35 オクト襲来
兄上様とダンスフロアに出て、緩やかなワルツを踊る。
身長差をものともせずに優しくリードして下さるので、踊りやすかった。久しぶりで心配だったが、一安心だ。
一曲踊り終わったらリゲル様へ挨拶に行き、兄上様について回る。あるいは壁際でじっとしていよう。オクトが来る前に気疲れしてしまうのは避けたい。
できれば、少しルルタと話したいが……。
「急に舞踏会に行きたいと言い出したのは、彼のせいか? ベテル様に随分気に入られたようだな」
不意打ちで兄上様が私に耳打ちする。
咄嗟に答えられず、ステップが狂う。兄上様が予見していたように支えて下さったので転ばずに済んだ。
ルルタがこの場にいること、バレていたか。あまりにも騎士服姿が格好良くて、思い切り見てしまったからな。
それはさておき、兄上様の推理はハズレだ。ルルタがこの場にいるのは私が発端だ。しかしそれを正直に言うわけにもいかない。どうやって誤魔化せば――。
「それとも、お前が何か企んでいるのか。リュカットからいろいろと聞いているぞ。魔王子の襲撃を警戒して、随分と神経を尖らせているようだな。キュロンを使ってリゲル様やベテル様を学院に呼び、今夜は母上のドレスまで持ち出して、一体何をするつもりだ」
おのれリュカット。やはり告げ口したか。いや、それは分かっていたが、今まで泳がされていたのかと思うと我が兄ながら恐ろしい。
怒っているのかと恐る恐る兄上様の顔色を窺い、私は呼吸を止める。
……兄上様は怒ってはいなかった。ただ、悲しそうな目をしていた。
「私は、ライラのことが心配なんだ。ここ最近、輪をかけて様子がおかしい。体調も悪いだろう? 何か悩みがあるなら打ち明けなさい。きっと力になるから」
「……っ」
心が揺れる。
母の記憶を奪われ、父に疎まれてきた私にとって、兄上様だけがまともな家族で、ルルタに出会う前はたった一人の心の拠り所だった。
この十年心配ばかりかけてきて、今夜もまた迷惑をかける。
エイプリルのこと、オクトのこと、母上様の記憶のこと、何もかもを打ち明けて懺悔したい。
でもそれはできないんだ。
兄上様は複雑な立場にいるから、私のためだけには動けない。それに、いくら兄上様でも私の抱える事情を解決できるとは思えなかった。
結果的に、兄上様の心労を増やすだけ。それが分かっていて、これ以上甘えられるものか。
「兄上様、私は……」
私がどうやって言葉を返そうか悩んでいると、異質な気配を感じた。頭が真っ白になり、咄嗟に体が動く。兄上様の頭に抱き着いて蹲らせた。
「!?」
直後、ガラスが盛大に割れ、悲鳴が響く。
二階の窓からダンスフロアの中央に、そいつが降り立った。
「はっ! 良い夜だな、人間ども! オレ様もパーティーに参加させてもらうぜ!」
魔王子オクト、本当に来やがったな。
シルエットだけは知っていたが、エイプリルの夢でも顔立ちや髪の色、声までは分からなかった。
体格は人間のそれと変わらない。小柄なくらいだ。元気いっぱいな少年のような声をしている。
特徴的なのは金髪の間から漆黒の角二本と、愉しげに歪む口元から覗く発達した牙二本。瞳はエイプリルと同じ赤だ。魔族の特徴なのかもしれないが、エイプリルとは違い、実に獰猛で活き活きとした目をしている。
何より、この場にいる皆が恐怖したのは奴の魔力。肌がひりひりと痛むほどの圧だ。夢の中で慣れていなければ、私も身が竦んでいただろう。
「オレ様はオクト! 十番目の魔王子オクトだ! さぁ、この国の聖剣を寄越しやがれ! さもなくば、目につく人間ゼンブ、皆殺しだぜ!」
ようやく状況を理解した周囲が動き出す。
舞踏会の招待客は叫び、怯え、扉やバルコニーに殺到した。騎士たちは人波に押されて思うように近づけないようだ。
誰も怪我をしなければいいが……キュロンや騎士に期待するしかない。
「兄上様、リゲル様たちと避難してください」
私はヒールの靴を脱ぎ捨て、人々とは逆の方角へ足を踏み出した。
「ライラ! 待ちなさい!」
兄上様の制止の声は、聞こえないふりをした。
ごめんなさい。今しかチャンスはないんだ。
【風の加護、我が足に宿れ】
私は風の精霊に頼み、ショートブーツを造った。ガツンと魔力を消費したが、仕方がない。さすがに戦闘に向いた靴までは持ち込めなかったからな。
「ライラ! 受け取れ!」
ルルタの声とともに、一振りの剣が投擲された。
それを空中でキャッチすべく、軽く跳躍する。うん、いい感じだ。体が羽のように軽い。夢と同じ感覚で動けそうだ。
剣を受け取り、私はオクトの前に降り立った。一番乗りだ。
こいつがベテル様の名前を出す前で良かった。
「んん? なんだ、お前――」
「私の名はライラ・シェリアーク。魔王子オクト、お前の好きにはさせない。一対一の決闘を申し込む」
鞘から剣を抜いて突き付けると、オクトがぎょっとしたように顔を強張らせた。
私の言葉に呼応するかのように、オクトの周りから半透明の魔力の波動が円状に広がる。オクトは怒りを露にした。
「てめぇ、チビ女……このオレ様と決闘だと? 身の程知らずが!」
吼えられたが、私は動じない。奴は私を睨みつつも、襲い掛かってこなかった。
半信半疑だったのだが、エイプリルの言葉は正しかったようだな。
能力の条件を満たすまで、奴は私を攻撃できない。
「ご令嬢をお守りしろ! かかれ!」
そのときになってようやく態勢が整ったのか、騎士たちがオクトに一斉に斬りかかった。しかし目に見えぬ何かに阻まれ、騎士たちは押し戻されてしまう。
「なんだこれは……!?」
「とにかく攻撃だ! 魔法を……」
今度は攻撃魔法が一斉にオクトに降り注いだが、奴に当たる前に消滅した。
「これは……一体どうなっているんだ!」
騎士たちの間に動揺が広がる。
「あーあー、無駄無駄! オレ様とこの女の決闘が終わらない限り、他の奴らの攻撃は全部無効だ。ったく、予定が狂っちまったぜ! 本当なら、ベテルギアっつー王子と戦うはずだったのに!」
オクトは頭を掻き、忌々しげに私を見た。
「どういうことだ?」
問いかけたのは、ベテル様だった。避難していてほしかったのだが、この人の性格では無理だな。
気づけば、大広間からはすっかり人の姿がなくなっていた。
いるのは私とオクト、ベテル様と騎士、そしてルルタと兄上様だけだ。リゲル様や王子の妃様たち、招待客は避難できたようだな。良かった。
「ライラ、何をしている。早くこちらへ来なさい」
兄上様が私を呼んだ。駆けつけたルルタも心配そうにしている。話が違うと言いたげだ。
……ごめんな。この展開は、ルルタにすら内緒にしていたことだ。
「あー、もう! 萎えた! 面倒くせぇ。ランタ。説明してやれ!」
オクトの呼びかけで、空間からゆらりとオレンジ色の鬼火が現れた。なぜかカボチャ頭だ。オクトの使い魔らしいな。コバトよりは可愛い。
「はーい。みなさん、こんばんはー。今の状況を簡単に説明しますねぇ。実は、僕のご主人様は特別な“呪”を持っていまーす。まぁ、魔王子はみんなそれぞれ固有の“呪”があるんですけど、それはまた別の話でー」
この場に似つかわしくないユルい口調で、ランタとかいう使い魔が説明を始めた。
「ご主人様の“呪”は、他者に一対一の決闘を強制するというものでーす。決闘を申し込まれれば拒否はできず、周りも介入もできません。二人の間で決着がつくまで、誰も手出しはできなくなります。ご主人様はこの“呪”を気に入られているようですけど、これ、便利なようで不便なんですよねー。自分でも制御できなくて、こうやって相手から決闘を申し込まれても成立しちゃうんで」
「ふん! 一人で人間の国を相手取るには良い能力だろうが! 強ぇ奴と誰にも邪魔されずに戦えるんだぞ!」
癇癪を起こしたみたいに、オクトが顔を背けた。子どもか。
こいつは五十年前の魔王復活時のときの子どもだから、結構いい年齢だと思うんだが。
……ああ、でもキュロンという例があった。長寿の種族の精神年齢は人間の基準で測れない。
「その力で勇者タウロと決闘したのか」
ベテル様の問いにランタが「正解!」と火花を散らした。
勇者と一対一の決闘が成立したのも、こいつの“呪”のせいだ。誰が好き好んで魔王子と一人で戦うものか。人間の領土ならば魔王子一人、袋叩きにすれば間違いなく勝てるのだから。
人間側からすると、厄介な“呪”だと思う。今回はそれを利用させてもらったがな。
しかし、ペラペラと“呪”について話してしまって良かったのか、こいつら。
可哀想なくらい馬鹿なのか、この場にいる全員を皆殺しにする自信があるのか、どちらだろう。
「決闘を始める前に、決着の方法を決めなくちゃいけませんねー。基本的に申し込まれた側、今回はオクト様が決めるんですけどー、ちょっと無理だなぁっと思ったら、お嬢さんは一回だけ拒否権を行使できまーす。この前の勇者戦は『死んだ方が負け。降参はなし』っていう激ヤバなルールでしたけど、今回はどうしますー?」
ランタの呑気な言葉に、周囲がどよめく。
「もちろん命を賭けてもらうぜ。オレ様の計画を無茶苦茶にしたからには容赦しねぇ。ぶっ殺してやる。綺麗に死ねると思うなよ、女ァ」
望むところだ、と言い返そうとしたところでベテル様から待てがかかった。
「先ほど私の名前を出していたな。本当の目的は私と戦うことか」
「あ? それがどうした? この女を片付けたら、次はお前だ。逃げる準備をするなら今のうちだぜ。それか、聖剣を差し出す準備でもしてな」
「逃げ隠れなどするものか。ちゃんと相手をしてやる。だから、ライラの命を奪うな。決着方法は『先に降参した方が負け』だ。その条件ならば、我が王国の聖剣を賭けて戦ってやってもいい。……ライラ、良いな。この国の王子として命じる。さっさと私に代われ」
ベテル様のちょっと格好いいセリフに、男たちが感動している。
私を庇うためならば少しはときめいたかもしれないが、自分が戦いたくてうずうずしている様子が見え見えで、私はげんなりした。ルルタに聞いた話では、ベテル様もオクトと戦いたがっていたらしいからな。
オクトが舌打ちをする。
「はぁ? ……まぁ、それでもいいけどよ。当初の計画通りだしな。じゃあ、先に降参した方が負けだ! オレ様の前で震えずに立っている生意気さに免じて、今回は特別に許してやる!」
オクト……魔王子の割に話せば分かる奴だな、こいつ。でもやっぱり馬鹿だ。
「分かった」
私の言葉に兄上様とルルタがほっとしたように息を吐く。
……ごめんなさい、兄上様、ルルタ。
ここでベテル様に美味しいところを譲るわけにはいかない。
エイプリルの注文は魔王子オクトを討ち取ることだ。そのチャンスはこの決闘の場だけ。
「だが、私は降参しないぞ。ベテル様が相手をするまでもない。私がお前を倒す」




