36 決闘
『オクトの“呪”を利用すれば、単独で戦うことができる。機を逃すな、ライラ』
エイプリルの言葉が頭をよぎる。
奴とて何も考えていないわけではなかった。ちゃんと私がオクトと戦えるよう、必要な情報を提示していたのだ。
それにしても、弟の秘密を人間に売るとは、本当に血も涙もない悪魔だな。
いきなり私から決闘を申し込む流れは不自然だったかもしれないが、場の雰囲気が些細な疑問を押し流してくれた。
うん、多分後でくっそ怒られる。仕方ない。仕方ないけど、やるせない。
私がどこか投げやりな気持ちでいると、ぶちっと、まるで血管が破裂したかのような音が聞こえた。
……マジでそうだったみたいだ。オクトの顔が怒りで赤い。
「てめぇ……馬鹿にしやがって……いいぜ。降参しねぇんならそれでも。決闘の勝利条件は相手が死ぬか降参するかだ! 嬲り殺してやるからな! チビ女ァ!」
そのルールが適用されたらしく、私とオクトの体が一瞬光り、手の甲に天秤の紋様が浮かび上がった。
「馬鹿か! 取り消せライラ! 死ぬ気か!?」
ベテル様の声が虚しく広間に響く。
決闘のルールは決まった。あとは開始を待つばかりだ。後戻りはできない。する気もない。
「命令を聞けず、申し訳ありません。ですが、私は王家を守護する大公家の娘。自分の代わりに殿下を危険に晒すわけには参りません」
たとえベテル様であろうと、初見でオクトに勝つのは難しいだろう。死なれたら困るんだ。代われない。
何より、この王国にオクトを呼び寄せたのはエイプリルだ。責任の一端が私にある以上、引けない。
「ライラ……」
「…………」
もう兄上様とルルタの顔を見ることはできなかった。
彼らがどんな顔をしていても、きっと動きが鈍ってしまうから。
私は剣を構え、オクトは拳を握りしめる。
奴の体から莫大な魔力が放出され、空間が禍々しく歪んで見えた。あまりの光景に騎士の何人かが尻餅をつく。
「はっ、顔色一つ変えねぇとはな。その度胸だけは認めてやるぜ」
「…………」
深呼吸をして集中力を極限まで高める。魔力で筋力を上げ、剣にも行き渡らせた。
大丈夫。結局、夢の中では一度も勝てなかったが、五分の戦いはできるようにはなった。
あとは人間らしく小細工と小道具で勝つ。
「ではではー、よーいスタート!」
ランタがふわふわと宙に浮かび、間抜けな音を立てて弾けた。それが開始の合図だった。
オクトの右の拳が私の顔に向かって飛んでくる。
最高速度、最短距離、身動きする間もないほど一瞬。
真っ直ぐで分かりやすい奴だ。夢の私は、この最初の一撃で何度も殺された。
もういい加減、見飽きた。
単純な攻撃だ。来ると分かっていれば避けられる。私はオクトとほぼ同時に動き出していた。
身を屈めて拳を避けつつ、カウンターを合わさる。まずはその獣じみた速さを奪う。
「っ痛!?」
すれ違い様、奴の脚を素早く斬りつけた。致命傷には程遠いが、決して浅くはない。手応えがあった。
「魔王子の体に傷をつけるとは」
「あの剣は一体……」
どうだ、この剣の切れ味はなかなかのものだろう?
お前たち魔族を討伐することを夢見て、毎日殺気を込めて何百万回と振り続けたんだ。聖剣には遠く及ばなくとも、私とともに成長した剣は魔力伝達度が極限まで高まっている。私の執念そのものだ。
魔境の魔力濃度では厳しかったかもしれないが、人間の領土でならオクトは弱体化する。魔力を十分に通わせた状態なら、ダメージを与えられることが分かった。朗報だ。
「このっ!」
オクトが痛みを振り払うように蹴りを繰り出したとき、私はもう十分な間合いを取っていた。
風の精霊術で造った通称・風のブーツにかかれば、軽く地を蹴るだけで驚くほど速く移動できる。風の加護のおかげで、宙を蹴って方向転換もできるんだ。立体的に動ける分、攻撃も逃げも選択肢が多くなる。
その代わり体重が軽くなってパワーが出ないのだが、そこは剣の切れ味がカバーしてくれる。
「ちょこまかと動きやがって! 叩き潰してやる!」
完全に頭に血が上ったのか、オクトは本能のままに攻撃を仕掛けてきた。
チョロイな。
『あいつは力任せで単純だ。魔法の類も不得意としている。感情のまま動くようになったら、こちらのものだ』
エイプリルの分析は間違っていなかったな。
オクトは物理攻撃特化タイプ。その上煽り耐性も低く、すぐ子どもみたいに感情を爆発させる。
するとどうだ、無駄な動きが増える。次の動作への繋ぎを全く考えていないので、パンチの一振りごとに隙ができる。
避けて避けて、隙あらば斬り、オクトを翻弄する。
ドレスの裾が靡き、装飾のリボンが揺れ、剣が白く瞬く。
私は未だに無傷だが、オクトは手傷を負い、動きがどんどん鈍っていく。私を捕えられない。
「なんて子だ……」
「妖精の舞のようではないか……」
騎士の呟きが聞こえた。
一見軽やかに跳んでいるように見えるかもしれないが、結構きついんだぞ。魔力をガンガン消費するし、オクトの攻撃を紙一重で避ける度に寿命が縮む思いがする。
限界まで駆動しているため、着地する度に体の節々に激痛が走った。筋繊維が千切れてそうで嫌だな。そう長くは持たないだろう。綱渡りをしている気分だ。
「オルフェウス! 何をどう育てたら、あんな命知らずな娘になるのだ! 見てられぬ!」
ベテル様は私の状態に気づいているようだな。よそ見をする余裕はなく、兄上様の反応が分からない。
正直に言おう。
一撃でもまともにもらったら私は負ける。それくらいオクトの攻撃はヤバい。殺意に満ちた魔力の塊。かすっただけでも即死するかもしれない。
どうにも避けられない攻撃はあった。死を覚悟して何度もお腹が冷えた。
しかしオクトの拳は空を切る。
「どうなってやがる!?」
きっとオクトは幻想を見ているのだろう。狙いがズレていた。
これは、妖精のドレスのおかげ。母上様が私を守ってくれている。
精霊と違って妖精は目に見えない。
その存在も実証されていない。
精霊は自然界の元素から生まれるが、妖精は心から生まれると言われている。
何か不思議な現象が起こると、人々は妖精の存在を信じた。祈りが、愛が、無垢な心が、時にあり得ない奇跡を起こす。
母上様がドレスアップすると、見る者全てを魅了し、幻を見せたという。プラチナの妖精の二つ名は伊達ではない。
それが生来の美しさによるものなのか、はたまた本当に妖精の幻術だったのかは分からない。母上様自身が妖精なのか、それとも母上様の心から妖精が生まれていたのか、当時はいろいろと憶測が飛び交ったという。
実際、母上様のドレスは作られてから三十年経った今でも全く色褪せず、劣化していない。
特別な生地など使っていないにもかかわらず、ドレスに魔力が宿り続けているのだ。
どんな防具を着込んでも、オクトの一撃に耐えられるものではない。ならばと私はこのドレスに身を包んだ。
勝利を手繰り寄せるために、私は母上様がもたらしてくださるだろう奇跡にすがったのだ。
今も感じる。
現実世界にいながら、私は夢心地で剣を振るっていた。自分の体に別の何かが宿っているかのような、不思議な感覚がある。
私が臆さずに足を踏み出せるのは、母上様が守ってくれているという安心感があるから。
勇気が湧いてくる。
「くそ! 当たらねぇ!」
怒りの気配が萎み、戸惑いと焦りがオクトの顔に浮かぶ。
剣士の端くれとしては、少しだけ申し訳なかった。
オクトと百回戦えば、私は百回死ぬことになる。こいつが人間の領土に出てきていることを差し引いても、途方もないほど強さに差があるのだ。
正々堂々戦えば、今頃私は物言わぬ亡骸となっているだろう。
だが、私は夢の世界で何千、何万回とこいつと戦ってきた。
一人の相手とこれほど濃密な殺し合いをしたのは初めてだ。愛おしさを覚えるほどに、私はオクトを一方的に知っている。
剣と風のブーツ、妖精のドレス、そして仮想オクトとの数多の戦闘経験。
それらが私の命を繋ぎ、現実のオクトの命を削っていく。
ちょっぴりズルをしている気分になるが、これも全て夢のため、王国のため、世界平和のためだ。オクトを確実に討ち取れるのならば、罪悪感などどうってことない。
集中は極限まで高まり、興奮で痛みも感じなくなった。神経は研ぎ澄まされ、さらに反応を加速させる。
ますます剣が冴えていく。
他のことを考える余裕はないはずなのに、ルルタとの儀礼試合をが脳裏をよぎった。
あのときは楽しかったな。まるで二人で一つの舞踏をしているかのように、ピタリと歯車が噛み合っていた。
今も、ほんの少しだけ楽しい。
ああ、オクト、感謝するぞ。お前は、夢の世界のお前を裏切らないでいてくれた。
馬鹿な子ほど可愛いと言うが、本当だな。
「……ふふ」
気づけば、無意識に唇を歪めていた。オクトが怯んだように身を強張らせる。
その僅かな隙を今の私は見逃さない。渾身の力を込めて地を蹴り、躊躇いなく剣を突き立てる。
「馬鹿な……っ!」
私の剣がオクトの腹を貫く。どろりと生温かい血の感触が手に伝わってくる。
そのまま容赦なく剣を横に薙ぐと、オクトがよろめき、地面に倒れた。ものすごい勢いで血が流れていく。
母上様のドレスが赤く汚れ、私ははっと我に返る。
「…………」
夢の中では何度も魔物を殺した。特別演習でも魔物と戦い、その命を奪ってきた。
しかし、ヒトの形をした生物の血を浴びるのは、現実では初めてだ。
自分の行いに激しい嫌悪を覚えた。
……いや、こいつはヒトじゃない。今までたくさんの人類を手にかけてきた魔族だ。ここで殺さなければ、もっとたくさんの人間が死ぬ。
奥歯を噛み締め、血濡れの剣をオクトの首筋に当てる。
「降参、するか?」
「…………っ」
殺気でギラついた赤目が私を睨み付ける。
腐っても王子だな。プライドが高い。敗北を認めるくらいなら死んだ方がマシだと言わんばかりだ。
「てめぇ、絶対、許さねぇ………呪って、やる……」
滑稽だった。呪われるくらい、どうってことない。
悪夢に慣れすぎて、自分が傷つくことはまるで怖くないんだ。
私はトドメを刺すべく、剣を振り下ろした。




