44 フォーマルハウトの囁き
私がまだ寝込んでいるときのことだ。
「お話をいただいたときは驚きましたけど、でも、嬉しくもあったんです」
見舞いを装ったリュカットが、しれっととんでもない相談をしにやってきた。
私への口止めはされなかったらしいが、よく面と向かってこんな恥ずかしい話ができるものだ。
兄上様もひどいことをする。
まさかリュカットに私との結婚を打診するとは。
立場上、絶対に断れないのにな。言いなりにできるという一点において、リュカットは兄上様にとってこれ以上ないほど都合がいいのだろう。四六時中私を監視させ、抑え込むつもりに違いない。
ちょっと、いや、かなり嫌だな。リュカットが嫌というよりは、兄上様の過保護が重い。
「……あ、お嬢様のことは何とも思っていないので、そこは勘違いなさらないでください」
「分かっている。私と結婚すれば、兄上様の義理の弟になれるからだろう?」
「はい。大変不本意ではありますが、オルフェ様にとって最も大切な存在、ライラお嬢様を託されるということは、信頼していただけている何よりの証です。嬉しくないはずがない」
珍しく素直に頷く従者に「もう兄上様と結婚しろよ」と言いかけて飲み込む。恐ろしい想像をしてしまった。冗談でもダメだこれは。
リュカットは私の顔を見て、肩をすくめた。
「ですが、理解はしているのです。僕が最良の選択肢ではないと。僕個人としても、お嬢様には、シェリアーク家にとって益のある方と縁を結んでいただきたい」
そうだな。放っておいてもシェリアーク家に尽くしてくれるリュカットを取り込んでも、あまり旨味がない。“ジューンの呪い”の影響か、リュカットは平民にしては魔力が強い方だが、それでも貴族には遠く及ばない。
リュカットは最終手段だろう。本当に、どこにも嫁に行けなかった時のための保険だ。
「お嬢様だって、僕とは結婚したくないでしょう?」
「別に。お約束事がある以上、私の結婚相手は兄上様が決める。私の希望なんて意味がない」
たった一人を除いて、私にとっては誰が相手でも同じ。
キュロンでも、リュカットでも、究極のところどうでもいいのだ。
ちょっぴり自暴自棄に陥っていると、リュカットは鼻を鳴らした。
「少しは情けないと思ってください。政略結婚の駒にもなれないことに」
「悪かったな」
「勇者になるのを諦めてくだされば、望んだ相手と結婚できるかもしれませんよ」
「……それは聞けない。私は勇者になる」
強情な、とリュカットは呆れたように息を吐いた。
「ではせめて、もう少し素行を改めてもらえませんか。お嬢様がもう少しまともな貴族令嬢として振舞ってくだされば、こんな話、立ち消えるでしょう」
そして私はリュカットから密偵の話を聞いた。
結婚話のことがなくとも、怪しまれぬように行動しなければな。私が魔族と通じていると疑われてはならない。
しかし、がっかりだ。
エイプリルの目論見では、オクトを倒せば勇者選定の儀を受けられるとのことだったのに、終わってみれば余計な疑いを買っただけ。
頑張ったのに、なんだか損をした気分だ。
「俺は魔王子を間近で見られて、いい経験になったぜ。俺にはライラみたいに攻撃を全部かわす戦法は無理だろうし、力で勝つしかねぇな」
ルルタは異様に燃えていた。ベテル様はお忙しくて顔を出さないようだが、相変わらず騎士たちと鍛錬を続けているようだ。
「あの場にいた騎士のみんなは、ライラのことをすげー誉めてたぜ。会わせろ、連れて来いってうるさいくらいだ。すっかりライラのファンだった」
「ファン……私の……?」
「おう。いろいろ好き勝手言う奴もいるけど、実際にライラが戦っている姿を見れば黙ると思うぜ。だから、その、気にすんなよ?」
ルルタに励ましてもらい、私は上機嫌になった。簡単な女である。
そうだな。自分の実力を試せて自信がついたし、どさくさに紛れてルルタに抱きつけたし、悪いことばかりではなかった。そう思おう。
そんなこんなで学院に復帰したわけだが、周囲の私に対する扱いが変わったことについて、新事実が判明した。
なんと、フォーマルハウト家のヒュドロが婚約していたのだ。
相手はデボラ・ドゥーベという伯爵令嬢。学院の同期生らしい。
名前を聞いてもピンとこなかったのだが、顔を見たら分かった。王国史の授業の前に、私と少し揉めた女生徒だった。身分にこだわって他者を見下すタイプの娘だ。
取り巻きたちは一斉にデボラをもてはやし、祝福ムードを伝播させた。今一番勢いのある女子グループとしてスクールカーストの頂点に君臨しているようだ。馬鹿らしいが、そういう空気を作られると、従わざるを得ないのが人間。特に女子の集団は恐ろしい。目をつけられたら堪らないだろう。
「ちょっとあなた……私の前を横切らないでくれる?」
「も、申し訳ありません、デボラ様!」
近い将来に大公家の一員になることが決まり、デボラはこれまで以上に偉ぶっている。平民の生徒は、廊下を歩くときでさえ気を抜けなくなっているという。貴族に道を譲り、笑うことすら憚られるような状態だった。
平等を謳う王立学院ではあってはならない光景だな。
ふと、デボラと目が合った。何か言ってくるかと思ったが、彼女は私に対して勝ち誇った笑みを浮かべ、取り巻きたちとくすくすと肩を震わせながらその場を去った。超感じ悪いな。
私とヒュドロが婚約するかもという話があったことを知っていたのか、デボラは私を執拗に貶しているようだ。
ヒュドロ様に選ばれなかった哀れな女、大公家の恥さらし、殿方を差し置いて出しゃばるはしたない娘、とかなんとか。
言ってくれるじゃないか。
直接喧嘩を売ってくるようなら考えるが、私から出向くことはしない。今はあまり目立たない方がいいし、正直どうでもいい。デボラのせいで本当に誰も彼も私を避けるようになってしまったが、よく考えれば今に始まったことじゃなかった。笑える。
それにしても、兄上様が新たにリュカットを候補者に入れたのには、婚約者候補が一人減ったという背景があったのだな。
ドゥーベ伯爵家は近頃、事業が絶好調らしい。その中には医療分野も含まれており、王都に貴族専用の新しい病院を立ち上げる話もある。将来的にはシェリアーク家の商売敵になるかもしれない。フォーマルハウト家の後ろ盾があれば怖いものはない。
シェリアーク家との縁談を断り、そのような家と縁を結ぶとは、フォーマルハウト家はやけに喧嘩腰だな。フォーマルハウト家がシェリアーク家と対立するつもりならば、私を嫁にもらう家がなくなるのも理解できる。大公家の争いに巻き込まれたくないだろう。
これ、私の素行だけが原因じゃない……よな?
シェリアーク家には傷があると言え、家格は対等だ。相手の顔色を伺う必要はない。兄上様は涼しい顔をしているし、大丈夫だと思いたい。
とはいえ、私個人としては特に困らない。
元々フォーマルハウト家に嫌われているのは分かっていたし、あまり気が進まない縁談だったのだ。なくなってせいせいした、とまでは言えないが、正直ホッとしている。
ヒュドロとも特別親しいわけではないし、お互いの婚約について話したこともないのだ。
「…………」
そんなことを考えていたら、廊下でヒュドロとばったり対面した。
引き連れていた従者がぎょっとしていたが、ヒュドロ本人は無表情で黙っている。そのまま通り過ぎてくれればいいのに、なぜか私の言葉を待っている様子だ。これは珍しいことだ。
困ったな。ばっちり目が合ってしまった以上、何事もなかったかのようにスルーするのは感じ悪い。しかしここで私が「おめでとう」や「お幸せに」というのは変だ。ましてや「式に呼んでね!」なんて陽気に言えるはずもなく……。
「久しぶりだな。元気か?」
他の言葉を思いつかなかった社交性の乏しい私を笑うがいい。
ヒュドロは小さくため息を吐いて、従者に先に行くように命じた。なんだ、なんだ、本当に珍しいな。どうした?
仄暗い瞳が私の顔をじっと見下ろす。
不吉な予感に背筋が震えた。こいつ、こんな目をしていたか?
まるで闇の中を覗いているような気分になった。
「シェリアーク家は、本当に苦難が絶えない。同情するよ。今度こそ、終わりかもしれない」
「は?」
瞬間、私が言葉を無くすほどヒュドロが険しい表情を見せた。攻撃されると咄嗟に身構えたが、手が伸びてくることはなかった。代わりに耳元で囁かれた。
「……助けてほしかったら俺を頼るといい」
酷薄な笑みを一瞬見せたかと思えば、ヒュドロはあっさりとその場を後にした。
抑揚の乏しい声に全身の肌が粟立ち、しばらく私は動けなかった。
意味が分からない!
消化できないもやもやを抱えながら、私はユリウス先生の研究室に足を運んだ。
甥の不可解の言動について相談したいところだが、それよりも差し迫った問題について交渉に来たのだ。
「特別演習、まだ続ける気があるんだね」
「当たり前です」
二回連続で同じ湖で引き返す羽目になったが、今度こそ先に進んで見せる。
しかし困ったことがあった。
「その、ユシィとキュロンとリュカットがしばらく所用で参加できないようでして……私とルルタの二人だけではやはりダメでしょうか?」
キュロンは王国から、リュカットは兄上様から、しばらく私から離れるように指示されている。私が何か怪しい行動をしないか、誰かが接触してこないか、密偵が調べるためには隙が必要なのだ。ルルタに聞いたが、同じような理由でツバサくんともしばらく話せなさそうだ。
私が密偵の存在を知っている時点で茶番なのだが、形だけでも整えないとな。
ユシィはと言えば、密偵の話を聞いてさっと私から離れた。何か後ろ暗いことをしているんだろうな。それでもドレスのことはきっちり念を押された。図々しい奴だ。
「……まぁ、魔王子を撃退できるくらいなら、二人でも大丈夫とは思うけど。体調はもう大丈夫なのかな?」
「はい。次の虹の日には本調子に戻ります」
「ふぅん……」
「絶対に無理をしないとお約束しますので、どうかお願いします」
ユリウス先生は少し考えるそぶりをして、私にそっと耳打ちした。デジャブだ。
「見張りがついているようだから、特別に許可しよう。でも、オルフェに怒られても助けないから」
「は、はい」
同じ行動をする辺り、やはり叔父と甥か。
しかし不思議なもので、助けてくれるらしいヒュドロよりも、助けないと言い切ったユリウス先生の方が安心した。




