43 捻くれ従者の憂鬱
更新が遅れてすみませんでした。
今回はリュカット視点のお話です。
僕にとってオルフェウス・シェリアーク様は命の恩人、神にも等しい御方だ。
彼の手を煩わせ、足を引っ張る存在は許せない。たとえそのオルフェ様が溺愛している妹君であっても。
僕がオルフェ様に出会ったのは八年前のこと。
寂れた炭鉱の町の片隅で、僕は“ジューンの呪い”によって死にかけていた。
この病気は人によって大きく症状が異なるが、体内魔力が暴走するという共通項があった。ある人は血管が裂け、ある人は五感を失う。僕の場合は体温調整ができなくなり、いつも高熱に喘いでいた。
最初は優しかった両親も看病に疲れ果て育児放棄、ほとんど家に帰ってこなくなった。そうなれば、まともな医者にかかることはもちろん、ごく普通の生活すら送れなくなった。汗だくの体で町を彷徨い、ゴミを漁る日々。
手を差し伸べてくれる人はいなかった。
当時“ジューンの呪い”は不治の病だった。どれだけ医療術を施しても、二十歳前後で命を落とすと言われていたのだ。
はっきりとした原因は分かっていないが、この病が広まったのは今から百数十年前、六番目の魔王女ジューンが初めて人間の前に姿を現した時代だ。いろいろな説があるが、一説によるとジューンが気に入った人間につける印だと言われている。気に入った人間をなぜ苦しめるのか、全く理解できない。はた迷惑な話だ。
とにかくこれは普通の病気とは違うのだ。魔族が関わっているとなれば、みな及び腰になる。
――どうせ死ぬ人間にパンを恵んでどうする。
――こちらまで呪われたような気分になるわ。
――鬱陶しい、目障りだ。
僕の存在は徹底的に無視された。同情すらしてもらえない。
路地裏で失業した元鉱夫に出くわし、いたぶられることも多々あった。そんな経験を繰り返し、熱で思考が短絡的になっていたこともあって……当時の僕はかなり荒れていた。今思い返すと野犬のように凶暴だったな。ますます世間から疎外された。
自分自身も含め、この世の全てに怒っていた。
僕が死ねばみんなが喜ぶ。そう思ったからこそ、簡単に死んでやるものかと歯を食いしばって苦痛な日々を過ごした。
もうどうしようもないほど、僕は捻くれていたんだ。
そんなある日、シェリアーク家の遣いが来た。
その医術師は僕に食べ物を与え、念入りに診察し、もう何か月も会っていなかった両親に大金をぽんと支払うと、僕を王都へ連れて行った。ようするに、僕の命は金で売られたのだ。
なんでも、シェリアーク家の次期当主が僕を“ジューンの呪い”の治療実験に使いたいそうだ。
シェリアークの名は、この国では知らない者はいない。他の三大大公家については名前も朧気だったが、底辺の民ですら裏切り女勇者ベガトリアス・シェリアークのことは知っている。卑怯な女性に対する蔑称であり、分かりやすい嫌悪の対象なのだ。
裏返して言えば、それだけ王国史を汚す家名であっても、これまで取り潰されることなく大公家に名を連ねているほど、シェリアーク家が積み上げてきた功績は大きい。
反抗心や恐怖はあったけれど、何に変えても僕は生きたかった。このまま何の意味もなく死にたくない。あの町で暮らし続けるよりもずっとマシだと思えたから、素直についていったのだ。
もしもより過酷な日々を送ることになるのなら……そのときは、もう、最後に無茶苦茶に暴れて死んでやろうとも思っていた。
僕が大貴族相手に粗相をすれば、両親やあの町にまで咎が及ぶかもしれない。それも悪くないと、本当に性格が悪いことを企んでいた。
そして僕はオルフェ様と対面した。
まだ十代、医術師になりたての青年の背に、冷たい光が差し込んでいるように見えた。
今でもよく覚えている。最初に抱いた感情は恐れだ。体の芯から凍え、熱が引いたような気がしたくらいだ。
同じ人間とは思えないほど、オルフェ様の美しさは常軌を逸していた。
「リュカット。まずは体力を回復し、栄養状態を改善する。よく食べ、よく眠りなさい。困ったことがあれば、なんでも遠慮なく言うといい」
実験と聞いて身構えていたものの、最初は普通に療養した。いや、普通と言ってはいけないな。
僕が連れていかれたのは大病院の病室ではなく、シェリアーク家の屋敷の離れだった。
今まで食べてきたものが本当にゴミだと思い知らされる食事が出てくる。その上平民にはとても手が出ないような高価な薬がバンバン投入され、オルフェ様直々に医療術を施された。平民では考えられないような手厚い看護である。
当時はなんの説明もなくて分からなかったが、僕が被験者に選ばれたのは、同じく“ジューンの呪い”を患う第一王子と年齢や背格好、症状が似ていたからだ。ここまで条件に合う患者はめったにいなかったそうだ。
実験を行うためには、第一王子の肉体と近い状態にしなければ意味がない。貧民の感覚が悲鳴を上げるくらい、僕は一生分の贅沢をさせてもらった。
単純というか安いというか、体が癒されていくと、心もだいぶ柔らかくなった。
診察の合間、オルフェ様は「退屈だろう」といろいろなことを話して聞かせてくれた。
王都の成り立ち、医療術や魔法の歴史、世の中の仕組み。
あの町で暮らしていたら触れる機会のない、深い知識と教養に圧倒され、ああ、やっぱり貴族はすごいんだなと語彙力のない感想を抱いた。
どうして僕にいろいろなことを教えてくれるのかと尋ねた。話す必要なんてないのに、なぜ。
「これらの知識は、大人になってから必ず役に立つ。実験に付き合わせる分、それらを覚える機会を奪ってしまうからな」
端的な言葉に気づく。
この人は本気で僕を生かそうとしているのだと。
医術師のオルフェ様が患者の死を望むはずがないのに、おかしな話だ。だけど、夜に思い出して涙を流すくらいには嬉しかった。
鉱夫たちは上流階級の者を無能だと蔑みながら酒を飲んでいたが、とんでもないことだ。彼らは上に立ち、人々を導くだけの力がある。
それでいて本物の貴族は、決して平民を見下しはしないということも知った。
少なくともオルフェ様は偉ぶったりはしない。そんなことしなくたって、僕は自ら頭を垂れる。敬う心が自然と生まれていた。
頭ではちゃんと理解していた。
僕はただの実験台。優しくしてもらえるのは今だけのこと。
だけど、今まで何一つ与えられたことのない僕は、惜しげもなく与えられるものの数々に深く感謝せずにはいられなかったんだ。本当に安い人間だと思う。
生き延びて必ずこの人に恩を返す。そう誓うまで、ほとんど時間はかからなかった。
……ライラお嬢様と出会ったのもこの頃だ。
離れとはいえ同じ敷地内で暮らしているため、顔を合わせる機会があった。
僕より少し年下のお嬢様は、大変不本意だが、見た目だけは可憐な少女だった。あどけない顔立ちの中に気品があり、オルフェ様との血の繋がりを認めざるを得ない。
僕に会う度に「兄上様をとらないで」と言わんばかりに頬を膨らませ、僕を睨みつけてくる姿も……可愛いと思わないこともない。
嫉妬されるというのは僕の中では貴重な体験だった。それでいて僕を蔑む気配はなく、一応体調の心配をしてくださっているようだった。僕が遠慮して使用人に伝えられないことを、お嬢様が気づいて代わりに命じてくれたことだってある。
こういうところは、育ちの良さが出る。
その頃はお嬢様に対し、悪感情はあまりなかった。
目の前で母親を亡くしたせいで精神が不安定だと聞いていたし、大好きな兄君が忙しく寂しい思いをしているようだった。その原因の一端である僕は罪悪感を覚えたものだ。
それから数年、お嬢様に会う機会はほとんどなかった。
僕は大病院の実験室に移り、本格的に“ジューンの呪い”の治療実験を受けていた。オルフェ様の理論は最初からある程度形になっていたが、実践するとなると試行錯誤の連続だった。
正直、何度も生死の境を彷徨った。
薬の副作用に耐え、医療術への拒絶反応に耐え、死への恐怖にも耐えきって見せた。僕がオルフェ様のためにできることは、この実験にうってつけの体を捧げることだけだった。簡単に死んでしまっては申し訳ない。
生還を果たす度に、オルフェ様が薄く微笑む。それだけで良かった。
「リュカット、よく頑張ってくれた」
そしてある日、唐突に苦しみから解放された。
オルフェ様が“ジューンの呪い”の治療法を確立したのだ。
自分の体が自分のものではないかのように軽く、安らかだった。高熱はすっかり引き、世界ごと生まれ変わったように視界が明るい。後遺症もない。
他の患者にも同様に治療を施し、確信を得たところでオルフェ様は第一王子のリゲルディア様にも同じ治療を施した。
王子の命を救い、大陸中の国々にも無償で“ジューンの呪い”の治療法を公開したオルフェ様は、医術師として最高の栄誉を得て、史上最年少で“大賢医”となった。
本当に誇らしかった。
僕は素晴らしい人に命を救ってもらった。そして、それらの偉業に自分も携われたことが堪らなく嬉しい。
これで長年シェリアーク家を蝕んでいた汚名も晴らせる。
そう思っていたからこそ、僕はライラお嬢様が許せない。
成長した彼女は、こともあろうに勇者を目指していた。
信じられない。ベガトリアスの末裔が一番してはいけない行為だ。オルフェ様の成し遂げた偉業に傷をつけることに、僕は殺意を覚えた。
最初は嫌がらせでもしているのかと思っていた。優秀すぎる兄君に嫉妬して、わざと足を引っ張ろうとしているのかと。
僕の捻くれた思考回路ではそう勘ぐってしまう。
オルフェ様はお嬢様にはひたすら甘かった。
完璧なオルフェ様唯一の欠点といえよう。表向きは厳しく躾けるものの、できるだけ妹の意志を尊重するような対応をしていらっしゃる。
多分、嫌われたくないんだろう。オルフェ様の優しさに付け込むように、お嬢様は好き勝手に振舞っている。空気を読むということをしないのだ。ムカつく。
「リュカット。ライラが入学する年に、お前も王立学院に通いなさい。さすがに従者の一人もつけずに通わせられない」
「僕がお嬢様の従者、ですか……」
「ああ。授業は好きなものを受けていい。頼めるか?」
オルフェ様に頼まれて断れるはずがない。学院に通わせてもらえるのは本当にありがたいことなのだ。お嬢様のお守りもオルフェ様のためだと思えば……信頼されているということだしな。
久しぶりに顔を合わせたお嬢様は……相変わらず可憐ではあった。ミミィさんがメロメロになって飾り付けようとするのも理解できる。
しかし幼い頃とは違って常に仏頂面で愛想がなく、高い地声をわざと低くしていて、なんというか、柄が悪くなっていた。
「リュカットが私の従者に? ようするにお目付け役か……」
露骨に嫌そうな顔をされ、カチンときた。
「お嬢様がオルフェ様に信用されていないということでしょう。当然ですね」
「…………」
主従として初の顔合わせの日から、僕とお嬢様は冷たい火花を散らしてにらみ合いをする関係になった。
恐れ多いことだが、お嬢様に対して媚びへつらうのは無理だ。僕の態度にオルフェ様か特に何もおっしゃらないのは、僕らが仲良くなりすぎる方が嫌だからだろうか。その点に関しては安心していいです。
僕はお嬢様が嫌いだ。
何が勇者だ。もう少し自らの立場を考えろ。オルフェ様にこれ以上迷惑をかけないでほしい。
だけど、全てを否定しているわけではない。
例えば彼女が勇者になるために重ねる努力については、素直に尊敬する。
毎朝、日が昇らないうちから剣の稽古や体力作りに励み、日中は学院で誰よりも多くの授業に出ながら優秀な成績を修め、帰宅後は魔法の研究と練習に余念がない。
たまに読みものをしているかと思えば、それは最新の魔法論文だったり、他国の軍事情報だったり。唯一の娯楽は湯あみしながら聞くラジオだけ。
彼女の凄まじいところは、その集中力だろう。何をしていても脇目を振らず、一心に学び、体得しようと必死なのだ。鬼気迫るというか、死に物狂いというか、見ているこちらが戦慄するほど、彼女は真剣だった。
その努力を別のことに注いでくれたら、と思わずにはいられない。
僕だってオルフェ様の役に立つべく必死に勉強してきたが、お嬢様を見ていると自信を無くす。僕の努力など、彼女と比べれば霞んでしまう。そりゃ、充実した環境で育った大貴族のお嬢様に、少し前まで死にかけていた貧民の僕が勝てることは一つもない。
しかしだからと言って、ここまで差を見せつけられて、恥じ入るなという方が無理な話だ。そもそも才能や環境のせいにしたくはない。
あの入学の儀での戦いぶりを見て、僕は悔しくてたまらなかった。
思い知った。
お嬢様は本気で、自分の意志で、勇者を目指していたのだ。
オルフェ様への当てつけなどではなかった。そんなちっぽけな理由であそこまで高みに至れるものか。
何が彼女をそこまで勇者へと駆り立てるのだろう。
ベガトリアス・シェリアークの汚名を返上したいから?
亡き母君との思い出の勇者伝説を心の拠り所にしているから?
分からない。
とりあえず、お嬢様に努力の面で負けっぱなしは悔しいので、僕もこっそり魔法の練習をしている。
特別演習の際にお嬢様に教えられた支援魔法だ。
簡単だとお嬢様は言っていたが、僕にはかなり難しい。だけど、さらっと使いこなせるようになってやる。できれば内緒でもっとレベルの高い魔法を覚え、驚かせたいところである。
「ライラって、家ではどんな感じなんだ? 好きなものとか知らないか?」
分からないと言えば、学院で出会った少年、ルルタ・アルシャインのこともだ。
たまに授業で一緒になると、こっそりお嬢様のことを質問される。オルフェ様から厳しく言いつけられているし、絶対に情報を漏らしたりはしないけど。
ルルタ君はお嬢様に懸想している。
見た目だけではなく、内面や強さにも惚れ込んでいるようだ。変わった趣味をしている。自分を吹っ飛ばした相手に惚れるなんて、もしかしてマゾか?
その上、身の程知らずだ。王族の次に貴い血筋を引いているお嬢様に対し、あり得ないほど馴れ馴れしい。ヒトのことは言えないが、もう少し遠慮したらどうだ。
……ただ、悪い人間ではないことは分かる。
僕とは正反対の、明るさと真っすぐさがある。気持ちのいい少年だ。
常に人の中心に立ち、何か大きなことを成し遂げそうな風格がある。
ますます謎だ。どうしてお嬢様なんかに惚れた。隣に美しい幼なじみがいるのに、不思議なものだ。
そして、お嬢様もどうやらルルタ君が気になっている様子。というか、絶対に惚れている。お嬢様の方はまだ分別があるようだが、心がグラッグラに揺れているが手に取るように分かる。この先どうなることやら。
これ以上オルフェ様の気苦労を増やさないでほしい。七つのお約束事のことを忘れているんじゃないだろうな。
そんな二人だが、とうとうやらかした。
駆け落ちとか、そういう類の話ではない。
魔王子オクト襲来に対し、お嬢様が出しゃばって撃退したというのだ。ルルタ君はその手伝いをしたらしい。
確かにディレー王国の事件を聞いてから、お嬢様は目に見えて様子がおかしくなり、オクトに対して異様に警戒していた。オクトの対策を練っていたのも知っているし、僕も少し巻き込まれた。
しかしまさか、本当に戦うことになるとは……。そして魔王子に勝つなんて、一体どうなっている。
「とんでもない娘だな、お前の妹は」
「私もそれを痛感しています」
お嬢様が寝込んでいる間、シェリアーク家の屋敷には第二王子のべテルギア様がよく足を運んでいた。
僕は扉に控えながら、背筋に冷や汗をかいていた。
お嬢様は本当にとんでもないことをしてくれた。
「いろいろと、城の方も騒がしくなっているぞ。少々おかしなくらいにな。ライラの行動の可否はともかく、もたらされた結果は悪くない。むしろ聖剣なしで単身魔王子と戦い抜き、聖剣エルナトを取り戻したこと自体は、讃えられるようなことだ。にもかかわらず、非難の声ばかりが聞こえてくる」
「それは……シェリアーク家が、未だに信頼を回復できないということでしょう。残念なことですが、仕方がありません」
「ふん。思ってもいないことを。足元をすくわれぬよう、気を引き締めることだ。特に……」
「フォーマルハウト家のことでしょうか? ご忠告に感謝を。しかし、心配には及びません。苦難には慣れています。そういう宿命を持つ家ですから」
ベテル様は面白くなさそうに顔をしかめたが、直後、にやりと笑みを浮かべた。
「それにしても、ライラがあれほど戦えるとは思わなかった。少々見くびっていたようだ。もしもここがアウリオンではなく、あいつがベガトリアスの末裔ではなければ、勇者にもなり得たかもしれぬな」
「…………」
「そう睨むな。事実は変わらない。この王国でライラが勇者になることは万に一つもない。聖剣に触れる機会はもう訪れぬだろう。エルナトにも触れなかったようだしな。賢明なことだ」
「だと良いのですが。ライラは私の予想を超えることをしますから、安心はできません」
「そうか。ならば、早々に聖剣アルデバランの持ち主が決まることを祈っていろ。私は、今回のことで確信したぞ。ルルタがいずれ勇者になると。他国の勇者に会ったことがあるが、ルルタは彼らと似た空気を持っている」
オルフェ様が眉をひそめた。僕も、心臓がどきりと跳ねた。
「あの少年が……?」
「気に入らぬか。だが、お前も見たはずだ。誰も手も足も出なかったあの巨大な魔力の繭を、ルルタはあっさりと打ち破った。ライラを救い出した姿は、実に英雄的であっただろう。それに、全く魔力の底が見えない。ひょっとしたら、私やお前よりも持っているかもしれぬ」
オルフェ様も何も感じるところがあったのか、黙り込んだ。
まぁ、僕もベテル様の意見には賛成する。
ルルタ君は、人が勇者と聞いて思い浮かべるものを全て持っている。
強さと、人望と、勇気と、清らかな心。
激戦だったというアポロ戦線で活躍したという実績もある。僕も特別演習でワニの魔物を蹂躙する姿を見て慄いた。
結局最後はお嬢様の魔法で片付いたけど、あれは普通の人間ができる戦い方ではない。彼は特別だ。
「ライラさえいなければ、ルルタは確実に勇者として立つだろう。あいつが惚れた女に遠慮しているのか、はたまたライラの方が勇者としての素質が高いのか……困ったものだ」
そうだ。入学の儀でも、特別演習でも、今回のオクト襲撃でも、ルルタ君はお嬢様の次点に落ち着いている。
彼は平民だが、ライラお嬢様が勇者になるよりもずっと周囲から祝福を受けるだろう。
どうにかして、勇者になってくれないだろうか。お嬢様も、惚れているのならもう少しルルタ君を立てればいいのに。
「そうですか。しかしライラのせいにされては困ります」
「あいつの行動理由の第一位がどうやらライラなのだ。無関係ということはあるまい」
ああ、オルフェ様の機嫌が下降していくのが分かる。寒い。
「どうだ、オルフェ。お前もライラを勇者にしたくはないだろう。ルルタを勇者にするのに協力しろ」
「具体的にどのように」
「ルルタに条件を出せ。勇者になれば、ライラを嫁にやると」
「お断り申し上げます」
室内の気温が氷点下に突入しそう。よくベテル様は笑っていられるものだ。
「なぜだ? そんなに平民に嫁にやるのが嫌か? 勇者となれば身分差は問題なくなる。それにルルタは、そこらの貴族の男よりもよほど賢く、器がでかいぞ。ライラのことだって大切にするだろう。妹の幸せを思えば、一番良い選択肢ではないか?」
すごいな、ルルタ君。第二王子にベタ誉めされている。
オルフェ様は苦々しい表情だった。二人は舞踏会の会場で顔を合わせている。何か言葉を交わしたのかもしれないな。一言話せば、ルルタ君がどういう男かはオルフェ様にも分かるだろう。
「あの少年は……ライラの隣に立てる存在です。だからこそ危険なのです。彼は決してライラを止めない」
引き止めず、足枷にならず、むしろ背中を押してしまうだろう。それどころか一緒に魔王討伐に旅立ってしまうかもしれない。
ああ、大いにあり得るな。あの二人なら。
僕はオルフェ様の心中を察して、胸を痛めた。
「まぁ、即断せずにもう少し考えてみよ」
ベテル様が帰られた後も、しばらくオルフェ様は物思いに耽っていた。僕も無言でその場に残った。
お嬢様は、本当にオルフェ様に心配ばかりかけて……。
やっぱり気に食わない。知らず拳に力が入る。
「リュカット」
不意に名前を呼ばれ、僕は慌てて居住まいを正す。
「ライラはこれから先、より過酷な日々を送る。もしかしたらもう、まともな嫁ぎ先は見つからないかもしれない」
「は、はぁ……」
僕はライラ様の婚約者候補の顔を思い浮かべる。
今のところ最有力なのはキュロン様か。……しかし、うん、まともではないか。最近では人化することを怠けて、ほとんど龍の姿でいる。
龍に妹を嫁がせるのは、なかなか勇気がいる行為だ。それならまだ外国に嫁がせた方が安心だろう。いや、オルフェ様がライラお嬢様を手の届かない場所に嫁がせるはずがないけど。
長いまつ毛を伏せ、オルフェ様がぽつりと呟く。
「その時は、お前も婿候補に考えている」
「…………」
人間は思いもよらない言葉を聞くと、動けなくなるというのは本当だな。一瞬で頭が真っ白になった。
「無理強いをするつもりはない。ただ、一応心に留めておいてほしい」
僕がライラお嬢様と結婚?
悪夢のような話だった。




