42 裏庭の密会
肩をポンと叩かれ、顔を上げるとルルタが頷いた。
気づいているぜ、と瞳が言っている。ほんの少し残念そうな顔をしていたので胸が痛んだ。
「図書室で話し込むのは良くないよな。場所変えようぜ」
ルルタに連れ出され、学院の裏庭にやってきた。
花が咲き乱れる中庭は憩いのスペースとして活用されているが、木々や岩場の多い裏庭はあまり人気がない。
いや、待てよ。死角が多く密会にぴったりの場所ではある。もしかしたら恋人同士が密かに愛用しているのかもしれないな。幸い今は人影がない。授業中だしな。
石造りベンチがあったので、二人並んで腰掛ける。小さなベンチだ。自然と体が密着する。
ルルタの頬がほんのりと赤い。私も多分同じような顔色になっている。先ほどの抱擁の余韻がまだ残っているし、緊張する。
本当に二人きりであれば、ムードに流されていろいろと大人の階段を上っていたかもしれないな……。
ルルタは落ち着かない様子で周囲を見渡し、ある一点を目線で示し、そっと私に囁いた。
「あの辺りにいる」
私にはさっぱり分からない。ただ苔生した木が寂しげに立っているだけだ。
「なぜ分かるんだ?」
「んー、直感」
野生の勘というやつか?
最近のルルタは人間離れが著しい。疑う気にならない。いるというからにはいるのだろう。
私には今、王国の密偵が張り付いている。
姿が全く見えないのは魔法を使っているからだ。
いくら努力しても覚えられない類のユニーク魔法。そういう特殊な魔法使いがいて、王家に仕えているというのは公然の秘密である。
ではなぜ、密偵の存在に私が気づいているかと言えば、リュカットがこっそり教えてくれたからだ。
びっくりだろう。あいつが私の味方をするなんて。リュカットにも事情があるのだ。まぁ、私にも関係しているのだが。
ともかく、ルルタが示した位置に密偵がいるのなら、小声での会話は拾えまい。読唇術も無理がある。
それでも不安だったので、一応風の精霊に頼み、音が広がりにくい空間を作ってもらった。これで盗聴対策もバッチリだな。
「それで、疑われたままなのか? ライラが目覚めたって聞いて、すぐに俺が解放されたからてっきり納得してもらえたのかと思ってたんだけど」
私は項垂れた。
ベテル様や兄上様に舞踏会での不審な言動について説明したのだが、完全には信じてもらえなかったらしい。
私はそのときのことを思い返しつつ、ルルタに語った。
あの日、私は兄上様たちにこう説明した。
『オクトがディレー王国の勇者を殺した話を聞いて、もしアウリオンが狙われたらという、その……妄想が膨らんで不安になってしまったのです。それでルルタにも協力してもらって、本気で対策を練っていただけです。まさか本当にオクトが襲撃してくるとは思いませんでしたけど、でも、ここで頑張れば勇者に近づくこともできると思って』
夜中にうなされるくらいずっと頭の中でシミュレーションしていた。だから突然の襲撃にも体が動き、対処できた。
ディレー王国の事件を踏まえ、オクトは強い者に一対一で戦いを挑むような好戦的な魔族で、決闘を挑めば断らないだろうと予測した。自分が足止めすれば、招待客が避難する時間を稼げるし、最悪負けてもベテル様にオクトの戦い方を見せることができる。その差は大きい。
『最悪負けても、だと? それは死を意味しているのだが――』
『いえ、そんな、死ぬつもりなんて全くありませんでした。本当です!』
兄上様の怒りを呼び起こさせるというミスを犯しながらも、大抵のことは上手く説明できたと思う。
『ここ最近私に接触を図っていたのも、そのシミュレーションとやらの結果か?』
『……そうです』
アウリオンでオクトが狙いそうなのは、剣の達人であるベテルギア王子以外にいない。だからキュロンに頼んで学院に招いたり、ルルタに近づいてもらった。
浮かれた学生の思い上がった行動原理に、ベテル様はため息を吐いた。
『浅はかな。私も軽く見られたものだ。ディレーの事件を聞いただけで、よくそこまで思いつめられるものだ』
『申し訳ありません。私は思い込みが激しいのです』
『まぁ、確かに、女という生き物は思い込みが激しい。通りがかった別の女をちらりと見ただけで浮気だ不潔だと騒ぎ、しまいにはあのサイズが理想なのかと怒り出して……そのエネルギーをもっと他のことに使えぬのかと呆れることがある』
いや、それは知らない。一緒にいる女性を怒らせるのは、殿下の日頃の素行が悪いせいじゃないか?
……とは言えないので、私は胡乱な眼を向ける。大体、女性をひとくくりで語らないでほしい。不愉快だ。
『その目やめろ。……ライラの言い分は分かった。一応筋は通っているな』
ここでほっとしてはいけない。隙を見せれば、ノーヴェラルのときのように付け入られてしまう。
私は唇を尖らせ、強気で攻めた。
『大体、何を疑っているのですか。王都からほとんど外に出たこともなく、日中は学院に通っている私が、魔族の情報を知っているわけがありません』
実際エイプリルと繋がりがあるわけだが、それは夢の中での話。現実世界に何一つ証拠はないのだ。ベテル様たちに分かるはずがない。
『そうだな。私とて、お前を心から疑っているわけではない。あの決闘は紛れもなく命懸けの真剣勝負であり、焦がれるほどに高潔なものであった。……ライラよ、考えてみたのだが、側室ではなく、私の騎士に――』
『ベテル殿下。そろそろ面会を打ち切らせていただきます。他にライラに聞きたいことがあれば、今後は書面でお願いいたします。どうぞ、お引き取りを』
最終的には兄上様に追い払われる形でベテル様は引き上げていった。
あの様子ならばもう大丈夫だろう。ディレー王国へ連絡を入れたり、壊された城の修理の手配をしたり、王城は今いろいろと忙しいらしい。ベテル様は暇ではないのだ。
兄上様もその日は屋敷全体を氷室に変えるくらい不機嫌だったが、私の世話を焼いているうちに怒りを忘れたようだ。常温に戻った。ただでさえ多忙なのに申し訳ないが、私も兄上様に構ってもらえて嬉しかった。
ルルタを解放するという連絡が来てようやく肩の荷が下り、体の療養に専念していた私の元に、リュカットが訪ねてきたのだ。そして、私に密偵がつくことを告げた。
私を泳がせるため、リュカットもしばらく私の傍から離れるらしい。今日キュロンがいないのもそのせいだろうな。
もしかしたらルルタも見張られているかもしれない。そのこと伝えるため、私は急ぎルルタに会いに来た。私に協力したせいで、ルルタが嫌な思いをするのは耐えられない。
「さっき、その、勝手に抱きついて悪かった。こそこそ話すだけだと、余計に疑われると思って……」
密偵は私が自分の存在に気づいていることに気づいていない、はずだ。彼、あるいは彼女は私の行動をどう捉えただろう。
私とルルタを、身分差に悩む秘密の恋人だと思うはず。こっそり会っていてもおかしくないし、一つでも対象者の秘密を握ればスパイはひとまず満足する。エイプリルからのアドバイスである。
兄上様の耳に入らないことを祈るのみだ。
「……そっか。さっきのは、ただの目くらましか」
「っ!」
ものすごく後ろめたい。
違うんだ!
ルルタの感情を利用したわけじゃなくて、これが一番自然な形だったから。
……それに、正直ずっと抱き着いてみたかったし。
ここ最近、いろいろあって心細かった。ルルタに癒されたくてやった。
私、相変わらず最低じゃないか……? 自分の都合で相手を振り回してばかりだ。ルルタはこんなにも優しいのに。
きっと何も言わずに距離を置くのが正解だった。嫌われても自業自得だと自分に言い聞かせるべきだった。結局また巻き込んでしまう。
罪悪感が限界突破し、私は思い切り顔を上げた。
「ルルタ、私を殴っていいぞ。好きなだけ」
「は?」
ルルタが目を点にして固まる。私はちょっと気が動転してた。自分の発言の可笑しさに気づかなかった。
「顔だとバレてしまうから、ボディにしてもらえると助かる。ああ、この際、顔でもいいか。階段から落ちたことにするから……」
「ちょっと待った。分からない。ライラの思考回路が」
デモデモダッテと言いかけて、はっと気づく。そうだった。今は密偵が見ているのだった。
秘密の恋人にグーパンするルルタ。DV彼氏にしか見えない。最低だな。逮捕待ったなしだ。
「見られている以上、無理か……」
「いや、見られてなくても嫌だって。なんで好きな女を殴らなきゃいけないんだよ」
不意打ちで「好き」と言われ、全身の血が沸騰しそうになった。
ルルタが照れたように笑う。
「どうせなら……もう一回、いいか? 恋人のふりでもなんでもいいから、俺、ライラに触りたい」
追い打ち!
私は眩暈で前後不覚に陥りながらも、無意識に頷いていたらしい。体は正直だな。
ルルタが躊躇いがちに私の肩を抱き寄せた。は、恥ずかしい……。
「ライラが元気になって良かった。実際会うまで心配だったんだ。もうあんな無茶はするなよ」
「わ、悪かった……本当に」
「悪いと思ってるんなら、もうちょっと我慢してくれ。殴られるよりはいいだろ?」
全然我慢なんてしてない。こんなのただのご褒美だ。
思い切って私もルルタにもたれた。至福。
いや、反省する立場の私が幸せになってどうするんだという感じだが、ルルタも喜んでいるし……。
頭が上手く働かない。
「ライラの無茶は見ててシンドかったけど、すげーカッコ良かったぜ。惚れ直した。それに、ドレス姿も綺麗だった……俺もいつか、ライラと踊りたい」
私は悟られない程度に小さく笑った。
母上様の形見のドレスは、オクトの血で穢れて妖精の摩訶不思議な力が消え失せた。兄上様が処分したそうだ。
それで父上様が激怒しているらしい。今度会うときが怖いな。
でもそれは、ルルタに言わなくてもいいよな。今のこの空気に水を差したくない。
「いつか、踊れたらいいな……ルルタの騎士服も、その、よく似合っていて、格好良かった」
「へへ、そうか? なんか照れるな」
このときには既に密偵の存在は頭の隅に消え、二人だけの世界を築いていた。
付き合っていないのが嘘みたいだった。




