死霊の卓越した魔力操作技術と、一切の臨戦態勢ではないことを悟った彼女は、次にそのアカツキと名乗った死霊の言葉に頭を巡らせた。
「私だけの名前を呼んだ、ということはウェイザックは既に把握していたということですね。彼の存在を」
「ええ。お師匠の《眼》を誤魔化すことはできぬと思いまして。こうして本国から引き離した次第でございます」
「なるほど……。私を謀殺する、というつもりはなさそうですね。彼がどんな【ゼノギフト】を持っているかは分かりませんが、どんなモノを発動するよりも速く殺せるだけの実力の隔たりがあります」
「なんと、《探究者》であることすら見抜くとは」
そうして、自らの弟子との事実確認を終えた使徒は、少年に向き直る。
アカツキは灼熱を感じた。
陽光による熱傷とは比べ物にならない、恐るべき熱量を彼は肌で感じ取った。無論それは実際の温度ではない。聖属性への脆弱性を持つアンデッドであるアカツキが、その脅威を熱感で受け取っているだけである。
だからこそ、恐ろしかった。これほどの濃度の《聖属性》が至近にありながら、それでも一切のダメージを負っていない理由は、この不随意に広がっているはずのオーラを、完璧に制御しているにほかならないのだから。
「それでは、アカツキさん。貴方の要件を伺いましょうか。もっともそれが人々を脅かす類のものであるのならば、私は決して容赦は致しません。貴方をここに招いたウェイザックごと討伐いたします」
「俺まで標的ですか、師匠」
「当然です。よほどの理由なくして、アンデッドとの内通など認められません。例外は『聖骸のポラリス』のような、稀代にして生まれながらの聖者のみです」
「なるほど。なら俺も弁護に全力を尽くさなければならないみたいだ。お察しの通り、彼は《探究者》にして、アンデッド。そして対『神権教団』において、見事な働きをした《鎧傀儡》の使い手でもあります」
「なるほど。未確定情報としていくつか上がっていた鎧の集団とは貴方のことでしたか。それは――」
言葉を一つ区切り、使徒である彼女は腰を折り曲げる。
直角での礼。
「あなたのおかげで、多くの命が救われました。心より感謝申し上げます」
「……お顔をお上げください、使徒様。……私の御願いはその一連の事件に関連することです」
彼の言葉に、フーリアは静かに顔を上げた。
その体からは、それまで感じていたいくらかの威圧感は薄らいでいる。
僥倖、とは言えない。
彼が今から言うお願いとは、まさしく彼女の逆鱗に触れかねないことなのだ。
少なくとアカツキは、それほど無茶な頼みであることを理解していた。
「申し上げください。私の微力の及ぶ範囲ですが、全力を尽くさせていただきます」
「私の御願いはたった一つです」
喉が張り付く。
手汗が噴き出るような気色悪い幻覚が両手を襲う。
生きていたころの肉体の、あらゆる緊張のシグナルが彼の肉体に想起される。
それでも、意を決して彼は口を開いた。
「『神権教団』において、洗脳下にあった少年兵の身柄を、『聖人教会』で引き取ってはいただけないでしょうか」
彼の願いを、フーリアは咀嚼して、的確に言い換えた。
「それはつまり、自国を襲ったテロリストたちの面倒を私たちに見ろ、ということを申し上げてるのですか?」
「はい」
「今回の王都の襲撃を抜きにしたとしても、あの子供たちは、少なくない『聖人教会』の人民を殺めているでしょう。それを、その被害者本人である私たちに世話をしろと、貴方は申し上げているのですか」
「はい」
フーリアは瞑目する。
そして、アカツキは噴火を幻視した。
大地の怒りが、地上の全てを飲み干すように、その場に立っているアカツキは聖なる灼熱によって己が跡形もなく焼失する未来を確かに見た。
しかし、その寸前で熱は押し留められる。
他の誰でもない、彼女の理性によって。
「あなたの言っていることは暴論です。何よりテラリアン、と呼称しているのでしたか、そういった我々に強い敵対感情と差別感情を持つ彼らを迎え入れることには、何の利点もありません」
「利点ならあります」
「ではまずソレを示してください」
アカツキは、これまでの人生において五指に入る危機的状況の中でも、努めて冷静に自らの思考を回した。
元よりこの嘆願に向けて、どういう交渉を行うかは既に練っていた。
後はそれが使徒にも届くように祈るだけだ。
「まず初めに、『神権教団』の子供たちの身柄についてです。彼らの地球での処遇は『保安機構』の電子牢獄に収容という形になります。日々の生活を実際の牢獄内で過ごし、社会復帰活動などを仮想空間上で行うという形式となっています」
牢獄の中といっても、その部屋はそれなりに広い。
内部にはキッチンや風呂などの基本的な設備は備わっており、必要な物資も供給されるため、一人暮らしに不自由ない環境だ。
といっても自殺などの禁止行為は、入所者全員に装着が義務付けられている電流を流す腕輪によって、強制的に禁止されるため窮屈さを感じるだろう。
それでも、電気供給が途絶えればそのまま死んでしまう、透明な棺桶よりははるかにましだ。
「その社会復帰活動を、『聖人教会』での奉仕活動に変更すれば、一万人、即戦力となるのは半分の五千人ですが、不死身の兵隊を得ることとなります」
「それが? 子供が何千人いようと、私一人でどうとでも対処できますよ」
「確かに現時点ではそうであることは疑いようもありません。しかし彼らが順調に成長した場合は、絶対ではないはずです」
『イグノーテラ』では、【ゼノギフト】の成長は早まる。
これは《探究者》との関りのあるテラリアンならば、誰でも知っている事実だ。
「続けてください」
「ではもう少し具体的な話をしたいと思います。【ゼノギフト】の平均的な成長限度は【奇異能力者】が大半です。しかしここ十年、つまり『異世界渡航』技術によって『イグノーテラ』での生活や戦闘が容易になった時代においては、異なるデータが得られました」
「それは?」
「十代前半から『異世界渡航』を行っていた人間に限りますが、その四割が既に【奇異能力者】に進化しています。中には十代の時点で【災異能力者】に達している者も存在しています。このことが意味するのは――」
「《探究者》の実力、そのアベレージの上昇、ですか」
「はい。これは《探究者》の戦力を多く保有している他の勢力においては恩恵として、そしてそうではない『聖人教会』においては脅威として強い影響を与えるでしょう」
「事実『聖人教会』の《探究者》の数は他所の四分の一以下。《探究者》が主力となっている『冒険同盟』と比べたら、十分の一以下だ。この数値さは確実に将来に響いてくるでしょうね」
ウェイザックの援護射撃に、アカツキは即座に呼応する。
「しかしその『冒険同盟』の大半は、戦闘を生業にしている者たちではなく、商業目的、あるいは観光目的で『イグノーテラ』を訪れた者たちです。他も同様です。戦闘のみを生業しているのは一億人を超えているであろう《探究者》たちの中で、一割未満。対して子供たちは……」
「幼少期から『イグノーテラ』での戦闘に従事している、即戦力に成り得て、かつ将来性も高い」
「はい。無論それだけではありません。今後増加していくである対《探究者》に対する戦略において、【ゼノギフト】への考察を深めていくことは必須。そのための資料としても子供たちの能力は役立つでしょう」
そして最後に、と彼は言った。
「『保安機構』によって身柄を確保された子供たちが利用しているのは正規品の『投射装置』です。どのような危険地帯や緊急事態においても、不死身の兵隊の有用性は高い。事実《探究者》が主力となったことによって『冒険同盟』の本拠地である『中央大迷宮』は、その最高到達深度を46階から、73階へと大幅に進めることができています。数百年かけて到達した深度を、十年足らずで一・五倍以上の深度に到達できたことからも分かることです」
「なるほど、確かに今あげた通り、戦力としては有効であることは分かりました。では彼らは信用に足るのですか? 我々、『テラリアン』を殺すことを当然のことと認識している彼ら――」
「彼らの記憶を消去します。俺の【ゼノギフト】ならば、それができます」
「それは……」
「記憶を消したとしても、彼らの戦闘技術や【ゼノギフト】の扱いについての経験値は決して失われません。その人格も保持されています。この体でそれを証明できました」
今現在においても幹部の記憶を消去した上で、仮想戦闘を行わせてデータを取っている。
そしてどれだけ記憶が失われようと、彼らの動きや立ち回りに陰りはなかった。
脳ではなく体で覚えているからなのか、エピソード記憶とは異なる技術的な面であるからかなどは分からないが、少なくとも子供たちの戦術的価値は落ちることはない。
「もちろん実戦経験のない子供たちもいます。ですがそういった子供たちであっても将来的な戦力になることは間違いないでしょう」
「将来性の優れた《探究者》たちの集団が、丸ごと我々の傘下に入ると。しかしそれを『統括政府』が許しますか?」
「確実に承諾します。なぜなら『聖人教会』を完全に敵に回すということは、他の大勢力にも存在している信徒たちの不信感を招きかねないからです」
『聖人教会』は『五大勢力』の中で最も歴史の古い。
そして『人類の守護』を第一に掲げた彼らは、人類の生存圏の拡大と確立のためにその身を擲ってきた。
その結果、他の大勢力の起源と現在においても、かなりの影響力があるのだ。
『冒険同盟』ならば、その起源たる史上初の多種族混合クラン『黎明の盟友』の初期メンバーにその信徒がおり、その者は英雄とたたえられ、今日においては信仰すらされている。
『協商財団』においては、その源流たる南部激流諸島の貿易網を確立した一人であり、六大商会の一つはその人物の名を冠している。
『魔術連合』は最も顕著だ。世界で初めて神の奇跡に依ることのない《治癒魔術》を確立した人物こそが、『魔術連合』の発起人、その人なのだから。
「各勢力の親『聖人教会』を全て反《探究者》に変えてしまいかねない危険性よりも、子供たちの身柄を優先することなどあり得ません。事実『統括政府』は、ビットー王国での騒乱の情報を掴んでいながらも、決してそれを『聖人教会』に流そうとはしませんでした。彼らは『イグノーテラ』と、表立っては事を構えるつもりはありません。しかしこれからはそうだとは限らない。そして今であっても暗躍を欠かすことは無いでしょう」
「実際、『神権教団』の暗躍を俺に伝えたのは、このアカツキ少年と、『保安機構』でとりわけ俺に親しい友人だけですね。そいつ自身も情報を漏しただけで、首が飛びかねないと言っていましたよ。それも物理的に」
アカツキの主張に援護する形で事実を述べるウェイザック。
そしてフーリアは、アカツキ述べたの利点を総括した。
「なるほど。『統括政府』は我々にとって、潜在的な敵性勢力であると……。《探究者》がこの世界に与えた影響は直近の十年に限定したとしても絶大であり、そしてこれからの十年に対応していくために《探究者》への理解を深めることと、その《探究者》を戦力として抱えることは必要不可欠である、と」
「はい。何より今回の一件の賠償を、子供たちの身柄を引き取ることで済ませることによって、『聖人教会』内部の急進派を抑えると同時に、外部からの余計な干渉を跳ねのけることができます」
先ほど各勢力内部に『聖人教会』シンパが存在していると言ったが、裏を返せば他の勢力の干渉の窓口が存在しているということでもある。
今回の一件に対する人道支援と称して、他勢力の親『聖人教会』派の人員が派遣され、その中に『聖人教会』に対する悪意を持った人間を各勢力の上層部が紛れ込ませた場合、一体どうなるか。
表向きは善意からの行動であるがゆえに下手に跳ね除ければ、やましいことがあるのではないか痛くもない腹を探られることとなる。
「だがこうしてこっち側から、分かる奴には分かるようにキッチリ賠償を求めれば他所の連中はそうやすやすと口出しはできない。このアカツキ少年の提案を受け入れれば、今現在の情勢の安定と、この先未来の成長、その二点で我々に大きな利点が生まれる」
「なるほど。だからあなたも彼と私との間に交渉の場を設ける価値があると考えたわけですね」
「ええ。しかしこれからどうなるかは分からないにしろ、今現在は紛れもなくテロリストの少年兵であることは変わりない。そんな彼らをまとめるにも、保護するにも、常軌を逸した戦力は不可欠。そのためにこうして直で交渉する場を設けたというわけです」
アカツキ単体に関していえば、こうして『死霊』である自分が『聖人教会』上層部に正体を晒すことによって、リーナとクリスへの疑いを反らす狙いがあった。
しかしその話は、驚くほどあっさり『死霊』であるアカツキの存在を認め、感謝を述べたことによって流れた。
問題は次だ。
子供たちの保護。
フーリアは静かに語り出した。
「我々の利点という話では納得できました。私が使徒としての立場を活用して、彼らを保護するだけの戦略的価値は確かにあります。それを認めましょう。しかしそれはあくまで利益のみを考えただけの話です」
使徒フーリアは、いつの間にか握っていた十字を模した直剣を、アカツキに向ける。
「『神権教団』による被害は、壊された物は、失われた命は戻ってきません」
灼熱の幻覚が、今やアカツキの魔力感知を通して、五感を塗りつぶすようだ。
「それによって傷ついた多くの人々の心も、簡単に癒えるモノではないでしょう」
当然だ。彼女は五千年の歴史を誇る『聖人教会』の最高戦力。
「故にここからは感情の話をしましょう」
その使徒の、十四位。一桁台のいくつかは永世称号として、死者に授与されているがゆえに彼女の実力は現存する使徒の中の十指に入る。
「あなたはビットー王国の人々を守り、救った側の人間です。彼らによって壊された街並みを、日常を目にしたでしょう」
端的に述べれば。
「そのあなたがどうして、その『神権教団』の子供たちを庇うのか。教えてください」
彼女の種族レベルは、902。
「私に決して虚偽は通用いたしません。そしてあなたは《探究者》であれど、その方式としては一世代前のモノです。私の攻撃は確実に貴方を死に近づけるモノでしょう」
『イグノーテラ』の人類史において、そのステージに到達した者は百名未満。
例外なく歴史に消えぬ名を刻むこととなるレベル九百代。
そこに達した超越者である。
アカツキ・ソウヤはこれまでの人生において、最も強い『死』を感じ取った。
こちらの抵抗は何の意味もなさないだろう。
目の前の神の使いという大仰な称号を、これ以上ない的確なモノと思わせる、人を超えた人外。
彼女の意志一つで、瞬きよりも容易く自らの存在が吹き飛ぶことを直感した。
そして【電染来迎の新世界】は彼を肉体という牢獄から解き放つが、今現在は死を過去とすることはできていない。
故に、彼女の質問への答えを誤れば、自らの死に直結することは自明の理。
絶対絶命。
彼はそのことを正しく認識した。
それでも嘘ではない理由を幾つも重ねれば、目の前の使徒を説得することはできただろう。
これほど莫大な聖属性の気配を立ち昇らせてはいても、それによってアカツキがダメージを負うことは一度もない。
アカツキがビットー王国での騒乱に対して、尽力したが故のことだ。
彼の目の前には、蜘蛛の糸が垂れ下がっている。自らの尽力で切り開いた活路が。
「何故、人々のために敵と戦うのか。そして、どうして敵をも助けようとするのか」
アナタは一体どういった人間なのか。問いの真意はそこだ。
果たして信頼に足る人間なのか、そこにこそ全てがある。
一拍、静寂を破ったのは、少年の言葉だった。
「戦いとは一つの手段です。敵だけではない。自分の明日を阻むすべてに対しての対処法の一つです。決してそれは日常となってはならない。明日を迎えるための必須事項になってはならない。けど必ず、戦わなければならない時が来るでしょう。自分の尊厳を守るために」
直接的な答えではない。
しかしアカツキの核たる部分が、これからの言葉に現れるだろう。
「しかしその方法は、あまりに過酷です。物理的な闘争だけではありません。困難と向き合い、考え続け、行動を続けるのは、とても苦しい」
「だから他人に戦いを強いることは、決してやってはいけないことのはずなんです。けれど『神権教団』は、彼らのような悪人は、それを多くの人に強いる」
「暴力によって人に危害を加え、立ち向かおうとした人間を殺し、ただ平穏に明日を謳歌しているだけの人間を戦場に放り込む」
「そしてただ生まれてきた子供たちの選択肢を奪って、戦うだけの人間に仕立て上げる」
「到底許されるべきことではありません。少なくとも俺はそう思っています」
「だから俺は戦いました。日常を脅かされた人々のために。そして戦場以外を知ることができなかった子供たちのために。そんな彼らが、明日を生きていけるように。過去の、望んでやったわけでもない罪に、その明日が脅かされることが無いように」
「けど、俺も彼らの記憶を消そうとしている。子供たちの記憶を。あくまで自分が勝手に見出した救いのために。これまで積み上げてきた彼らの人生を無に帰そうとしている」
「これは他から見れば、どちらも同じことです。自分の都合で、彼らの行く末を歪めること」
「あなたは俺に、ビットー王国を救ったと言いました。けどそれは違います。俺もまた、ビットー王国の何の罪のない人々を危険にさらしました。王都だけでない、そこに住んでいる人々全てを」
「それは、どういうことですか?」
フーリア・リンクスは問うた。
「『神権教団』の、地球側のアジトの所在を半年前から掴んでいたからです。その居場所を『統括政府』に、あるいは『保安機構』に通報すれば、今回の騒乱が起こるよりも速く、彼らを撃滅することができたはずです」
「あなたはソレをしなかったと」
「はい。すべては俺の独善です。自分の意志で、救う人間と危険にさらす人間を天秤にかけました」
アカツキは両膝を地につけ、額を床に擦り付けた。
「俺は、理不尽です。誰に頼まれたわけでもないのに、子供たちの未来を切り開くために動いて。そのために何の罪もない何十万人もの人々を危険にさらして」
この騒乱の行く先の過半は、彼の掌の上であると言えた。
そうでない部分も、彼自身の演算能力によって十分に勝算のある賭けだと考えていた。
しかしここから先は違う。
もはや賭けですらない。
「俺の責任なんです。ビットー王国の人々の日常が脅かされたのも、そのために立ち上がった人々の命が危険にさらされたのも」
「だから、どうか」
「未来ある子供たちへの怒りと憎しみは、俺の首で済ませてはいただけないでしょうか」
「あなた方が引き取って下さらなければ、子供たちは『統括政府』の管轄になります。そして彼らは子供たちの戦略的有用性のみに目を向けて、もう一度彼らを戦火へと放り込むでしょう。『統括政府』の中には子供たちの心に気を配る人間がいるかもしれません。けど彼らの中核は目的遂行のためならあらゆる死者と損害を許容するでしょう。ビットー王国の失陥が、自らの間接的に支配下にある『冒険同盟』の勢力拡大に利すると考え、『神権教団』の存在を知らせなかったように」
この土下座に何の策もない。
ただの懺悔であり、告解、懇願なのだ。
「だから一万人を超える子供たちの未来を保証できるのは、貴方方しかいないです。『統括政府』であってもその意向を無視できず、他の大勢力すらも口に出すことはできない。『聖人教会』しか。そしてその中でも、とりわけ何人もの人々を救いあげ、『聖人教会』全土に孤児院を設立し、子供たちの未来を保証してきた『子守の聖者』フーリア・リンクス様にしかできないことなのです」
「だからどうか、自らの意志で未来を選ぶことすらできない子供たちの未来を」
できうる限りのことは、やった。
子供たちの記憶は日常生活に支障を来さない範囲で既に消去済み。その身柄も素手に『保安機構』に移動する手筈は整っている。
こうして身を晒すことによって、リーナとクリスへの『異端審問』の可能性はなくなった。
生への執着は、ある。
彼にはまだ叶えていない夢がある。
まだ果たしていない約束がある。
謝りたい人だって、いる。
けどそれでも。
「保証してください」
理不尽を振りまくのならば。
そして理不尽を取り除くために必要ならば。
ここで死ぬべきだ。
そうなった場合は、エイゼリア・オルカーベルトに言ったように。
ただ、自分の順番が来たというだけの話だ。
「お願いします」
それが彼が、自身に課した理念だ。
己の理念に反するのならば、己をも抹殺する。
それが彼の世界への在り方である。
「…………」
重い、あまりに重い沈黙が流れた。
過ぎる一秒が永劫に感じるほどの重圧だ。
けどそれは、決して彼一人が感じたモノではない。
「お顔を上げてください」
なおも床のみを視界に写した彼の目の前で、誰かが跪いた気配を感じた。
そして彼は、少女の形をした超越者と目があった。
《死霊モドキ》と真の聖者が、同じ高さで目を合わせている。
「我ら『聖人教会』において、真の祈りとは己が為に、されど他者への祈りを捧げること」
それまで感じていた灼熱は、もはや皆無。
少女の外見にふさわしい、白魚のような指がアカツキの手を取る。
「あなたの祈りに、私もまた、全霊で答えましょう。《真聖誓約》」
「立会人は俺が引き受けましょう」
彼女の魔力が、契約術式として彼女自身を縛る。
『我らが偉大なる女神に。そして偉業を為した聖者たちに。並んで、神への信仰を捧げる遍く信徒に。我は誓約する』
それは『聖人教会』の契約に基づくすべての術式の源流となったモノ。
強制力はさしたるものではない。使徒を縛るなどなおさらだ。
しかしこの誓約は己の信仰に、誓うモノ。
『私はソウヤ・アカツキの請願を聞き入れ、元『神権教団』の少年兵の身柄を保護し、そして彼らの誰もが健やかな未来を生きることができるように、全力を尽くします』
信仰によって、最高位たる使徒の位に上り詰めた者が紡ぐならば。
自らの積み上げた信仰と力、そして誇りへ誓うこととなる。
神の使いと呼べるまで究めた者たちの、一体誰が、その誓いを破れるだろうか。
『命に代えたとしても』
今ここに、彼の願いは聞き届けられた。
『聖人教会』、最高戦力の、最上の誓いによって。
「ですからどうか。自分を誇ってください。貴方の独善で救われた命は、多くあるのですから」
「ありがとうございます……! ……けど、それは…………」
「そういえば、アカツキ少年にはまだ伝えていなかったな」
そう言ってウェイザック・バーボンは、机の上の書類を手に取って、一つの事実を述べた。
「《祈祷師》、つまり死者の霊を呼び出して調査を行う《死霊術師》の亜種のようなジョブの調べを含めている故に、俺が今から言うことは間違いのない事実なんだがな」
持って回った物言いに、アカツキは疑問符を浮かべた。
「ビットー王国の王都での死者は、ゼロ名だったそうだ」
「は」
がくりと、彼は脱力した。
あの廃村のように、手が届かずに助けられなかった命はあった。
「よ、良かった…………」
けど、きっと。
手からこぼれた命はなかったのだ。
「本当に、良かった…………」
今ここに、『神権教団』の起こした大規模テロは終息した。
この事件を外様から眺めた全ての者たちは、不自然なほどまでに被害が少ないことに消えぬ疑問を浮かべることとなる。
窓から見える空は、雲一つの無い快晴だった。




