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39 眠れぬ魔王子

 

 魔境ガランドリネ、某所。


「くそッ、痛っ……あのチビ女、絶対許さねぇ……! 百回殺してやる……!」


「もう、オクトお兄様ったらそればかり」


「うるせぇ! ノーヴェ! てめぇが余計なことしやがるから、さらに気分最悪になっただろうが……!」


「きゃっ。物に当たるのはやめてくださいまし。あまり興奮するとまた血が噴き出しますわよ。せっかく助かった命なのですから、大切にしてほしいですわ」


「あー! 全てがムカつく! 人間の女に負けたことも、てめぇに借りができちまったことも、人間どもを殺しに行けなくなったことも! 一番自分に腹が立つ!」


「踏んだり蹴ったりでしたわね。ですが、あの決闘は不正ですわ。向こうはお兄様の戦い方を知っていて、お兄様は向こうの戦い方を知らなかったのですもの。不公平ではありませんか。純粋な強さならば、お兄様が勝つに決まっていますわ」


「…………」


「どうされました?」


「オレは、その程度のハンデで、人間の女に負けたんだ……」


「人間に負けたのではありません。魔王子の策に敗れたのです。あのお嬢さんはおそらくただの傀儡ですわ」


「どっちでもいいんだよ、んなことは! それよりノーヴェ! てめぇ、あの女が誰と繋がってるのかどうして突き止めてこなかったんだ!」


「仕方ありません。破魔の気を持つ人間に邪魔をされたのです。オクトお兄様は誰だと思いますの?」


「どうせオーガストかジューンだろ。あいつら、アウリオンに目をつけてたじゃねぇか。……ふん、まぁいい。どっちか分かんねぇけど、両方殺せば済む。あの二人はいつもオレ様のこと馬鹿にしやがるし、ずっとムカついてたんだ」


「まぁ、濡れ衣」


「あ? 何か言ったか?」


「ふふ、なんでもありませんわ。あのお嬢さんのことはどうするのですか?」


「どうするも何も、てめぇが厄介な契約を結ばせたせいで、すぐ殺せねぇだろ! あいつを殺すのは最後だ!」


「別に殺さなくても良いではないですか。復讐の方法は一つではありませんわ」


「ああ?」


「人間にしては、なかなか可愛らしい方でしたわ。魔力も強く、上質なメスだと言えます。どうです? お兄様の花嫁(奴隷)にしては」


「はぁっ!? てめ、な、何言ってやがる……」


「ふふふ、我ながら良い考えですわ! あのお嬢さんからしたら、魔族のモノになるのは耐えがたいことでしょう。きっと屈辱的ですわ」


「そ、そりゃ、そうだろうが……オレは“呪”の代償のせいで、人間を害せなくなったんだぞ。無理矢理どうこうできねぇ」


「やり方次第ですわ。痛みや恐怖で嗜虐するのではなく、快楽を与えて堕落させてやればいいのです。お嬢さんの方から求めさせれば、害したことにはならないでしょう。わたくし、そういう人間をダメにするお薬、いくつか所有しております」


「……てめぇ、本当に気持ち悪いな。半分でも血が繋がっていると思うとぞっとする。発想がやべぇ」


「だって、あんなお嬢さんを殺すために、オクトお兄様に死んでほしくないんですもの。どうでしょう? ぜひご検討くださいませ。あのお嬢さんをモノにすれば、お兄様を陥れようとした魔王子も悔しがりますわよ。どうぞ、寝取ってやってくださいませ」


「ね、寝取る!? オレ様が、あの女を……」


「ふふふ、ああいう小生意気な娘を、従順に躾けるのはきっと楽しいですわ。瞳を潤ませてオクトお兄様に哀願する顔は可愛いでしょうね。ああ、わたくしも一緒に遊びたいくらいですわ……」


「っ! ……痛ってぇ!」


「まぁ、綺麗な血の噴水。そんな興奮されて、満更ではないのですね。……さぁ、なんにせよ、まずは傷を癒やしましょう。良い子はお眠ねですわ」


「……魔王の子が良い子なわけねぇだろうが! つーかてめぇの前で寝られるか! どっか行け!」


 ◆◇◆◇


 夢を見た。

 何年ぶりだろう。悪夢ではない普通の夢だ。


 私は花畑の真ん中で仰向けに倒れていた。

 空は清々しい青で、風は優しく花の蜜の香りを運ぶ。

 綺麗な羽の鳥がくすぐったい鳴き声を上げ、可愛らしい動物の子どもが追いかけっこをしている。


 平和だなぁ……。

 私は体を動かすことができなかった。

 痛みはないが、力が入らないのだ。ひどく眠い。

 夢の中で眠気を覚えるなんておかしな話だが、私はさして疑問に思わなかった。


 この場所は居心地がいい。

 心身ともに癒される。現実で散々な目に遭ったのが嘘みたいだ。

 心地よい微睡の中で、私は幸せに浸った。


 贅沢を言えば、一人は寂しいから誰かにそばにいてほしいな。

 誰か、なんて曖昧な言い方をすることはないな。

 もしもこの風景の中にルルタがいたら。そう考えて私の頬はだらしなく緩んだ。この夢の中で理性を働かせるのは至難の業だ。


 嫌なことや辛いことを忘れて、己の立場や身分も投げ捨てて、ルルタの元に駆け込む妄想をする。

 現実的ではないし、現実の私には絶対にできない。

 だから考えるだけ。


 ダメだな。虚しくなってきた……泣きそう。

 青空が滲む。そんな私の視界に影が落ちた。


「ライラ。お前にしては、よく頑張った」


「……やっぱり悪夢か」


 心地よい微睡は消え、私はさっと体を起こした。

 エイプリルがどこか面白くなさそうに顔を逸らす。けっ、面白くないのは私の方だ。


「どういう風の吹き回しだ。お前に労われても嬉しくないんだが」


「だろうな。だが、なかなか面白いものを見せてもらったから、今だけは痛めつけないでやる」


 そうかよ。

 エイプリルを楽しませてやるつもりはなかったんだけどな!

 しかし私は気に病んでいることを、渋々問うた。


「私は、聖剣エルナトに触れられなかった。せっかくのチャンスだったのに……それは、良かったのか?」


 絶対怒ってるだろ、と思ったのだが、エイプリルは特に表情を変えなかった。


「結果的としては英断だったかもしれない」


「どういうことだ?」


「あの場でお前が勇者になったところで、誰も納得しない。禍根を生むだけだ」


 ……まぁ、確かに。

 聖剣エルナトはディレー王国のものだ。

 それを他国の、しかも裏切り女勇者の末裔が勝手に手に取り、新たな勇者になっていたら、ディレー王国もアウリオン王国も良い顔をしない。最悪二つの国家権力を敵に回していたかもしれない。ますます魔境へ行くことが困難になる。


 頑張っても頑張っても状況は好転しないな。

 理不尽な世の中だ。


 まぁ、いいや。私は自分の失態を気に病むのはやめた。

 まずは当初の目的通り、聖剣アルデバランの勇者になることを目指す。


「そう言えば、ノーヴェラルが乱入してくること、知っていたのか?」


「いや、俺にとっても予想外だ。十一番目の夢には入れないんだ。よく知らなかった」


「そうか。お前に熱烈に会いたがっていたぞ。頭のおかしな妹だな」


「オルフェウスからすれば、お前も十分頭のおかしな妹だ。同情する」


「うるさい。私がおかしくなったのは大体お前のせいだろうが。それに、ノーヴェラルよりはずっとマシだ」


「そうだな。自覚がある分、ライラの方がマシかもしれない」


 私とエイプリルは同時に遠くの空を見て、うんざりとしたため息を吐いた。

 うん、なんだこの状況。

 珍しいと言うか、初めてだな。エイプリルがこんなに困惑しているのは。なんというか、歯切れが悪い。

 話題を変えてみるか。


「オクトの様子はどうなんだ? またすぐに襲ってくるのか?」


「まだ傷は癒えていない。だが、相当根に持っている。気を緩めるな。おそらく良からぬことを企む。全く、厄介なことだ」


 エイプリルは私の目を見なかった。

 なんなんだ。ものすごくふんわりとした警告だな。

 私は胡乱な目で奴の美しく整った横顔を睨む。

 しばらくして、エイプリルが面倒くさそうに私を見下ろした。


「先に言っておく。目覚めたら、お前は大変な目に遭う。その覚悟をしておくといい」


「嫌だ。そんな予告をされて、覚悟なんてしたくない。私は疲れた。もう少し休ませろ」


 反射的に口答えすると、鼻で笑われた。


「では、この夢の中で長く過ごすか? ライラが意識を失ってから、もう三日経っている。お前の想い人が窮地に立たされているようだが」


「な!? それを早く言え!」


 ルルタのピンチだと!?

 現実で何が起きているのか、大体のことを察した。


 私はエイプリルに夢から覚ますように訴えた。奴は頷き、追い払うように手を振った。


「俺のこと、もう人間に話すなよ」


「頼まれたって言わない!」


 待っていてくれ、ルルタ!

 必ず私が助けに行く!




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