48 最強の勇者
王都から程よく離れたとある森。
魔物は生息していない場所ゆえ、トレミー大森林よりずっと気楽に歩ける。時折野生動物の声が聞こえてくるものの、近づいてくる気配はなかった。きっと彼を恐れているのだろう。私だってできることなら距離を取りたい。
「釣れないね。つまらない」
「そうですね」
「でも、風が気持ちいい。来てよかった」
「……そうですか」
私は今、勇者カロンドと肩を並べ、湖のほとりで釣りをしていた。
なんだこの状況、と先ほどから繰り返し頭の中で反芻している。
説明しよう。
アウリオン王国にディレー王国の王女ベラトリックス様と南の大国出身の勇者カロンドがやってきた。彼らの目的は聖剣エルナトの回収。そして魔王子オクトを撃退した私と、魔王女ノーヴェラルの魔力の繭を破壊したルルタに会うこと……らしい。
模擬戦でもするのかと内心身構えていたが、別に戦力を見たいわけではないようだ。人となりを見に来た、と言われてどう反応すればいいのか分からなくなった。エイプリルのこととかエイプリルのこととかエイプリルのことが後ろ暗い私は、ものすごく嫌な汗をかいた。
ベラトリックス様は私とルルタを見てどこか感心したように頷いていた。私も彼女を見て、心底恐れ入った。剣を合わせずとも、彼女が相当の手練れだということが分かる。ヒトのことは言えないが、本当に一国の姫か? 護衛要らないだろ。
聞けば、ベラトリックス様は亡き勇者タウロの弟子なのだという。師匠の仇を打ち破った相手が、自分よりも年下の娘だと知れば会ってみたくもなる。そうおっしゃっていた。
……なんだか、申し訳ない気分になった。
私がオクトに勝てたのはエイプリルの悪夢と母上様のドレスのおかげだ。実力とは言い難い。
私の態度を緊張と謙遜と見て取ったのか、ベラトリックス様は柔らかい笑みを浮かべ、改めて聖剣エルナト奪還の礼を述べた。
優しい人だと安心したのも束の間、私がオクトにとどめを刺せなかったことを謝ると、彼女は微笑みの質を変えて頷いた。
「師の仇は必ずこの手で取る。むしろオクトの首を残しておいてくれたこと、心から感謝しているよ。ありがとう」
めっちゃ瞳孔が開いていて怖かった。
本当なら王女様が魔王子に挑むなんて止めるべきなのだろうが、私にはいろんな意味で無茶を咎める資格がない。仕方ないな!
一方、勇者カロンドは何を考えているのか全く分からない表情で私とルルタを観察し、のんびりと述べた。
「この子たちとゆっくりと話したいな。いいよね?」
そんなこんなで私とルルタは、現役の勇者と一緒にこの森の湖にやってきた。ちなみに釣りがしたいと言い出したのはカロンドさんだ。
もちろん国王陛下や王子たち、外交官や兄上様が総出で止めたんだぞ。私とルルタの二人で勇者を接待するなんて無謀だ、と。
「僕は王様でも貴族でもない。ただのちょっと腕の立つ剣士だよ。堅苦しい場は苦手なんだ」
しかし、勇者の謎の圧力でいつの間にかこの状況が出来上がっていた。噂通り掴みどころのない人だな。天然と言い換えてもいい。
それでいて「後、つけてこないでね。監視されたら分かるから」と王家に対して牽制していた。ルルタに密偵の気配が分かるくらいなので、彼に見破れないわけがない。
勇者カロンド・クルックス。
その名を知らない奴はこの大陸にはいないんじゃないだろうか。
何せ生きる伝説と言われている勇者様だ。歴代勇者の中でも最強かもしれない、と長寿のエルフや龍天族の大人が噂するくらいその強さは突出している。
カロンドさんが最強と言われる理由は二つ。
一つが勇者になってすぐ、三番目の魔王子マーチを討伐していること。
エイプリル以前の魔王子は人間の女性ではなく、魔王が魔物や亜人との間に設けた子どもだ。マーチは『殺戮巨人』と呼ばれていた化け物だったのだが、カロンドさんは単身勝負を挑み、見事その首を刎ねた。
もう一つが、一番目の魔王子ジャニュアルと何度も何度も互角の戦いを繰り広げていること。
一番目、つまり魔王一族の長男だ。
先に生まれたからと言って強いとは限らないが、ジャニュアルに限っては魔王に次いでこの世界を脅かす存在と言っていい。
これは世間一般の認識でもあるし、腹違いの弟であるエイプリルも言っていたことだ。
ジャニュアルは休眠中の魔王に代わり魔境ガランドリネを統治し、時折人間の領土にもちょっかいを出す。その気まぐれな行為で何千人もの民が死んでいる。たまにしか目覚めない魔王よりも、よほど現実的で厄介な存在と言える。
まぁ、ジャニュアルもまた例に漏れず、弟妹と喧嘩してなかなか思うように独裁政治ができないみたいだが。
そんな激強なジャニュアルと一進一退の攻防を繰り広げ、大陸の平和を守っているのがカロンドさんなのだ。
初めて見る勇者。それも人類最強レベルの男。勇者伝説に夢を見ることがなくなった今でも、それなりに心が騒ぐ。ファンというわけではないけれど、彼に対する憧れはある。
「あの……聖剣の力でジャニュアルのいる場所が分かるというのは本当ですか?」
私は場を繋ぐ意味を込めて、気になっていたことを恐る恐る尋ねた。
彼の腰にある古びた金の柄の剣――聖剣ハイドラッシェ。一度斬った敵の血を忘れず、命を絶つまで追いかけ続けるという恐ろしい剣だ。
「うん。魔境に隠れられちゃうと分からないけど、人間の領土に来たらすぐに分かるよ。魔王子のストーカーなんてやりたくないけど、やらないとみんな困るでしょ?」
「は、はぁ……」
「ああ、そうだ。ルルタ、きみはアポロ戦線で戦っていたんだってね」
喋るなとベテル様にきつく言い含められていたルルタが顔を上げる。彼にしては珍しく、その顔に明るい笑みがない。
「ごめんね。あの頃、ジャニュアルとの小競り合いが多くて、アウリオンに行けなかった。僕がいれば、八番目の軍勢なんてすぐに追い払えたのに」
「…………」
場にぴりっとした空気が流れる。
これはダメだ。今まで気づかなかった察しの悪い自分を殴りたくなった。
そうだ、ルルタにとって現役勇者はあまり好ましいものではない。
アポロ村を最前線とした戦いは六年も続いた。
王都からは定期的に援軍が送られていたが、魔王のいない時代の軍備はもろい。急な襲撃になかなか戦力を整えられなかったという。
しかし、もしも、もしも勇者が戦場にいたのなら、戦いは早急に終結しただろう。
勇者は誰一人としてアポロ戦線に参加してくれなかった。魔王子オーガスト本人が戦場に現れていれば話は違っていたかもしれないが……。
黙り込んだルルタに、カロンドさんは表情を変えず独り言のように呟いた。
「この国には聖剣アルデバランがあったから、他の勇者も干渉しづらかったんだろうね。みんなすぐに勇者選定が行われて、新しい勇者が現れると思っていた。他の聖剣なら、ベテルギア王子を選んでも良さそうなものだけど……アルデバランは本当に変わっている。ベガトリアスを選んだのも――」
ルルタが釣竿を置いて立ち上がった。
怒っている。ルルタの後ろに赤い怒気が見えた気がした。
「ルルタっ」
咄嗟に声をかけた私を一瞥してから、ルルタはゆっくり息を吐いた。
「……今更例えばの話なんて意味ねぇよ。確かに、あんたがいれば簡単に勝てたのかもしれねぇけど、謝ってくれなくていい。聖剣のせいにもしたくない。無関係の奴を恨みたくないんだ」
予想に反して、怒鳴り声ではなかった。ルルタ、大人だな。敬語が行方不明な点は目を瞑ろう。相手は気にしていないようだし。
カロンドさんは淡い笑みを浮かべて、一つ頷いた。
「うん。僕は傲慢だね。分かっているよ。何もかも救えるわけがない。でもね、聖剣に選ばれ、勇者になってしまった以上、魔王軍と戦う義務があるんだ。救えなかったことを当たり前だと思ってはいけない。……きみの力になれなかった僕を、許してくれてありがとう」
ルルタは息をのんだように固まり、ゆっくりとその場に腰を下ろした。そしてバツが悪そうに頭を掻いた。
怒る気が失せたようだ。
カロンドさんは、本当に掴みどころがない。
なんというか、器が大きすぎて見えないんだ。まるで神様や風の精霊と話しているような気になってくる。
「あんた、何しに来たんだよ。俺とライラに会って、何がしたかったんだ?」
「聞きたいことがあったんだ。この前ジャニュアルと斬りあったときに、妙なことを言われたから」
まるで古い友人と世間話をしてきたかのような言い草だな。
「何を言われたんですか?」
「うん。一時休戦して手を組まないかって言われた」
「は!?」
最強の勇者と魔王子が手を組む? 悪夢みたいな話だな。
「もちろん断ったよ。僕、あいつ嫌いなんだ。気持ち悪い。生理的にムリ」
「そ、そうですか」
「でもあいつ、にやにやしながら『私も人間のパートナーが欲しかったのですが、残念です』って言ったんだ。それってつまり、魔王子と手を組んでいる人間がいるってことだよね」
どきぃっと心臓が強打されたように痛んだ。
落ち着け、顔に出すな。ルルタみたいに普通に驚くんだ。
「でも、魔王子の言うことなんて信用できるのか?」
「ジャニュアルはね、人間ごときに嘘は吐かないんだよ。騙す価値もないと思っている。だからこそ、あの言葉は真実だね」
ジャニュアルと本当は仲が良いんじゃないかと疑いたくなる。
それはともかく、これはまたしてもピンチか?
兄上様や王子に続き、勇者にまで疑われているとか、本当にどうしてこうなった。
「守るべき人間に背中を刺されるなんて願い下げだ。裏切り者は早急に始末しないとね。とりあえず、ここ最近目立った動きをしていた魔王子オクトに注目して、関係のあるディレーとアウリオンを訪ねてみた。特にオクトと直接戦って、ノーヴェラルと初めてまともに遭遇したライラとは、ぜひ話してみたかったんだ」
カロンドさんはとても優しく囁いた。
「ねぇ、ライラ。裏切り者について、何か身に覚えはない?」




